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2025.06.03Vol.688 「~苦手なんです。」への違和感

初めて参加した職場の飲み会で2次会のカラオケに誘われる。「私、音痴なんです。」と答える。一方、「私、歌は下手なんですけど、」、そして「人の歌を聴くのは好きですし、盛り上げるのは得意です。歌うのは遠慮させて欲しいのですが、それでも参加させてもらっても良いですか?」と続く。こんなきれいな話になることはさすがにないだろうが、ここで伝えたいのは前者と後者のベクトルが反対を向いているということである。飲みニケーションの是非はよく話題に上る。ポイントになるのは、職場におけるコミュニケーションは円滑かどうかということである。肯定派は飲みに行くことが本当に潤滑材になっているのか、否定派はそれ以外の部分で補えているのかを確認する必要がある。是非はさておき、飲み会、ゴルフ、麻雀は日頃覆い隠されているその人の素の部分が露わになりやすい舞台装置として一定の役割を果たす。新入社員の頃、隣の部署の部長に誘われて2, 3度ご飯に行ったが、その後5回連続ぐらい断ってようやく声が掛からなくなった。毎度何の勉強にもならない武勇伝を聞かされることに辟易とし、それに加えておごってやってる感を出すのだが、ポケットマネーではなく会社の経費で飲み食いしていただけのことである。その経験から「同じ話を何度もしない」、「酒の席でどうでも良い自慢話をしない」ということは学べた。どこまで実践できているかは定かではないが、その教訓が頭に入っていることは一つ価値のあることと言えるのではないだろうか。
 話は変わるが、元生徒で現在オーストリアに留学中の男の子がいる。彼からは2, 3カ月に一度ぐらいの割合で、「特別の相談事とかないんですけど電話しても良いですか?」という連絡が来る。しかもテレビ電話なのだ。一昨日の日曜も切った後に通話時間を確かめると1時間半になっていた。その日は、彼が自分に鞭を打ちながらいろいろなところに顔を出した結果、それがまた新たな機会につながり良い出会いがあったということを報告してきたので、「いつも自分が安心できる同じメンバーとおるだけじゃ成長せえへんで。物理的な制約、金銭的、時間的なものが無いのであれば誘いには乗れば良いし、自分からも積極的に行けば良い。一度試してアカンかったら二度目をせえへんかったら良いだけやねんから」というようなことをいろいろな具体例を交えながら話した。電話の後、偶然サッカー選手のインタビュー記事を見つけた。その中で、シーズンを通してフィジカルコンディションを良い状態に保てていることについて以下のように述べられていた。

これはチームのフィジオセラピストを務める中村有希氏や、通っているピラティスのインストラクターにアドバイスを受けて続けていること。常に「誰かにいいと言われたことはとりあえずやってみる」ことを意識している中で継続しているという。もっとも「自分には合わない」と思ったら1回のチャレンジで止めてしまうこともあるそうだ。

すぐさま、記事のURL
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/340344df78413d773c13bb8b43515fe766f88e58
と上記の部分を貼り付けて、「これ、俺がさっき話してたことやな」というメッセージと共に送り付けておいた。
 またまた話は変わる。この半年ぐらい、志高塾の教育の質を上げるべく、大小問わずいろいろと手を加えている。その一つに、時給が上がるタイミングでレポート課題を提出してもらう、というものがある。これまでは一定時間を超えれば自然と上がるだけだったところに、研修の要素を盛り込んだのだ。「これから志高塾の講師になる人に何を伝えるか」というテーマに対して、高槻の講師から出てきたものを抜粋して紹介する。
「働き初めの頃はうまく指導できないことが多く、毎週予習をして臨んでいた。しかし、勤務を繰り返すうち、時間割に入っていなかった生徒の振替授業が急に入ったり同じ教材でも前後にずれたりと、ピンポイントの事前学習では追いつかないことに気が付いた。そのため、先輩方の月間報告や代表のブログに載っている過去の例に目を通し、オチや心情の動き、重複しやすい単語の言い換えや上手な例えなどをまとめた冊子を作った。これは未だに更新しながら使っている。」
「私のやり方を真似して欲しい訳ではない。一定水準の授業をするため、私は自分の弱点、つまり瞬発的な対応力が低い、という部分を補強する必要があった。うまくできない部分というのは人によって違う。それに、能力の低い部分を埋めるより、高い部分を伸ばすほうが向くタイプもいるだろう。要は、生徒を成長させるためにやっていることを、己にもやるだけのことだ。」
「半年を過ぎたあたりから、細かい日報を書かなくなった代わり、各生徒についての情報メモを作っていくようになった。生徒の来る予定時間、学齢、その日の配布物、取り組んでいる教材と進度、授業での注意点等をまとめることでその日の流れを把握できるようにしている。逆に言うとそこまでしないと、応用力の無い私は場当たり的な授業になってしまう。志高塾の良さのひとつに個々の生徒に対する柔軟性があるが、上で述べたようにマニュアル化しがちな私にとって、個別化というのは苦手な分野だ。先輩講師を見ていると、読書感想文ひとつ取ってもその子の経験を丁寧にすくい上げては本の内容に繋がるように促しているし、資料読解や意見作文ともなれば生徒相手に生き方そのものを問いかけている。いつも圧倒的な経験の差を感じつつも、どうすればできるようになるのか考えてみた。解決方法は、研修の手引きに載っている。生徒が来たとき帰るときに挨拶をして互いの顔を覚えること、教室内で皆の顔が見渡せる位置に立つこと、本選びで声を掛け好みや趣味を知ることなど、最初の研修で習う初歩の初歩が生徒と向き合うための手がかりになっている。迷ったら解法の基本に戻れ、というのは読解で手が止まっている生徒にいつも使う声かけだが、自分に対しても有効だ。」
 得意を伸ばすか苦手を克服するか。多くのことがそうであるように、実際のところは二者択一ではない。「~苦手なんです。」で終わらせることなく、先の講師のように自分の苦手と真摯に向き合うことである。目を背けることなく、目の前の課題をそうやって一つずつ解決して行く過程で人は少しずつ練られて行く。

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