志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生の声
志高く
志同く
採用情報
お知らせ
お問い合わせ
志同く


 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.09.19社員のビジネス書紹介㉔

徳野のおすすめビジネス書
小鳥遊(たかなし)『ADHDの僕が苦手とされる事務にとことん向き合ってみた』大和書房 

 以前取り上げたアンデシュ・ハンセンの『多動脳』は、恒常的な注意散漫が起きる先天的な要因を解説した上で、ADHDの傾向が強い人が現代社会で幸福に生きていくための大きな指針を示すものだった。「幸福に」とは、苦手分野を補いつつ、本来持っている能力を発揮できている状態を指す。そして、今回取り上げる書籍は、自分の弱さと上手く付き合っていくための手引き書のような1冊だ。注意欠陥障害がある人は一般的に、事務系の仕事に向いていないとされる。ADHDの診断を下されている著者自身、深く考えないまま総務部や法務部に配属希望を出してしまい、「仕事の段取りが悪い」「納期を守れない」「相手に求められていることを理解できない」という失敗を繰り返した。そうやって周囲に迷惑をかける度に自己嫌悪に陥って心身に不調をきたし、二度の休職を経験している。だったら違う職種にしたら良いではないか、と思うかもしれないが、どんな仕事にも事務は欠かせないし、その全てを他の人にお任せできるわけではない。だから自己肯定感を下げないためにも、自身の特性を踏まえてミスを未然に防ぐ「仕組み」作りが重要になってくるのだ。
 その仕組みとは、一言でまとめてしまえばスケジューリングである。単に最終締め切り日を把握するだけでなく、業務を完結させるために必要な工程を可能なかぎり細分化し、一つひとつに期日と担当者を設定する方法だ。そうやって「日割り」にするメリットは、タスクを「可視化」できるのは勿論のこと、今集中する必要の無い事を「不-可視化」できる点にもある。ADHDの傾向が強い脳では報酬系の神経が機能不全を起こしており、ゴールまでの道のりが遠い(成果報酬を即座に得られない)と感じると意欲が急降下してしまう。よって、あえて、その日に取り組むべきタスクにだけ意識が向くようなデザインの計画表を使用するのだ。また、その方が出来た事を少しずつ積み重ねている達成感が生まれやすい。
 本作のコンセプトとの関係上、今回の紹介文には「ADHD」という言葉が何度も登場している。だが、たとえ診断を下されていなくとも、効率性が求められる単純作業や、アイデアを実行するための地道な業務に苦手意識を抱く人は世の中に沢山存在する。私自身、まさしくそれに当てはまる。そして、要領良くこなせない己を責めるばかりで悪循環にはまっている人も少なくない。しかしながら、それは本当の意味での「反省」とは言えない。上手く行かないなら具体的に何をするか、些細な工夫でも何かしら着手してみる姿勢が大事なのだと教えてくれる1冊だ。

三浦のおすすめビジネス書
増子裕介、増村岳史『ハイパフォーマー思考 高い成果を出し続ける人に共通する7つの思考・行動様式』ディスカヴァー・トゥエンティワン

 ハイパフォーマーを分析し、その「スキル」ではなく「思考・行動様式」をエッセンスとして抜き出し、あらゆる業種に共通しているポイントについて解説しているのが本書である。本書ではコンピューターにたとえ、スキルをアプリ、思考・行動様式をOSと称し、後付けで身に着けられるスキルではなくその根っこになる部分について見習う方が根本的なパフォーマンスの上昇に繋がると述べている。実例として、電通インドネシア拠点でのエピソードが挙げられており、そこでのハイパフォーマーの特徴であった「他部門にも積極的にかかわる」「賞を狙うよりも顧客を最優先にする」というポイントを評価制度に組み込んだところ、クライアントの投票で決まる広告企業としてのグランプリにおいて、二位以下が発表されないほどダントツの一位になったそうだ。
 その組織特有のエッセンスもあれば、共通するエッセンスもある。この共通を本書では7つのポイントでまとめているのだが、わかりやすいのは自主的に行動する「プレイヤー」であれ、ということだろう。プレイするためには何が必要かを進みながら振り返り、身に着け、時には俯瞰する。ただの労働者ではなく、楽しみながら取り組むことがあらゆるハイパフォーマーに共通していたそうだ。具体例として、コールセンターで解決できなかったクレームに対して訪問して解決するカスタマーセンターの方の話が載っていたが、顧客の怒りを受け止めつつも相手や周囲を観察し、最終的には円満に解決することに楽しみを見出していた。向き不向きはもちろんあり、それを見極めることも重要だろうが、物事は見方や取り組み方次第でいくらでも楽しくなるのだということがよくわかる。
 また、この「分析」の手法も興味深かった。90分のインタビューの後、文字起こしした原稿から人力でエッセンスを抽出し、複数人のそれを並べてグループ分けしていくそうだ。いずれもAIではまったくの力不足だったと語っている。「何が重要か」を見極めるのは、まだ人にしかできないらしい。そしてたとえば、90分のインタビュー時間を与えられ、私は果たしてしっかり相手を掘り下げられるだろうか。そう考えると、インタビュー記事などを見て学んだ方がいい気もした。

竹内のおすすめビジネス書
レンタルなんもしない人『<レンタルなんもしない人>というサービスをはじめます。スペックゼロでお金と人間関係をめぐって考えたこと』河出書房

 まだXがツイッターだった頃から、「レンタルなんもしない人」は活動していた。フォローはしていないが、おすすめ欄に時々流れてくる投稿を通してその存在は知っていた。入りにくい店についてきてほしい、場所取りをしてほしい、といった1人分の存在が必要な場面でそれを提供するというサービスだ。それゆえに自身から積極的に会話をすることはなく、簡単な受け答えしかしない。そんなの流行るのか、と思われるかもしれないが、今日の時点でXフォロワー数は41万人を越えている。
 依頼内容を大きく分類すると一緒に店に行く「同行」や、相手の話を聞く「同席」、相手の作業の傍らで待機する「見守り」の3種類になるのだが、例えば相手の希望する時間に指定された文言をメールで送信することは「見守り」に近いものの「リマインド」の意味を持っている。ある程度のことはしているので「なんもしない」の定義はやや曖昧ではあるのだが、能動的な働きかけを行わないというのが根底にある。筆者自身がこの活動を続けてきた中で予想外だったことの一つは、「なにもしない」ということが相手に影響を及ぼしているということである。「長年散らかしてしまった部屋を掃除するので見ていてほしい」という依頼では、「人が家に来るから」という理由で、筆者が到着する前にあらかた片付いていることもしばしばあるという。アドバイスをされずとも、聞き役がいるだけで心の整理がつくことは想像に難くない。また、SNSならではの話だが、「一般参賀に同行してほしい」という依頼が集中したものの筆者自身の都合で断らざるを得なかったということを発信すると、結果その依頼者同士で向かうことになった、ということもある。このようなことから筆者は自身の存在の役割を「触媒」と表現している。関わらなくてもいつかは当人たちがその行動を起こしていたかもしれないけれど、少しだけその日を早めることに寄与しているのだ。
 仲の良い人だからこそ、こんなお願いはしにくい、こんな話はできない、というものはある。困らせたくないとか、心配をかけたくないとか、こんな自分は見せられないとか。人間の距離感は難しい。友人知人には言えないけれど、電車でたまたま隣になった人なら良いのかと言えばそれももちろん違う。他人だけれど、一瞬だけ自分の重荷を一緒に持ってくれる、そういう相手でなければ成立しえない。距離を無理に近づけることよりも、「自分がどのような人間なのか」を見せることの方が、よっぽど関係性の構築につながるようだ。

2025.09.12Vol.70 城の崎より(三浦)

 今回の作文は、城崎の旅行記のようなものだ。一人旅である。元来、どちらかといえば、一人で何処かに出かけることを厭うタイプではない。ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ひとり城崎。ひとりテーマパークはまだ機会がないが、そのうち達成してしまうかもしれない。東京に出かけた際も、現地の友人の都合がつかないときは日がな一日土地勘のない都会をあてどなく徘徊しまくっていたこともあるので、気ままな一人旅は嫌いではない。
 城崎といえば、真っ先に浮かぶのは志賀直哉の「城の崎にて」だった。今回のタイトルも少しそれに倣っている。教科書に載っていたこともあって幾度か読んでいるはずだが、子どもが鼠をいたずらに死なせる場面の印象が強すぎて、それ以外の記憶はおぼろげであった。それでもまあ天下の志賀直哉だし、そして案の定城崎文芸館もあるし、と、今回の一泊二日の旅行に踏み切った。
 文芸館の休館日だけ調べて、素泊まりの宿と電車の切符だけを買ってのこのこと出かけて行ったのは八月末だ。大阪から城崎温泉までは特急電車で三時間弱、姫路を過ぎたあたりからは時折普通列車かと勘違いするほどの速度での走行もあり、見渡す限りの自然の中をのんびりと進んでいく。なんというか、そういったところにも旅情があった。夏はシーズン外なこともあってかそれほど人は多くなかった。外国人観光客もさぞ多いだろうと踏んでいたのだが、実際には現地でも時折見かけるくらいだった。ただ、宿泊した宿では海外の人が働いており、その割合も多いような気がした。働き手不足の影響もあるのかもしれない。素泊まりのできる宿が増えたのも、飲食と宿を別にすることで宿泊客を多く受け入れることができるというのがあるらしい。
 さて、話を戻す。まずは城崎といえば城崎温泉、外湯巡りだろう。個人的に大衆風呂というものに苦手意識があったため、宿を取れば入り放題のパスがついてくる、とあっても巡る気はさらさらなかったのだが、特にやることもないので思いつきで足を運んでみることにした。結果的にはものすごく楽しくて、七つの外湯のうち、定休日の関係で難しかったものだけを除いて、結果的には六つは回った。そのうち一つは雨宿りも兼ねて二回、一つは朝一番に向かったので、なかなかのハマり具合だったかもしれない。
 私は視力が弱いので、眼鏡を外すと何もかもがぼやける。その状態で温泉に入るのだが、驚くほど何も見えず、かえってすべてが新鮮なのだ。近づかないと掲示されている字が読めないので片っ端から近づいていく。人の顔もよく見えないので、人を意識することもなく、そして意識されているとも思わない。それが個人的にとても気楽な距離感だった。先ほど「雨宿り」と書いたが、突発的な雨の多い時期だったので、露天風呂で30分ほどぼんやりと時間を潰したことがあった。露天風呂の端、屋根のある下に皆が静かに並んで湯に浸かり、雨の打ち付ける水面を眺める。時折雨をものともしない人がふらりと中心まで出ていく。雨の影響で少し温度の下がった湯も含め、その時間と経験がとても印象深く、城崎のことを思い出そうとするとまずそれが浮かんでくるし、これからしばらくはそうなのだろう。あと、温泉は問答無用でスマホなどの機械に触れないので、そういう意味でもデジタルデトックスになった。温泉にはそういった効用もある。
 もう一つの目的である文芸館は、志賀直哉や志賀に勧められて訪れた彼の友人に関する展示がほとんどだろうと思っていたが、「城崎を訪れ、作品に残した文芸人」という枠組みではかなりの人数についてのパネルがあり、温泉街というものの強みを感じた。実際、街中にも吉田兼好や松尾芭蕉、島崎藤村などの文学碑が多く点在している。もちろんそういった展示も面白かったのだが、特に興味を惹かれたのは約百年前、北但大震災によって城崎が火災に見舞われたこと、そこからの復興の足跡だった。当時の状況はひどく、山に逃げてもそこまで火の手が回り助からなかったともあった。だが、温泉があれば復興できると立ち上がり、まずは教育を軸にと子供を集めて学校を真っ先に開いたり、人々が自身の土地を譲ることで道路を広くしたり(道がふさがったことで救助が遅れていた)、建物は景観のためにも木造主体での再建をしたりと、多くのことを乗り越えたのだそうだ。当時の城崎を訪れた島崎藤村の作品が記されており、至る所に足場がかかっていることや、それでも温泉街として既に機能していることなどが書かれていた。後から調べたところ、『山陰土産』という作品らしい。今年のGWにも城崎では火災が発生していたが、八月末には一見してわかるような名残はなかった。もしかしたらあったのかもしれないが、そう思わせない穏やかな活気の方が勝っていた。これは百年前もそうだったのだろう、きっと。
 文芸館でありのままに書く旅行記というものに憧れ、帰路の電車からゆっくりと書き進め始めたはずが、気づけば数週間経っていた。城崎は文学の町として、湊かなえや万城目学の「城崎限定」短編小説を発売している。まだ読んでいないそれが手元にあるのだが、タオル生地でできた特別製の表紙を撫でつつ、いまだに温泉に思いを馳せている。

2025.09.05Vol.69 師匠の奥義(西北校・土屋)

 私の記憶に残る作文の師匠は、ある全国紙で社会部デスクをしていたF氏である。他にも数人携わってくれた人はいたが、「師匠」と呼べるのは彼が唯一無二で、心の原風景に存在している。
 もう30年も前の事、新聞社を目指して就活していた私は、大学生活と併行して、マスコミ志望者向けの予備校に通っていた。入社試験では特に論作文の配点が高く、F氏はそこで“アルバイト講師”をしていた。全国紙のデスクという本職とそのような副業を兼務してよかったのかどうか、今でも定かではないのだが、F氏には枠に囚われない大らかさがあり、それだけに夢を持つ若者たちの面倒見もよかった。授業の後には決まって、希望する学生たちを引き連れて、近くの喫茶店で「講評茶会」を開いてくれた。一つのテーマで各々が書いたものを、学生同士で交換して読み合い、感想を語り合う機会を与えてくれたのだが、同じお題でもこんなにも異なる切り口があるのかと興味津々になったのを覚えている。何よりも一人ひとりに、時に冗談を交えながら、それでいて適切なアドバイスをしてくれるのが、楽しく、有難かった。
 勿論私はこの会の常連で、F氏の出来るだけ近くに座を占め、一言一句漏らさぬように耳を傾けていた。先生は大抵私の書いたものを面白がり、次の頑張りに繋がるような声掛けをしてくれた。しかしある日の小論文では、渋い表情だった。確か「男女雇用機会均等法」をテーマに、「これからの社会に求められることを述べよ」というような設問だった。私は女性の社会進出が進んでいくことへの期待や喜びを綴り、「だからこそ、女性であることに甘え、全体を乱してはならない。そのようなことがあれば次世代の女性たちの行く手を阻んでしまう」といったような事柄を述べた記憶がある。
 何ともレトロで全体主義的な論調である。性にせよ人種にせよ、あらたな属性が加わるということは、これまで通りとはいかず、構造的なイノベーションを必要とする。大きな困難を伴うが、それを超えて行く中で人々の意識は徐々に変化し、組織として新たな展望も生まれる。様々な特性を持った人が生きやすく、活かしやすくなる、といった事である。上の作文は旧来の枠に自らの性を押し込め、まるで古めかしい男性の仮面を被っているようである。
 だが無理もなかったのかも知れない。この法律が施行されてからまだ5年未満の頃で、育児休業法は審議の途中、出産・育児などを理由とした不利益取り扱い(出産で休暇を取った後、その人の座がなくなっていたなどといったこと)も「禁止項目」にはなっておらず、「努力義務」だった。新聞社のセミナー後の懇親会でも、「成績が優秀なのは断然女子。でも(採用しても)子供を産むからな…」というような呟きを耳にしたこともあった。そんな時代に、男性が大多数の組織に所属し夢を叶え続ける事を、勢いばかりが有り余った未熟な頭で、懸命に考えた末に辿り着いた解答だった。
 F氏は磊落な大声のいつもとは異なり、低く重みのある口調で、次のような助言をしてくれた。「君は女性なんだから、もっと女性に寄り添った物の見方をせんとあかんで。これなら男の論理で男が書いた文章と変わらん。女性の視点が入ってない」。銀縁眼鏡の奥の、細く鋭い目に見据えられた。
 しかし当時の私には、その言葉の意味が理解できなかった。それどころか、「女性なんだから」「女性の視点で」との言い回しが、ジェンダーに境界線を引くようでF氏らしくないと、浅はかにも、言葉尻だけを捉えて少々気分を損ねていた。しかし彼の言葉に込められたメッセージを、私はその後、身をもって体験することになったのだった。
 社会へ飛び出し、念願叶って地方にある新聞社に入社した。本社から離れた或る地域へ、“その支社初の女性記者”として赴任することになった。
 着任から1カ月足らずの間に、難題が次々と降りかかってきた。最も困難に感じていたのは、私の指導役の先輩(一定の地位にあるオジサン)が、「女は嫌だ」と受け入れ姿勢を示してくれない事だった。事件や事故を告げる「緊急」の呼び出しに、駆け付けると何もなく、深夜に何軒も飲みに連れ回されることが度々あった。途中で断ると「男と同等じゃないな。お前の原稿は見ないからな」が決まり文句だった。要は「セクハラ」と「パワハラ」がセットになって飛んできたのだが、前者は定義がまだ曖昧で、後者は用語さえなく(提唱されていなかった)、この身に伸し掛かる不本意な諸々が何なのか分からず苦しんだ。言葉がないという事は恐ろしい。
 その先輩と2人で詰める初の夜勤の前日に、上のような状況に対処して貰いたくて、上役に相談した。仕事をきちんと覚えたかったのだった。返答はすぐだった。「明日は会社を休んでくれないかい。腹痛とかで」。周囲は一様に無表情で、業務を進めていた。見て見ぬふりという風だった。そんな状況が何年か続き、私は社内で自分の考え、つまり「声」を出さなくなった。出せなくなった、のだった。
 F氏の事は折に触れ脳裏を掠めたが、彼の言葉の意味が分かるようになるのには、実はそれから更に数十年を要した。巻き返しを図ろうとその後、同業他社へ入社し直し、結婚、出産、慌ただしい保育園の送迎、頼みの綱の実母の病気、退職、子育て、晩年の母の介護、そして看取り。一つひとつを経験し、少しずつ身に染みてきた。そしてある時、記憶の襞に潜んでいた、助言の続きが蘇った。
 「色んな声を拾わないと。大きい声は自然に耳に入ってくるけど、それだけ聞いてても、問題の本質は見えへんで。君は少数派として社会へ出て行くんだから、小さな声を拾わんと、何も変わらんよ。誰がするの?」。
 「志高塾」にご縁を頂き、勤務して6年以上が経つ。F氏の言葉は、今では座右の銘となっている。
 「君、複眼を持って物事を見ているか?傾聴してるか?」。
 生徒たちの意見作文などの添削をしている時、それは蘇り、私の中に生きている。

2025.08.29Vol.68 嫌いなアイツと夏にちょっとだけ仲良くなるには(徳野)

 夏期講習が終わった。毎年、親御様向けの案内を配布する時は「1か月もあるんだなぁ」と、果てしない道のりが広がっているような感覚を覚えるのに、いざ始まってみると「光陰矢の如し」である。精神面でもそうだが、特に公立校の夏休みは実際に短くなっている。丸々1か月は羽を伸ばせていた世代の私にとって8月31日といえば、自由研究や図工などのラスボス級の宿題を徹夜で完成させる地獄の一日だった。ところが、最近の小中学生はほとんどが学校で机に向かっているのだから未だに違和感が消えていない。
 それでも容赦なく課されるのが作文系の課題である。とりわけ読書感想文にきちんと向き合うには10時間は必要だし、そこにかかる多大な心理的負担を大人なら誰しも身を持って知っているだろう。つい先日の高槻校でも、お子さんがいる社会人講師との会話で「お家でも塾でも面倒を見切れない子の場合はどうしているのでしょうか」という疑問が投げかけられた。私は(あくまで一般論として)「今どきはChatGPTにでも丸投げしていると思いますよ」と答えたのだが、ここ1か月で自分が生成AIに触る機会が減っていたのを思い出したのもあり、志高塾の課題図書でもある滝井幸代の『レンタルロボット』の感想文を書かせてみることにした。ChatGPTには小学3年生になりきるよう指示を与えた。そして、数十秒ほどで表示されたのが以下の文章である。

 わたしは『レンタルロボット』を読んで、ロボットは便利だけれど少しこわいと思いました。ロボットに友だちのかわりをさせたり、いやなことを全部まかせたりすると、人は自分で努力したり気持ちを伝えたりすることを忘れてしまうと感じたからです。
 たとえば、友だちとけんかして仲直りするとき、自分の言葉で話すから本当の気持ちが通じます。でもロボットがやってしまったら、その大切な練習ができません。
 また、ロボットは命令されたことしかできないので、本当の思いやりはもっていません。だから、人と人との心のつながりはロボットでは作れないと思いました。
 この本を読んで、めんどうでも自分でがんばったり、気持ちを伝えたりすることが人間らしさにつながるのだと気づきました。わたしもこれから友だちや家族との時間をたいせつにしていきたいです。

 さすがは最新版のGPT-5だ。あざとい。自己評価もさせたところ「小学生らしく『気づき』や『自分の体験と結びつけた考え』も盛り込んでいて、提出しても十分に評価される内容です」とのことで、改善点としては「小学3年生としては少し大人びた表現が多い」と「本文の具体的な場面の引用やエピソードがもう少しあると、読んでいない人にもより伝わりやすくなる」を挙げていた。実に的確である。『レンタルロボット』に関するインターネット上の情報が少ないのもあり、作品の内容を探る手掛かりは題名くらいしか無かったのだから。つまり、AIはこの世に存在しない(であろう)物語を創作した上で、世の大人たちが納得しそうな教訓やら何やらを並べるというハルシネーションを起こしていたのだ。余談だが、先ほど登場した社会人講師から面白いエピソードを教えてもらった。作家の平野啓一郎氏は学生時代、本を読まずに自身の想像力だけを頼りに原稿用紙を埋めていたらしいのだ。ある意味で時代を先取りしている。しかも、高校の教員には一度も悟られなかったというのだから、小説家になる人物の「挑発力」は一味違うということだろうか。
 話を戻すと、今回は「だから自分の力で書き上げることに意味がある」ということを伝えたいわけではない。保護者や生成AIによる代筆がまかり通る背景にある、教師、ひいては大人への「侮り」に近い感情が個人的には気になっている。いや、見くびられても仕方がないような状況が、私が知る限り二十年は続いている現実が気になる、とした方が正確だ。例えば、毎日新聞社が主催の全国読書感想文コンクールの課題図書に小中学校の先生方は目を通せているのだろうか。目の前の業務に必死な教育現場の様相をほんの少し窺うだけでも要らぬ心配を抱いてしまう。さらに、自由図書となると判断基準が「文章に破綻が無ければ大丈夫」程度になってしまうだろう。そして、フィードバックなど夢のまた夢だ。生徒に言葉を紡ぐことを求めているのに、喩えるならば、半ば強制的に投げさせたボールをただ受け止めてから黙ってどこかにしまい込むような真似をしていることになる。生徒にとっても、行方不明が決まっている作文に思い入れなど生まれない。だから「どうせ気づかれないし」と、抜け道を選ぶのだ。
 でも、読んだり書いたりすることが元々好きな子には、大人がどうかだなんて関係ないのではないか、という声が飛んでくるかもしれない。しかし、どうやらそうではないらしい。今年の夏は人気の文筆家による読書感想文講座を謳ったネット記事にいくつか当たってみたのだが、むしろ、「書かせること」に対して最も冷ややかな目を向けているのは執筆業のプロだという事実を痛感した。皆、学校から課される感想文の存在意義を疑うところから始めていたからだ。少年少女の頃から様々なジャンルの作品に触れ、生身の人間が善悪を併せ持つ不甲斐ない生き物だと感性で学んできた人にとって、「内面の成長」という結論付けが暗黙の了解となっている宿題には反発心しか無い。中でも、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』や『「好き」を言語化する技術』が話題となった三宅香帆氏による記事(https://toyokeizai.net/articles/-/690496?display=b)は印象的だった。作文コンクールの方針に透けて見える「読書を通して道徳的な価値観を身に着け、豊かな人間性を育んでほしい」という思惑に疑問を呈しつつも、先生に褒められやすい文章に仕上げるテクニックを紹介しており、編集部からの要望にきちんと応えながら「どうせこう書けば満足なんでしょ」と、教育関係者への皮肉を効かせることも忘れない手腕には思わず舌を巻いてしまった。そのシニカルさは、「提出して十分に評価される内容」を実現させる型を無邪気に適用するChatGPTには出来ない芸当だ。
 確かに、そもそも本を読む習慣が無い子どもに原稿用紙何枚分もの分量をやらせるのは逆効果だ。しかも「善いことを書かなくてはならない」という圧力がかかっているのだから尚更である。夏休みの宿題で作文をやらないといけないのであれば、漫画感想文や俳句(逆に難しいだろうが)に取り組むのでも良い。だが、ここまでの展開からして意外だろうが、私自身は読書感想文というものを無意味だとは捉えていない。それは教育関係者の端くれとして恵まれた環境にいるおかげだろう。生徒の反応を間近に見える教室で腰を据えてコミュニケーションを重ねられている。特に今年は、辻村深月の『かがみの孤城』を題材に選んだ生徒とやり取りする機会が多かったのだが、不登校を扱った本作に対する、一筋縄ではいかないリアルな声に触れることができたのは大きな収穫だった。作者が示した結末に納得できずとも、そこを出発点にして自分なりに道を模索していけば良いのだ。
 読書感想文は、学生時代の「失望と軽蔑」、あえてパンク風にすると「クソったれなもの」の象徴になっているかもしれない。その風潮を知りつつ私が嫌いにならずに今まで来れたのは、自然体の自分を表出できる手段になりえると実感してきたからだ。本の作者を含めた大人の権威に同調したり感銘を受けたりしたのであればそれで良い。ただ、批判と分析だって立派な感想に昇華できる場が志高塾なのだと思う。むしろ、そういう心を失わずにいた方が、読み書きを素直に楽しめる大人になれる。

2025.08.22社員のビジネス書紹介㉓

三浦のおすすめビジネス書
斉藤徹 『だから僕たちは、組織を変えていける やる気に満ちた「やさしいチーム」のつくりかた』 クロスメディア・パブリッシング

 社会は農業社会や工業社会を経て、今やインターネットの発達により情報社会と化した。それによりビジネスモデルも変化して然るべきなのだが、多くの会社では未だ旧態依然とした、大量生産を基盤にした工業的な労働システムが蔓延っている。そうではなくて、現状の知識社会システムに適応した働き方をしなければならない、という本だ。そういったことを書くビジネス書は多いが、この本では社会自体や理想とされてきたビジネスモデルの変遷まで丁寧に追った上で、どうするべきかを述べている。
 ここで一貫して述べられているのは、「人と人とのつながりを思い出す」ということだ。これが題の「やさしいチーム」に繋がるのだろうが、その「人とのつながり」こそが、現在求められる「一人ひとりが学び、考え、行動する組織」のために必要なものだ。血の通った組織にするためにはどうするか。信頼関係を築き、まずは関係の質を高める。そして思考・行動の質へと繋げていき、そうすれば自ずと結果が生まれてくる。この結果を焦って追い求めようと工程をスキップすることなく、ひとつずつクリアしていけば、また結果によっていずれの質も向上する好循環を生む。ビジネスもプライベートと変わらず、人と人とのコミュニケーションによって成り立っているのだという当たり前のことを意識し、人を尊重することがなにより大切だ。

徳野のおすすめビジネス書
荒木俊哉 『瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。』 SBクリエイティブ

 時には自社のクライアントも同席する会議。上司から俎上のテーマについて「どう思う?」といきなり話を振られると、咄嗟に言葉を出せない。つい先程まで思い浮かんでいたものがあったはずなのに。だから焦って頭がさらに回らなくなる。そして、沈黙に耐えられず何とか絞り出せたのは取り止めのない感想だけ。それを聞く参加者たちのつまらなそうな表情にいたたまれなくなるけど、次のミーティングでも再び不甲斐ない姿を晒してしまう。
 上のような場面に苦い思い出がある人は多いだろう。それを裏打ちするかのように、書店に足を運べば「上手な説明の仕方」を伝授する本がいくつも平積みされている。だが、毎月のように同類の新刊が発売されているあたり、既存の書籍では悩めるビジネスパーソンたちをまだ救えていないようである。その理由はいたってシンプルで、問題の本質が「伝え方」ではなく「伝える内容」にあることを把握できていないからだ。要するに、人は自分が思っているほど意見そのものを練れていない。
 本作の著者は電通のコピーライターを生業としている。言葉を扱うプロフェッショナルとも言える荒木氏によると「言語化」とは、脳内にすでにある事柄のアプトプットだけを指すのではなく、発言するべき内容を掘り下げていく過程である。そして、「掘り下げる」とは物事に対する解像度を上げて新しい視点を発見することだ。その能力は一朝一夕で身に付くものではないので、実際のコミュニケーションの場で成果を残せるようになるには日頃から地道な訓練が欠かせない。そこで荒木氏が紹介しているのが、1枚のA4用紙を使った「言語化力トレーニング」だ。設定した「問い」について「思ったこと・感じたこと」とその「理由」をそれぞれ2分の制限時間内に挙げられるだけ箇条書きしていく練習法なのだが、適度な緊張感の中でひたすら手を動かすことで頭が活性化され、いつの間にか考察を深められている、というのがメリットである。ただ、意識するべきなのは、まずは自分の「経験」を出発点にすることだ。過去の「出来事」はもちろんのこと、その時々の「感情」も合わせて洗い出すからこそ、課題分析に具体性がもたらされ、自分ならではの着眼点が見えてくる可能性が高くなる。また、トレーニングが習慣化すれば、日常生活における身の回りの物事に疑問や興味を持てるようになり、それがまたアイデアの種になる、という好循環も生まれる。
 意見作文に取り組んでいる生徒には「普段から色々なことにアンテナを張っておかないといけない」という声掛けをよくしている。大人になって働き出してからも、大切なことは基本的に変わらないのだと実感させてくれた1冊だった。

竹内のおすすめビジネス書
龍崎翔子 『クリエイティブジャンプ 世界を3ミリ面白くする仕事術』 文芸春秋 

 ホテルに対して、「宿泊施設」以外にどのような意味付けができるか。例えば、「夜通し空いている箱」。家とは違った雰囲気で、夜更かしできる空間。そのような特性を生かして大阪弁天町で開かれたのは、平成ソングを夜通し建物内で流し続けて平成最後の1日を終えるオールナイトイベントである。また、「体験型ショールーム」と考えれば各部屋や共有ラウンジに置かれた製品の広告を務めることにもなる。本来の機能は「旅の途中の休息所」だが、視点を変えれば新しい役割を見出すことができる。
 著者である龍崎翔子氏は、東大在学中の2015年に起業し、富良野のペンションを購入しホテルとして開業した。その後、多くの観光客が訪れる京都でもホテルを始めたが、ライバルとなる施設は多数。「同じ値段なら駅に近い他のところにするかな」と選ばれないことも度々あった。価格競争に参加するのではなく、来ること自体が目的になるホテルを作りたいという課題に直面した時、彼女は非連続の思考(クリエイティブジャンプ)によって糸口を見つけていった。これは「価値の再定義」「空気感の言語化」「顧客心理の観察」「異質なものとの組み合わせ」「誘い文句のデザイン」の5つの要素からなり、順を追って決めていくのではなく相互に行き来しながらコンセプトや商品の内容が確立されていくという点で「非連続」だと言える。冒頭のホテルの持つ別の意味はまさに「価値の再定義」であり、そこに異質なものが掛け合わされることで他にはないサービスの提供に繋がっている。
 1つだけではなく多面的に意味を付与することは何だかなぞかけのようで面白そうである。そういう視点で教室をより充実させるアイデアを出したい。

2025.08.15Vol.67 記録の終わり(三浦)

 以前、あまりの情報収集の面倒くささに、パソコンの買い替えをめちゃくちゃ渋っていることをここに書いた覚えがある。その後、買い替えたことは書いたかどうか記憶にないのだが、どうにかこうにか思い立って実行し、実は新しいものを迎えてもう数カ月が経っている。今までの一体型と違ってデスクトップなのでかなりの存在感があり、まだそれが堂々と鎮座している部屋の風景に慣れない。つい最近も店舗に出向いてキーボードを新調した際、今のパソコンのブラックではなく、以前のカラーであるホワイトに無意識に合わせてしまい、ちょっとちぐはぐな光景がデスクに広がっている。
 さて、パソコンを移行するにあたって、データに関してはUSBを使って移動させることにしていた。大容量のものを持っていなかったこともあり、家に散らばっていたUSBをかき集め、数個に渡ってデータを移し変えた。その作業もきちんと終わらせたと思って一安心していた矢先、つい数週間前に、ふと10年分くらいのデータが失われていることに気が付いた。
 それだけ気付かなかったのは、すぐに使うようなものではなかったからだ。それは例えば大学時代に提出した論文や、数日分残していた日記、友人とのやり取りなどで、必要になることはめったになく、なんとなく「見返したいな」と思い立たなければ開くことはない。だから気づくのが遅れてしまい、そして、困るような目には遭ってもいない。けれども、私はこういうのはなるべく残しておきたいたちだ。時折抜けているところはあれど、高校時代のスマホの写真のデータもきっと残っているし、遡れば、小学生時代のパソコンのデータだって、メールの履歴だってある(はず)。だから今回のデータ紛失は結構なショックだった。旧パソコンからUSBにデータを移したことは覚えているので、そのUSBを見つけさえすればいいのだが、見当のつくところは一通り探し終えてしまい、あとはふとしたときに現れてくれるのを祈るばかりである。
 クラウドに保存しておけばよかったのではとも思ったが、私はクラウドをいまいち信用しきれていない。そのクラウドサービスが終了すれば跡形もなく消え失せるし、そうでなくとも誤作動で消えてしまうかもしれない。勝手に同期して勝手に消えたりなんかしたらきっと許せないので、すべてのデータはオフラインで管理することにしている。やはりUSBのような、物理的なデバイスが安心できる。
 USBの話で、ふと濱口秀司氏のことを思い出した。とても簡潔にいうと、濱口氏はUSBが開発された際のコンセプトデザインにおいて、とにかく「すべてがネット上で完結する方向に向かうだろう」という当時の感覚とあえて逆行し、物質的な感覚こそが必要になるのではと、今のような記録媒体を生み出した。その結果、こうして世界的に受け入れられる保存メディアが生まれたというわけだ。ここで濱口氏のアイデアの出し方について舵を切ってもいいのだが、ここはまだ記録媒体の話をしようと思う。
 物理的なメディアはやはり安心感がある。しかし、私のように紛失しなければずっと残り続けるのかというと、そうでもない。以前インターネットで見かけて気になっていたのだが、DVDが普及して数十年、経年劣化が進んで見られなくなっているDVDもそれなりにあるらしい。中のデータは無事だったとしても、外側のディスクが「物」である以上、どうしても熱などによる劣化は避けられない。そのため、知らず知らずのうちに動作の限界を迎えているということもあるようだ。「物」である以上、といった手前USBも調べてみたところ、これもやはり数年~十年ほどの使用期間で見ておいたほうがいいらしい。デジタルからは離れるものの、物理的な保存媒体といえばやはり「本」で、そう考えると上記のものよりも長持ちはするものの、やはり永遠に残り続けるものでもない。
 インターネット上でも、ホームページの期限が切れたりリンクが切れたりして、見れなくなったページは多くある。デジタルでも物理媒体でも、どんな手段にせよ、何かをずっと保存し続けることは難しいのかもしれない。そんなふうに考えて自分を慰めつつ、やはり、寂しいものは寂しい。

PAGE TOP