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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2026.01.09Vol.81 見えるものの向こう側にあるもの(豊中校・湯下)

 NHKの朝ドラ「ばけばけ」が、なかなか面白い。主人公トキは最初の夫とも生涯の伴侶とも怪談が共通の趣味で、その舞台となった現地でデートして、大いに盛り上がったりする。そういう場所が生活圏の中に現存していたということがまず驚きだが、明治の時代にはまだまだそんな妖が生活の中で息づいていたのだろう。現代の若い世代にとっては明治も江戸も大差ない大昔だろうが、明治生まれの祖母と大人になるまで同居した私には、そういった、薄皮一枚で妙なものが隣り合う感覚は馴染みがある。
 例えば、私が高校の頃に飼っていた猫、ゴンの話。当時、猫は放し飼いが一般的で、雄は五六歳にもなると家出するというのが相場だった。ゴンもご多分に洩れず旅に出て、最初は三日置き、それが一週間、一ヶ月と帰ってくる間隔が間遠になったある日、学校から帰宅した私に祖母が「ゴンが今日顔を見せに来たよ。でもあの子はもう帰ってこないよ」と告げた。なんで、と聞き返すと「家の四隅に座ってきちんと挨拶して行ったから」とのこと。私としては「へー」としか答えようがなかったが、果たしてゴンはそれきり姿を見せなかった。その不可解に気づいたのは、ずっと後になってからだ。確か、杉浦日向子さんの「百物語」という漫画を読んだのがキッカケだった。怖いというより不可思議な話を集めた中に、「ある小僧がお使いの帰り、ふと覗いた垣根の奥に、日向の縁台で白魚をより分けている老婆がいた。その背後にいた煤けた猫が、『ばばさん、それを俺に食わしや』と呼びかけるのへ、老婆は手も止めず『おぬしは何を言うぞ、まだ旦那どんも食わしやらぬに』とたしなめた」という話があったのだ。この話で興味深いのは、その小僧が猫が喋るのを聞いてもびっくり仰天したりしないところだ。慌てず騒がず、もう一言何か言わないかと待ち続けるのだ。それを読んだとき、私はふと祖母とゴンのことを思い出した。すっかり忘れていたが、あのときゴンは本当に、そんな挨拶をしたのだろうか?いやいや、祖母がそれに一々付き合ったはずがない。仮に本当だったとしても、なぜ祖母はそれが猫なりの別離の儀礼だと知り得たのだろう?
 祖母は既に他界しているので、本当のことはわからない。ただ、「ばけばけ」の世界がそうであるように、祖母もまた昔の、田舎の人だったから、人知の及ばぬものがあるということを素朴に受け容れ、八百万の神々として日々の生活に溶け込ませ畏れ敬ううちに、それらの声なき声を感知する術を自然と身に着けていたのかもしれない。それは多分、高度な科学技術に頼る生活に慣れた我々現代人が喪った感覚なのだろう。
 「?」を解き明かそうとするとき、人はそれぞれの特性と言うか、「らしさ」を発現するのではないだろうか。例えばメアリー・ノートンがちゃんとしまっておいたはずの針や安全ピンがなくなってしまう奇妙さから『床下のこびとたち』(ジブリ映画『アリエッティ』原作)を紡ぎ出したように、あるいはリンゴが落ちるのを見てニュートンが万有引力の法則を見出したように。そして祖母が、可愛がっていた猫の何気ない仕種や目つきから、そのメッセージを敏感に察知したように。
 そう言えば以前、こんなことがあった。息子が中学生の頃、塾か何かで帰宅が遅くなったので、犬の散歩がてら迎えに行ったときのことだ。家の近くで、向こうから歩いて来る息子を見つけた。ほぼ同時に息子も気づいたようだったが、何故か立ち止まり、こちらを透かすように窺い見ている。そこは車が通れない川沿いの細い路地で、反対側は竹藪、川の向こうは雑木が鬱蒼と生い茂る山で夜半には猪が出る獣道が通っている。人通りも途絶え街灯もまばらな朧の闇の中、さては異形の者と見間違えたかとおかしくなり、犬を放してやると勇んで駆け寄ったのに安心したのか彼は嬉しそうに屈んで出迎え、リードを取るとじゃれつく犬ともつれるように歩み寄ってきた。さっきはどうしたのと尋ねると、彼はちょっと口ごもったが「幻かと思ったんだ」と答えた。
「幻?」
「うん。幸せな幻」
 実際は、やっぱり亡霊か何かと怯んだのかもしれない。しかし私はそれを信じた。ばかりか、親馬鹿で恐縮だが「ああ、この子は身も心も健やかに成長しているな」と安堵に似た喜びさえ感じたものだ。もともと彼は幼少期「バムとケロ」シリーズの絵本が大のお気に入りで、小中高とアイドルは一貫して「ムーミン」という、人間とは異なるものたちの静かで安寧な世界を愛する子どもだったから、その受け答えはいかにも彼らしかったのだ。
 こういったことは、生徒の作文を読んでいて日々感じるところでもある。例えば以前、『きまぐれロボット』に取り組んでいた子どものものが面白かった。この教材では、解釈の仕方に一応スタンダードがある。そのときの話の内容としては「S博士新発明の食虫植物を分けてもらって喜んだR氏だったが、それは捕食する害虫がなくなると枯れてしまうため、冬場は手間暇をかけてボウフラを育てねばならず、これでは便利なのかどうかR氏はわからなくなった」というもので、通常はこの最後の部分に着目させて害虫を捕る花のために虫を育てる矛盾に気づかせ、目的を見誤ってはならないというところに導くのだが、その子は「価値あるものに代償を払うのは当然で、蚊に悩まされるくらいならそれぐらい辛抱するのが当然だ」というのが言い分だった。一理あるのでその線で進めていくと、「価値観は人それぞれなので、自分に合うかどうかを先に調べるべき」と斬新な展開となった。この子はいつもちょっと頑固なくらいにマイペース、我が道を行くタイプだっただけに、いかにもな着地点だった。これは彼に限ったことではないが、面白い着眼点やユニークな発想で生徒から驚かされることは多々ある。その都度、正しさや己の尺度に拘って柔軟さを欠いた自分に気づかされる。また他の生徒で、入塾したてでオチを明かすのに「実は」を使うことに慣れていない頃、よく「これからどうなるでしょう」と結文していた子がいた。それを読んで、もしかしたらこの子の頭の中では自分なりの物語の続きがあるのかもしれない、きっと想像力の豊かな子なのだろうと感じられた。
 またもや余談だが、以前、母にこんな話を聞いた。母は幼い頃、壺を抱えて飛んでいる蜂を見たことがあるのだそうだ。その時は幼過ぎておかしいとは思わなかったが、少し大きくなってから、「おや?」となり、以来ずっとあれは何だったのだろうと不思議に思っているという。それから更に歳月が過ぎたある日、私も同じ光景に出くわした。びっくりしてよくよく見直すと、壺と見えたのは何かの黄色くて大きい雌しべだった。私は長年の謎が解けて母がどんなに喜ぶかと急ぎ報告したのだが、思いのほか母の反応は「ふぅん」と薄く、拍子抜けしてしまったが、なんとなくわかるような気もした。長い間、自分の中で温めてきた記憶には、母なりの思い入れがあったのだろう。そしてそれは決して「実は百合の雌しべでした」なんてつまらないものではなかったはずだ。そんなことを思い合わせると、どの生徒も持っているだろうそれぞれの小さな世界をちゃんと見抜き、守りつつ整え育てることが、正しさより何より大切な講師の役割なのかもしれないと思えて、しかしその途方もない難しさにくらくらするのだ。

2025.12.26Vol.80 「生きる」ためのアート鑑賞

 大学生の頃、平田オリザ氏が講師を務める講義に出席していた。著名な劇作家でありながら演劇論を取り上げたことは一度も無く、芸術の受容のあり方について幅広く語ってくださった。そこでの平田氏の発言で記憶に残っているものが二つある。一つは、学生からの「地方文化の衰退の一因としてイオンモールを批判しているが、先生の著作である『幕が上がる』の映画版はイオンシネマで上映されているじゃないですか」と、意地の悪い質問をされた際に繰り出された「そうしないと資本主義社会では生きていけないからです!」という即答だ。「それで俺をやり込めているつもりか!?」という怒りが滲み出た正直な返事に、むしろ感心した覚えがある。そして、二つ目が「アートを前にした時、大人は価値を論理的に見出そうとするけど、子どもは感性的にしか捉えない。だから、子どものうちはひたすら名作に触れさせて審美眼を育むことが大切。成長するにつれて作品ごとの良し悪しを直感的に判断できるようになる。」である。平田氏が授業の流れを無視して唐突に熱弁を振るい出したのもあって印象に残っているのだが、子どもと接する仕事に就いてからはことあるごとに脳裏に浮かぶようになった。(一つ目のエピソードの方は「笑い話」の範囲を出ていない。)
 今回の場合は、読み聞かせクラスで取り入れられている「アートマインドコーチング」がきっかけだ。社員講師は11月28日の体験会よりも前の会議にて、小西さんによるファシリテーションの下で「対話型鑑賞法」を実践する機会をいただいた。その際、ローザ・ボヌール (1822年-1899年)という女性画家の≪子牛の離乳≫(リンクから絵画の情報に飛べます)に対して、各人がタイトルを知らない状態で「絵の中でどのようなことが起こっているか」、「どのような音が聞こえるか」をじっくり探り、挙手制で発表していった。実は、私は初めて作品を目にした瞬間、画面の右手前にいるのはまさか若いライオンなのではないか、と戸惑ってしまった。濃い茶色の毛並みや、小柄ながらも引き締まった体つき、そして黄昏ているような表情から「たてがみが生えそろっていない獅子がサバンナの夕日を眺めている」というイメージと結びついたのだ。だが、周りの牧歌的な自然風景や成牛の姿が目に入ってくると冷静になり、最終的には「牧場に戻ってきたばかりの母牛を子牛たちが出迎えている」というストーリーを全員に共有した。面白かったのはここからだ。小西さんから「どこを見てそう感じましたか?」と、根拠を尋ねられたので、説明のために絵を見直してみたところ、自分なりに確定させたつもりの答えとは異なる可能性が開いてきたのだ。「成牛と子牛たちの目線が交わっていないな。お互いさほど関心が無いのかも。そもそも、なんで『母』牛だと決めつけられるのだろうか?」という風に己を疑い始めたら切りが無さそうだった。待ってくれている参加者たちを前に正直焦ったものの、画面奥から列をなして向かってくる牛たちの描写に着目すると、親牛が「帰宅」する場面だと捉えられると結論付け、何食わぬ顔でその旨を発言した。ただ、「自分では気づけていないポイントがまだまだあるに違いない」と客観視した上で他のメンバーの言葉に耳を傾けるためのステップになった。例えば、「柵が敷地を取り囲むための堅牢な造りではなく、長い枝と岩を活用した簡易的な物に思える」や「何頭かの牛は、絵の中には現れていない人間に視線を投げかけているのではないか」といった描写には、言及されるまで意識が向いていなかった。そういった要素が明らかになっていくにつれ、脳内にあるストーリーがバージョンアップしていくようだった。私個人は、「みんな」で協力しながら物語を作っているような感覚を味わっていた。
 さて、プログラムが進むうちに、ある社員から「手前にいる子牛がライオンに見えちゃったんですよね」という声が上がってきた。奇遇なことに、私が自分の中で「ありえないもの」として切り捨ててしまった考えだ。けれども、同じような捉え方をした人が他にいた事実が嬉しかった。思わず「私もそうなんです!」と食いついてしまったのだが、その時も小西さんはただ微笑みながら根拠を聞いてくださった。我々の発言への評価も指摘も行わない。そのおかげで参加者は自由な発想を後押しされるし、迷いながらも紡ぎ出された言葉が「人の繋がり」を生むことだってありえる。「より良く生きていく上で重要な基礎能力が自然と育まれる」とはこういうことかと感じ入った。
 冒頭で取り上げた「子どものうちはひたすら名作に触れさせて審美眼を育むことが大切」という発言に話は戻ってくる。学生時代の私は、我が子を有名画家の代表作の前に連れて行って「これ、すごい絵なんだよ」と声を掛けている大人の姿を思い浮かべていたが、そういった一方的なやり方では場がしらけて終わるだろうな、とも思っていた。今振り返ると、当時の私自身の「名作」と「アート鑑賞」の定義が狭量だったのだが。志高塾の読み聞かせクラスで扱われる作品も美術史的な価値は高い。しかし、大事なのはそこではない。選ばれているのは、情報としての豊かさを持ち、観る者の観察力や想像力を刺激する触媒として優れたものばかりだ。だからといって、作品を好きにならなくても構わない。ただ、対話型鑑賞に参加した人たちは題名と作者名を知らずとも、その絵を自ずと「名作」だとみなすようになるはずだ。

2025.12.19社員のビジネス書紹介㉗

徳野のおすすめビジネス書
矢野耕平『ネオ・ネグレクトー外注される子どもたち』 祥伝社新書

 「ネオ・ネグレクト」とは、子どもが衣食住が満ち足りた環境にいても、保護者から十分な関心を向けられていない状態を指す。貧困問題と結びつけられやすい一般的な意味の「育児放棄」と区別するために著者が生み出した言葉であり、本作が発表されたタイミングで様々なネット記事に取り上げられた。しかし、そこに寄せられた感想からは、言葉が一人歩きしている印象を受けた。都内のタワーマンションに住む共働き世帯が、具体例として頻繁に紹介されるのも仇となっている。夫婦揃って激務で、しかも自分たちの両親を頼れないとなると、子どもの安全のためにも放課後に習い事の掛け持ちをさせざるをえなくなる、という事情は何も珍しい話ではない。だが、メディアでそこだけを切り取られると、コメント欄では「金にあかせて予定を詰め込まれる子どもが可哀想」という「同情の声」が上がり、さらにそれに対して「フルタイムで働くしかない夫婦の大変さも理解するべきだ」という批判が集まるのがお決まりの流れだ。いつの間にか、話題の中心が、習い事を沢山やらせることへの是非に変わってしまっている。私はその表層的な受容のされ方にもやもやする。だから、書籍を実際に手に取ることにした。
 本作で取り上げられるのは、自身のキャリアや趣味を充実させる上で子の存在を煩わしく感じて、何の方針も立てずに自習室付きの塾や全寮制の学校に責任を丸投げしようとする保護者だ。問題視するべきはそういう自己本位で、親子間のコミュニケーションを厭う大人である。彼らに振り回された子どもは対人関係において困難を抱えたまま成長する傾向が強い。そして、都内の中学受験専門塾の経営者として数多くの親子と接してきた筆者だからこそ、物質的な豊かさの陰で孤独に苛まれる子どもとその家庭にスポットライトを当てたい、という動機が生まれた。傍目からは見えにくい精神面の貧しさの実態を探るべく、いわゆる「バリキャリ」の子持ち女性だけでなく、教育虐待を経験した女性、我が子と離れて暮らす会社経営者など様々な背景を持つ人々にインタビューを行い、時には著者自身の認識の甘さや思考バイアスを客観視しながら「ネオ・ネグレクト」への解像度を高めていくような構成となっている。
 さて、著者は新書という形で問題提起を行ったが、だからといって社会という大きなものに責任を求め、子どもを公的な支援に繋げることが目的ではないという。繰り返しになるが、「ネオ・ネグレクト」とは家計には余裕があることが前提であるがゆえに、外側からの把握は勿論のこと、まずは当事者が自覚するのも難しい。つまり、非常に「個人的」な問題であると言える。だからこそ、著者はあえてレッテル貼りとも取られかねない造語を世に放つことで、子育て中の人と周辺の大人が立ち止まって「では自分はあの子にきちんと向き合えているだろうか」と内省するきっかけを作ろうとしている。
 私自身は、客観的に見れば、「週に1、2回通っている塾の講師」に過ぎないかもしれない。だが、一人ひとりの生徒の人となりに興味を持ち、授業に関係しない会話をしていることの意義は大きいのだと再認識した。

三浦のおすすめビジネス書
高田貴久『ロジカル・プレゼンテーション――自分の考えを効果的に伝える 戦略コンサルタントの「提案の技術」』 英治出版

 前回、コンサル向けのビジネス書を読んだときにも、そして日々の生活の中でも強く感じるのは、「相手に納得してもらえる」ように話すことは難しいということだ。生徒に話している時は、時には何段階か噛み砕く工程を経て、互いに納得のいく説明に落ち着くことも珍しくない。しかしビジネスではそんな悠長なコミュニケーションではなく、的確に伝える必要がある。
 「相手がどこまで理解できているかを意識する」とは以前にも読んだが、本書ではより詳細に、納得のいく提案をどうするかについて述べている。まず、「目的・論点を確かめる」ことで相手の疑問を明らかにし、「仮説・検証」の工程を経て、相手に「示唆」を与えることで疑問に答える、という一連の流れに分解している。提案の際は論理的に説明することも必要だが、そもそもの前提である「論点」を理解しているかが重要であるということだ。それはアナログ的な空気感によって判断する、というのは、デジタルだけでは推し量れない血の通ったコミュニケーションだからこそだろう。
また、提案である以上決定権は相手にあり、相手が理解できるかがすべてであるというのも、当然のことながら言葉にされると改めて腑に落ちた。相手に理解されなかったのなら、非はこちらにあるということだ。
 そして提案の中身だけでなく、プレゼンテーションの資料において気に掛けるべきことなど、提案の方法についても本書では触れている。「一目で理解でき、誤解されない」ためには、不要な要素を出来得る限り削る必要がある。それはビジュアル的なことでもあり、そしてここで行っているような、言い換えのスキルの話でもあった。
 特徴的だったのは、本書の項目にあわせて、メーカーとコンサルタントが協力して困難に立ち向かっていくストーリーが展開される点だ。実際の会議やプレゼンテーションに似た場面は、現場の雰囲気をよりリアルに感じ、あまりこういった場に立ち会ったことのない自分でも、何が必要で何が課題なのかを想像しやすくしてくれていた。

竹内のおすすめビジネス書
今井むつみ『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』 日経BP

 そもそも私たちは自分を取り囲む世界をどのように認識しているのか。この「そもそも」に目を向けていくのが認知心理学という学問である。「賢くなりたい」とか「美味しいもの食べたい」などと漠然と願っていたとして、その「賢い」や「美味しいもの」とはどのようなことを指すのか。このような定義づけを行うことが世界を見るための前提となる。
 無論、この定義自体が一様に定められるものではない。その時の文脈によって変わるし、人によっても大きく異なる。そして、この人による違いは「人間の記憶のあいまいさ」や「自分の経験をベースにしたバイアス」によって生じ、避けることはできない。これらは人間の弱みといえるものだが、だからこそ他の動物にはなし得ないような高度なコミュニケーションによって連携を取ることができるのも事実である。
 筆者は生成AIの出力する文章は身体感覚や経験と結びついていないものだとし、「意味を理解していない記号」を「意味を理解していない別の記号」に置き換える作業でしかないと主張している。志高塾では作文において言い換えを重視しているため、この内容にはどきっとさせられる。似た意味のものをとにかく当て、文脈を踏まえなかったり、自分自身の感覚と照らし合わせたりすることがすっぽ抜けるということは人間にも起こりうる。意味付けをするということが私たち人間だからこそできることなのであれば、それを手放すわけにはいかない。

2025.12.12Vol.79 「機械的」になる五分間(三浦)

 ルーティーンが驚くほど身につかない。
 些細なストレッチや短い日記のように大した手間でもないものほど、毎日行うというのがどうしても続かず、たいていのことは三日坊主で終わってしまう。よく聞くのは、風呂上がりや食後などのように行うタイミングを決めることで習慣の一部にするというものだが、それも四日目にはすっかり忘れてしまっていることが大半だ。
 いや、忘れるというのは言い訳に過ぎない。「三日も続いたし、もうやらなくていいかも」という思いがなぜかふと浮かんで、それに負けてしまう。これが正確なところだ。飽き性なのか何なのか。褒められたことではない。
 そういった悩みに対して、このあいだ、そもそも「『やる』『やらない』の二択にしてしまうのがよくない」という旨の投稿を見かけた。確かにその通りだ。「やろうかな、やめておこうかな、どうしようかな」という迷いが浮かんだ時点で、私の場合は何かと理由をつけて「やめておこうか」に傾いてしまう。決めたことを実行するだけの意思が弱いと言われればそれまでだ。前回の作文で取り上げた武者小路実篤の「いいと思ったことはどんな小さいことでもするがいい。」という言葉はいつもその度に背を押してくれている、押してくれてはいるのだが、実行に移せるのはせいぜい半分程度である。意思というのはすぐに強くなるものではない。
 自分の意思はとうに信用できない。だから、意思に頼らないシステムを作らなくてはならない。
 と、思ったところでふと、よく聞く「決断」の話を思い出した。一日の決断の回数を減らすために服や昼食をあらかじめ決めておくという話。そういえば、あれもルーティーンの一種だとようやく気づいた。これまで気づかなかったのは、私が想定している「ルーティーン」がストレッチや暗記のように、生活に新たに加えるものだったからだろう。
 思い返せば、「考えないで行っている」こと自体は私にもいくつかある。しょうもないことではあるのだが、小食なこともあり、ラーメンを一杯食べきるために食べ方を自分用に最適化した。麺やスープに先に手を付けてしまうとすぐに満腹感が襲ってくるので、先に具材を完食する。そして麺、そしてスープ、という順序に決めており、行き慣れた店になるとメニューすら何一つ悩むことはない(何で満腹になるかがわかるので)。これによる利点として、食べきれるようになるのはもちろんのこと、他のことを考える余裕が生まれる。私にとって考え事に最適なのは、ひとつには散歩の時間、その次点はそうやってラーメンを食べる時間といっても過言ではない。
 少し脱線した。上記のような「考えないことによって、他のことを考える」というのは今求めているものではない。それは動作中の話であって、動作に取り掛かるまでの話ではないからだ。しかし、ここからあえて何かを見出すとするのなら、「常に何かを考えようとしている」という点だろうか。言葉の割に、そんなに高尚なことではもちろんないのだけど。
 そんな私が、「やる・やらない」の二択に持ち込まずにいるためにはどうするべきか。習慣化の方法論などはいくらでも本で紹介されているし、もちろん私も読んだことがあるが、いまの私に何より必要なことは、迷わないことだろう。
 朝、ぎりぎりの時間まで眠った時、家を出るまでの行動は無意識のうちに最適化されている。服を選ぶなどという工程も省き、決まった荷物を持ち、機械的に身支度を済ませる。それがルーティーンとしては理想かもしれない。そう思うと、時間的余裕はない方がいい。
 ここまで書いてようやくひとつ浮かんだのは、ストレッチを「風呂上がり」とアバウトなタイミングの設定にするのではなく、「風呂上がりの5分以内に始める」とより制限することだった。あまり変化はないように思えるが、だらだらする時間は減ると信じたいし、時間が減れば迷う時間も減るだろう。はたして些細な変化でどれくらい効果があるのか。
 仮に、授業で生徒が上記のようなことを書いていたら、「じゃあ、実際にどうなったか今度聞くわ」と声をかける。作文して終わりではなく、それ以降に活かしてこそだからだ。つまりは習慣化を身に着けるもう一つの方法とは、「誰かに宣言する」ことだろう。この場を借りて宣言させてもらい、一カ月後、自問自答することにする。ひと月何かが続いたとしたら、それは自分にとってかなりの快挙であるし、ようやく生徒に「毎日やったら?」と自信を持って声をかけられるというものである。

2025.12.05Vol.78 内省は流れゆく時の方向を変える(豊中校・高野)

 私の出身は大阪だが、一年間ある事情で週に 3 回ほど京都に赴いていた時期があった。当時は単位もほとんど取り終えて暇だったので、用が済んだら一日中周辺を探検することもあった。京都は町全体に遺産が存在し、五重塔やら神殿が生活に溶け込んでいる。そして、夜になると木造建築が街灯に照らされて、怪しげな和風情緒のただよう別世界になる。そのような雰囲気にのまれすぎると、色々と失敗してしまうこともある。ある夏の日、私は日暮れまで歩いて疲れてしまったので、上加茂神社辺りの賀茂川沿いのベンチで少々休むことにした。その周辺は虫と川の流れの音だけが聞こえ、全く人の気配なく静かであった。そのため、夜空を見上げながらのんびりしていると、そのまま寝てしまった。その後、目が覚めると朝になっていた。山裾から輝く日の出のみ美しく、私の体は暑さと蚊のためにだるくてかゆい。特にこれといった被害はなかったことだけが幸いであった。小話はこの辺りにして、私は観光以上に興味を持っていることがある。それは自分のよく知っている街の 30~40 年前の映像を見ることである。例えば、1980 年代の京都を調べると、まず目につくのは、今では地下にある京阪電車が鴨川沿いを走っている風景である。あまり詳しいことはわからないが、東福寺駅から三条駅間が 1987 年に地下化され現在に至るようだ。都に流れる河川を眺めながら列車の中で過ごす時間を想像すれば、旅行の楽しみが一つ増えそうである。このように、当時の情景を推し量りその生活を偲ぶ時は、何か新鮮な気分になる。この意味で、昔を顧みることは私たちに充実した時間をもたらしてくれる。
 しかし、これが内省に転ずれば、事態は切迫したものになる。物事がうまく進まなくて、同じ方法を繰り返していてどうにもならないとわかった時、立ち止まってどうするべきか考えることが道理である。その時、今までの自分を振り返らなければ、これからどうするべきなのか見えてくることはない。高校一年生の頃、私は好奇心から、センター試験(今の共通テスト)の問題を解いてみようと思い立ったことがある。その結果、一番頭を抱えることになった教科は国語であった。内容の難しさのために、どれだけ読んでも要点をつかむことができないのだ。そして、しばらくこの問題をどのように解決するべきか模索することになった。その時ちょうど、とある塾の体験授業を受けることになっていた。そこでは、「高校生でセンターの文章を20分そこらできっちり理解できる人はほとんどいないので、文章はざっと見通すだけでいいから、選択肢と傍線部付近を熟読すれば答えは導ける」といったことを教えていた。それを聞いた時、そんなやわなやり方でどうにかなるものだろうかと戸惑った。部活動での経験を振り返えると、よくあるアドバイスとして、「これだけやっていれば何とかなる」や「世間一般で勧められているこれはしなくてもいい」といった謳い文句は何度も聴いたことがあった。だが、実際は色々な方法を試さなければならない。あるやり方がダメなら別のものを考えなければならないし、この時点では効果がなくてもその先のレベルで初めて効いてくるものもある。そのため、主流とされている勉強法をせずに、楽な道だけを勧めるのはどうかと感じたのである。なお、その講師は古文でも活用を覚える必要はないと述べていた。そのため、そこに行くのは辞めた。一年生のころは肌感覚だけで疑問を持ったが、高校卒業した頃の私なら、心の中でこのように反論するだろう。読解問題は段落ごとにプラス・マイナスや因果関係、具体と抽象の関係などの構造を見極めることが大切なので、飛ばし読みをするとその把握に混乱が生じてしまう。このような方法は、選択肢の吟味の際には役立つかもしれないが、賭けに頼るところが大きい。
 だが、問題はいまだ消えていない。まず、高校入試の評論文と何が原因でここまでレベルが異なっているのか考えてみることにした。第一印象は語彙が難しくなっていることだ。その時は何にも知らなかったので、「本を読むしかない」とおぼつかなくも覚悟した。当時はなぜ専門家はこんなにも難解な語を用いるのか疑問であったが、大学院生になった現在では何となくであるが答えることはできる。学問によって差はあるものの、その積み重ねは何百年何千年に及ぶ。そのため、専門家はそのような先行研究の足跡を意識しながら議論を展開しなければならない。そのなかで登場する専門用語は、それまでの研究の文脈を踏まえたものになっているので、普段絶対に使わない二字熟語が現れることがある。また時に目にすることはあっても特殊な意味を持って使用されている。したがって、そのような流れを知らない世間の人から見ると、アカデミックな文章は理解しがたいのである。大学の研究にもなると、文系理系に関わらず、答えのない複雑な対象を扱うことになる。その際、過去の研究者の足跡を辿りながら物事への理解を深め、自ら発信しなければならない。その準備段階として、大学受験ではより高度な言語理解の能力が求められるのである。もちろん、高校生にそのような事情がわかるわけがないが、いずれにせよ学問とその言葉の背景を知るために、解決法は本を読むしかないという結論にはなる。そうして、自分の読んできた本を振り返ることになった。棚には『怪談レストラン』や『ダレンシャン』、『NO.6』といった小学生の頃の懐かしの本、そして中学二年生の頃に読んだ『人間失格』だけしかなかった(あさのあつこ作の『NO.6』は今でもたまに読むので、おススメ本です)。そのため、評論にどこから手をつけるべきなのか見当もつかなかった。したがって、しばらくの間、本を手に取ることもなかった。だが、色々と読解問題をこなしているうちに、自分の興味のあるテーマは何となく見えてくる。何かの問題集を解いている時、中沢新一著の『雪片曲線論』という現代思想を取り扱った文章が出題された。その内容は、「東京を破壊するゴジラは、物質が結合する力を解放し莫大な自然のエネルギーを取り出す核兵器のメタファーと言える存在であるが、これは社会が作り出した形式を解体しそこから自由になった力を欲望として利用する資本主義と奇妙な類似を見せている。このような『モダンな主題』においては、知性は自然の力を恐れて封じようとするが、現在は人間が自然と対話する可能性を見つけつつある」というものである。ゴジラはよく知らなかったが、社会の構造を不気味なレトリックで語るこの文章に、発想の奇抜さを感じて興味を持った。そのため、苦労して探した結果、幸運にも近隣の図書館にその本は置かれてあった。こうして、私は奇妙な思想の世界に分け入ることになった。その甲斐あって、現代文も少しずつ読めるようになっていった。
 私は、大学受験で本気を出せばいいという理由だけで、進学先を単位制高校にした。自由な時間だけは多く与えられていたので、自分について振り返る機会も増える。そして、色々なことにじっくり挑戦することもできた。そのため、自分で主体的に使うことができる時間というのは、人間にとって最も貴重なものであると私は思う。この先、AI等の技術が発達して、「可処分時間」が増えるのか、それとも仕事が奪われるだけに終わるのかはわからない。そのような時代に最も考慮するべきは、自分の成長のためによりよく時間を使えるような福祉制度の設計であろう。せっかく先人がここまで科学技術を発展させたのに、その結果、減り行く椅子を奪い合う競争が激化するだけでは、あまりにも夢がない。

2025.11.28Vol.77 それでも人生は続く(徳野)

 Vol.74で言及した灰谷健次郎の『太陽の子』は豊中校にあった。当初のお目当てはそちらだったので、もちろん手に取って420ページを一気に読み終えた。だが、『兎の眼』から得られたような温かな感動はそこには無かった。むしろ、人生の虚しさを突きつけられたような感覚が強い。
 私見だが、灰谷は本作の執筆にあたって、1974年発表の『兎の眼』との差別化を相当意識していたはずだ。両作品とも登場人物たちの大半は善人で、他者のために心を砕くことを厭わない。稀に周囲から孤立している人物もいるが、主人公との交流を経て居場所を見つけるに至る。小谷先生と鉄三たちの場合はそこで大団円を迎えた。しかし、1978年出版の『太陽の子』の結末はあまりにも悲しい。それに関して翻訳家の清水真砂子氏は、どこまでも明朗で健気なヒロインの「ふうちゃん」に父親の自死を経験させたところに、灰谷が持つ「人間に対する冷ややかなまなざし」が表れていると評している。個人的には清水氏の言葉そのものには厳しすぎる印象を受けた。ただ、『兎の眼』と比べて、「傷ついた者を導き、救う」行為を多面的に捉えようとする試みを文章の端々から感じ取ったのは確かだ。
 例えば、ふうちゃんの小学校の担任教諭である梶山先生が、「ときちゃん」という女子生徒から、生徒との向き合い方について思いの丈をぶつけられる場面がある。ふうちゃんの「おとうさん」は精神科に通院しており、自身が神戸で経営している沖縄料理店「おきなわ亭」での仕事だけでなく、家族との会話も難しい状態にある。日がな部屋に塞ぎ込み、時には発作を起こすおとうさんを、ふうちゃんは元気づけようと奮闘する。そして、梶山先生はそんな彼女を常に気にかけている。「おかあさん」が一人で切り盛りすることになった「おきなわ亭」に幾度となく足を運んだり、おとうさんのルーツである戦時下の沖縄について学ぶふうちゃんと交換日記をしたりと、「親身になってくれる教師」像を体現したかのような男性だ。小谷先生を彷彿とさせる。しかし、ときちゃんは「わたしは先生はうそつきの人だと思います」と吐露する長い手紙を梶山先生に送った。「先生が、だれにでもやさしいとは、わたしも認めます。けれど、大峯さん(ふうちゃんのこと)にやさしくするときは、真剣で、わたしのときはそうでもないみたい。」、「先生はよく勉強ができない子に、じょうだんをいってリラックスさせるでしょう。わたしにじょうだんをいうときは、ついで、みたいです。」という風に、生徒に対する一種の不公平さを指摘する。また、先生がふうちゃんに熱意を注ぐのは、彼女が「溌剌とした才色兼備」で、しかも「家族のことで苦労している」という条件が揃っているからではないか、とも。ときちゃんだって母子家庭で必死に生きているだけでなく、ふうちゃんのおとうさんが自宅に不法侵入してきた夜には恐ろしい思いをしたのに。大人しいときちゃんは、「目立たない存在」に位置づけられていたからこそ、先生の中にある自己満足を見透かしていたのだ。しかしながら、梶山先生はやはり人格者である。ときちゃんが抱える孤独と劣等感を正面から受け止めていた。以降は「本気で教師になる」という決意を胸に、クラス全体を巻き込みながら生徒たち一人ひとりの知性と感性を刺激する授業設計をするようになった。灰谷が描く学びの風景はやはり魅力的だ。
 梶山先生の「開眼」だけでなく、本作には光が満ちていくようなエピソードが沢山盛り込まれている。だが、ふうちゃんのおとうさんの最期は、彼を支えるべく奔走してきた登場人物たち(と読者)に生まれていた希望を打ち砕いた。おとうさんは戦争での体験からPTSDを発症しているのと同時に、故郷の自然への憧憬に駆られてもいた。その事実に辿り着いたふうちゃんとおかあさんは、沖縄への家族旅行を計画する。懐かしい土地で療養させれば、昔のお喋りで働き者のおとうさんに戻るかもしれない。里帰りに向けた買い出しの際も普段より安定した様子を見せていたのだし。なのに、その晩におとうさんは自ら命を絶った。決断に至るまでに彼の中でどのような心の動きがあったのかは全く描かれていない。遺された人たちは「おとうさんはなぜ死んだのか」「どうしてあげればよかったのか」と、自問を続けながら生きていくのだろう。
 では、灰谷は「冷ややか」だからこんなに悲劇的な幕引きにしたのだろうか。作者として「どんなに親しい間柄でも相手の全てを知りえない」というメッセージを投げかけているとは思うし、そこから挫折感を読み取る人がいるのも理解できる。だが、私自身は「知りえないからこそ、対峙し続けなければならない」という方向で捉えている。それは、ふうちゃんが苦悩しつつも、おとうさんの最期を自分と死者たちの「これから」に繋げようとしているからだ。物語はふうちゃんが親友のキヨシと一緒に、家族でピクニックに出かけた思い出の場所でお弁当を広げながら、おとうさんを弔う場面で終わる。その際、「うち結婚したら子どもをふたり生むねん。ひとりはわたしのおとうさん。もうひとりはキヨシ君のお姉さん。」(キヨシの姉も若くして死を選んだ一人である)と、静かに宣言する。小学6年生のヒロインに語らせる死生観としては気色の悪い部分は否めない。ただ、出口の無い「なぜ」の深みにはまっていく以外の向き合い方があることも教えられた気がする。ふと、”Life goes on”という英語のフレーズを思い出した。

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