
2025.09.30Vol.704 ベトナム旅行記(ぜんぺん)
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空港ターミナルビルから一歩踏み出してみた。外の、成田の空気を吸ってみたくなったからだ。時間にしてわずか1, 2分のことである。夙川で生まれ育ち、父の転勤で成田に引っ越すこととなり、幼稚園の年中から小1の2学期が終わるまでの約3年間を過ごした。その間、東京ディズニーランドができ、初年度に家族で行った。父がスペースマウンテンで嬉しそうに大きな声を上げていたこと以外は何も覚えていない。子供心ながらに恥ずかしかったのか、それとも怖がっている私の傍で余裕の父に対してある種の尊敬の念のようなものを抱いたのか、それもよく分からない。小4の頃、当時の友達に会うために一度遊びに来たので40年弱ぶりに戻ってきたことになる。
いつもと同じように書き出した。「何の話をしてるのだろうか?」と思いつつ読み進めてもらうと、「ああ、そういう話だったのか」と疑問が解消されるという書き方である。私はこのスタイルを好む。当初の予定ではホーチミン滞在中にプールサイドでこの文章を書き上げる予定にしていたのだが全く進まず(そもそもプールにいたのは初日の午前中だけであった)、ならば帰りのホーチミンから成田への6時間のフライト中に、となったものの一度もPCを開けず、トランジットの時間を利用してようやく冒頭の段落に手を付け、早くも機中の人となった。その雲の上にいる間に、今回はいつもと逆にしてみよう、となった。つまり、結論を先に述べるということである。
まずはタイトルについて。今回のように1回でまとめきれないときは、「(前編)」と後ろに付けることを慣例にして来たのだが、後編に手付かずのものも少なくない。1週間の内に別のことに興味が移ってしまうからだ。そこで思い付いたのがこれ。ひらがな表記にすることで「前編」、「全編」のどちらにもなりうるのだ。人からしたら大したことが無くても、こういう小さな閃きというのはそれなりの満足感が得られる。
さて本題。旅行中、私の頭にはいくつかのキーワードがあった。思い付くままに3つ挙げれば「ルール」、「リープフロッグ現象」、「非日常」となる。まずは「ルール」から。旅行者がきっと一番分かりやすく違いを感じるのが交通ルールである。何も異国の地に限ったことではない。沖縄では田舎の空いている道路でものんびりと走っていたりするし、逆に北海道では飛ばす車が多いのでスピードを出さない地元の人は側道に一旦停止して道を譲ったりする。ベトナムに話を戻す。とにかくバイクが多い。もちろん、そのような映像はテレビなどで目にして来たのだが、知っていることと肌で感じることには大きな隔たりがある。たくさん走っているというよりかは、眺めていると虫がうじゃうじゃと湧き出てくるような感覚である。日本では歩行者優先なのだがそうではない。彼らには一旦停止という概念自体が無いのではないだろうか。たとえば右折する場合(日本では常時左折できるのは標識があるところだけだが、右側通行のベトナムではいつでもどこでも右折可能である)、視界に歩行者が入ってくると少し前から減速して、その歩行者の前と後ろのどちらを通り過ぎようか考えながら近づいて来て、上手にすり抜けて行く。止まるのでなく避ける(よける)のだ。また、信号の変わり目も面白い。大阪では黄になるとブレーキではなくアクセルを踏むので、赤になってもまだ普通に道を横切っていたりする。それが分かっているから、青になってもすぐには飛び出さない。ベトナムはどうか。赤になっても横切っているのに、青になる前に飛び出して行く。だから、信号の変わり目は交差点がカオスになるのだが、前述の通り、彼らは速度を落とすだけで前進することを止めない。そのような状況の中で歩行者は渡らないといけないので大変である。その光景があまりにも面白いので1分ぐらいの動画を撮影して何人かに送ってみたところ、そのうちの一人は歩行者のことを「勇者」と呼んでいた。赤信号の中を横断しているように感じたのだろうが青信号真っただ中でのことであった。また、他の一人からは「怖すぎるしルールがどうなっているのか分からない。面白すぎる」という感想が返ってきた。一事が万事そんな感じなので自動車保険なんて存在しないのだろう。前回紹介したパパ友が出版した『英語挫折を繰り返した! 陰キャなのにリクルート営業マンになってしまった人の英会話術』は予想をはるかに超える面白さであった。その第5章「海外進出への挑戦 ~ベトナムでの起業ストーリー~」で簡単に日本とベトナムの商習慣の違いが説明されている。私にとってそれは未知のことなのだが、交通ルールなど目に見える部分での相違点を実感したら、そこで止まらずに他の部分ではもっと溝は大きいと想像してみることがきっと大事なのだろう。
「リープフロッグ現象」について書き始めるとそのなりの字数が必要なので、最後に「非日常」について触れて締めとする。日常にもそれなりに考える材料は転がっているのだが、非日常の中に身を置くと、すべてが新鮮で、勝手に頭が動き始める。今回旅をしながら新たに思ったことがある。それは、「意外とそのまま放っておくのもいいかも」ということ。先に述べたように、旅行中はいろいろと考える。それに伴って調べることも増える。一方で、上のベトナムの自動車保険の現状については推測をしたところで止まっている。今の時代は大抵のことは簡単に答えを知ることができてしまう。だからこそ、あえてそうしないことで、もやがかかった状態のものが頭の中にクリアに残り続ける気がする。そのもやが思いがけず何かのきっかけで晴れる。そのときに得られる快感がもっと知りたいとなったり想像を巡らせようとしたりするエネルギーになるのではないだろうか。
次回へ続く?