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2026.01.27Vol.720 得手不得手と興味の間に相関関係は存在しない

 メインテーマを1つ決めてから書き出すのだが、今回はいくつかの小さなことを取り上げる予定である。と言いつつも、きっと2つで終わる。「責任」、「宗教」しか現時点で思い浮かんでいないからだ。
 まず、「責任」について。特に社員たちには折に触れて、「責任は取ることはできないので持ち続けないといけない」ということを伝えている。灘に絶対合格できるといわれていた大手塾の生徒が不合格になり、学園長が土下座をした、という噂話を聞いたことがある。真偽のほどは定かではないが、そういうことぐらいあるのかもな、ということに加えて、そんなことをされてもどうしようないよな、という感想を抱いた。今回、改めて「責任」について考えたのは、少し前に「五輪出場閉ざされたボブスレー男子の選手補償へ ミスの連盟、理事会で方針確認」というネット記事を目にしたからである。これは、責任を取れないことの一例である。
 私は、講師のミスに対しては寛容な方だと自分では思っている。ミスをしなかった分だけ生徒が成長するわけではないから、という単純な理由による。ただし、それは「責任を持っていれば」という絶対的な条件付きである。働き始めの講師はどうしても間違いのない添削をしようとなってしまう。それも一つの責任の持ち方ではある。そういう様子を見かけたとき、「大事なのは、誤りを一つずつ指摘して正して行くことではなく、その1つの作文から生徒がより多くのことを得られるようにしてあげることです」というような話をする。それを聞いて、すぐに「なるほど、じゃあ次はこうしてみよう」とはならない。即効性を期待しての言葉掛けではないのでそれで良いのだ。10個指摘する箇所があるとする。使える時間をその10ではなく3で割る。場合によっては1つに絞らないといけないときもある。それによって、親御様から添削の甘さを指摘されるかもしれない。大事なのは、そのときに「これこれこういう意図を持って、あえてその1つにしました」というような説明ができるかどうかである。「責任を取る」というのは、問題が起こった後に過去のマイナスを少しでも小さくするための作業であるのに対して、「責任を持つ」というのは、目の前にある課題とその瞬間、瞬間向き合い、未来のプラスをできる限り大きくしようとする行動である。
 さて、次は宗教の話。週末、届いたばかりの日本聖書協会が出版した『聖書』がテーブルの上に置かれているのを見つけた長男が、「なんでそんなの買ったの?」というようなことを尋ねて来た。昨年11月に、ロボット工学の第一人者で、大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちの未来」のプロデューサーを務めた石黒浩教授の講演を聞きに行ったことがきっかけで、彼の最新刊『いのちの未来 2075 人間はロボットになり、ロボットは人間になる』を買ったのだが、そのままになっている。ガソリンなどは無くなりそうになったら補充するが、本は面白そうなものを見つけるたびに購入する。しかも、物事を知れば知るほど興味の幅が広がって行くので自ずと積読になる。その石黒教授が興味深い話をしていた。「ハリウッド映画で、ロボットが人間を逆に支配するようになるというような話があるが、あれはキリスト教的な思考が根底にあるからだ。人間を一番偉いものとして、動物やロボットなどを下に見るからそのようになる。それに対して、日本人は上下関係で捉えず、協力して世の中を良くしていこう、という考えでロボットと元々付き合っているのでそんなことにはならない」もう1つ響いたのは、「AIやロボットがどんどん発展していくからこそ、理系の人はもっと文系のことを、文系の人は理系ことをもっと学ばないといけない」という話。自動運転を社会実装するためには、技術者は、法律はもちろんのこと、利用する人の心理などへの理解は不可欠である。「自分は理系(文系)だから」で済ませてしまう人が少なくないが、それは学校の勉強における得手不得手の話であり、他方(理系であれば文系)への興味を持たなくていいということにはならない。先の長男との話には続きがある。1年ぐらい前に学校で、自分に合った学部を探すための調査のようなものがあり、質問に答えて行った結果、「宗教学」がその1つに含まれていたのこと。それを見た長男の担任である数学の先生が馬鹿にしたような感じで笑っていたということを報告してくれた。その一事を持って人の評価を下すのもどうかとは思うが、その先生はきっと物事を知らないし、よく言われるように、そもそも知らないこと自体を知らない。キリスト教徒は約23億人、イスラム教徒は約18億人、ヒンドゥー教徒は約11億人で、その3つで世界人口の約72%、ほぼ4分の3を占める。宗教を話題にすることは一般的にタブーと言われている。それであれば、なおさら自分で勉強して、基礎的な知識を付けておくことが世界に出ていろいろなバックグランドを持つ人たちとやって行く上で大いに役立つはずである。ちなみに、長男の高校は理系、文系などを踏まえて”GS”, “GA”, “GL”の3つに分類され、その中でクラス分けがされるのだが、すべての頭についているのはグローバルの“G”である。視野の狭い先生たちが、どうやって世界で活躍する生徒を育てるのであろうか。
 書き進めて行く中で、余裕があれば「地政学」も取り上げようとなっていたのだが次回以降に回す。「地政学」というのはとにかく面白いのだ。

2026.01.20Vol.719 息子との2人の時間~長男編~

 この週末は、共テの実施日であり関西の中学受験の統一入試日でもあった。この2つの試験は毎年同じ日に行われる。私は一浪しているのでセンター試験を計4日間受けたのだが、そのうちの何日かは小雪が舞っていたし、寒かった記憶しかない。それからの約30年間で、これほど温かかった年は私の記憶にはない。私立高校に通っている2年生の長男、土曜日は基本的に授業なのだが、中学入試の試験会場となるため学校は立ち入り禁止でクラブもなかった。その貴重な休みを利用して、金曜の晩から久しぶりに2人で旅行に行った。話はそれるが、「スマホ使用、のぞき込み...共通テストでカニング 受験生7人失格」という毎日新聞のネットニュースに触れ、「なんでそんなばれるようなことをするんやろか」という感想が瞬間的に浮かんだのだが、「もしかしたら、この何倍もの人がカンニングをして、うまくやり通せているのかも」と思い直した。実力で受けるより、見つからないわずかな可能性に掛けた方がまし、と判断した結果なのだろうが、ずるが怖いのは、一度成功してしまうとやめられなくなることである。それと比べものにならないぐらい問題なのは、繰り返して行くうちに、そのようにして得られた結果に対して心からの喜びが得られていないということに本人自身が気づけなくなってしまうことであろう。まるで経験者の語りのようだが、そういう類のことは昔から大嫌いである。
 閑話休題。まずは自宅から電車を乗り継ぎ、JRの近江八幡駅まで向かい、そこでレンタカーをして、城巡りはスタートした。初めに訪れたのは安土城。入り口から続く坂道を、陽光が降り注ぐ中を汗ばみながら、2人で日本初の天守閣が建てられた跡地のある頂上を目指した。その間、歩みの遅い長男がちゃんと付いて来ているかを何度も振り返っては確認した。浅井長政の居城であった小谷城も訪れた際には、山道の途中で「熊に注意」の看板を見つけ、「こんなところで出るわけないやろ」と思いつつも、若干気にしながらの散策ではあった。その日は、岐阜城からすぐのところにある旅館に泊まった。翌朝、予定より早く目が覚め、一人朝風呂に行こうと支度をしていると、その音で長男が起きたので、「一緒に行く?」と尋ねると、「うん」と返って来た。そのときの光景を今でもはっきりと覚えている。
 今回の旅行の主な目的は鳥羽の少し南にある国崎(くざき)漁港から5時半に出る船に乗ってのヒラメ釣りであった。早朝4時45分に起きて、5時にはホテルを出発した。釣果は私が2匹、長男が1匹。期待していたような大きいものは混じらなかったが、小さいなりに肉厚であった。買うとなればそれなりにはしたのであろう。ちなみに、釣りをする人は、スーパーの鮮魚コーナーなどで魚の値段をチェックしがちである。昼過ぎには港に上がり、鳥羽の方で釣りをしたときによく利用する伊勢にあるスーパー銭湯で汗を流し、おかげ横丁で伊勢うどんと赤福のぜんざいを食べ、伊勢神宮を参拝して、一泊二日の2人だけの充実した旅は終わりを迎えた。
 長男とは、旅行や釣りなど、これまでたくさんの時間を過ごしてきたので、この先も、小さい頃にもっと一緒にいておけば良かった、と後悔することはないのだろうが、意外なことに2人だけで旅行したのは年長のときに城巡りをして以来なのだ。そのような事実に気づいたこともあり、今回は少し変わった話の展開を試みた。文章の構成についてわざわざ説明するというのは野暮ではあるが、「歩みの遅い長男がちゃんと付いて来ているかを何度も振り返っては確認した」や「そのときの光景を今でもはっきりと覚えている」で、読み手が「どういうこと?」と疑問を抱いてくれることを願いながら、その次の段落で種明かしをする予定にしていたのだが、もう少し先延ばしにしてみた。
 人間の記憶はあいまいなものである。冒頭で述べた気温の話も、直近30年の2日間の最高気温の平均を調べてみると、今年のそれは5位にも入っていなかった。「センター試験の日はなぜか毎年寒い」という私の思い込みが、温かい年もあった、という事実を受け付けてこなかったのだ。親から聞いた話や写真を見返すことなどで、後から小さい頃の記憶を作り上げるということはよくあることなのだろうが、それは子どもに限ったことではない。後ほど、インスタに100名城のスタンプ帳に長男自身が拙い数字で日付を書き記した写真を載せてもらう予定にしているのだが、それが無ければ年中のときだったか、年長のときだったかははっきりしなかった。その旅が一泊二日、二泊三日のどちらであったかは定かではない。でも、なぜだか、あの朝、お風呂に行くまでのこと、お風呂でのことだけははっきりと覚えているのだ。きっと、どのような部屋でしたか、どのようなお風呂でしたか、とそれぞれ4枚と言わず10枚ぐらいの写真を与えられても正解を選べる自信がある。だから何なのか、と尋ねられても、何も答えられない。ただ、私の中にそういう大事な思い出があるだけの話である。
 長男は、一橋大学の商学部を志望している。中学受験の頃から課題であった苦手な数学を克服しないことには合格は見えてこない。一橋のある国立駅は、私が若い頃に一時期住んでいた立川駅の隣である。これまで具体的なことを考えたことはなかったのだが、「立川に泊まればいいわ。何かあるかもしれないから、お父さんも付いて行くわ」と伝えると、「ただ、遊びに行きたいでしょ」と返って来た。その通りである。面倒くさいという理由で、中学受験の付き添いを妻にお願いしたぐらいなので。卒業以来一度も会っていない大学時代の同級生と新年ラインで少しやり取りをしたのだが、立川在住なので、久しぶりに顔を見に行こうかな。今なお優秀であるはずの彼が、ゼネコンでこれまでどのようなキャリアを積み、今どのような仕事をしていてどんな未来を描いているのかに興味がある。
 順調に行けば、長男と一緒に暮らせるのは残り1年である。春に引退するまではクラブが忙しいだろうし、その後は本格的に勉強を始めるので、出かける機会もほとんども無いのだろうが、長男との日々をできる範囲で楽しみたい。きっと、そんな感傷的な思いも2, 3日もすればきれいさっぱり消え去ってしまうのだろうが、旅行をきっかけに長男とのことをいろいろと考えられた数日間であった。

2026.01.13Vol.718 ペース配分

 子供の頃よく風邪を引いていた、きっと。学校に行きたくなかったり習い事をさぼりたかったりしたときに、よく微熱を出していた。「気病」と書いて「けびょう」と読む、といった感じであろうか。そもそも、私は日頃から体温が37度前後だったので、食後であれば37度を超えることは普通にあった。朝食後にすぐに測った体温が期待を下回ったときには、水銀体温計の先を擦り、上がりすぎれば振って37度5分弱ぐらいにして、少ししんどそうな顔をすれば、病人の一丁出来上がりであった。そんな状況だったので、正確には実際どれぐらい風邪を引いていたのか自分自身でも把握できていない。そんな私ではあったのだが、本気になれなかった中学受験はさておき、高校、大学受験の年に体調を崩すことは無かった。大事なときにコンディションを整えられないようでは話にならない、と当時考えていて、それは今も変わらない。高校の東大卒の物理の先生が、センター試験当日にインフルエンザに罹り、2日間とも40度ぐらいの高熱で臨んだが、それでも9割5分ぐらいは取った、という武勇伝を我々生徒に向かって語っていた。結果を残せばそれはそれで問題は無い。そのときは「1日や2日ぐらいであれば、どれだけ体調が悪くても人間集中できるもんなんだな」という感想を持っただけだったのだが、特にコロナを経験した今では、周りにうつすかもしれない状態で行くのは非常識だ、となる。きっと、私に限らず周りにいた同級生たちもそんなことを考えもしなかったのだろう。
 志高塾を始めて以来、今回で19回目の受験を迎えているわけだが、当然のことながら風邪など引いたことは無い。注射が嫌いなので打たないし、マスクをするわけでも、こまめに手を洗うわけでもない。気合と、とにかくよく寝ることだけを心掛けている。毎年、冬休みに入ってから受験前日までは、朝から授業をして夕方前後に仕事を終えて帰宅、ご飯を食べたら20時過ぎぐらいにはベッドに入って、6時前に起きるという、ほぼ仕事と寝るだけの生活をしている。私は1か月弱なのでどうにかやり切ることができるが、大谷翔平は常にそれを実践しているのだ。その大谷翔平が「睡眠は質よりも量」とどこかで話していたが、本当にその通りだと思う。途中、2度3度と目を覚ますが、それだけ長時間寝ると、6時に設定した目覚ましよりも前に自然と目が覚め、頭も心も完全に回復して、「さっ、今日もやるぞ」と気力がみなぎった状態になっている。いつもより立っている時間が長い分さすがに体は疲れているので、寝る前と起きてからのストレッチは欠かせない。
 中学受験生の中で特に2人が、算数の過去問演習で、空欄が少なくないことが多く、テスト後に彼らに「なんでや?」と理由を尋ねると、「時間配分を間違えました」と決まって返ってくる。そのようなときは、実力より1から2割ぐらい下振れした点数になっている。それなりに埋まっているときは、途中で詰まらずにたまたま最後まで行けたときなのだ。いずれの生徒も、それは3から5回に1回ぐらいしかない。彼らの解いている際の様子を見ていると、ふわっと解き始めて、残り10分ぐらいになって決まって焦りだす。背中がそれを物語っている。本来は逆である。脇目も振らずにスタートダッシュをして、最後の10分で少し冷静になり、取れる問題を取り切れるようにするべきなのだ。それゆえ、「スタートと共にガーっと入らなアカンねん」と国語を教えている先生とは思えないような声掛けをしている。もう少しきちんと説明すれば、「長距離走ではなく、短距離走のように呼吸をしない勢いで」となる。彼らの志望校は異なるが、いずれも6割前後が合格ラインなので少し余裕を持って6割5分から7割が一つの得点の目安になる。残り10分の時点で5割5分ぐらいまで持って行って、残りの時間で答えを出せていない問題の中から解けそうなものを見極めて1割程度積み増す、というのが一つの形である。もちろん、問題が難しくて合格ラインが5割に下がることがあれば、反対に7割になることもある。そういうときの対処の仕方や、「難しそうに見えて簡単」やその逆に「簡単そうに見えて難しい」問題の見極め方などを解き直しの際に教えている。いろいろなことをその都度具体的に伝えてはいるが、ここではテーマとずれるのでこれぐらいにしておく。
 我が子が通っていた小学校は毎年冬にマラソン大会があり、コースは学校の周りを2周するというものであった。3人には、とにかく体力を温存するな、と伝えていたので、1周目に苦しそうな顔をしながら帰って来るのを確認して、「よしっ」となっていた。私はグランドから見ていたのだが、グラウンドだけではなく外周を走っている姿もフェンス越しに眺めることができた。ちょうど後半の半周ぐらいが体育館や校舎で見えなかったので、2周目の最後、どのような順番でグラウンドに帰って来るのかを楽しみにしながら待っていた。1周目より順位を落としているのを見て、「あらら」と思う一方で、それ以上に「よく頑張った」と内心喜んでいた。
 受験生を預かっている身としては、生徒に寄り添って、夜遅くまでとことん付き合ったけど、一番大事な追い込みの最後の何日かでインフルエンザになりました、では話にならない。最後まで責任を持ってペースを落とすことなく走り切るのは当たり前の話である。一方で、過去問演習では、用意始め、の合図とともに飛ばしに飛ばさなければならない。そうすることによって、1時間前後のテストを通して集中力が保てる体力が付いてくるのだ。また、限界を知ることで初めて、どのようにすれば集中力をより良い状態で持続できるようになるかが体感的に分かってくる。それがペース配分をするということである。本番は週末に迫っているが、先の2人に限らず、1回1回のテストで最大限の集中力を発揮して、一喜一憂しそうになりながらも一つずつ何が良くて何がダメだったのかを冷静に振り返りきちんと対策を打つことで本番でより実力が発揮できるようになる。
 今は受験生のことで頭がいっぱいなのだが、中学受験がひと段落した時点で、自らの生活を見直す予定にしている。この1年間は後先考えずに、もう少し、いやもっともっと飛ばして行きたい。

2026.01.06Vol.717 絵画のような塾

 本年もよろしくお願いいたします。
 この時期は毎年、中学受験生のことが頭の9割ぐらいを占拠している。「9割」ですら控えめな表現かもしれない。高校、大学受験生のことはどうでも良いのか。もちろん、そうではない。ただ、中学受験の場合は、国語、算数だけではなく、理科も含めて全教科教えている生徒も何人かいる。小学生なのでメンタル面まで深く関わる必要がある上に、親の言うことにまだ耳を傾ける年齢ではあるので親御様との連携も大事になってくる。それに比して、中学、高校生の場合、全教科に占める我々のところで学ぶ教科がかなり限定的になり、良くも悪くも最低限独り立ちしているので、純粋に国語なり、数学なりの点数を上げて行くことが我々の主な役割となる。受験生のことに言及してきたが、そもそもほとんどの生徒がそうではない。休んだ分の振替授業に関しては、中学受験が落ち着く1月後半以降まで待っていただくことはあるものの、通常授業はきちんとした質のものを正に通常通り提供しなければならない。それが授業料を同一にしている理由でもある。昨年末から始まった読み聞かせクラス。西北では毎週月曜に行っているため、年明けは初回が5日、2回目が12日となる。西北の生徒はまだ2人であり、かつ親御様同士が友人なので、お願いをすればきっとその2回分を1月19日以降に変更していただけるはずである。だが、そういう問題ではない。読み聞かせクラスを始めたのが後からというだけで、おまけではない。それゆえ、後回しにすることはあってはならないのだ。残り1割の部分を使って「中学受験に忙しいこの時期でも、きちんと授業をするために何をすれば良いのか」を考えている。この時期は毎年、ここまで述べて来たようなこと自問自答しながら、志高塾がどうあるべきか、そのために私自身がどのように振る舞うべきか、の確認をしている。
 人に勧められてもらったものの、中々足を運べずじまいであった『藤城清治101歳展 生きている喜びをともに』に、閉幕2日前の1月2日に行ってきた。去年は10回ほど美術館を訪れたはずだが、今年は年明けすぐだったので幸先の良いスタートを切れた。数年前までは「3か月に1回のペースで、せめて1年で4回は行こう」と決めても、それすらも下回るような状況であった。件の英会話では趣味を聞かれることがあるので、旅行、スポーツ観戦、芸術鑑賞などと答えてはいるものの、「絵を見るのが好きなのですか?」と問われれば、迷いなく「はい、好きです」とは答えられない。「通常の食生活では摂取できない健康に必要なビタミンをサプリで補っているような感じです」というのが一番適切な気がする。これを英語で、相手に理解してもらうように説明するのは今の私にとっては至難の業である。美術館という非日常の空間に身を置くことで、何となく気分が良くなる。
 これまで国内外を問わずたくさんの美術館に行き、芸術関連の本もそれなりに読んできたのだが、去年初めて知って、なるほど、とものすごく納得させられたことが一つある。絵画は写真と違い、すべてにピントを合わせられる、というのがそれである。デジタルで加工できる時代なので、今や写真でもそれは可能になっているのだろうが、元々は絵画だけに与えられた特権のようなものであった。「絵画のような塾」というタイトルは、生徒全員にスポットライトを当てることを意味している。藤城清治は影絵作家である。「影絵」と聞いて、最初に思い浮かべたのは白黒のそれなのだが、実際に訪れてみて、とても彩り豊かなことに驚かされた。話を強引につなげる気はないのだが、私がイメージするのもそれである。できる限り明るい照明の光をそのまま当てようとするのではなく、一人一人に合った色を想像しながら、影絵的に表現するのであれば、照明の前にセロファンを置き、光に関しても明るければ明るいほど良いということではなく、一番その子らしく見える光の量に調整する。リーダーになりたい子もいれば、縁の下の力持ちが性に合っている子もいる。また、一度設定して終わりではなく、その子の成長とともに何度も何度も変更を加えて行く。作文同様に正解があるわけではない。だから、考え続けるしかないのだ。そういうことがきちんとできる塾でありたい。
 志高塾は、2026年4月から20年目に入る。初めて3か年計画を立てることに決めた。大企業に勤めていたこともあり、そのようなものは身近ではあった。末端の一社員であったというのもあるのだろうが、会社が掲げる美しい将来のビジョンは、私のところに落ちてきた時点では売上や利益などの単なる数値目標に化けていた。そのようなこともあり、餅の絵を描く暇があるのであれば、目の前の課題を一つずつクリアして行くことを重視して来た。それが、中長期的な計画を立てようとしないことの言い訳に過ぎないことは私自身が一番よく分かっていた。正直なところ、どのように進めて行けばよく分かっていない。本を読むなりして最低限の勉強をした上で、2月の頭ぐらいから具体的な作業に取り掛かる予定にしている。

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