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2023.11.07Vol.614 テストの位置づけ

 先週の土曜の朝、5年生の男の子のお母様から、午前に入っていた授業を午後に変更して欲しいとの連絡が入った。これまで志高塾にしか通っておらず、数日前に深い意味も無く誘われて試しに受けた進学塾の入塾テストが散々な結果に終わり、「俺、やってもどうせできへんから志高塾に行きたくない」と言い出したとのこと。授業の前に私が話しますから連れてきてください、とお願いした。その子は、お母様の話は聞かないのだが私の言うことであれば素直に耳を傾ける。そういう生徒は何人かいるので、「先生から伝えてもらえませんか」という依頼を受けることは少なくない。大体、次のような言葉を掛けた。「以前と比べて考えるようにはなった。それは間違いないから、最近そのことを褒めてるけど、それでもまだ算数の宿題をちゃんとやってくるわけではないから進みが遅い。3か月、半年と、一生懸命やり続けて来た奴が『やってもできへんから』となるのなら分かるけど、今それを言うのは厚かましすぎる。」と2, 3分話して終えた。その際、「今日、俺の5年生の三男が初めて塾の公開テスト受けてるけど、絶対できへん。それもやっぱり日頃ちゃんとやってないから」という話もした。テスト数日前に、長男と二男が初めて受けたときの成績表を妻が出して来て、ダイニングテーブルの上に置いていた。それを見て驚いたことが。3人揃って5年生の11月なのだ。それゆえ、妻は私が意図的にそのようにしていると思っていたのが、単なる偶然に過ぎない。それは私自身がテストを無駄に受ける必要が無いと考えていることと関係している。もちろん、誰も「無駄なことをしよう」などとは考えないので、この場合は「無駄」の基準がポイントになる。
 ここからは私の経験を振り返って行く。小学生時代には進学塾に通っていたため、それなりにテストを受けさせられていたが、所属していた野球チームの試合と重なれば6年生の頃でも当たり前のように休んでいた。余談ではあるが、当時、塾の定期面談に親が行くと、「受験に対する真剣さが足りない」と毎回のように怒られて帰って来ていた。中高生時代は公立に通っていたこと、また、その6年間、個別で数学を教えてもらう塾で学んでいただけだったので、自ら申し込まない限り外部の試験を受ける機会は無かった。中学生の頃は3年になってから五ツ木と大手塾の公開模試をそれぞれ何回か受けた。自分がちゃんとできていることを確かめるのが目的であった。高校生になってからは、高3の頃に京大模試を1回とセンター型の模試をそれぞれ1回ずつ受けたはずだが、それ以外の記憶はほとんどないのでどれだけ多く見積もっても合計5回もないはずである。現役合格できるような勉強量では無かったので、一浪したら合格できるようにどれぐらい自分ができていないか、その時点での京大との距離を計るために受けたのだが、あまりの遠さに愕然とした。だからと言って、志望校を変えることは微塵も考えなかったので、合格するためにどのレベルまで持って行かないといけないかががより鮮明になっただけの話である。浪人生の頃は、今は無くなってしまった大阪北予備校というローカルなところに通っていたので、河合と駿台の京大模試をそれぞれ2回ずつ受けたが、それは中学生の頃と同様に、ちゃんとできていることを確認するためであった。
 ここまで述べて来たことを整理すると、大学受験までに受ける勉強関連のテストには、できていることを確かめるためと、どれぐらいできていないかを知るためという2種類がある。それに、英検などの資格試験を加えて3種類に大別することができる。長男は私立に通っていることもあり、英検を早く取るように促されているのだが、「あんなん取ったところで大した意味は無いから、受かるかどうか分からない状態でチャレンジするのではなく、学校が設定している期限ぎりぎりのタイミングで受ければ良い」と伝えていた。ただ、それによって思わぬ問題が発生した。学校からの短期留学に申し込む際に、英検2級取得者という要件が入っていたのだ。それに気づいた時点で、1次試験と2次試験に分かれている通常の英検では間に合わなかったので、1日で終わる英検S-CBTというのでどうにか条件をクリアすることができた。
 テスト慣れとか、テストを受けて刺激を受けるなどということが一般的には言われるが、私はそんなものを感じたことはない。実力も無いのに、良い点数を取れたらラッキー、やる気が出るなどと淡い期待を持って臨むことが私にとっては時間の無駄なのだ。受験に関しては過去問以上に参考になるものはない。マーク型の模試であれば基本的にそれで事足りるが、記述形式のもの、中学受験の国語や大学受験における数学や英語などは実際にどのように点数を付けられるのか知る手掛かりになるので、それに関してはある程度きちんと採点してもらえるということが担保されるのであれば意味はある。
 息子たちには、先手先手を打って勉強をさせて来なかったので大してできないことは折り込んでいるのだが、中学生以降に向けて一度自分の立ち位置を知って欲しい、と私がなるのが偶然にも5年生の11月なのだ。その時期であれば、少しぐらいは何かを感じ取れるようになっているだろう、というのもある。算数に関して、上の2人は5割程度であった。三男は同じ時期で比べると2人より明らかに劣るので3割ぐらいだと想定していたのだが、それを遥かに下回る1割であった。気が変わらなければ、次回は三男のテストの結果のことと絡めて「えんじん」というタイトルの文章を書こうかな。

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