
2026.06.26社員のビジネス書紹介㉝
徳野のおすすめビジネス書
山崎エマ 『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』 新潮新書
タイトルが結論を示してしまっているものの、それは著者があくまで自身のお子さんの為にする選択だ、という点を念頭に置いて本書に触れてほしい。さて、ドキュメンタリー作家の山崎氏は2023年の監督作《小学校〜それは小さな社会〜》がアカデミー賞の候補作に選ばれ、スクリーン上に描き出された日本の公教育も肯定的に評価された。私はSNSを通して映画の存在を知ったのだが、その際、公式PRを含め作品を好意的に取り上げる投稿に対する批判もちらほらと見かけた。例えば「同調圧力や厳格なルールが生む息苦しさに目を向けていない」、「教員の負担を美化している」といったコメントだ。そして、それらを初めて見た時の私の感想は「今の時代、学校についての否定的な意見が出ても仕方がないよね」という、半ば諦念に近いものだった。だが、昨年から高槻教室の責任者となり、色々な公立校の様子を親御様から教えていただく中で、自分自身が慣れ親しんできたはずの「学校」という場をネガティブな色眼鏡で捉えすぎているのではないかと、疑問が湧いてきた。不登校が社会全体の問題となっている昨今だからこそ、日本の公教育が持つ力を改めて具体的に知りたいという好奇心から、山崎氏の自伝とも位置づけられる本書を手に取ってみた。
日本人とイギリス人をご両親に持つ山崎氏は、茨木市立の小学校、六甲のカナディアン・アカデミー、ニューヨーク大学という風に、多彩な学習環境で育ってきた。ご両親はバイリンガル教育を徹底しており、「娘が大学に進むまでは、自分で判断し行動する力を養わせ、言語能力と計算力の土台を固めることが保護者の使命」という方針の下で教育計画を立てていた。「自分で判断し行動する力を養う」となると、生徒の自主性を重んじるインターナショナルスクールの方が適しているのではないか、という見方もできる。だが、物事の本質を十分に理解できていない12歳以下の子どもが、将来を見据えた決定や自己主張をするのは難しい。だから、集団内でまずはマナーや常識を学び、自分で身の回りの管理をする習慣を身に着けさせるための場として日本の公立小学校を選んだのだ。整理整頓をしたり、約束の時刻を守ったりするのは当たり前のことかもしれないが、それを自然と実践できるのは、国際的に見ると立派な能力とみなされる。また、運動会や音楽会に向けてクラス一丸となって練習に励むことを教員から求められた経験が、後年、夢を実現させるためにひたむきな努力を続け、周囲の人たちと協力しながら作品を完成させていく姿勢の原点だったという。つまり、教師がある程度の強制力を示すことで生徒の可能性を広げる場合もあるのだ。その分、教師は取り組ませる内容とその目的をよく練らなくてはならない。
ただ、山崎氏は日本的な価値観を手放しで礼賛しているわけではない。特にアイデンティティに関する画一的な捉え方に反発を覚えて高校卒業後に渡米したのは、国籍と人種が異なるご両親の元に生まれた「ミックス」としての複雑な立場ゆえだ。加えて国内の教育に関しても、中学校からは生徒一人ひとりの個性や意志を大事にする方向に転換させるべきだと、山崎氏は提案している。子どもの自我が最も発達する時期に抑圧的とも言える指導を受けていることが、少年少女たちの生きづらさに少なからず影響している面は否めないからだ。
冒頭でも述べたように、日本の小学校は選択肢の一つにすぎない。しかしながら、学業やスポーツの成績が優秀な子でも、自己中心的で、日常生活にまつわる物事を平気で全て親任せにするような態度を許してはならない。どのような場で学ばせるにせよ、子どもが心身ともに自立し、他者と気持ちの良い関係を築いていくために、人間としての基礎部分を成長させられているか、という軸は常に持っておくべきだ。そして、そういった面を育てる役割を担うのは一人の人間、一つの場所に限定させる必要は無い。家庭、学校、習い事先にいる全ての大人の間で「分業」しても良いのだ。
竹内のおすすめビジネス書
清川照美 『崖っぷちの会社を立て直したスーパーな女 なぜ、普通の主婦がたった6年半で300億円の借金を返済できたのか?』 主婦の友社
鹿児島県を中心に約90店舗のスーパーを運営するタイヨー。筆者は2代目社長の妻として主婦業に専念していたが、経営不振の状況打開のために自社の監査役取締役を務めていた経験を活かして約4年ぶりに現場に復帰した。当時(2012年7月時点)は店舗数こそ増やしていたものの売上は10年前と比べて大差なく、人件費がかさむ状況に陥っていた。そのため、小売業界内ではタイヨーの買収がまことしやかにささやかれてもいたのだが、それを回避するために選んだのがMBO(マネジメント・バイアウト)である。上場を廃止して、経営陣が身を切って自社株式を買い取ることで経営権を握り、株主からの短期的な利益要求に縛られることなく小さな組織内で迅速な意思決定や改革を行えることが利点とされている。他企業からの買収が実現した場合、経営方針の転換等による大幅なリストラは免れない。それは、従業員やその家族を守れなくなるということでもある。その方向に進ませないための判断だった。清川氏が重視したのは、鹿児島を基盤にした企業であるという点でもあった。鹿児島県は第一次産業が盛んであるゆえ、地産のものを積極的に扱うことで町全体を勢いづかせることができる。自分たちが地域で果たすべき役割を理解しているからこそ、そして地域のことも理解しているからこそ、自分たちの手で会社を変え、立て直す必要があった。
MBOを実施するためにメガバンクに掛け合ったものの、なかなか簡単には請け負ってもらえない。それでも最終的に融資を受けることができたのは、自社が地域にどのように貢献したいのかを繰り返し伝えること、またたとえ急遽決まった面会だとしてもそこで中身のある話ができるように資料準備を怠らないことによって、熱意が届いた結果である。ただ、これはあくまでも再建のスタート地点であり、次は現場の改革が求められた。消費者の目線で見てみると、赤字店舗では動線が悪かったり照明が薄暗かったりと利用したくない要素が散見していた。ただ必要なものを調達する場としてではなく、この店だから来たいと感じてもらえるような店づくりをする上では、自分の立場以外の視点を持つ必要があるということだ。タイトルにある「普通の主婦」に対しては、それまでも社内との関わりがあったことを踏まえると適切な表現ではない気がするが、主要な利用者層である主婦に最も近い存在として経営陣に新しい風を吹かせたことは間違いない。そして本来、このようなことは現場の従業員の方が経験則で分かりやすい。時間帯による来店客の違いや、地域性などがそれにあたる。そういった実感の伴う情報が運営の工夫に繋がるよう、吸い上げやすい環境の整備、関係の構築に注力したのも彼女の視点あってこそであった。また、チームを引っ張っていく立場として印象的だったのは、6年半の間で毎年、念入りに口にする言葉を決めていた点だ。それは自分たちの明確なテーマ設定を共有するだけでなく、自分自身が道に迷わないためにも大事な道しるべでもある。
三浦のおすすめビジネス書
ポール・ホーケン 『ビジネスの育て方』 ディカヴァー・トゥエンティワン
原著は1987年に出版されている。およそ40年前、そして日本語版は2005年の出版だから、こちらも20年前。ビジネスの世界の移り変わりは速いものだろうが、ここに述べられているのはテクニックなどの手法ではなく、「ビジネスとは」という根幹的な視点である。その一点は時代が移っていっても変わらない。
徹頭徹尾、著者が述べるビジネスとは、決して「金を稼ぐため」のものではない。冒頭、「ビジネスとは世界を変える手段であり、自己を表現するための手段である」という旨を述べている。自己表現というとどうしても真っ先に芸術、アートというものを浮かべるが、そこにビジネスが並ぶとは思わなかった。しかし読み進めていくと、そもそもビジネスのはじまりは、「世の中に足りないものはなにか」「自分は何をすべきか」を考え抜くところから始まることがわかる。「どうすれば儲けるアイデアが浮かぶか」ではない。身近なところに目を向けて、何が必要なのかを見極める。そしてその「必要」は必ず、自分のためではなく、世の中、そして顧客のための必要でなくてはならない。世の中に求められるビジネスこそが意味があるものだ、それは当たり前のことだが、金銭が絡むと忘れられていってしまうことでもある。
顧客のため、という精神は、本著の中で多く取り上げられている。筆者が設立した園芸商品専門のカタログ・小売企業である「スミス&ホーケン」では、とにかく顧客を第一に、働く誰もが顧客に徹底的に寄り添う姿勢を持っていることが述べられる。クレームともとれるような要望にも迷わず応える。信じがたいと思ってしまうのは、そういったクレームの話を耳にしすぎて、一般的に考えられる「顧客」を信用できていないからだろう。そもそも企業として信用されていれば、信用できる顧客がつく。顧客は製品に金を払いたいのではなく、サービスをしてくれる「人」に払いたいのだという。確かにその通りかもしれない。顧客に信用される企業になるためにどうするかは、事細かに決めるものではない。まずは自分自身が「よい顧客」になる、そしてその立場から企業を見直し、どうすべきか、「企業にどうされれば嬉しいか」を考える。そのひとつの軸が大切なのだという。
お客様第一、という考え方は、サービスに重きを置くはずの日本でも、少しずつ廃れてきている。それは客が企業に求めるものが薄くなったことの裏返しでもある。せっかく大企業ではない、相手の顔が見える場にいるのだから、「求められる」ようなつながりを意識していきたいと思う。
2026.06.19Vol.97 質問、疑問、応答(三浦)
志高塾の公式Instagramでインタビューを載せてもらった。
あまり自分の写真が好きではないので、スマホのカメラロールを遡っても自分の写っているものは滅多にない。数年分をたどって、二桁あるかどうか、そんなところだろうか。そのためどうしても慣れず、載せてもらったインタビューを見るのもときどき恐る恐るといった形になるのだが、綺麗に撮ってもらえたのは素直に嬉しいし、有難い。
恐る恐るの原因は、写真だけではない。こうして「志同く」で文章を載せてもらえるようになってかなり経つ。自分にとっては、自分の写った写真よりも文章を見てもらうほうがはるかにハードルが低いのだが、それでも、インタビューという形式は初めてだったので、掲載されて時間が経てば経つほど、「これでよかったのだろうか」と勝手にどきどきしてしまう。
そう、まさしく人生初のインタビュー。雑誌やテレビなどで当たり前のように見かけるが、実際にこうして答えてみると、なかなか難しいものだった。頭の中にぼんやりと答えはあるのに、どう言葉にするのかが上手く掴めない。普段の文章はテーマを自分で設定するので、その段階である程度は展望が見えている。しかしあらかじめ質問が設定されていると、それに答えるという形で思考を整理していくため、その中で「これで言いたいことは伝わるだろうか」、「そもそもこの問いに答えられているだろうか」と何度も自答し、何パターンか用意したものもあった。そんな意味では、自由に自分で文章を書くのとはまた別の部分から、思考を深掘りする良い機会をもらえた。有難い限りだ。
話は少し変わって、NHKの「NHKアカデミア」というコンテンツがある。公式サイトの説明文は「各界のトップランナーがオンラインで参加した1000人規模の受講生を前に、「自らが歩んできた道」を語る“講座コンテンツ”」。山中伸弥氏や落合陽一氏、穂村弘氏などの回が記憶に残っている。
ともかくそんな「NHKアカデミア」のコンテンツの一部が番組として放送されているのだが、その中で、オンラインで繋がっている受講者がリアルタイムで登壇者に口頭で質問をする場面がある。今募集している講座の案内を見たところ、100人程度の参加者のうち、10人前後がその機会をもらえるらしい。番組を見ていると受講者の幅というのも面白く、宇宙やスポーツに関する内容だと小学生くらいの子どもがいる確率も高く、良い経験になるだろうなと思う。
参加者からの質問は多岐に渡る。もちろん登壇者の専門分野に関するものがほとんどだが(それに興味を持って応募しているので)、より普遍的な、メンタルの保ち方、将来の決め方、そういった質問も時にはある。それに対する答えも当然多岐に渡る。その中で、時には、「言っていることはすごく良いけど、聞かれていることに答えていないんじゃないか?」「その答えだと質問者の意図を汲み切れていないのではないか?」と思ってしまうような回答もゼロではない。
しかし、求められる答えをそのまま返す必要はないのではないか、と、ふと思う。質問に対して、その質問者の意図を汲んで、それに即して答えなければならない場面がある。一方で、その質問を起点にして、もっと他の話へと展開させていく方が効果的な場面がある。もちろん回答によって問題を解決したい質問者もいるだろう。けれど、答えとなる中心の回答をひとつ与えられるより、その周囲を与えられた方が、咀嚼する過程で新たなヒントを見つけられることもあるかもしれない。
とはいえ、世間的にはきっと、前者の場面の方が多いことは目に見えている。後者のような芸当ができるのは、それこそトップランナーのような、「話すべきこと」をたくさん蓄えている人に違いない。そしてそんな人々は、既にいろいろと思いを巡らせてきただろうから、いざ前者の場面にあたっても答えられるはずだ。
完璧な一答。準備に準備を重ねたつもりでも、なかなか一度でうまく返すことはまだできない。すでに考えたことがあるような内容でも、いざ聞かれると答えに窮することも少なくない。今回のインタビューも、普段からぼんやりと考えていたはずなのに、実際に言葉にするのに苦労した。それでも、その苦労のおかげで、今改めて読み返して「なるほど」とも思える。
来年、再来年と時を重ねるごとに、それがまだ「なるほど」なのか、あるいは「今なら違うかもしれない」へと変わるのか。自分がどれだけ振り返り、どれだけの事を蓄積できているのか、来年の今頃に少し思いを馳せる。
2026.06.12Vol.96 他愛もない時を(竹内)
プロ野球読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が逮捕。事件や事故の速報が入った時、驚きを持ってその詳細を確かめることは珍しくないが、「誤報を疑う」レベルは滅多にない。この時がそれにあたる。本人が娘に対する暴行を認めており、結果的には監督辞任に至った。書類送検された旨が先日報じられたが、警察からは「寛大処分を」という意見が付されている。
今回、氏が逮捕されるに至った経緯として特徴的なのは、手を上げられた娘がAIに相談して児童相談所への報告を助言された点である。それを受けた児相が警察に通報している。阿部親子のことをよく知っているわけでは当然ないので、彼らの関係性に首を突っ込むつもりはない。その日から一夜明けると「娘からの手紙」なるものが公表されたものの、真相も心境も、はっきりとは分からないままであろう。しかし、AIに助けを求め、その回答に身を委ねたということについてはきちんと目を向けたい。
そもそもの話として、「児相に連絡せよ」という返答を一体どれだけの人間ができるだろうか。今回のような親が著名人で、被相談者がその人物の経歴を知っているような場合、「その先」を想像するとそのように助言することには尻込みしてしまうのではないだろうか。今回のものは「AIだからこそできた提案」だとも言える。
実際のところ、大事なことを打ち明けるのには勇気が要る。ちゃんと受け止めてもらえるか、相手に背負わせすぎないか、そんなことを気にしてしまう。振り返ってみるとそれは杞憂に終わることが多いのだが、それでもなお躊躇ってしまうので、人間は面倒くさい。そういう時に、様々な背景を一旦無視してくれるAIは意外とありがたい。
少し話が変わるが、私には高校生の頃に開設したTwitter当時のアカウントがある。10年以上の使用ということになるのだが、そうなるとスマホを買い替えたことをきっかけにログインできなくなってしまったのだろうと推察される友人も多い。反対に私のように新しいスマホになろうが染みついて忘れないパスワードを入力して自分のアカウントを大切にし続けているような仲間もいる。とはいえ、私含め、発信する量はめっきり減っている。数か月ぶり、数年ぶりに浮上して何か言ったかと思えばまたしばらく鳴りを潜める。私がそうだからそう思うだけなのかもしれないが、そのような時は「残しておきたい」と感じるからわざわざ投稿する。だから久しぶりのポストを見て「なんかあったんやな」と考えながらそのまま読み流したり、ごくまれにLINEを開いて連絡を取ってみたりする。逆も然りで、私が何かしら発言する時は、同じように誰かが何かを思うんだろうな、と頭をよぎる。だから、どのような言葉を用いるかを吟味する。私にとってのSNSはそういうものだ。
Chat GPTを使う時の態度も根底ではそうなっていて、結構心を開いてべらべらと記録のために考え事を話している。生成AIはSNSとは異なるので、単なる壁打ちツールではなくグラフを作ったりデータを探してきたりと形として出力してもらうこともよくあるが、自分の状態を映してくれる側面をやはり孕んでいる。Excelで表作成するときにイメージはあるのにそれを落とし込めないということがよくあったので、AIを頼って用いるべき関数を教えてもらった。この過程で面白かったのは1、2回では思っている通りのものにはならなかったことである。自分の指示が上手く通らないことによって頭に浮かべているものをより具体化することになったし、それを繰り返す中で書き換わっていく関数によって仕組みも以前よりよく分かるようになった。そんなわけで私はまだ生成AIでの時短が十分には実現できていない。
昨今は生成AIに課題のレポートを書かせている事例が問題視されている。私が学生の頃なら参考文献からの引用ばかりで済ませるタイプのものがあったが、そのようなものは自身の主張がまともに入っていないので手抜きなことが明瞭である。しかしAIの場合だと、一見すると意見も結論もはっきり述べられているのでたちが悪い。複数の課題が与えられ、部活やバイトで忙しくて、時にはそこまで興味のない内容もあって、となると簡単に終わらせてしまいたくなるのは理解できるが、それはやはり、レポートを書くことを通して得られる学びを自ら手放してしまっていることになる。「答えを出す」ことが第一になっているともいえる。だが、区切りはつけられたとしても、生きていくうえでは簡単に答えが出ないものばかりである。何度も考えて自己の中で確立されていくものもあるが、宙ぶらりんになっているものが私にはたくさんある。それらがある時に誰かとの何気ない会話や、たまたま目に触れた言葉をきっかけに徐々に整理されていく。「終わってない」と思うことは重要で、そのために必要なのは一度腰を据えてやってみること、そういうものが一つはあること。いざ外に出してみたものがまとまりきっていないままではいけないが、消化されていないものを持って周りを見続けていないと、与えられたデータをもとに瞬間的に答えを出しているAIと何ら変わらない。
また、子どもたちには「私たちは見てるで」ということを伝えたい。以前中2の男の子と記述問題のやり取りをしていた際にニュアンス的には「恐怖」と熟語にした方が良いところで「恐ろしい」としていたので、漢字が分からないのであれば平仮名でも構わないから伝わり方に気を付けるようにと指摘した。後日お母様からメールを頂き、「『怖』が分からないことが一瞬でバレてた、と嬉しそうに報告してきました」と教えていただいた。その人の発する言葉、仕草や表情、「言わない、しないこと」全てが情報だ。その子の意図が分かったのと同様に、その子も自分が見られていると汲み取ってくれたことは喜ばしいことである。大げさかもしれないが、生徒が何かに気付く瞬間に立ち会えているのだ。
2026.06.05Vol.95 「一期一会」のその先へ~其の二~(徳野)
cafe出町びぎんはつくづく不思議な場所である。店員が馴染みの客と雑談に興じる飲食店じたいはたまに見かける。しかしながら、店主と常連客、そして私のような新参者という組み合わせで食卓を囲むような喫茶空間は他になかなか無いのではないか。4月末に初めて足を踏み入れてからおよそ1か月後、今週の6月1日に久しぶりにお邪魔した。店内にはコーヒー休憩にやって来ているご近所さん達がほぼ常にいるのだが、店主のKさんは必ず、私をその人たちと同じテーブルに案内してくださる。偶然ご一緒したご近所さんの中には、青木悠さんの『京大生、出町にダイブ!』にも頻繁に登場する方々もいた。一読者として内心では「えっ、あの○○さんがここにいるの!?」と驚いたり、胸を躍らせたりしていたものの、当然ながら実際はお互い初対面である。相手の方のほうが気を遣って会話のきっかけを作ってくださるのだが、特に一度目の来店の際、私の振る舞いは痛々しいほどぎくしゃくとしていたはずだ。己の人見知り具合を後から振り返ってみると、ちょっと思い出すだけでも穴があったら入りたい気分になる。だが、しつこく何度でも書くが、私はとりわけプライベートでは「穴」にこもり、他者との交流を避けるような人生を送ってきた。それには後悔しか無い。だから、28歳が目前に迫る今、赤っ恥をかいたからといって逃げ続けてはいけないのだ。二度目のcafe出町びぎんへの訪問は、自分の中では「楽しい修行」という何だか矛盾した位置付けだった。
お店を再訪したのは「精神の鍛練」のためだけではない。純粋に、Kさんに直接お話ししたいこともあったからだ。初めてお会いした際、青木さんの本を通じて興味を持ったこと、そして、作文をカリキュラムの中心にした国語専門塾で働いていることを伝えたところ、Kさんが「私も悠ちゃんに触発されたのよ」と、ご自身で書かれた文章を途中まで朗読してくださったのだ。終盤に差し掛かった頃に別の来客があったため、メールでファイルを送っていただき、残りを自宅で拝読した。題材は「ルパン3世」を自称する元常連さんとの交流の日々だ。「元」なのは彼がすでにこの世にはいないからである。
ルパンさんはお店のすぐ近くにあるアパートに一人で暮らす初老の男性だった。(けっして悪名高き泥棒ではない。)野球と相撲の観戦や読書といった日々の娯楽はあれど、おそらく、社会から半ば孤立したような生活を長い間送っていたのだろう。そんなルパンさんにとって、社会福祉士の資格を持つKさんが切り盛りするcafe出町びぎんは食堂でもあり、他者との繋がりを取り戻せる場でもあった。日に3回、週に5日も食事に来ていた時があるというのだから、「居場所があること」がもたらす安心感がどれだけ人間の根幹に関わっているかを痛感させられる。「姉さん」と慕うKさんとたまに大喧嘩しつつも、彼女からの助言を聞き入れて身だしなみに気を配るようになり、地域のコミュニティに受け入れられていった。彼が身に纏う空気はどんどん朗らかになっていった様子が文面から伝わってくる。しばらくして、ルパンさんが養護施設に入所していたお母さまと一緒に故郷の青森に戻る決意をしたと言うので、お店では送別会の日程と参加者が決められた。寂しくはあるが、これから始まる新生活を応援しよう。誰もが前向きな気持ちで過ごしていた矢先、ルパンさんの突然の他界が発覚する。まさに青天の霹靂。そして、Kさんにさらなる衝撃を与えたのが、彼が無縁仏として供養されることになった事実である。だから、文章の題名は「遺体引取拒否」なのだ。ルパンさんとご家族の間にどのような確執があったのか、今となっては分からない。だが、本来なら弔ってくれるはずの親兄弟に拒絶されるというのは、あえて強い表現を使わせてもらうと「遺族の記憶に残されるべき存在になる」のを許されなかったことではないだろうか。独身で一人暮らしをしている私にとっても他人事とは言えない、悲しい最期である。
ルパンさんとそのご家族以外の者が干渉しえない事情がある中で、Kさんが綴った言葉は、亡き後の居場所を失ってしまったかのような彼が確かに生きていた証だ。ルパンさんを直接知らない私のような者は、本当の意味で彼を偲ぶことはできない。だが、文章を介して、その姿かたちや人柄を思い描くことで、弔いの輪の末席に(誠に勝手ながら)加わらせていただけたような気がしてきた。実は、読了した段階で感想文はまとめられていたのだが、「ただ返信するだけではいけないのではないか」という思いが湧いてきた。「身近な人の死」という普遍的なテーマに対して、電子メールでやり取りを完結させる形式は軽すぎる。あと、能天気な話をすると、その時点ではcafe出町びぎんのランチにありつけていなかったので、次こそ味わいたい、という気持ちも少なからずあった。
そして、二度目の訪問時。文章を共有してくださったことへのお礼を改めて伝えたところ、Kさんは私に「ルパンさんってどんな人だと思った?」と尋ねてきた。思いがけない質問に少し戸惑いつつ「愛嬌のある方だと感じました」と答えると、更に「どんなところが?」と聞かれたので、「初対面のKさんに向かっていきなり、『私はルパン3世だ。この店にめぼしいものはあるかな?』と言いながら登場したところですね。すごく寂しがりやだから冗談で人の気を引いてるような印象を受けました。」と、どぎまぎしながら返した。それを聞いたKさんは「寂しがりやな人、か」と呟いて、ほんの数秒ほど遠い目をした。その時の表情はどことなく、自分が探し求めているものはまだ見つかっていない、と語っているようにも見えた。あれだけ密に関わっていたKさんにとってでさえ、ルパンさんにはベールに包まれた部分がまだ沢山残っている存在なのだ。だからこそ、執筆を通して彼の人物像を改めて浮き彫りにしようとされたのだろうし、文字にする過程でご本人の中で「見えて」きた事もあった様子が窺えた。それと同時に、特に故人について考える、というのはゴールの無い、しかも幾つもの分かれ道がある旅路をずっと進むようなもの、いわゆるライフワークだ。これまた勝手な想像だが、Kさんはルパンさんのために、そしてご自身のためにも「旅」を続けていかれるような気がしている。
さて、話はがらりと変わって、高槻校でのことになる。研修中の学生講師によるレポート課題を少しだけ紹介させてほしい。以下が抜粋である。
感動や、感情、認知した事象全てを、余すことなく伝え切ることが可能な言語など、おそらくこの世界には一つもありません。しかし、それでも、私たちが一つの言葉を知り、十の表現を模索することに意味はあります。そのものまでとは叶わずとも、近い地点を表現することができるのなら、その為に努力することができるのなら、そこに意味がないはずがありません。
その時その場で紡ぎ出した言葉は、今の自分に出来る最善を尽くした結果である。また、そうなるように向き合うべきである。でも、いくら調べても考えても満足する域に到達できていない、と思わせてくれる何かを見つけることも大切だ。少しでも理解し表現するために読んだり、出かけたり、人に会ったり、そして書いたりする経験は、より良く生きる糧になるからだ。
2026.05.29社員のビジネス書紹介㉜
徳野のおすすめビジネス書
ピョートル・フェリクス・グジバチ 『年収が上がるマネジメントの法則 世界の一流は「部下」に何を教えているのか』 クロスメディア・パブリッシング
そもそも「マネジメント」とは何をすることを指すのか。私の場合、そこからのスタートである。芸能人のマネージャーの役割を断片的に見聞きして、業務の内容決定やスケジュール管理をしているイメージを持っていた程度だ。
筆者曰く、実は上記のような理解の曖昧さこそが我が国のビジネス界の課題であるという。「マネジメント」という概念は欧米由来のものだが、究極的には「同じ組織の仲間を外部でも通用するレベルにまで成長させること」だと定義付けられる。そのためには、特に部下に対しては相手の主体性や判断力を引き出すのが重要となってくるのだが、日本では上司が「細々とした具体的なスキルの伝達」か「感情的な鼓舞」をすることに留まっている場合が多い。年功序列と終身雇用の制度が常識だった頃であればまかり通っていただろうが、昨今においては若手社員の離職の遠因として問題視されるようになっている。時代の変化に対していわゆる中間管理職の人々も危機感を持ってはいてもどう手を打てば良いのかが分からない、というのが現状なのだ。
では、人材を育てるには何をすれば良いのか。最初にやるべきは「取り組みの目的」を明示することである。その際、各メンバーの働きが組織にもたらす利益だけでなく、プロジェクトを通して一人ひとりが伸ばせる知識・技能についてもやり取りすることが重要になってくる。なぜなら、個人にフォーカスすることで相手に「自分に注目してくれている」という安心感をもたらし、部下が相談事をしたり、自身の抱負を語ったりしやすい土壌が作られるからだ。要は、メンバーに「この人なら信頼できる」と思ってもらえるような振る舞いを心がけなくてはならない。そのためには、上司自身が仕事で成果を出すのは勿論のこと、職場での言動が周囲に与える影響を自覚する必要がある。例えば、会社の制度や上層部への愚痴を後輩や同僚にこぼす人がたまにいる。本人はコミュニケーションの一環のつもりでやっているのだろうが、聞いている側は「陰口を言う人物」という印象を受けて不信感の元になる恐れがある。
改めて思ったことだが、講師とマネージャーの役割は似ている。両方とも身近な他者の自立(および自律)を手助けするのが使命だ。ただ、研修の最中や終了直後の講師だと自分の指導への自信の無さから、生徒に対して手取足取りのやり取りを展開してしまおうとすることは珍しくない。(かく言う私自身、学生講師だった頃に経験済みだ。)場面に当たった際には、「先生として不安が沢山あるだろうけど、子どもたちの力を信じて考える余地を残してあげてください」と声掛けするようにしている。大人が適切な距離感を保った方が生徒は達成感を覚えやすくなるし、その姿を目の当たりにすれは、講師の中にはやりがいが生まれるからだ。
三浦のおすすめビジネス書
萩原雅裕 『「今日も仕事が終わらなかった」はなぜ起きるのか?』 ダイヤモンド社
行き当たりばったりで生きている。プライベートでも何でも、計画通りに物事を進めるのが得意ではなく、夏休みの宿題もぎりぎりまで溜め込んで、火事場の馬鹿力(というのもおこがましい)でどうにかしてしまうようなタイプだった。しかし、次第にそれでは済まなくなっていった。時間をかけても思うように進まず、予定通りにはいかないことがほとんどだ。
本書では、計画を立てる段階と実行する段階を明確に切り分ける、という方法について述べている。「作業に逃げない」という言葉が登場していたが、とにかく手を動かすのではなく、その前にゴールが何かを具体的にし、脳内で一度、仕事が終わるところまでシミュレートしておくことが重要だという。これが「計画」の段階だ。脳内ですら終わらない仕事に手をつけてしまっても、進んでは戻りで、結果的に進みは悪くなる。人はマルチタスクをできるようにはなっていないので、「考える」時間と「手を動かす」時間を行き来すればするほど、効率は下がっていく、というのだ。
だから初めのうちに徹底的に考えて、「あとは手を動かすだけ」という、作業に集中できる状況を高い精度で作り上げることが、結果的には効率的に仕事を進めるための近道になる。そして作業から離れざるを得ないときには、後の自分への引継ぎをメモでも何でもきちんと行っておけば、そのままの状態で再開することができる。この引継ぎの鍵として、アクション動詞、要するに「実際に手を動かす動詞」を用いることが重要だと述べていた。「〇〇について考える」ではなく、「〇〇に関連する△△について調べて箇条書きでまとめる」といったように、実際になにをすればいいのかが明確になると、考えなければならない時間が減るからだ。このアクション動詞の考え方は、初めの「計画を立てる」段階でも有用だ。ゴールや工程のぼんやりとしたイメージに具体的な形を与える。まさしく手を動かすより先に必要な作業だ。
本書を読みながら、自分の普段の作業について振り返っていた。文章を書いている時には、書きながらいろいろと考えて、ふと浮かんだ疑問を調べて、そういった「手を動かす」ことと「考える」ことが一体になっているような気もする。これを明確な切り替わりに感じたことはない。書くことと考えることは切っても切り離せないのだろう。
竹内のおすすめビジネス書
吉岡秀人 『最後の講義完全版 吉岡秀人 人のために生きることは自分のために生きること』 主婦の友社
※苗字の「吉」は、上部が「土」になる「つちよし」です
本書は、海外での医療支援活動を行うNGO「ジャパンハート」の設立者である岡秀人氏が出演したNHK番組を書籍化したものである。1995年にミャンマーで小児医療に関わり、日本でも小児科に勤務した後、先の組織を立ち上げ一人でも多くの子どもに医療を届ける取り組みを続けている。
軍事政権であるミャンマーでは国家予算の約1%しか医療費に充てられていないと言われている(日本は2023年時点で23%)。日雇いで得たお金をどうにか集めて遠い病院までやってきて、やっと1回注射を打ってもらえるというケアが珍しくない。それすら叶わないことも当然のようにある。衛生環境の悪さゆえに発育不良で生まれることとなる子どもも多い。救うことのできた命があるのはもちろんだが、力及ばなかった事例はそれ以上にあり、そういう経験をしてきた中で磨かれてきた岡氏の命に対する観念は、未熟な私にはまだすっと入ってこないところもある。
しかし、小児科医として子どもと向き合うことは、その周りにいる家族を支えることでもあるということについてはその通りだと思った。長くは生きられないことが明らかな時、残された時間をどうやって過ごすことで、たとえ短くてもその日々を「思い出したいもの」にできるのか。死が身近で、当たり前であるかのような環境の中で、「大事な存在だと伝える」ために最後まで力を尽くす。大事なのだと伝えられることは患者のエネルギーになり得るし、すべての人間にとって、大きな安心感になるはずだ。時には忘れてしまいがちなこのことを、きちんと伝えることは、子どもと関わる人間としての責務である。
2026.05.22Vol.94 流れゆく潮風(三浦)
海というものに漠然とした憧れがある。憧れがある割に、海を渡ることは滅多にない。
生まれも育ちも大阪。最寄り駅までは徒歩十分から十五分、阪急沿線なので梅田へも手軽に一本で出ることができる。高校までは公立だったので、小学校・中学校は徒歩通学だったし、高校はバスで一本だった。大学になり多少行動範囲は広がったものの、それでもずっと、生活は阪急沿線止まりだった。
何がいいたいかというと、私の中での交通手段とは、基本的に「電車」である、ということだ。大抵のことはそれで済んでしまうので、(そして運転への多大な苦手意識があるので、)車の免許は持っていない。自転車は近所の狭い道を走るには不安で、昨今の交通法の変化もあり、家に一輪置きっぱなしになっているだけだ。
前置きはここまでにして、時は四月の頭に遡る。前回書いたように、私はその時、家島を訪れていた。姫路港から船で三十分ほどの小さな島だ。姫路港では、小豆島に向かうフェリーの窓口を横目に自動発券機で券を購入した。実は昨年にも家島を訪ね、そこでの穏やかな時間の流れに感動して再訪することにしたのだが、一年の間に色々と事情が変わっていた。
まず、家島に向かうためのフェリーは二社が運航していたのだが、合併なのか新設なのか、一社のみの運行になっていた。そのため「去年と同じでいいだろう」と呑気に港に向かったところ、朝夕の混雑時以外はほぼ半分になっていた本数の影響で、三十分ほど待つことになった。そして到着後も、昨年にお世話になったカフェは閉店しておりショックを受けることになる。たった一年ではあるが、されど一年。三年前の時点でおよそ2,300人という人口は、やはり減少していくものなのだろう。それに伴って多くのものが縮小していくのは仕方のないことだ。仕方のないことではあるが、やはり、寂しい。
姫路から家島まで、当然のことながら、交通手段は上記の「船」一択である。あまり遠出をしない身なので、船には乗ったとしても観光遊覧船がほとんどだ。交通手段ではない。手段としての「船」というものを、私は今年、ようやく実感した。宿で美味しい食事をいただいた(島には漁師の方が多く、魚が絶品である)後、宿のお母さんが「明日の午後は船が出ないから、朝のうちに姫路に行かないとね」と、運行会社からのLINEを見せながら話してくれた。確かに予報では雨だったが、まさかそれほどとは到底思っていなかった。同行者と顔を見合わせてから、「なるべく早い方が安心ですよね」「中型船しか動かないから本数は少ないね」と話し合い、結局翌朝、もとの予定よりも数時間早く、姫路へ向かうことになってしまった。そして姫路に用があるらしいそのお母さんは、当日中は戻れないかもしれないからと、宿泊用の荷物を持って船に乗り込んでいた。
もう少し観光したい気持ちはあれど、自然のことなら仕方がない。そう、「自然だから仕方がない」という感覚を、私は滅多に味わったことがなかった。電車は多少の雨風であれば、仮に台風であっても問題なく動く。駅まで無事に着けさえすれば後は目的地まで、(人為的な問題が無ければ)間違いなく辿り着く。バスは渋滞が問題になることがほとんどで、それが自然由来なことは、そもそも少ない体験上でもめったにない。交通手段として浮かぶのは、ほかには飛行機だろうか。飛行機も自然に左右されるものだが、こちらも船のように十数年に一度乗るか乗らないかの非日常であること、そしていずれのフライトも問題なかったことから、やはり、実感は薄かった。ふと、釣りなどによく出ていれば、船の出る出ないは日常茶飯事なのだろう、とも思った。自然というものとほど遠い自分の生活を少し振り返るきっかけのひとつだ。
さて、行きの時間と帰りの時間、いずれもずれてしまったことにより、島の土産品である海苔と塩を買いそびれたまま姫路港に戻った。去年は姫路港の売店で追加のお土産を買ったのだが、なんと、その売店も去年のうちに閉店していたことをその時に知った。またほんの少しショックを受けつつ、港に併設されている「姫路みなとミュージアム」ではしゃぎつつ、雨でも定刻通りにやってきたバスに乗り込み、姫路駅へと戻ることにした。その後は、予定より早く向かったために、姫路城周辺を比較的スムーズに観光し、雨の降りしきる姫路市立動物園で眠たげにしているライオンを眺めることになる。
家島での観光客の移動手段は、主に自転車だった。宿にご厚意で貸してもらった自転車を乗り回しては海沿いを走り抜け、坂の下に停め、ほぼ山道のような坂を歩いて上っていく。頂上と思しき場所には桜が咲き誇る公園があり、眼前に広がる菜の花があり、見下ろせば海と合わさって美しい。道行く人は通りざまに声をかけてくれる。古き良き路地裏を行けば、それぞれの家の玄関に餌皿が置かれており、そこかしこで野良猫が自由に生活している。島内には学校がひとつあるばかりで少子化も進んでいるようだが、休みなことも相まって、子どもが外で家族と遊んでいる姿も見かけた。宿のお母さんも、近所の夫婦が働きに出ているときは、その子供をよく預かっているらしい。思い返せば昨年、チェックアウトの直前に、幼い子供が人見知りをしながら居間から顔を覗かせていた。
穏やかで、優しくて、良い場所だと思う。その印象は昨年から変わらない。
去年、宿のお母さんに「数万円で家を借りれるよ」と囁かれたことを思い出す。あの時から相場は変わっているのだろうか。夢の離島生活。いつの日か、と思って、はや一年。のんびりとした時間の中で、何かが確かに変わっていっている。悠長にしている暇はないのかもしれない。それは自然の流れ、なのだろうか。








