
2025.05.27Vol.687 殻を破る
4月8日にアップした「Vol.681カーナミ」の冒頭で次のように述べた。
2週間前にブログをアップした時点で、「殻を破る」というテーマで近々書こう、ということが頭の中にあった。私のことなので延期になるかもしれないが、来週の予定にしている。ところで、皆様はその言葉を聞いたとき、どういう「殻」をイメージするでしょうか。少し考えてみてください。少なくとも、シャボン玉のように簡単に割れてしまうようなものではないはずです。
「殻」と聞いて私が最初に思い浮かべるのは卵である。その場合は「破る」ではなく「割る」となる。その次が、春休みに富岡製糸場を訪れたことも影響しているのかもしれないが蚕の繭である。2カ月も経ってしまうと、「はて、俺はなんで『殻を破る』について書こうとしてたんやっけ」とそもそものきっかけを忘れてしまう。少し考えて、「ああ、『生まれ変わる』という言葉へ違和感がきっかけやった」と思い出した。犯罪者が「心を入れ替える」という意味で「生まれ変わる」を使う分には理解できる。できるかどうかはさておき、そのプロセスが必要だからだ。そのような極端な場合を除くと、その言葉が用いられているのを目や耳にしたときにしっくりこないのだ。気になり始めたのは最近のことである。それゆえ、過去に、口にしたり書いたりしたこともあるかもしれないし、今でも、使いそうになることはあるので「いかん、いかん」となる。「生まれ変わる」というのは、未来への強い決意であるべきなのに、過去を清算するため、要は「これまでのことはなかったことにしてください」と受け手に認めさせるためだけに利用されている気がして気持ち悪さを感じるのだ。中学受験をする小6の男の子が、気付いたら少しずつ少しずつ算数の宿題のプリントを無い無いしていた(無い無いする、というのは書き言葉ではないが、その幼稚な行為を表現するためにはこれがぴったりである)ので、抜けているページをリストにした上で、家にあるものをすべて持ってくるように伝えた。その際、「探したけど無かったです、ではなく、できる限り見つけて、やってないまま放置していたことが分かるようにせなあかんぞ」と付け足した。また、新しく入った単元の問題はまずは自力で解かせるのだが(たとえば割合など最低限の知識が無いとどうにもならないものに関しては、解くために必要なことは予め教える)、後から渡すことになっている解き方が書かれた説明のプリントを盗み見ていたことが過去にあった。先日、初見の問題を我々が教えるのにかなり近い形で解けていたので、「また見たんちゃうやろな」と確認すると、はっきりと「見てません」と返って来た。「なんで疑うんですか」というのを言外に感じ取ったので、「あのな、一度失った信用というのは、それを取り返すのに2倍、3倍の時間が掛かるんやぞ」と教えた。私の方をしっかりと見て「はい」と答えていた。その目に不満の色は浮かんでいなかった。それが大事なのだ。プリントを無い無いすることを含めて、ずるをするのが子供である。子供だけでなく大人もする。全部真面目にやっていては身が持たないので手を抜けば良い。私自身手抜きの権化のようなものである。ただ、きちんとやるべきこととそうでないことの判断を誤ってはいけない。子供にはそれが分からないので、外してはいけない部分での手抜きがばれたときにはどうなるかということをきちんと体験させてあげないといけない。家に隠し持っていたプリントもその次の授業のときにちゃんと持って来ていた。手付かずのままなのを見て、「ほら、やっぱりずるしてたやんけ!」と怒ってはいけない。「怒らないから正直に言いなさい」と伝えたのに怒ってしまうと、子供は二度と正直に話さなくなってしまうからだ。
さて、「殻を破る」。繭を破るのは容易では無さそうだが卵は割れやすい。でも、ひよこはまだ硬くなってはいない嘴で一生懸命つついて少しずつ割って行き、ようやく外に出て来られるのだ。そんなことを考えていて、殻って案外とそんなものなのかも知れない、という気がした。当の本人にとっては一大事なのだが、傍から見ればそうではない。それであれば、「大変だ」という主観ではなく「大したことではない」と客観視すれば良いのではないだろうか、という思いに至った。だからと言って、柔らかい嘴しか持ち合わせていないので結果的に苦労するのだろうが、そのような心持でいるだけでくじけずに済むような気がしている。自分の殻を破りたい、脱皮したい、という気持ちが強くなっている。
次回は、「~苦手なんです。への違和感」というタイトルで書く予定にしている。なお、「~苦手なんです。」の対になるのが「~苦手なんですけど、」である。