
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.12.05Vol.78 内省は流れゆく時の方向を変える(豊中校・高野)
私の出身は大阪だが、一年間ある事情で週に 3 回ほど京都に赴いていた時期があった。当時は単位もほとんど取り終えて暇だったので、用が済んだら一日中周辺を探検することもあった。京都は町全体に遺産が存在し、五重塔やら神殿が生活に溶け込んでいる。そして、夜になると木造建築が街灯に照らされて、怪しげな和風情緒のただよう別世界になる。そのような雰囲気にのまれすぎると、色々と失敗してしまうこともある。ある夏の日、私は日暮れまで歩いて疲れてしまったので、上加茂神社辺りの賀茂川沿いのベンチで少々休むことにした。その周辺は虫と川の流れの音だけが聞こえ、全く人の気配なく静かであった。そのため、夜空を見上げながらのんびりしていると、そのまま寝てしまった。その後、目が覚めると朝になっていた。山裾から輝く日の出のみ美しく、私の体は暑さと蚊のためにだるくてかゆい。特にこれといった被害はなかったことだけが幸いであった。小話はこの辺りにして、私は観光以上に興味を持っていることがある。それは自分のよく知っている街の 30~40 年前の映像を見ることである。例えば、1980 年代の京都を調べると、まず目につくのは、今では地下にある京阪電車が鴨川沿いを走っている風景である。あまり詳しいことはわからないが、東福寺駅から三条駅間が 1987 年に地下化され現在に至るようだ。都に流れる河川を眺めながら列車の中で過ごす時間を想像すれば、旅行の楽しみが一つ増えそうである。このように、当時の情景を推し量りその生活を偲ぶ時は、何か新鮮な気分になる。この意味で、昔を顧みることは私たちに充実した時間をもたらしてくれる。
しかし、これが内省に転ずれば、事態は切迫したものになる。物事がうまく進まなくて、同じ方法を繰り返していてどうにもならないとわかった時、立ち止まってどうするべきか考えることが道理である。その時、今までの自分を振り返らなければ、これからどうするべきなのか見えてくることはない。高校一年生の頃、私は好奇心から、センター試験(今の共通テスト)の問題を解いてみようと思い立ったことがある。その結果、一番頭を抱えることになった教科は国語であった。内容の難しさのために、どれだけ読んでも要点をつかむことができないのだ。そして、しばらくこの問題をどのように解決するべきか模索することになった。その時ちょうど、とある塾の体験授業を受けることになっていた。そこでは、「高校生でセンターの文章を20分そこらできっちり理解できる人はほとんどいないので、文章はざっと見通すだけでいいから、選択肢と傍線部付近を熟読すれば答えは導ける」といったことを教えていた。それを聞いた時、そんなやわなやり方でどうにかなるものだろうかと戸惑った。部活動での経験を振り返えると、よくあるアドバイスとして、「これだけやっていれば何とかなる」や「世間一般で勧められているこれはしなくてもいい」といった謳い文句は何度も聴いたことがあった。だが、実際は色々な方法を試さなければならない。あるやり方がダメなら別のものを考えなければならないし、この時点では効果がなくてもその先のレベルで初めて効いてくるものもある。そのため、主流とされている勉強法をせずに、楽な道だけを勧めるのはどうかと感じたのである。なお、その講師は古文でも活用を覚える必要はないと述べていた。そのため、そこに行くのは辞めた。一年生のころは肌感覚だけで疑問を持ったが、高校卒業した頃の私なら、心の中でこのように反論するだろう。読解問題は段落ごとにプラス・マイナスや因果関係、具体と抽象の関係などの構造を見極めることが大切なので、飛ばし読みをするとその把握に混乱が生じてしまう。このような方法は、選択肢の吟味の際には役立つかもしれないが、賭けに頼るところが大きい。
だが、問題はいまだ消えていない。まず、高校入試の評論文と何が原因でここまでレベルが異なっているのか考えてみることにした。第一印象は語彙が難しくなっていることだ。その時は何にも知らなかったので、「本を読むしかない」とおぼつかなくも覚悟した。当時はなぜ専門家はこんなにも難解な語を用いるのか疑問であったが、大学院生になった現在では何となくであるが答えることはできる。学問によって差はあるものの、その積み重ねは何百年何千年に及ぶ。そのため、専門家はそのような先行研究の足跡を意識しながら議論を展開しなければならない。そのなかで登場する専門用語は、それまでの研究の文脈を踏まえたものになっているので、普段絶対に使わない二字熟語が現れることがある。また時に目にすることはあっても特殊な意味を持って使用されている。したがって、そのような流れを知らない世間の人から見ると、アカデミックな文章は理解しがたいのである。大学の研究にもなると、文系理系に関わらず、答えのない複雑な対象を扱うことになる。その際、過去の研究者の足跡を辿りながら物事への理解を深め、自ら発信しなければならない。その準備段階として、大学受験ではより高度な言語理解の能力が求められるのである。もちろん、高校生にそのような事情がわかるわけがないが、いずれにせよ学問とその言葉の背景を知るために、解決法は本を読むしかないという結論にはなる。そうして、自分の読んできた本を振り返ることになった。棚には『怪談レストラン』や『ダレンシャン』、『NO.6』といった小学生の頃の懐かしの本、そして中学二年生の頃に読んだ『人間失格』だけしかなかった(あさのあつこ作の『NO.6』は今でもたまに読むので、おススメ本です)。そのため、評論にどこから手をつけるべきなのか見当もつかなかった。したがって、しばらくの間、本を手に取ることもなかった。だが、色々と読解問題をこなしているうちに、自分の興味のあるテーマは何となく見えてくる。何かの問題集を解いている時、中沢新一著の『雪片曲線論』という現代思想を取り扱った文章が出題された。その内容は、「東京を破壊するゴジラは、物質が結合する力を解放し莫大な自然のエネルギーを取り出す核兵器のメタファーと言える存在であるが、これは社会が作り出した形式を解体しそこから自由になった力を欲望として利用する資本主義と奇妙な類似を見せている。このような『モダンな主題』においては、知性は自然の力を恐れて封じようとするが、現在は人間が自然と対話する可能性を見つけつつある」というものである。ゴジラはよく知らなかったが、社会の構造を不気味なレトリックで語るこの文章に、発想の奇抜さを感じて興味を持った。そのため、苦労して探した結果、幸運にも近隣の図書館にその本は置かれてあった。こうして、私は奇妙な思想の世界に分け入ることになった。その甲斐あって、現代文も少しずつ読めるようになっていった。
私は、大学受験で本気を出せばいいという理由だけで、進学先を単位制高校にした。自由な時間だけは多く与えられていたので、自分について振り返る機会も増える。そして、色々なことにじっくり挑戦することもできた。そのため、自分で主体的に使うことができる時間というのは、人間にとって最も貴重なものであると私は思う。この先、AI等の技術が発達して、「可処分時間」が増えるのか、それとも仕事が奪われるだけに終わるのかはわからない。そのような時代に最も考慮するべきは、自分の成長のためによりよく時間を使えるような福祉制度の設計であろう。せっかく先人がここまで科学技術を発展させたのに、その結果、減り行く椅子を奪い合う競争が激化するだけでは、あまりにも夢がない。
2025.11.28Vol.77 それでも人生は続く(徳野)
Vol.74で言及した灰谷健次郎の『太陽の子』は豊中校にあった。当初のお目当てはそちらだったので、もちろん手に取って420ページを一気に読み終えた。だが、『兎の眼』から得られたような温かな感動はそこには無かった。むしろ、人生の虚しさを突きつけられたような感覚が強い。
私見だが、灰谷は本作の執筆にあたって、1974年発表の『兎の眼』との差別化を相当意識していたはずだ。両作品とも登場人物たちの大半は善人で、他者のために心を砕くことを厭わない。稀に周囲から孤立している人物もいるが、主人公との交流を経て居場所を見つけるに至る。小谷先生と鉄三たちの場合はそこで大団円を迎えた。しかし、1978年出版の『太陽の子』の結末はあまりにも悲しい。それに関して翻訳家の清水真砂子氏は、どこまでも明朗で健気なヒロインの「ふうちゃん」に父親の自死を経験させたところに、灰谷が持つ「人間に対する冷ややかなまなざし」が表れていると評している。個人的には清水氏の言葉そのものには厳しすぎる印象を受けた。ただ、『兎の眼』と比べて、「傷ついた者を導き、救う」行為を多面的に捉えようとする試みを文章の端々から感じ取ったのは確かだ。
例えば、ふうちゃんの小学校の担任教諭である梶山先生が、「ときちゃん」という女子生徒から、生徒との向き合い方について思いの丈をぶつけられる場面がある。ふうちゃんの「おとうさん」は精神科に通院しており、自身が神戸で経営している沖縄料理店「おきなわ亭」での仕事だけでなく、家族との会話も難しい状態にある。日がな部屋に塞ぎ込み、時には発作を起こすおとうさんを、ふうちゃんは元気づけようと奮闘する。そして、梶山先生はそんな彼女を常に気にかけている。「おかあさん」が一人で切り盛りすることになった「おきなわ亭」に幾度となく足を運んだり、おとうさんのルーツである戦時下の沖縄について学ぶふうちゃんと交換日記をしたりと、「親身になってくれる教師」像を体現したかのような男性だ。小谷先生を彷彿とさせる。しかし、ときちゃんは「わたしは先生はうそつきの人だと思います」と吐露する長い手紙を梶山先生に送った。「先生が、だれにでもやさしいとは、わたしも認めます。けれど、大峯さん(ふうちゃんのこと)にやさしくするときは、真剣で、わたしのときはそうでもないみたい。」、「先生はよく勉強ができない子に、じょうだんをいってリラックスさせるでしょう。わたしにじょうだんをいうときは、ついで、みたいです。」という風に、生徒に対する一種の不公平さを指摘する。また、先生がふうちゃんに熱意を注ぐのは、彼女が「溌剌とした才色兼備」で、しかも「家族のことで苦労している」という条件が揃っているからではないか、とも。ときちゃんだって母子家庭で必死に生きているだけでなく、ふうちゃんのおとうさんが自宅に不法侵入してきた夜には恐ろしい思いをしたのに。大人しいときちゃんは、「目立たない存在」に位置づけられていたからこそ、先生の中にある自己満足を見透かしていたのだ。しかしながら、梶山先生はやはり人格者である。ときちゃんが抱える孤独と劣等感を正面から受け止めていた。以降は「本気で教師になる」という決意を胸に、クラス全体を巻き込みながら生徒たち一人ひとりの知性と感性を刺激する授業設計をするようになった。灰谷が描く学びの風景はやはり魅力的だ。
梶山先生の「開眼」だけでなく、本作には光が満ちていくようなエピソードが沢山盛り込まれている。だが、ふうちゃんのおとうさんの最期は、彼を支えるべく奔走してきた登場人物たち(と読者)に生まれていた希望を打ち砕いた。おとうさんは戦争での体験からPTSDを発症しているのと同時に、故郷の自然への憧憬に駆られてもいた。その事実に辿り着いたふうちゃんとおかあさんは、沖縄への家族旅行を計画する。懐かしい土地で療養させれば、昔のお喋りで働き者のおとうさんに戻るかもしれない。里帰りに向けた買い出しの際も普段より安定した様子を見せていたのだし。なのに、その晩におとうさんは自ら命を絶った。決断に至るまでに彼の中でどのような心の動きがあったのかは全く描かれていない。遺された人たちは「おとうさんはなぜ死んだのか」「どうしてあげればよかったのか」と、自問を続けながら生きていくのだろう。
では、灰谷は「冷ややか」だからこんなに悲劇的な幕引きにしたのだろうか。作者として「どんなに親しい間柄でも相手の全てを知りえない」というメッセージを投げかけているとは思うし、そこから挫折感を読み取る人がいるのも理解できる。だが、私自身は「知りえないからこそ、対峙し続けなければならない」という方向で捉えている。それは、ふうちゃんが苦悩しつつも、おとうさんの最期を自分と死者たちの「これから」に繋げようとしているからだ。物語はふうちゃんが親友のキヨシと一緒に、家族でピクニックに出かけた思い出の場所でお弁当を広げながら、おとうさんを弔う場面で終わる。その際、「うち結婚したら子どもをふたり生むねん。ひとりはわたしのおとうさん。もうひとりはキヨシ君のお姉さん。」(キヨシの姉も若くして死を選んだ一人である)と、静かに宣言する。小学6年生のヒロインに語らせる死生観としては気色の悪い部分は否めない。ただ、出口の無い「なぜ」の深みにはまっていく以外の向き合い方があることも教えられた気がする。ふと、”Life goes on”という英語のフレーズを思い出した。
2025.11.21社員のビジネス書紹介㉖
三浦のおすすめビジネス書
中野崇 『マーケティングリサーチとデータ分析の基本』 すばる舎
昔から数字に弱い。数学どころか算数から苦手意識があり、データというものともうまくやれる気がしない。本書は「文系出身のどちらかと言えば数字が苦手な方や、主たる業務がリサーチやデータ分析ではないものの必要になってきた方」向けとあり、そういう私のような人間にもわかりやすく、専門的すぎない入門書として書かれている。
リサーチ分野では、まずそもそも「何のためにデータを集めるのか」という目的をはっきりとさせなければ、どのようなデータをどのような手法で収集するかを明確にできない、ということが述べられていた。確かにアンケート調査などにおいても、「消費者の何を知りたいか」は「どんな課題を解決したいのか」を考えなければ適切なものは浮かび上がってこない。そしてそのためにも重要なのは仮説を立てることで、上記の「どんな課題を解決したいか」でも、ある程度その課題の原因に対する仮説を立てなければ、アンケートの項目は不明瞭になってしまう。
また、データ分析に関しては実際の数字やグラフが用いられ、実践的に頭を働かせながら読み解く練習になった。まだ自分の出来としては不十分だが、その中で、データへの苦手意識は、数値を漠然と見てしまっていることに原因があると気づかされた。何と何を比較するべきなのか、まずは何に焦点を当てるべきなのか、どういったデータが信頼できるのか。例えば数社のブランドの認知度と好感度グラフが提示された場合、その好感度のグラフはブランドを認知している人の回答となる。つまり回答している母集団が違うので、ただ見比べるだけでは不十分だ、というようなことだ。言われてみれば当然のことでも、グラフを提示されたときにすぐに気づける自信はない。それを見極めようとすることは、いち消費者としてのデータリテラシーを培うためにも、良い勉強になった。
竹内のおすすめビジネス書
中原淳 『話し合いの作法』 PHPビジネス新書
学校での学級会、部活でのミーティング、職場での会議、これまでにあらゆる場で「話し合い」を経験してきたが、よくよく考えるとどのように進めていくのかという具体的方法を教わる機会はほとんどなかった。特に学校では、その話が果たして自分に関係あることなのかよく分からず、気付けば決められた答えがそこにあるということも決してゼロではなかった。自分自身がそこに参加しているという実感を持ち、出た結論を他のメンバーと共に背負っているという意識を育むためには、きちんと作法を身につけておかねばならない。
話し合いには「対話」と「決断」の2つのフェーズがある。各人が今はどちらの段階にあるのかを把握することがまず求められる。そして、前者において必要なのは、まだケリのついていない問題に対するお互いの認識を共有していくことである。それぞれの考えを提示すること、そこにどのようなずれがあるのかを確かめていくこと、そのような丁寧な作業は、「その中のどれかを答えとすればいい」ではなく、「新しい答えを見つけよう」という意識へと発展していく。この場でのファシリテーターの役割は重要で、問いを提示し、そして「間」ができることを恐れずに相手からボールが返ってくることを待つ必要があるのだ。
もちろん参加者はただその流れに身を任せれば良いわけではない。「決断」の先には「実践」が伴っていなければならい。導き出した結論に自分が関わっているという意識、自発的フォローを全員が行うということを共有し、組織として確かな土壌を作り上げる努力を、皆が自分と、仲間のためにするのだ。
徳野のおすすめビジネス書
大野栄一 『できるリーダーが「1人」のときにやっていること マネジメントの結果は「部下と接する前に決まっている」』 日経BP
ページをめくりながらまず思ったのは、「大人も子どもも本質はさほど変わらない」ということだ。本作は、部下が仕事にやりがいを感じるために上司自身はどうあるべきか、といういわゆるマネジメント論を扱っている。そして、リーダーとしての「指導」とは、チームのメンバーに「あなたはこれまで、あなた自身に何を教え込んできたのですか?」という問いを発することだ。その対極にあるのが、具体的な指示や助言である。(パワーハラスメントはまず論外。)「こうすれば良いんじゃない?」と教えるのは親身に見えて、あくまで自分にとっての「良い」を押し付ける行為だからだ。著者はそれをするのは、相手の成長に対して無責任であると断じる。
今更だが、志高塾の国語では正解が一つに絞られない作文をカリキュラムの中心に据えている。自分なりの答えを紡ぎ出さないといけない点において、移ろいゆく現代社会での仕事に通じるものがあると言える。また、「上司」を「講師」に、「部下」を「生徒」に置き換えると、相手の主体性を引き出せるタイプの前者の価値をイメージしやすい。そして、著者の定義する「優れた指導者」とは、何よりまず自発的に内省できる人物である。大小さまざまな困難に直面した際に小手先の解決法に飛びつくのではなく、一人静かな環境で問題の原因を探るのはもちろんのこと、「今の自分は何をどのように考えているか」という風に己に向き合う時間を確保する。客観視を通して内側に潜む「偏見」や「好き嫌い」などの自己中心的な部分の認識に至る。すると、他者のためにもなる言動を自ずと志向するようになるから、良いリーダーとしてのあり方が確立されるのだ。
本作においては、スティーブ・ジョブズの「Conenecting the dots(点と点をつなげる)」という言葉の引用も印象的だった。「今その時の関心や体験が、知らないうちに自分の未来に繋がっていく」。あくまで現時点での「将来の約に立ちそう」という実利的な基準だけで物事を判断せずに、とにかく興味を持ったことに取り組んだり、教養に触れる機会を作ったりした方が創造的な人生を歩める。そのための時間として読書はうってつけである。
2025.11.14Vol.76 人を信じる自分を信じてみる(三浦)
「いいと思ったことはどんな小さいことでもするがいい。早起がいいと思えば早起、勉強するがいいと思ったら勉強、仕事を忠実にしようと思ったら忠実に、怒るのをやめようと思ったら怒らないように、怠け心と戦う方がいいと思ったら戦え。」
「どんな小さいことでも少しずついいことをすることはその人の心を新鮮にし、元気にさせる。」
上記の引用は、武者小路実篤、『人生論・愛について』の「人生論」からだ。ちょうど読み進めている最中で、どこかに残しておきたくなったので、ここに残しておく。
かなり前の作文で、文学館を訪れるのが好きなことを書いたと思う。そしてその時に、それまで全く知らなかった武者小路実篤の色紙を見て感銘を受けたことも、おそらく書いていたはずだ。その色紙は素朴な野菜の絵の横に、「君は君、我は我也、されど仲良き」とつづられている。言葉はごくごくシンプルで、けれども他者の在り方と自分の在り方の違いをそれぞれ尊重し、その上で仲良くいられることを信じていることが伝わってきて、なんて素直な人なのだろうと感動したのだった。
はじめに引用した文章も、ごくごく当たり前のことを書いているに過ぎない。いいと思ったことはしたほうがいい、当然だ。誰だってそう思うし、誰だってそう言うだろう。私が引用したものを読んだだけでは「そりゃそうだね」「それができれば苦労しないよね」と流して終わりになっても仕方がない。
けれど、本を通して読んでいると、それがどれだけ本気なのかがわかる。美辞麗句はない。どこまでも実直に、「人が人らしく生きていくには、それぞれが本当にいいと思うことをして、人間全体を成長させていかなくてはいけない」と考え、そして「人間にはそれが出来るはずだ」、「出来る社会にしていけるはずだ」と信じ切っていることが伝わってくる。本当に信じていなければ書けない言葉だ、と感じさせる何かがあった。
人を信じることが難しい時代になってきている、と思う。時代と限定する必要もない。どこかの読解問題で「信用するというのは、それだけで諸々のコストを削減できる」と書いていたが、本当にその通りだ。荷物が盗まれる心配がなければすべての荷物は置き配でいいし、万引きの心配がなければ無人販売所もセルフレジももっと有効活用できるだろう。だが、それが難しいことを私たちは知っている。知ってしまっている。人の善性に頼るシステムは脆弱だ。数年前、近所の夏祭りに行ったときのことだ。大きなゴミ箱の横にいくらかゴミ袋が用意されており、「いっぱいになったら変えてください」と使用者に委ねる形になっていたが、明らかに溢れ返りそうになっていても無理やりゴミを突っ込んでいく人ばかりで、取り換えようとする人はいなかった。仕方なく私と友人で交換したのだが、しばらくした後にもう一度前を通りかかったら、その時には既にスタッフの人が待機するようになっていた。そんなものだろう。
私が初めて実篤の文章を読んだのは、『真理先生』という本だった。ちょうど志高塾に講師のおすすめ本としても紹介していたので、その紹介文を一部引用する。
「努力をすれば報われる。夢物語のようかもしれませんが、真剣という美徳を、そして人生を信じてみたくなるような、そんな一冊です。素朴に、ただただ素直に生きることって、どんな世の中でもきっと難しいものだと思います。けれどそうやって生きることこそが、自分の人生を、そして他人の人生を肯定できる最も善い方法ではないでしょうか。実践できるかどうかはさておいても、読み終わった後には少しでも晴れやかに、自分の道を見つめなおすことができれば幸いです。」
遡ってみれば、四年前の紹介文だったらしい。そこからゆっくり四年かけて、代表作である『お目出度き人』『友情』、そして『人生論・愛について』を読み進めてきたことになる。前者二作は、簡単に言えば特にアタックすらかけていない主人公が当然のごとく片思いの女性(少女)に失恋する物語だ。失恋といっても、「まあ、何もしてないし仕方ないよな」と思わされるので特別悲しくもないのが面白いところだ。
だが、やはり、どこまでも人間の可能性を信じ、人間ことを深く愛しているまなざしが表れているのは、他二作だろう。特別文章がうまいわけではない。書くだけであれば誰でもできる。だが、心から人を信じて、ずっと同じことを論じつづけられるのは、それは人柄の才能に他ならない。行動の面でも、実篤は互いを尊重して生きる共同体である「新しき村」を有志と作り、そして今もそれは受け継がれている。いつか訪れてみたい場所のひとつだ。
私自身も結構なひねくれものだが、人間を信じる心に覚えた感動を忘れず、同じように実直に生きることを目指してみたい。そのためにはやはり、「いいと思ったことはどんな小さいことでもする」と、そんな身近なところから始めるしかない。夏祭りのゴミ袋を取り換えるのだって、そのひとつだったのかもしれない。
2025.11.07Vol.75 熱の行く末(豊中校・小川)
先日日本シリーズが終幕した。阪神タイガースは初戦こそ勝利したものの、その後4連敗してしまい屈辱の敗退となった。私は特に第1戦、大敗した2戦目は福岡に観戦しに行っていただけに悔しさが大きい。その観戦もチケットのために2時間スマホとパソコンにへばりつき、また語学の授業を休んで強行したものである。それも相まって余計に後味が悪い。2回9失点の時点で帰りたいほどの喪失感を味わった。その不満をぶつけるところが今のところないのでここに書き記しておく。
ここまでの内容からわかる通り私はそれなりに熱狂的な阪神ファンである。とはいえ本格的にファンになったのは今年からである。しかし、見ているうちに選手一人一人にドラマがあること、緊迫感がある試合とそれに勝敗が伴うこと、そして各選手がチームプレイに徹し協力し合うその在り方に惚れ込み気がつけばもう沼から抜け出せなくなっていた。これほど物事に熱中しているのは、一時大阪で公演していた劇団四季の『オペラ座の怪人』以来であろうか。久々に何かに熱中できていることを我ながら喜ばしく思うと共に、いつこの熱狂が覚めてしまうのか、今これほどに好きだと思えているものから心が離れてしまうかもれしれないと考えてしまい少々憂鬱な気分にもなる。
私がこのような心配をしてしまうのは、昔から性格が熱しやすく冷めやすいからだ。私は何かに熱中してみることは多い一方、気がつけば何も感じなくなってしまう癖がある。先述の『オペラ座の怪人』に関しては高校の芸術鑑賞会で心を奪われ、終幕までに7回も足を運んだ。もとより演劇部に所属していただけに、単なる一つのストーリーとして以上に役者ごとの表現の違いや感情の機微、演出などの細かい部分まで余すことまで味わい尽くしたくなったからだ。料金は一席12,000円と高校生にとっては決して安くはない。それでも私は貯めていた小遣いを切り崩し、その目減りを気に留めることなく楽しめていた。しかし、その熱量もあまり長くは続かなかった。当時の意欲のままならば現在行われている福岡の公演の予約可能期間初日に席を予約していたであろうが、今はそんなことをする気にはならない。年明けにそれを観に福岡へ行く予定はあるが、その予約も母が何度も行かないのかと尋ねてきた末にようやくといった塩梅だ。両親曰く、過去にいくつか私が趣味としていたものはあるそうだが私にその感覚はない。ストレスなく満喫できていた当時の記憶が薄れてしまうこと、かつてと同じ気持ちになれないことは寂しい。部屋の隅に押し込められたその趣味に関する道具を見た時などなおさらである。また、そういったものに対する熱狂を心地良く感じることが分かっているだけに、己の性格をもったいなくも思う。
ただこの性格がもったいない、では済まずに直接的に災いしてしまったこともある。大学受験だ。私は浪人までしたものの志望校には行けなかった。受験生当時は己の中で努力をしていたつもりではあったし、今振り返っても何かを怠っていたわけではないと思う。しかし、自分が行きたい大学の合格に足るだけの努力を、集中をすることができなかった。その原因を全て性格のせいにはできないが、それでも大学に行きたいという熱が続きにくく眼前の辛さに打ち負けて挫けてしまったことは否定できない。理性ではあまりの集中力のなさと自身の不甲斐なさに危機感を感じているのだが、なかなか改善につながらない、というより改善に向けて動き出せない。
振り返ると、私が好むものは総じて始まりと終わりがはっきりしている。落語の出囃子、ミュージカルの劇場の暗転、そして野球の応援歌。その全てが「はじまったな」と感じさせ、胸の内側から沸々と湧き上がる高揚感のスイッチになっている。現在の趣味である野球ならば、1番打者の応援歌が耳に入った瞬間私は全身に血が駆け巡るような感覚になる。歌詞にも「切り拓け」という語が含まれておりまさに物事を始めて突き進んでいくかのような雰囲気がある。声に揺れるスタンド、期待に満ちた観客の目、体に響く鳴り物の音。それらの全てが私の心を揺らす。人は何かに感動した時、衝撃を受けた時に「鳥肌が立つ」と表現するが、まさに言い得て妙であろう。私はこのゾワッとする感覚が堪らなく好きなのだ。
つまりは刹那的な快感に身を焼かれていると言えるわけであるが、あまり長続きしないのも我ながら考えものである。実はこの文章を推敲するにあたって、初めに提出したものでは「要はドーパミン中毒だからしかたないよね!」といった問題を問題のままにした形で書いていた。しかし、高校生の身分、つまり自力で得た金銭でないにも関わらずそれを浪費し、そのことを何とも思わなかった内容、現状の自分を手放しに肯定し思考放棄に至っている点に厳しい指摘を受けた。特段それらの点に問題は感じていなかった。しかし、その指摘以降考え直したところ、生徒に己の内面と向き合い成長することを求める立場であるにもかかわらず当の本人がその歩みを止めてしまうのは大問題であると思い至った。何よりも問題なのはその責任感の不足である。現状維持に満足をした講師から「成長しろ」と言われたとしてその言葉は響くだろうか。響くわけがない。その意識、自覚が私には不足していた。これもまた熱の持続性のなさにつながるものであろう。現状の趣味や熱を貫き通そうという意志の弱さと、趣味は趣味に過ぎないと軽んじて体験の浪費癖がついていることが今の私の問題である。そのスタンスはこの志高塾で仕事をするにあたっては致命的な在り方である。ゆえに今の私に必要なのはあらゆる体験を自己への投資と捉え使い捨てにしないことと、それを実行することではないか。つまり、講師という立場ではあるものの“講”の意識で現場に入るのではない。むしろ生徒の反応や彼らの気づきに耳を傾け、さらには私がどう伝えるべきか考え工夫することなど、それらから地道に自身の精神的成熟の礎にしていく。“学”師ともいえる立場で過ごすことである。さすれば必然的に結果を見るまでは持続していくことになる。そして、得た成長や知見を生徒に還元していく。生徒の成長を促し、その成長した姿から私も学ぶ。このサイクルを作り出すことが第一の目標である。
今回己を見つめ直す機会を貰え、自己認識の深化と成長の方向性が得られた。あまりにも不透明で抽象的な解決策にとどまってしまっており、その不安と不確実性を拭うには至っていない。ただ良い見通しもあり、まず『オペラ座の怪人』とは異なり大学受験の失敗を通して自己の内面が過去から変化していること。浪人期間及び現在の大学生活を経ての内面の見直しは、己の能力の正確な把握と現状を把握し、解決に導く癖をつけるきっかけになった。また野球は年を重ねていくごとにチームが大きく変化し新たな要素が加わっていく、つまり新たな刺激が加えられ続けることである。これらの要因、そして新たに芽生えた自覚と問題点をもとに自分も生まれ変わることで今ある熱が冷めずこれから持続していくのかどうか自分ごとながら期待してしまう。未熟な身ではあるが、また私がここに何かを書く日が来るはずだ。その時はまた私の何が変化したのか、何に気づいたのかを示したいと考えているし、そのためにもあらゆる物事を糧に成長をしていくつもりである。
2025.10.31Vol.74 世の中、綺麗ごとが要るときだってある(徳野)
先週末にふと思い立って、高槻校にあった灰谷健次郎の『兎の眼』を手に取ってみた。本当は沖縄戦のPTSDを題材にした『太陽の子』を探していたものの、見つからなかったので代わりに読んでみた次第である。灰谷健次郎。恥ずかしながら、存在を知ったのは成人してからのことだ。それこそ教室の本棚に収められている著作を通して彼の名前を認識したくらいで、しかも「初対面」からおそらく5年が過ぎても、本の背表紙をたまに一瞥する程度の興味しか向けてこなかった。生徒が借りている姿を目にした記憶も無い。それくらい私の人生に関わってこない作家だった。
さて、肝心の『兎の眼』については、完全に油断していた。まさか、ブログに取り上げるほど心打たれるとは予想だにしていなかったのだ。331ページある本作を閉じる頃には、いつの間にか2時間が経過していた。完全に個人的な動機から選んだ作品の中で、そこまでの勢いで一気読みしたのは、2年前に夢中になった桐野夏生の『グロテスク』以来である。 というわけで、今回のブログは『兎の眼』の書評のような内容になる。まずは、あらすじから。
舞台は高度経済成長期の関西のとある街。主人公の小谷先生は、公立小学校に勤める女性教師である。22歳の新任の身で1年学級を担任しているものの、いわゆる箱入り娘で、想定外のトラブルに対して大変打たれ弱い。特に受け持ちのクラスにいる鉄三という少年への接し方に苦悩している。
鉄三は、ごみ処理場の非正規労働者である祖父と二人で細々と暮らしている。生育環境はやや特殊なのかもしれないが、穏やかな祖父からは深い愛情を注がれている。しかし、学校でも家庭でも言葉をほぼ発しない。授業中もぼんやりしているかと思えば、周囲の人間にいきなり襲いかかり、流血沙汰に発展することも少なくない。
そんな掴みどころの無い鉄三に振り回される小谷先生は、社会人になって3か月で早くも仕事への希望を失いかけていた。だが、型破りでありながら優秀な先輩教員の足立先生から「あのような子にこそタカラモノがたくさん詰まっている」という言葉を投げかけられたのを機に、鉄三にとことん向き合い始めるのだった。
ここまでの情報を元にChatGPTに結末を予想させたところ、「小谷先生との交流を通して鉄三が自分の殻を破り、言葉を使って他者と関係性を築くまでに成長する」という方向性を提示してきた。ほぼ正解である。正直、よくあるタイプの物語構成ではある。そして、具体的に「ネタばらし」をすると、小谷先生は家庭訪問を重ねるうちに鉄三がありとあらゆるハエを飼育し、種ごとの生態の大まかな違いを自然と把握していることを知る。それがまさに「タカラモノ」だったのだが、良くも悪くも常識人の小谷先生は初め、「ハエなんて不潔だからやめさせないと」と画策して痛い目に遭ってしまう。だが、鉄三が彼なりに衛生面に配慮している事実を近所の子どもたちから教えられた小谷先生は、まずは自身の無知を自覚し、放課後、鉄三をハエの系統立てた研究に誘う。その過程で図鑑で調べた虫の種名を分類ラベルに記入したり、形態観察のためのデッサンをしたりすることを通して、文字の読み書きや図画工作の技術を地道に習得させていった。そして、最終的には、学校の授業でハエに関連しないテーマの作文を自ら書き上げるまでになった。その締めに記されていた「こたにせんせもすき(小谷先生も好き)」という一文を読み上げた小谷先生は、生徒たちの前で感激の涙をこらえられなくなった。ちなみに、ここで取り上げたのは小谷先生の奮闘のほんの一部に過ぎない。作中では、子どもたちが能動的に学び、誰かのために行動することに喜びを見出せるような教育実践の数々が生き生きと描かれている。国から求められて「探究学習」やら「アクティブラーニング」やらを構想するのとは一味違う。読んでいるだけで生徒の一員に加わりたくなるほど知的好奇心をくすぐられるようなアイデア群は、職業作家になる前は教壇に17年間立ち続けた灰谷だからこそ出せたものだろう。
掛け値なしに素敵な物語である。一方で、その魅力をまっすぐに受け止められない、いや、受け止めるだけではいけない、と思う自分もいる。例えば、小谷先生や足立先生は度々、学校での勤務後に夜遅くまで生徒の家に滞在している。それが原因で小谷先生と夫の関係は悪化の一途を辿ったものの、彼女の中にある「家庭より、子どもたちとの絆」という軸は最後までぶれなかった。そういった、自発的とはいえ「滅私奉公」を地で行くような言動は現代の価値観にはそぐわない。だから1974年に発表された本作および作者である灰谷の名前は、昨今の教育関係者の間で取り上げられにくいのではないか。中学受験向けの読解教材でも見かけた記憶が無い。また、個人的に違和感を覚えたのは、登場する教員たちが事務のために机に向かっている姿が描かれていない点だ。アナログが基本の時代が舞台なので煩雑な作業は沢山あったはずで、当の灰谷だって愚痴をこぼしつつ処理していたかもしれないのだ。「教師の労働環境」が主題ではないので、職員室での地味な業務に字数を割く必要性など無いとは理解できる。だが、生徒との触れ合いや、教材研究および授業計画、つまり志のある教員であれば誰もが打ち込みたいと思っているような仕事に心血を注ぐ場面を「切り取って」いるような印象は否めない。そこに現状との乖離を感じて、「小谷先生みたいにやるのは到底無理だよね」という風に、作品に対してだけでなく学校教育そのものにやや冷めた気持ちを抱く人も少なくないはずだ。
今回の文章を執筆するにあたり、「読書メーター」に寄せられたレビューに一通り目を通してみた。50年以上の歴史がある児童文学なので「名作」「心が温まる」という評価がずらりと並んでいたのだが、時折目に付いたのは「だけど、出てくる子どもたちが良い子すぎる。現実味が薄い。」という指摘である。確かに、小谷先生と鉄三との関わりが深い小学生たちは、揃いも揃ってお行儀が良いとは言えないものの、逞しく善良な性格で、信頼を寄せる大人の前では素直に振舞う。極端に無口なせいでクラスで孤立している鉄三に対しても、下手に気を使いすぎることなく自分たちの輪の中に自然と溶け込ませている。鉄三が人間嫌いにならずに済んだのは、小谷先生は勿論のこと、気の置けない同年代の仲間の存在も大きいのだろう。だが、それは、小谷先生や灰谷健次郎という大人、しかも(元)教師の目を通して表現された優しさではある。作者の「子どもにはこうあってほしい」という願望、もしくは「こうあるべきだ」という信念が背後にあるはずだと考えれば、その強さに「圧」、言い換えれば、正論への息苦しさのようなものを感じ取る読者層が一定数いるのだ。私の主観になるが「圧」に関して実際の子どもたちは敏感である。だから、読んではみたもののさほど響かなかった、という本音が彼らから出てきても不思議ではない。そして、本を紹介する側の大人としては、ややネガティブな感想も「そうか、こういうタイプの作品はしっくり来ないか」と、その子に対する解像度を高める材料くらいに位置付けておけばいいと捉えている。
ミリオンセラーの傑作だってやろうと思えばいくらだって「叩ける」。だけど、『兎の眼』が(令和の私たちの視点では)現実離れしていて、登場する子どもたちの人物設定にやや偏りがあると頭で分かっても、私は作品を読み終えた時のあの瑞々しい感動を忘れたくない。小学生と接する者の端くれとしては、子どもの等身大の姿を受け止めつつ彼らが内に秘めている可能性を「信じ抜いて」みせた小谷先生や足立先生の覚悟から胸に迫ってくるものを感じた。そして、元教員の灰谷も、子どもたちの知性と善性に信頼を寄せてきたからこそ「良い子」の姿をまっすぐに表現できたはずだ。私は、都合の良い「期待」とは違う意味で、生徒のことを本当に「信じて」あげられているだろうか。思わず我が身を振り返ってしまう。
最後に、作中で「問題行動」を起こした「きみ」という女子生徒について足立先生が語った言葉を引用しておく。
「きみは悪いことをしたと思ってあやまっているわけやあらへん。すきな先生がきて、なんやら、やめなさいというているらしい。地球の上でたったひとりかふたり残ったすきな人がやめとけいうとる。しゃーないワ。きみの気持ちはそんなところやろ」。








