
2025.12.23Vol.716 本末どっち~英会話編~(後編)
もし、「10月1日からの約3か月間、英会話とは別のことをすることでもっと充実した生活を送れたと思いますか?」と誰かに尋ねられたら、少しだけ考えて「その代わりになるようなものを現状イメージできません」というような返答をするであろう。ここでの英会話は、私が目指す志高塾の在り方と似ている。「家から通える範囲で、志高塾のようなところを見つけるのは簡単ではないよね」と感じていただけるような塾でありたい。そのことに関して何かしら具体的な目標を持っているわけではない。一人一人の生徒の目の前のこと、たとえば受験のことだけではなく、もっと先のことまできちんと見据えて向き合うことを積み重ねることでそのようになっていけるはずだと思い込んでいる。話がそれて行きそうなので、英会話に話を戻す。
始めた時に想像していたよりも、断然多くのものを得られている。たとえば、春休みに二男と2人で2週間弱ロンドンとパリに行く予定にしているのだが、この前ロンドンに住んでいたことがあるフランス人のファビエンヌが、ストーンヘンジを勧めてくれた。そう、半年ほどまったく話をしなかった二男とどのように雪解けしたのかについてもどこかのタイミングで書かないと、とは思っている。今年の3月に、「Vol.678 子育て方針大転換(前編)」でそのことを取り上げて、「後編」がまだだからだ。私自身、イギリスには2度、合わせて10日間前後滞在したはずだが、ロンドン以外には行っていない。彼女はバスを利用するのが良いと教えてくれてその気になっていたのだが、たった今、郊外の町を訪れるのであれば久しぶりに海外でレンタカーをしてみようかな、となった。これまではハワイとアメリカの西海岸でしか経験がない。アメリカとは違い、日本と同じ左側通行なのでその点でも気楽である。右側通行の国に行くと、そのことにかなりの神経を使う。向こうでだけのことなら良いのだが、大抵はちょうど慣れてきた頃ぐらいに帰国するので2, 3日は左側通行を意識しないといけない。時差ボケと同様である。
これまでの授業で一番盛り上がったのはベラルーシ人のケイトとのレッスン。お互い美術鑑賞好きなので、予定していた文法のテキストそっちのけで25分間旅行の話から始まり、どこの美術館に行ったことがあるか、という話に花が咲いた。これまで訪れたことのある国でトップ5を挙げてみて、と言われ、確か、フランス、スペイン、イタリア、スイス、ドイツを選んだ。すると、「オーストリアは?」と尋ねられたので、「もちろん行ったことがある」と返すと、クリムトの話になり、「“The Kiss”は見た?」と聞かれ、それにもやはり「もちろん」と。日本語の作品名を、そのままカタカナ表記にして「キス」としても、また「口づけ」でも良かったはずなのだが、実際は「接吻」なのだ。タイトルが知識として入っているからなのか、あの官能的なイメージとマッチしているからなのか、やはり「接吻」がしっくりくるような気がする。私は絵の横のプレートを必ずと言っていいほど確認するので、“The Kiss”というのを目にしたはずなのだが、そのときには上のようなことまで考えが及ばなかった。ちなみに、そのプレートの情報の中で一番興味があるのが、その画家が何歳の頃に描いたか、ということである。モネであれば白内障の影響で色遣いが変わって行くので、「あっ、これはやっぱり晩年の作品だな」となったり、ピカソであれば、「キュビズムに移行し始めたときのものだから、まだ完成度は低いのかな」となったりする。話をクリムトに戻す。「“The Kiss”も良い。でも、名前は忘れちゃったけど、俺は“The Beethoven blah-blah-blah”が一番好き。日本の展示会で複製を初めて見て、どうしても本物を鑑賞したくてこの前実際に行ってきたらめっちゃ良かった」ということを伝えた。授業後のケイトからのメッセージの一部を紹介する。
It was so nice meeting you today—I had such a blast chatting with a fellow art lover! Thank you for telling me about Klimt’s Beethoven; it looks absolutely incredible. Now I really want to see it for myself.
おそらく10人中9人の先生はメッセージを送って来てくれるのだが、その多くはコピペしているのだろうな、と感じさせるものである。もう一人分、紹介する。それはロシア人のオクサナからのものである。
I am happy to help you with whatever you need. You can use our application to learn English whenever you want and wherever you are. Your pronunciation is very good and clear. Keep learning—you are doing great! Wishing you all the best, and hope to see you again in class!
これは私に向けてのものだということが一目瞭然で分かる。それは、授業内で扱った内容が、“whatever”、”whenever”、”wherever”などだったからだ。いつもは月間報告などを通して、伝える側の立場でいるのだが、改めてメッセージというのは心を込めないと意味が無いということを実感している。その他、授業内のものとしては、ウルグアイ人のアレックスが「あなたの発音は良い。日本人はみんな”material”を『まてりある』と読むけど、あなたのはちゃんと『マティアリアル』となっているから」と評価してくれて、私は嬉しかった。”r”と”l”の区別が付けられているわけではなく、きれいな発音とはほど遠いのだが、英単語を覚えるときには必ず発音記号を意識した上でやっていたので、それが違いとして出たのかも、というのはある。高校受験でも大学受験でも、アクセントや同じ「ア」でもその違いを問われる選択問題が出されたのだが、私はそのための勉強をわざわざしている人が不思議でならなかった。上で述べたように、覚えるときに一緒に頭に入れれば良いだけだからだ。「褒める」ということに話を戻すと、「どうでも良いことで褒めてはいけない」ということを日頃から講師たちには伝えている。今回の私がそうであったように本人が納得できたり、本人が気づけていない、まだ結果につながってはいない成長した部分にだったりにスポットライトを当ててあげないといけない。私は、「~はできるようになったやん。次の課題は・・・やな」というような声掛けをすることが多いかもしれない。その他には、映画好きのUAE人のジェイクが、クリストファー・ノーラン監督の映画を勧めてくれたので、私が好きなマット・デイモンが出演している『オッペン・ハイマー』を見た。残念ながら内容がきちんと理解できなかったので、少し前から藤永茂著『ロバート・オッペンハイマー ―愚者としての科学者』を読み始めている。英会話のおかげで興味の幅が広がり、志高塾での仕事を見直すきっかけも得られている。英会話のことならまだまだいくらでも書けてしまうのだが、ここらへんでそろそろ締めることにする。
今年も一年間お付き合いいただきありがとうございました。子供の教育に関わる者として最低限の仕事はやってきたという自負はありますが、それはあくまでも最低限でしかなく、個人としてはここ何年間も全然成長していない自分に対して忸怩たる思いを抱え続けて来ました。年末のこの時期に「来年こそは」と思ってはみるものの、1年後にまた前に進んでいない自分を目の当たりにする、ということの繰り返しでした。でも、今年は違います。2月27日に安藤忠雄さんのセミナーに出たことで、株式会社エックスラボの藤社長と出会え、それがきっかけで一気に物事が前に進み始めました。誰にでも身分相応のチャンスは巡ってくると私は信じています。自ら動いたことでチャンスに出会え、今、ちょうどそれを掴みかけているところです。多くのことは一人ではできず、いろいろな人の協力があって初めて成し遂げることができます。それを十分に理解した上で、それでもやはり今年に関しては、それなりに頑張れた自分に対して相応の評価をしても良いのではないか、と考えています。だから、来年の自分に期待しています。もちろん、それは志高塾の教育の質の向上を意味しています。次回は、年明けの1月7日(火)になります。来年もどうぞよろしくお願いいたします。








