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2023.11.14Vol.615 円陣(前編)

 サッカーやラグビーのように前後半に分かれているスポーツではハーフタイムに、バレーボールなどはセット間に作戦会議を行うことが通例となっている。野球の場合、そのような明確な時間が設けられていない。それゆえ、必要な時にベンチの前で円陣を組むことになる。大抵は相手ピッチャーの調子が良く、打ちあぐねているときである。攻略するために意思統一を図るのだ。見事日本一に輝いた我が阪神タイガースがそれをしたのは、シーズンで1回、日本シリーズで1回の合計2回だけである。データが無いので推測の域を出ないが、シーズン中に2, 30回やっているチームがあっても不思議ではない。なお、シーズン中のそれは打撃コーチの判断で行われたものなので、監督が指示をしてのものは日本シリーズ中の一度きりである。監督が円陣を好まないのは、相手に困っていると思わせたくないから、とネット記事にあった。それ以外に、どうしても必要なときに効力を最大限発揮するために取って置いてある、というのが私の見立てである。
 岡田監督に自分をなぞらえるのは、さすがの私でも厚かましいとは思うのだが、私が生徒を集めて改まった話をするのは年始の一発目の授業の朝だけである。塾自体は年末年始に1週間休みになるのだが、例年受験生向けに年末は29日まで、年始は3日から授業を行っている。そのときは、中学受験生を主な対象として、本番で力を出し来るために残り2週間をどのように過ごすかという話をする。話す相手が違っても同じ話をするのは工夫が無いようで嫌なのだが、こと年初の話だけは毎年基本的な部分は変わらない。
 前回、11月4日(土)に受けた三男のテスト結果が悲惨であったことをお伝えした。その翌日の日曜は、最近にしては珍しく、三男との城巡りではなくゴルフに行っていた。その帰り道、夕方の渋滞に巻き込まれながら、「帰ったら面と向かって三男と2人で話をしよう」となった。ただ、共通認識を持つために妻にも聞かせようとなり、最終的に長男と二男も同席させることにした。子供の頃、お節料理を前にして、父が新年の抱負を語り、その後、各人が一年の目標を述べるという儀式があったのだが、私はその時間が億劫であった。そもそも、父以外は単なる思い付きであったので中身が無かった。年末に1か月間ぐらい掛けて、試行錯誤して練り上げたものを各人が何らかの形でプレゼンテーションするのであれば、まだ意味があったのかもしれない。まあ、それはそれで面倒くさいのだが。今は私がその父の立場にあるのだが、元旦の朝に毎年1分も話をしていないはずである。それゆえ、大袈裟に表現するのであれば、松蔭家は11月5日に初めて家族で円陣を組んだのだ。
 遡ること半年と少し。春休みのある夜、家族でご飯を食べている最中に、三男が私に向かって何気なく「この後、本、読めば良いんでしょ」と漏らした。特別嫌そうに言ったわけでない。ただ、その一言に「しょうがなくやるんだったら、習い事も行かなくても良い!」と私は激怒した。こういうことのほとんどすべてがそうであるように、その一言が問題だったのではなく、それまでの布石があったのだ。ここでも何回か述べてきたが、息子たちにも生徒たちにも、やらないことは言わないし、言ったことはやってきた。ただ、そのときは少しだけ変更を加えた。隔週の陶芸は行くことは認めた。それに関しては、ほとんど生徒がおらず、我が子のためだけに枠を先生が作ってくださっていたからだ。また、Z会の通信教育の理科と社会は続けることを許可した。どちらも辞めたければそのようにすれば良いと伝えた。そのことを今春から大分の大学に通い始めた生徒に話すと、「先生、さすがやな」という感想を漏らしていた。「普通の親ならその逆のことするで」と。そのとき、少なくとも3か月はサッカーと私の教室を休ませることにしたからだ。サッカーはその少し前ぐらいから、所属しているチームとは別に、もっと真剣に取り組んで欲しくて、テクニックなどを教えてくれるスクールに週2回通わせ始めていた。また、志高塾も今のうちに基礎をきちんと築かせようと新5年生になったタイミングで週2回に増やしていた。要は、力を入れていた方を休ませることにしたのだ。そのサッカースクールに関しては少し面白い話があって、休会するにはタイミングが遅かったため、翌月も籍自体は置いておくことになった。それゆえ、その後の初回の練習の日に、月謝袋を本人に持たせて、自らの口でコーチに事情を説明して、翌々月から休会する旨を伝えさせた。絶対に練習には参加して来るなよ、挨拶だけして帰ってこい、と釘を刺しておいた。一緒にやっていけば、とコーチに声を掛けてもらったものの、私に禁止されていたため、そのグランドの隅の方で、みんながやっていることと同じことを一人でやって帰って来ていた。その光景を想像すると笑ってしまった。今回のような一件で大きく変わるわけではないが、こういうものを蓄積することで、そのうちに自分が自分のために何をするべきかが分かる人間に育って欲しい。
(後編につづく)

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