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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.06.13Vol.60 ひとさらい、とくちから(高槻校・有田)

 意見作文の教材の中に、詩人・斎藤倫さんの著作からの出題がある。詩歌に興味のある私は図書館でこの本を手に取り、まず奥付を読んだ。すると、作者についての紹介文「また、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)に編集委員として関わる。」が、目に飛び込んできたのだった。笹井さんだ!またこの名前に会うことができた。しかしその喜びには、常に、切ない気持ちが入り混じる。
 笹井さんと私は直接の親交があった。とはいえ、対面したことも声を聞いたこともない。ネット上での短歌仲間として、主にメールでやり取りしていたのだ。彼の歌は、透明感と儚さ、平易なのに捉え切れない言葉遣いが際立っていた。本人は「自然と短歌を書いている」と述べていたが、その自然さが唯一無二なのである。ミュージシャンで言えば、スピッツの草野マサムネさんや、サカナクションの山口一郎さんの歌詞から受ける印象と通じるところがある。
 第一歌集を出版するという連絡をもらったのは、彼が結社(=歌人としての公式な所属先)に入ってしばらく経った二〇〇七年の秋だった。詩歌を得意とする出版社ではなく、簡単なオンデマンドサービスを用いて出版することにしたという。個別の注文を受けてから、その都度、印刷・製本して発送するスタイルだ。つまり、在庫なしの受注生産。しかも、紙質や表紙絵も簡素なタイプにしておいたというのだから、知らされた私は意外だった。ビニール保護付きハードカバー製本とはいかなくても、もうちょっと自由にしてもいいんじゃないの、と不思議に思ったのだ。初めて世に出す自分の本なら、それをより良くデザインしたいという欲求が生じるのは当然だし、その過程であれこれ迷う経験は作者に与えられる特別な愉悦だからだ。ちなみに、いわゆる短歌集と呼ばれる本の装丁は、他者の講評を掲載した別紙を栞として挟んだり、歌人某氏の選んだ一首と短い評を並べた帯を付けたりするのが一般的である。しかしともかく、笹井さんは、それらを全てナシにしたらしい。かくして、翌年の一月二十五日に第一歌集は発行された。
 その出来立ての『歌集 ひとさらい』を両手に持ってみた途端、私は先の憶測が単純すぎたことに気付かされた。これは笹井さんの素顔だ。白いつるんとした表紙に、ダークブラウンの歩きやすそうな紐靴のイラストが小さくプリントされた、軽やかなたたずまい。収められた短歌作品には今までの歌会に提出してくれたものも多かったので、読み進めると、同じ時間を過ごしてきた実感が伴ってきて、しみじみと嬉しかった。ご本人は、読了した仲間たちに対して、「ありがとう。初めての歌集を、読みたいと言ってくださるひとりひとりの方のためにだけ、送り出したかったんです。お店に置いて待つのではなく」という意味の返信を、メーリングリストに送ってくれた。
 この歌集は話題を呼び、笹井さんは有名になっていった。依頼を受けて作歌活動をする機会も得た。十代前半から重い身体性障害を抱えていた彼は、学校に行くこともままならず、自宅療養を余儀なくされていた。だから、周囲のサポートがあったとはいえ、その手のやり取りには負荷を感じることもあっただろう。しかし彼は短歌を詠み続けた。また、かなり保守的な短歌の世界において、彼が相当に稀有な歓迎を受けていたことは事実だった。大物歌人と呼ばれる人や作家ら(特に川上未映子さん)も称賛していたし、彼に触発されて短歌を始める人も少なからずいた。
 そうした大波の只中にあっても、笹井さんは私たちの歌会には時おり参加してくれていた。おそらく気楽な居場所のひとつには成り得ていたのだろう。今回のお題は難しかったとか、味の染みた高野豆腐が好物だとか、さりげなく添え書きしてあった。彼の囲み記事が新聞に掲載された九月の朝、同じページの短歌投稿欄に私の歌が入選していたこともあった。その内容から私が第二子を妊娠したと理解した彼は、その日のうちに、「あ、有田さんだ!って、自分の記事よりも先に見つけたんですよ。お身体ご自愛ください」とメールをくれた。つくづく欲のない人だと苦笑いしながら、「お互い元気でいましょうね」と、お礼と共に軽く返信をした記憶がある。
 しかし、その四ヶ月後、訃報が駆け巡った。笹井さんは、ご病気のために突如この世を去ってしまったのだ。偶然にも歌集が発行されたちょうど一年後、真冬の早朝のことだった。享年二十六歳。単なるネット上の繋がりしか持たない私たちは、驚きと悲しみの中でそれぞれご冥福を祈り、彼の短歌を読み返すことしかできなかった。更にその時、私は出産予定日を十日後に控えていた。
 彼の夭折は大きな衝撃を持って受け止められ、すぐに所属結社を主体とした新たな歌集が出版された。その反響を受けてテレビ番組が放送された。そして数年後には彼の名を冠した短歌賞も創設された。私は、そういった出来事に触れるたび、もう二度と彼の新たな言葉は生まれてこないのだと思い知らされた。
 彼の歌を次に挙げる。二首とも、作者自身が本に収めると決めた歌である。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい    笹井宏之

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ  同

(以上、『歌集 ひとさらい』より抜粋。著者・笹井宏之、2008年1月25日発行、企画・発売元BookPark)

 一首目は、繰り返し音読するうちに、「えーえん、と口から」(泣き声が次々に出てくること)と、「永遠を解く力」との二つの音を重ね合わせてあるということが分かってくる。「永遠を解く」とは、限りある命しか持たない人間にはかなわないことが多い、ということを意味するらしい。この本の題名についても同様に、「ひととおり、おさらいする」という内省を促す言葉の裏に、「人を攫う」という暴力的な意味合いが隠されている。短歌の力で誰かに影響を与えることもできる、という彼の主張の表出ではないだろうか。
 そして二首目は、私の特に好きな歌だ。人物の力量について「あの人は器が大きい」といった言い方をするが、この歌は容量よりも中身の質について述べており、「空虚な人と、満ち足りた人と、隙間を埋めようとしている人」という意味だと捉えている。以上は私的な解釈に過ぎず、的外れかもしれない。しかし私はほぼ常に隙間を埋めようとする人であり、「では今どうするべきか」を問い続ける勇気をもらっている。正解が変わり続ける世の中で、これからも生きていくのだから。
 次女が小学校高学年になる頃に、初めて、笹井さんはあなたの存在を確かに知っていたのだと話した。すると次女は「大事な友達なんだね」と返してきた。そのとおりだ。アマゾンの年間書籍販売額の中で、短歌関連書籍の割合は0.5%弱だと知人から教わったことを思い出した。レアなジャンルを好む者同士で知り合えて良かった。
 あの冬からもう十六年以上が過ぎた。笹井さんも、短歌という表現方法も、私にとって変わらない大事な友達である。

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