
2025.10.07Vol.705 ベトナム旅行記(こうへん)
天邪鬼なのだろう。わざわざ「ぜんぺん」としたのだから、まったく別の話題にすれば良いものを、こんなときに限って続きを書きたくなってしまう。
今回は「リープフロッグ現象」について。GPTに具体例を交えて100字での説明を求めると、「リープフロッグ現象とは、後発国が先進国の旧技術を飛び越え最新技術を導入すること。例:固定電話を経ずに携帯電話が普及したアフリカ。(64字)」と返ってきた。続いて「インフラ以外で」の指示には、「教育分野では、発展途上国が紙教材を飛ばしてオンライン学習を導入する例がある。これもリープフロッグ現象の一種である。」、さらに「デジタル以外で」には「農業分野では、発展途上国が化学肥料中心の段階を飛ばし、有機農法や持続可能な農業技術を直接採用する例があり、これもリープフロッグ現象である。」と返ってきた。細かい話にはなるが、「これもリープフロッグ現象の一種である」と「これもリープフロッグ現象である」は余計だと感じている。
ポッドキャスト番組『Coten Radio』では、今、二コラ・テスラのシリーズが放送されている。1回40分前後で現在8回まで来ていて、おそらく10回ほどで終わるはずである。恥ずかしながら、その名前すら「初めまして」だったので、イーロン・マスクのテスラ社の社名がそこから来ていることも、ロゴが彼の開発した交流モータの断面に由来していることも当然のごとく知らなかった。
二コラ・テスラは、憧れのエジソンの元で働いていた当時、エジソンが推し進めていた直流方式は広範囲への送電が難しいこともあり、交流方式を提案したものの受け入れられず、それがきっかけとなりエジソンの元を去り、結果的に「電流戦争」でエジソンに勝利することとなる。数日前に、その番組の中で「エジソンが、直流による発送電事業を進めていなかったら交流方式を受け入れただろう」というようなことが語られていた。要は、エジソンは交流方式が優位であることは理解していたものの、引くに引けなかったのだ。このことに関してググルと、「ドイツやイギリスなども、実験的な直流配電を経ずに20世紀初頭に交流高電圧送電網を直接構築」と出て来た。これもリープフロッグ現象の一種である。実は、この段落の冒頭の一文、「二コラ・テスラは、憧れのエジソンの元で働いていた当時」から始まる一文を書く前に、「二コラ・テスラに関して100字程度で説明して」とGPTを利用することが頭を一瞬よぎったのだがやめた。何となくそれは良くない気がした、という感覚的な理由なのだが、その判断は間違っていなかったように思う。文章に限らずアウトプットされた成果物だけに目が行きがちなのだが、大抵の場合、その1つ1つはその作り手の成長の過程の一部でしかない。意見作文に取り組んでいる生徒たちに、「あのさ、学校の課題なら中にはただ提出すれば良い、というものもあるかもしれへんけど、わざわざここに来て作文をしてんねんから、どうでも良いことを書こうとせずに、ああでもないこうでもないと頭を使いや。それが後々につながっていくから」といったような声を掛けることがある。今回の私の場合でいうと、いろいろと調べながら自分でどうにかまとめたことで、ほんの少しではあるものの文章力を鍛える訓練になり、大なり小なり苦労したことで二コラ・テスラに関する情報が少し整理された状態で頭に収まり、それに加えて、改めて作文の大切さを実感できた。大学生がすべてのレポートに全力を注ぐことは難しい。だから、AIを活用してうまく手抜きをすれば良い。だが、一事が万事タイパでは自らの未来に暗雲を引っ張り込むようなものである。時間を掛けるべき大事なことのために、時間を節約する。それこそが、あるべきタイパの考え方である。ここで述べたようなことを頭で理解できるのはもちろんのこと、楽をしようとする心と葛藤した上で折り合いを付けられるのも国語力のなせる業である。三男の小学校時代のサッカーのチームメイトが、セレクションで合格を勝ち取り、強豪のクラブチームに入団したものの、あまりにも勉強をやらない子が多く、「勉強なんてせんでええやん」というような感じで、彼らとの会話が成立しないらしい。それを踏まえて、高校は勉強もある程度ちゃんとやらせるところに行かせないとダメだ、という話をパパ友がしていた。
国語はすべての教科の基本だと言われる。その一例として、算数の文章題が挙げられるが、国語が全然できないのに算数がめちゃくちゃできる子の説明が付かないから、それは事実とは異なる。しかし、人生の基本であることは間違いない。人生でリープフロッグ現象は起きない。一足飛びには行かないのだ。そういうことが理解できる本物の国語力を、作文と読解問題を通して身に付けさせてあげたい。