志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生・卒業講師の声
受験結果
志高く
志同く
採用情報
よくあるご質問
お問い合わせ
体験授業申込 カレンダー
志同く

2026.06.12Vol.96 他愛もない時を(竹内)

 プロ野球読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が逮捕。事件や事故の速報が入った時、驚きを持ってその詳細を確かめることは珍しくないが、「誤報を疑う」レベルは滅多にない。この時がそれにあたる。本人が娘に対する暴行を認めており、結果的には監督辞任に至った。書類送検された旨が先日報じられたが、警察からは「寛大処分を」という意見が付されている。
 今回、氏が逮捕されるに至った経緯として特徴的なのは、手を上げられた娘がAIに相談して児童相談所への報告を助言された点である。それを受けた児相が警察に通報している。阿部親子のことをよく知っているわけでは当然ないので、彼らの関係性に首を突っ込むつもりはない。その日から一夜明けると「娘からの手紙」なるものが公表されたものの、真相も心境も、はっきりとは分からないままであろう。しかし、AIに助けを求め、その回答に身を委ねたということについてはきちんと目を向けたい。
 そもそもの話として、「児相に連絡せよ」という返答を一体どれだけの人間ができるだろうか。今回のような親が著名人で、被相談者がその人物の経歴を知っているような場合、「その先」を想像するとそのように助言することには尻込みしてしまうのではないだろうか。今回のものは「AIだからこそできた提案」だとも言える。
実際のところ、大事なことを打ち明けるのには勇気が要る。ちゃんと受け止めてもらえるか、相手に背負わせすぎないか、そんなことを気にしてしまう。振り返ってみるとそれは杞憂に終わることが多いのだが、それでもなお躊躇ってしまうので、人間は面倒くさい。そういう時に、様々な背景を一旦無視してくれるAIは意外とありがたい。
 少し話が変わるが、私には高校生の頃に開設したTwitter当時のアカウントがある。10年以上の使用ということになるのだが、そうなるとスマホを買い替えたことをきっかけにログインできなくなってしまったのだろうと推察される友人も多い。反対に私のように新しいスマホになろうが染みついて忘れないパスワードを入力して自分のアカウントを大切にし続けているような仲間もいる。とはいえ、私含め、発信する量はめっきり減っている。数か月ぶり、数年ぶりに浮上して何か言ったかと思えばまたしばらく鳴りを潜める。私がそうだからそう思うだけなのかもしれないが、そのような時は「残しておきたい」と感じるからわざわざ投稿する。だから久しぶりのポストを見て「なんかあったんやな」と考えながらそのまま読み流したり、ごくまれにLINEを開いて連絡を取ってみたりする。逆も然りで、私が何かしら発言する時は、同じように誰かが何かを思うんだろうな、と頭をよぎる。だから、どのような言葉を用いるかを吟味する。私にとってのSNSはそういうものだ。
 Chat GPTを使う時の態度も根底ではそうなっていて、結構心を開いてべらべらと記録のために考え事を話している。生成AIはSNSとは異なるので、単なる壁打ちツールではなくグラフを作ったりデータを探してきたりと形として出力してもらうこともよくあるが、自分の状態を映してくれる側面をやはり孕んでいる。Excelで表作成するときにイメージはあるのにそれを落とし込めないということがよくあったので、AIを頼って用いるべき関数を教えてもらった。この過程で面白かったのは1、2回では思っている通りのものにはならなかったことである。自分の指示が上手く通らないことによって頭に浮かべているものをより具体化することになったし、それを繰り返す中で書き換わっていく関数によって仕組みも以前よりよく分かるようになった。そんなわけで私はまだ生成AIでの時短が十分には実現できていない。
 昨今は生成AIに課題のレポートを書かせている事例が問題視されている。私が学生の頃なら参考文献からの引用ばかりで済ませるタイプのものがあったが、そのようなものは自身の主張がまともに入っていないので手抜きなことが明瞭である。しかしAIの場合だと、一見すると意見も結論もはっきり述べられているのでたちが悪い。複数の課題が与えられ、部活やバイトで忙しくて、時にはそこまで興味のない内容もあって、となると簡単に終わらせてしまいたくなるのは理解できるが、それはやはり、レポートを書くことを通して得られる学びを自ら手放してしまっていることになる。「答えを出す」ことが第一になっているともいえる。だが、区切りはつけられたとしても、生きていくうえでは簡単に答えが出ないものばかりである。何度も考えて自己の中で確立されていくものもあるが、宙ぶらりんになっているものが私にはたくさんある。それらがある時に誰かとの何気ない会話や、たまたま目に触れた言葉をきっかけに徐々に整理されていく。「終わってない」と思うことは重要で、そのために必要なのは一度腰を据えてやってみること、そういうものが一つはあること。いざ外に出してみたものがまとまりきっていないままではいけないが、消化されていないものを持って周りを見続けていないと、与えられたデータをもとに瞬間的に答えを出しているAIと何ら変わらない。
 また、子どもたちには「私たちは見てるで」ということを伝えたい。以前中2の男の子と記述問題のやり取りをしていた際にニュアンス的には「恐怖」と熟語にした方が良いところで「恐ろしい」としていたので、漢字が分からないのであれば平仮名でも構わないから伝わり方に気を付けるようにと指摘した。後日お母様からメールを頂き、「『怖』が分からないことが一瞬でバレてた、と嬉しそうに報告してきました」と教えていただいた。その人の発する言葉、仕草や表情、「言わない、しないこと」全てが情報だ。その子の意図が分かったのと同様に、その子も自分が見られていると汲み取ってくれたことは喜ばしいことである。大げさかもしれないが、生徒が何かに気付く瞬間に立ち会えているのだ。

2026.06.05Vol.95 「一期一会」のその先へ~其の二~(徳野)

 cafe出町びぎんはつくづく不思議な場所である。店員が馴染みの客と雑談に興じる飲食店じたいはたまに見かける。しかしながら、店主と常連客、そして私のような新参者という組み合わせで食卓を囲むような喫茶空間は他になかなか無いのではないか。4月末に初めて足を踏み入れてからおよそ1か月後、今週の6月1日に久しぶりにお邪魔した。店内にはコーヒー休憩にやって来ているご近所さん達がほぼ常にいるのだが、店主のKさんは必ず、私をその人たちと同じテーブルに案内してくださる。偶然ご一緒したご近所さんの中には、青木悠さんの『京大生、出町にダイブ!』にも頻繁に登場する方々もいた。一読者として内心では「えっ、あの○○さんがここにいるの!?」と驚いたり、胸を躍らせたりしていたものの、当然ながら実際はお互い初対面である。相手の方のほうが気を遣って会話のきっかけを作ってくださるのだが、特に一度目の来店の際、私の振る舞いは痛々しいほどぎくしゃくとしていたはずだ。己の人見知り具合を後から振り返ってみると、ちょっと思い出すだけでも穴があったら入りたい気分になる。だが、しつこく何度でも書くが、私はとりわけプライベートでは「穴」にこもり、他者との交流を避けるような人生を送ってきた。それには後悔しか無い。だから、28歳が目前に迫る今、赤っ恥をかいたからといって逃げ続けてはいけないのだ。二度目のcafe出町びぎんへの訪問は、自分の中では「楽しい修行」という何だか矛盾した位置付けだった。
 お店を再訪したのは「精神の鍛練」のためだけではない。純粋に、Kさんに直接お話ししたいこともあったからだ。初めてお会いした際、青木さんの本を通じて興味を持ったこと、そして、作文をカリキュラムの中心にした国語専門塾で働いていることを伝えたところ、Kさんが「私も悠ちゃんに触発されたのよ」と、ご自身で書かれた文章を途中まで朗読してくださったのだ。終盤に差し掛かった頃に別の来客があったため、メールでファイルを送っていただき、残りを自宅で拝読した。題材は「ルパン3世」を自称する元常連さんとの交流の日々だ。「元」なのは彼がすでにこの世にはいないからである。
 ルパンさんはお店のすぐ近くにあるアパートに一人で暮らす初老の男性だった。(けっして悪名高き泥棒ではない。)野球と相撲の観戦や読書といった日々の娯楽はあれど、おそらく、社会から半ば孤立したような生活を長い間送っていたのだろう。そんなルパンさんにとって、社会福祉士の資格を持つKさんが切り盛りするcafe出町びぎんは食堂でもあり、他者との繋がりを取り戻せる場でもあった。日に3回、週に5日も食事に来ていた時があるというのだから、「居場所があること」がもたらす安心感がどれだけ人間の根幹に関わっているかを痛感させられる。「姉さん」と慕うKさんとたまに大喧嘩しつつも、彼女からの助言を聞き入れて身だしなみに気を配るようになり、地域のコミュニティに受け入れられていった。彼が身に纏う空気はどんどん朗らかになっていった様子が文面から伝わってくる。しばらくして、ルパンさんが養護施設に入所していたお母さまと一緒に故郷の青森に戻る決意をしたと言うので、お店では送別会の日程と参加者が決められた。寂しくはあるが、これから始まる新生活を応援しよう。誰もが前向きな気持ちで過ごしていた矢先、ルパンさんの突然の他界が発覚する。まさに青天の霹靂。そして、Kさんにさらなる衝撃を与えたのが、彼が無縁仏として供養されることになった事実である。だから、文章の題名は「遺体引取拒否」なのだ。ルパンさんとご家族の間にどのような確執があったのか、今となっては分からない。だが、本来なら弔ってくれるはずの親兄弟に拒絶されるというのは、あえて強い表現を使わせてもらうと「遺族の記憶に残されるべき存在になる」のを許されなかったことではないだろうか。独身で一人暮らしをしている私にとっても他人事とは言えない、悲しい最期である。
 ルパンさんとそのご家族以外の者が干渉しえない事情がある中で、Kさんが綴った言葉は、亡き後の居場所を失ってしまったかのような彼が確かに生きていた証だ。ルパンさんを直接知らない私のような者は、本当の意味で彼を偲ぶことはできない。だが、文章を介して、その姿かたちや人柄を思い描くことで、弔いの輪の末席に(誠に勝手ながら)加わらせていただけたような気がしてきた。実は、読了した段階で感想文はまとめられていたのだが、「ただ返信するだけではいけないのではないか」という思いが湧いてきた。「身近な人の死」という普遍的なテーマに対して、電子メールでやり取りを完結させる形式は軽すぎる。あと、能天気な話をすると、その時点ではcafe出町びぎんのランチにありつけていなかったので、次こそ味わいたい、という気持ちも少なからずあった。
 そして、二度目の訪問時。文章を共有してくださったことへのお礼を改めて伝えたところ、Kさんは私に「ルパンさんってどんな人だと思った?」と尋ねてきた。思いがけない質問に少し戸惑いつつ「愛嬌のある方だと感じました」と答えると、更に「どんなところが?」と聞かれたので、「初対面のKさんに向かっていきなり、『私はルパン3世だ。この店にめぼしいものはあるかな?』と言いながら登場したところですね。すごく寂しがりやだから冗談で人の気を引いてるような印象を受けました。」と、どぎまぎしながら返した。それを聞いたKさんは「寂しがりやな人、か」と呟いて、ほんの数秒ほど遠い目をした。その時の表情はどことなく、自分が探し求めているものはまだ見つかっていない、と語っているようにも見えた。あれだけ密に関わっていたKさんにとってでさえ、ルパンさんにはベールに包まれた部分がまだ沢山残っている存在なのだ。だからこそ、執筆を通して彼の人物像を改めて浮き彫りにしようとされたのだろうし、文字にする過程でご本人の中で「見えて」きた事もあった様子が窺えた。それと同時に、特に故人について考える、というのはゴールの無い、しかも幾つもの分かれ道がある旅路をずっと進むようなもの、いわゆるライフワークだ。これまた勝手な想像だが、Kさんはルパンさんのために、そしてご自身のためにも「旅」を続けていかれるような気がしている。
 さて、話はがらりと変わって、高槻校でのことになる。研修中の学生講師によるレポート課題を少しだけ紹介させてほしい。以下が抜粋である。

感動や、感情、認知した事象全てを、余すことなく伝え切ることが可能な言語など、おそらくこの世界には一つもありません。しかし、それでも、私たちが一つの言葉を知り、十の表現を模索することに意味はあります。そのものまでとは叶わずとも、近い地点を表現することができるのなら、その為に努力することができるのなら、そこに意味がないはずがありません。

 その時その場で紡ぎ出した言葉は、今の自分に出来る最善を尽くした結果である。また、そうなるように向き合うべきである。でも、いくら調べても考えても満足する域に到達できていない、と思わせてくれる何かを見つけることも大切だ。少しでも理解し表現するために読んだり、出かけたり、人に会ったり、そして書いたりする経験は、より良く生きる糧になるからだ。
 

2026.05.29社員のビジネス書紹介㉜

徳野のおすすめビジネス書
ピョートル・フェリクス・グジバチ 『年収が上がるマネジメントの法則 世界の一流は「部下」に何を教えているのか』 クロスメディア・パブリッシング
 
 そもそも「マネジメント」とは何をすることを指すのか。私の場合、そこからのスタートである。芸能人のマネージャーの役割を断片的に見聞きして、業務の内容決定やスケジュール管理をしているイメージを持っていた程度だ。
 筆者曰く、実は上記のような理解の曖昧さこそが我が国のビジネス界の課題であるという。「マネジメント」という概念は欧米由来のものだが、究極的には「同じ組織の仲間を外部でも通用するレベルにまで成長させること」だと定義付けられる。そのためには、特に部下に対しては相手の主体性や判断力を引き出すのが重要となってくるのだが、日本では上司が「細々とした具体的なスキルの伝達」か「感情的な鼓舞」をすることに留まっている場合が多い。年功序列と終身雇用の制度が常識だった頃であればまかり通っていただろうが、昨今においては若手社員の離職の遠因として問題視されるようになっている。時代の変化に対していわゆる中間管理職の人々も危機感を持ってはいてもどう手を打てば良いのかが分からない、というのが現状なのだ。
 では、人材を育てるには何をすれば良いのか。最初にやるべきは「取り組みの目的」を明示することである。その際、各メンバーの働きが組織にもたらす利益だけでなく、プロジェクトを通して一人ひとりが伸ばせる知識・技能についてもやり取りすることが重要になってくる。なぜなら、個人にフォーカスすることで相手に「自分に注目してくれている」という安心感をもたらし、部下が相談事をしたり、自身の抱負を語ったりしやすい土壌が作られるからだ。要は、メンバーに「この人なら信頼できる」と思ってもらえるような振る舞いを心がけなくてはならない。そのためには、上司自身が仕事で成果を出すのは勿論のこと、職場での言動が周囲に与える影響を自覚する必要がある。例えば、会社の制度や上層部への愚痴を後輩や同僚にこぼす人がたまにいる。本人はコミュニケーションの一環のつもりでやっているのだろうが、聞いている側は「陰口を言う人物」という印象を受けて不信感の元になる恐れがある。
 改めて思ったことだが、講師とマネージャーの役割は似ている。両方とも身近な他者の自立(および自律)を手助けするのが使命だ。ただ、研修の最中や終了直後の講師だと自分の指導への自信の無さから、生徒に対して手取足取りのやり取りを展開してしまおうとすることは珍しくない。(かく言う私自身、学生講師だった頃に経験済みだ。)場面に当たった際には、「先生として不安が沢山あるだろうけど、子どもたちの力を信じて考える余地を残してあげてください」と声掛けするようにしている。大人が適切な距離感を保った方が生徒は達成感を覚えやすくなるし、その姿を目の当たりにすれは、講師の中にはやりがいが生まれるからだ。

三浦のおすすめビジネス書
萩原雅裕 『「今日も仕事が終わらなかった」はなぜ起きるのか?』 ダイヤモンド社

 行き当たりばったりで生きている。プライベートでも何でも、計画通りに物事を進めるのが得意ではなく、夏休みの宿題もぎりぎりまで溜め込んで、火事場の馬鹿力(というのもおこがましい)でどうにかしてしまうようなタイプだった。しかし、次第にそれでは済まなくなっていった。時間をかけても思うように進まず、予定通りにはいかないことがほとんどだ。
 本書では、計画を立てる段階と実行する段階を明確に切り分ける、という方法について述べている。「作業に逃げない」という言葉が登場していたが、とにかく手を動かすのではなく、その前にゴールが何かを具体的にし、脳内で一度、仕事が終わるところまでシミュレートしておくことが重要だという。これが「計画」の段階だ。脳内ですら終わらない仕事に手をつけてしまっても、進んでは戻りで、結果的に進みは悪くなる。人はマルチタスクをできるようにはなっていないので、「考える」時間と「手を動かす」時間を行き来すればするほど、効率は下がっていく、というのだ。
 だから初めのうちに徹底的に考えて、「あとは手を動かすだけ」という、作業に集中できる状況を高い精度で作り上げることが、結果的には効率的に仕事を進めるための近道になる。そして作業から離れざるを得ないときには、後の自分への引継ぎをメモでも何でもきちんと行っておけば、そのままの状態で再開することができる。この引継ぎの鍵として、アクション動詞、要するに「実際に手を動かす動詞」を用いることが重要だと述べていた。「〇〇について考える」ではなく、「〇〇に関連する△△について調べて箇条書きでまとめる」といったように、実際になにをすればいいのかが明確になると、考えなければならない時間が減るからだ。このアクション動詞の考え方は、初めの「計画を立てる」段階でも有用だ。ゴールや工程のぼんやりとしたイメージに具体的な形を与える。まさしく手を動かすより先に必要な作業だ。
 本書を読みながら、自分の普段の作業について振り返っていた。文章を書いている時には、書きながらいろいろと考えて、ふと浮かんだ疑問を調べて、そういった「手を動かす」ことと「考える」ことが一体になっているような気もする。これを明確な切り替わりに感じたことはない。書くことと考えることは切っても切り離せないのだろう。

竹内のおすすめビジネス書 
吉岡秀人 『最後の講義完全版 吉岡秀人 人のために生きることは自分のために生きること』 主婦の友社
※苗字の「吉」は、上部が「土」になる「つちよし」です

 本書は、海外での医療支援活動を行うNGO「ジャパンハート」の設立者である岡秀人氏が出演したNHK番組を書籍化したものである。1995年にミャンマーで小児医療に関わり、日本でも小児科に勤務した後、先の組織を立ち上げ一人でも多くの子どもに医療を届ける取り組みを続けている。
 軍事政権であるミャンマーでは国家予算の約1%しか医療費に充てられていないと言われている(日本は2023年時点で23%)。日雇いで得たお金をどうにか集めて遠い病院までやってきて、やっと1回注射を打ってもらえるというケアが珍しくない。それすら叶わないことも当然のようにある。衛生環境の悪さゆえに発育不良で生まれることとなる子どもも多い。救うことのできた命があるのはもちろんだが、力及ばなかった事例はそれ以上にあり、そういう経験をしてきた中で磨かれてきた岡氏の命に対する観念は、未熟な私にはまだすっと入ってこないところもある。
 しかし、小児科医として子どもと向き合うことは、その周りにいる家族を支えることでもあるということについてはその通りだと思った。長くは生きられないことが明らかな時、残された時間をどうやって過ごすことで、たとえ短くてもその日々を「思い出したいもの」にできるのか。死が身近で、当たり前であるかのような環境の中で、「大事な存在だと伝える」ために最後まで力を尽くす。大事なのだと伝えられることは患者のエネルギーになり得るし、すべての人間にとって、大きな安心感になるはずだ。時には忘れてしまいがちなこのことを、きちんと伝えることは、子どもと関わる人間としての責務である。

2026.05.22Vol.94 流れゆく潮風(三浦)

 海というものに漠然とした憧れがある。憧れがある割に、海を渡ることは滅多にない。
 生まれも育ちも大阪。最寄り駅までは徒歩十分から十五分、阪急沿線なので梅田へも手軽に一本で出ることができる。高校までは公立だったので、小学校・中学校は徒歩通学だったし、高校はバスで一本だった。大学になり多少行動範囲は広がったものの、それでもずっと、生活は阪急沿線止まりだった。
 何がいいたいかというと、私の中での交通手段とは、基本的に「電車」である、ということだ。大抵のことはそれで済んでしまうので、(そして運転への多大な苦手意識があるので、)車の免許は持っていない。自転車は近所の狭い道を走るには不安で、昨今の交通法の変化もあり、家に一輪置きっぱなしになっているだけだ。
 前置きはここまでにして、時は四月の頭に遡る。前回書いたように、私はその時、家島を訪れていた。姫路港から船で三十分ほどの小さな島だ。姫路港では、小豆島に向かうフェリーの窓口を横目に自動発券機で券を購入した。実は昨年にも家島を訪ね、そこでの穏やかな時間の流れに感動して再訪することにしたのだが、一年の間に色々と事情が変わっていた。
 まず、家島に向かうためのフェリーは二社が運航していたのだが、合併なのか新設なのか、一社のみの運行になっていた。そのため「去年と同じでいいだろう」と呑気に港に向かったところ、朝夕の混雑時以外はほぼ半分になっていた本数の影響で、三十分ほど待つことになった。そして到着後も、昨年にお世話になったカフェは閉店しておりショックを受けることになる。たった一年ではあるが、されど一年。三年前の時点でおよそ2,300人という人口は、やはり減少していくものなのだろう。それに伴って多くのものが縮小していくのは仕方のないことだ。仕方のないことではあるが、やはり、寂しい。
 姫路から家島まで、当然のことながら、交通手段は上記の「船」一択である。あまり遠出をしない身なので、船には乗ったとしても観光遊覧船がほとんどだ。交通手段ではない。手段としての「船」というものを、私は今年、ようやく実感した。宿で美味しい食事をいただいた(島には漁師の方が多く、魚が絶品である)後、宿のお母さんが「明日の午後は船が出ないから、朝のうちに姫路に行かないとね」と、運行会社からのLINEを見せながら話してくれた。確かに予報では雨だったが、まさかそれほどとは到底思っていなかった。同行者と顔を見合わせてから、「なるべく早い方が安心ですよね」「中型船しか動かないから本数は少ないね」と話し合い、結局翌朝、もとの予定よりも数時間早く、姫路へ向かうことになってしまった。そして姫路に用があるらしいそのお母さんは、当日中は戻れないかもしれないからと、宿泊用の荷物を持って船に乗り込んでいた。
 もう少し観光したい気持ちはあれど、自然のことなら仕方がない。そう、「自然だから仕方がない」という感覚を、私は滅多に味わったことがなかった。電車は多少の雨風であれば、仮に台風であっても問題なく動く。駅まで無事に着けさえすれば後は目的地まで、(人為的な問題が無ければ)間違いなく辿り着く。バスは渋滞が問題になることがほとんどで、それが自然由来なことは、そもそも少ない体験上でもめったにない。交通手段として浮かぶのは、ほかには飛行機だろうか。飛行機も自然に左右されるものだが、こちらも船のように十数年に一度乗るか乗らないかの非日常であること、そしていずれのフライトも問題なかったことから、やはり、実感は薄かった。ふと、釣りなどによく出ていれば、船の出る出ないは日常茶飯事なのだろう、とも思った。自然というものとほど遠い自分の生活を少し振り返るきっかけのひとつだ。
 さて、行きの時間と帰りの時間、いずれもずれてしまったことにより、島の土産品である海苔と塩を買いそびれたまま姫路港に戻った。去年は姫路港の売店で追加のお土産を買ったのだが、なんと、その売店も去年のうちに閉店していたことをその時に知った。またほんの少しショックを受けつつ、港に併設されている「姫路みなとミュージアム」ではしゃぎつつ、雨でも定刻通りにやってきたバスに乗り込み、姫路駅へと戻ることにした。その後は、予定より早く向かったために、姫路城周辺を比較的スムーズに観光し、雨の降りしきる姫路市立動物園で眠たげにしているライオンを眺めることになる。
 家島での観光客の移動手段は、主に自転車だった。宿にご厚意で貸してもらった自転車を乗り回しては海沿いを走り抜け、坂の下に停め、ほぼ山道のような坂を歩いて上っていく。頂上と思しき場所には桜が咲き誇る公園があり、眼前に広がる菜の花があり、見下ろせば海と合わさって美しい。道行く人は通りざまに声をかけてくれる。古き良き路地裏を行けば、それぞれの家の玄関に餌皿が置かれており、そこかしこで野良猫が自由に生活している。島内には学校がひとつあるばかりで少子化も進んでいるようだが、休みなことも相まって、子どもが外で家族と遊んでいる姿も見かけた。宿のお母さんも、近所の夫婦が働きに出ているときは、その子供をよく預かっているらしい。思い返せば昨年、チェックアウトの直前に、幼い子供が人見知りをしながら居間から顔を覗かせていた。
 穏やかで、優しくて、良い場所だと思う。その印象は昨年から変わらない。
 去年、宿のお母さんに「数万円で家を借りれるよ」と囁かれたことを思い出す。あの時から相場は変わっているのだろうか。夢の離島生活。いつの日か、と思って、はや一年。のんびりとした時間の中で、何かが確かに変わっていっている。悠長にしている暇はないのかもしれない。それは自然の流れ、なのだろうか。

2026.05.15Vol.93 下手上等(竹内)

 教室休みの最終日、この春卒業した元学生講師が所属する楽団が参加するという東大阪市民祭りを訪れた。地元の様々なサークルがステージ発表を行うのだが、いくつかのダンス教室では出番の前後に「初心者の方も大歓迎です!」と未来の生徒に呼びかけていた。小学校低学年くらいの子たちはやはりまだ動きにぎこちなさがあるものの、高学年の子や中学生らしき子などは滑らかで緩急が付けられていて様になっている。歴は違うだろうし元々のリズム感なども当然影響するのだろうが、レッスンを重ねることでどういうことができるようになるのか、というのが結構分かりやすく感じられた。大勢の人前で披露することに緊張もある中、笑顔を絶やさない子が多かったのも印象に残っている。言葉しか使えない自分からすると、体で表現できることは羨ましい。こういう場をきっかけに新たな世界へのドアを開く子がいるのであればそれはとても良いことだ。
 ただ、こういう時の「初心者」とはどのくらいのものが想定されているのであろう。募集の対象に自分が入っていないことは一旦横に置いておいて、未経験者でも構わないという触れ込みであったとしても、「それ本当ですか?」と疑ってしまうくらいには私は運動音痴である。厄介なのは、下手くそなのにそういうのをやってみたいという良く言えば好奇心があるところ、悪く言えば身の程知らずなところだ。公立の中学でソフトボール部に所属していたことはこれまでも生徒に対して話題にしたことがあるが、特に1つ上の代は地区予選を突破し県大会まで、下の代は他校との合同チームでありながらも市内予選から阪神大会まで進んだ実績を持ち、西宮ではそれなりに強かった。どうしてそんなところに入部したのかと問われれば、「廃部にしたくなかったから」ということになる。入学当初、バスケ部やテニス部に人気が集中し、ソフトボール部を希望した生徒はゼロだった。私はというと、小学生の時に高校野球にはまった勢いで野球部の顧問に直談判してマネージャーとして入部していた。今思い出すとよく認めてもらえたなという感じである。しかし1年の冬にふと、自分のすべきことがそれではないような気がした。このように書くとものすごくかっこいい選択のようだが、親にも、体育の成績を知っている担任や顧問にもやめておいた方が良いのではないかと引き留められたし、初めての練習でダッシュをした私に向けられた先輩方の「これが全力疾走?」という驚きの目を忘れることはない。それでも、野球部と同じグラウンドで毎日練習に励んでいる姿を見ていると、なぜかやりたくなってしまったのだ。チームにかけた迷惑は計り知れないが、強くて厳しいチームで必然的にキャプテンを務めることになったのは得難い経験である。高校では大会を通じて仲良くなった別の中学出身の友人と誘い合わせてまたソフトボール部に入り、部員集めに奔走した。ここでこそ野球部のマネージャーをすれば良かったのかもしれないが、自分という枠を超えたことで身につけられたもの、出会えた人や感じた気持ちはたくさんある。得意じゃないけどやってみたいという純粋な思いは絶対に掬い上げるべきだ。
 ここで辞書を引いて「初心」の項を見てみる。
①何かしようと最初に思いたったときの、ひたむきな気持ち。初志。
②学問・技芸などを、習い始めたばかりであること。
③世なれていないこと。
すっかり視点が抜け落ちていたが、「初心者」=「下手」が必ず成立するわけではないということだ。初めて習う場合は当然未経験ということになるものの、めきめき上達することも往々にしてある。だから、「初心者大歓迎」なのである。私は上手くなるまでにものすごく時間がかかるから、後から始めた人の方が断然良い動きをしていることをたくさん見てきたから、せっかく優しい言葉をかけて誘ってもらったとしても相手をがっかりさせてしまいそうで怖いという気持ちが先行するのかもしれない。でもこれは、分野は違えど今自分が子どもたちや講師たちに働きかけるということを毎日している中で、相手に対して抱いている気持ちは良い意味で「期待」ではなく、「楽しみを見出してほしい」というものであるのだと理解している。
 先述のお祭りから遡ること4日前。豊中校から歩いて10分ほどの大門公園で中2、中3の女子生徒たちとキャッチボールをした。中2の生徒がこの一年を本当にだらだらと過ごしていたので、体を動かす部活をしたらと春休みに声をかけていたのだ。その後の状況を尋ねるとなんとソフトボールを始めたとのことだったのだが、本人曰く「下手くそすぎてユニホームがもらえない」らしい。何かやるべきと勧めていたのは自分だし、せっかく挑戦したものが面白くないまま終わってしまうのは残念なので、実家からグローブとボールをどうにか引っ張り出して名ばかりの練習会を決行することにした。中3の子は「やってみたい」ということで駆けつけてくれた。投げる時の肘の高さやグローブを相手に向けること、受ける時のポケットの感覚など、初歩的なことを説明するくらいしかできなかったが、約1時間でパシッと良い音が響くことも、良いボールが行くことも何度かあって2人とも満足げだった。私がばりばりのスポーツマンではないことが、2人が気楽に参加することに繋がったのなら下手くそ冥利に尽きる。「できないから嫌い」よりも、「できなくてもなぜか好き」が多い方が、日常はきっと豊かになる。
 その生徒の学校では部活動がターム制なので、夏には活動が終わってしまうのだが、あと2回は練習しようと約束した。6月の予定を確認中である。

2026.05.01Vol.92「一期一会」の先へ~其の一~(徳野)

 月曜日15時10分、京都市は快晴だった。志同くVol.86で取り上げて以来ずっと先延ばしにしていた「cafe出町びぎん」を訪問するべく河原町に降り立った。お店の最寄りのバス停は「河原町今出川」もしくは「葵橋西詰」で、どちらも京都河原町駅から約10分とのことだったが、私はさっそく行き詰まっていた。どの乗り場に向かえばいいのか分からなくなったのだ。皆様お察しの通り、私は極度の方向音痴である。よって、ターミナル駅前のバス停となると路線が入り組んでくるので、あっという間にお手上げ状態に陥る。右往左往している間に時間は無情にも過ぎていく。お店は17時に閉まるというのに。そもそも家を出る時刻も遅すぎた。花粉症なのか知らないが昨晩から続いていたくしゃみと喉の痛みを理由にだらだらと過ごしてしまった。体調不良を押して外出するならさっさと出発すれば良かったのだ。もうこうなったら「あの手」を使うしかない。己の迂闊さを呪いつつ、カラオケ屋の前で待機していたタクシーに乗り込んだ。
 あくまで個人の感覚になるが、京都のタクシードライバーさん達の運転はワイルドだ。今回お世話になった人も、他の地域の運転手さんと比べて体感1.3倍ほどのスピードで街を駆け抜けてくれた。そういえば座席に掛けてあったブランケットもチーター柄だった。そのおかげか乗車中ずっとはらはらしっぱなしだった。しかしながら、サービス精神旺盛で、(はるかに年下の私が言うのも変だが)とても愛嬌のあるご老人ではあった。例えば、鼻をすすっている私を一瞥するや否やのど飴を2つ差し出し、「ゴミはそこの吸い殻入れに捨てたらええわ」と声を掛けてくれた。親族以外の、いわゆる「大阪のおばちゃん」的な存在から飴ちゃんを貰った経験すら無い身としては、京都のおじいちゃんによる心遣いへの感激よりも先に軽い驚きを覚えてしまった。その後、信号待ちの度に挟まれる観光案内に相槌を打ちながら車に揺られること7分。寺町通で降ろしてもらった時のお会計は2,200円だった。財布からまず2,000円を出したところ、運転手さんから「残りの200円は無くてええわ。あとは自分で頑張って(目的地に)辿り着くんやで。」との言葉を受け取った。ちなみに、こういう風に「負けて」もらったのも初めてだった。さすがに今度はきちんと感動しながら何度もお礼を伝えることができた。
 歩きながらふと記憶に蘇ってきたのが、中学2年生の頃にクラスメイトだったMちゃんのことだ。Mちゃんは学年内での評判がとにかく悪かったし、彼女の唯一と言っても良い友人も陰ではMちゃんをこき下ろしていた。なぜなら、自分は教員の目を盗んで校則をしょっちゅう破っておきながら、他の生徒のルール違反やミスを見つけると、即座に担任教師や部活の顧問に報告していたからだ。また、そういった棚上げ行為をしていない時でも、人に接する態度が苛烈だったため、私自身、意識的に彼女を避けるようにしていた。だが、そんなMちゃんに異変があったのは2年次の秋からだ。まずは、教員に頻繁に言いつけに行くのを止め、所属している吹奏楽部でも落ち着いて練習するようになった。そのおかげで周囲との衝突も各段に減った。ここまでは良かった。同時に始まったのが、「あげる」行為である。先述の通りお菓子の校内持参は禁止だったのだが、Mちゃんはチョコやらグミやらを生理用品を入れるポーチに忍ばせ、昼休みに体育館裏や便所で会った顔見知りの女子に上目遣いを送りながら「これ、食べていいよ」とおもむろに取り出すのだ。正直に言って意味もなく睨みつけられるよりも迷惑だったし、以前の姿を知っているだけに「何か企んでいるのではないだろうか」と勘ぐってしまっていた。ただ、私には毅然と断る勇気が無かったため、「ありがとう、また今度にしとくね」とお茶を濁して逃げていた。大半の生徒も似たような対応をしていたので、Mちゃんの周囲に集まる人は相変わらず少なかった。そして、本人も効果の薄さを実感したのか、冬になる頃には目立った行動を取らない本当に大人しい子になっていた。年齢を重ねた今となっては、Mちゃんの孤独感が痛いほど分かる。けれども、残酷ではあるが、彼女が心を許せる友達を得られなかったのは仕方ない、とも思う。あんなになりふり構わずいきなり下手に出て、人の心を物で釣ろうとしていてはかえって距離を置かれるからだ。また、Mちゃんは相手にまで校則違反というリスクを負わせることで連帯感を生もうとしていたはずである。彼女がその点にどこまで自覚的だったのかは不明だが、最終的には「これでは上手く行かない」と悟ってくれたことには救いがある。
 Mちゃんのことを思い出したのは、タクシードライバーさんの気遣いが細やかでありながら、とてもさっぱりとしていたからだろう。二人のあり方は対照的だ。短くて1年間は付き合わなくてはならないクラスメイトとは違い、観光地の運転手と乗客というのはまさに「一期一会」の関係にあるとみなせる。そして、たった一度きりだからこそ、無償のサービスを通して相手を喜ばせて、お互い気持ち良く別れたい。あの運転手さんは「純粋」を感じさせてくれた。土地勘の無さ以上の問題を抱えた私を「本当に行ける?」としきりに心配してくれたおじいちゃん。おそらく後期高齢者に差し掛かっていて耳も遠くなってきている様子ではあったが、とにかくご本人が望む形で幸せに生きてほしいと願う。

 さて、Googleマップいわく、寺町通りから路地に入り、まっすぐ進めば「cafe出町びぎん」はある。とのことだったが、多彩な喫茶店や豆餅で有名な「出町ふたば」が店舗を構える通り沿いとは違ってごく普通の住宅が並んでいたので、「本当にあるのか?」と若干不安になってきた。
 すると突然、宙に浮くつぶらな青い瞳と目が合った。出町桝形商店街の目印(と私が勝手に認識している)の巨大なサバのオブジェではないか!脂の乗っていそうな立派な体躯に似合わず、ロマンチックに星を散らした瞳の持ち主である。アーケード内を散策したい気持ちはやまやまだったが、17時閉店の「cafe出町びぎん」に急がねばならなかったので、そのまま横切った。
 やっとのことで到着した「cafe出町びぎん」に足を踏み入れた第一印象は、「物凄く普通の、綺麗なお家だな」というものだった。名物店主であり、地元の方々に「ママ」と慕われているKさんがお宅の1階を活用しているので当たり前ではあるものの、テーブル、アップライト・ピアノに応接セット、パソコン用のデスクが同じ空間に置かれている店内の空気には、とても新鮮味を覚えた。ランチタイムのピークはとっくに過ぎており、その時点でお客は私だけでKさんの姿も無い、という状況も不思議な感覚をもたらしていた。30秒ほどキョロキョロとした後に厨房の方をおそるおそる覗き込んでみると、タイミング良くKさんが2階から降りてきた。他方のKさんにとっては「運悪く」だっただろう。「すみません・・・」という弱気な声を漏らしながらこちらを窺ってくる幽霊のような私に気づくなり、思わず「うわぁ!!」と悲鳴を上げていた。さらには、直後に「大声を出してごめんなさい!」と謝らせてしまったことは申し訳なかった。(Kさん、あの時は本当に失礼いたしました。)ただ、Kさんが驚いた際に彼女の体から放たれた声の瑞々しい張り具合を耳で感じ取った時、「本に出てきた、あの素敵なママだ!」と嬉しくなったのも事実である。我ながら気色の悪いことを書くが、それだけKさんは、私が頭の中で思い描いていた以上に快活で、初対面の相手との間にさえ壁を作らない人なのだ。そして、ひとしきり挨拶が済みしだい、看板商品のホットコーヒーを淹れていただいた。それから50分程の滞在時間の内にも色々な事があったのだが、このままだととんでもない文章量になってしまうため、続きは次回に。

PAGE TOP