
2026.08.11Vol.746 「資料読解」のその先
主に中学生以上が取り組む「資料読解」というテキストがある。市販で優れたものがあればそれを利用する方が良いのでオリジナルにこだわる必要はどこにもないのだが、ことこの「資料読解」に関しては自前であることに意義を感じている。生徒たちには、「学校の作文は提出したら終わりやけど、『資料読解』は書き上げたところからスタートやからな」と伝えている。その内容について簡単に説明をすると、人口、エネルギー、ゴミなどの社会問題を章ごとに取り扱っている。「そのことに関する知識が無い場合はどうしたら良いの?」という疑問が浮かぶかもしれないが心配無用である。各章の頭で、そのことに関するデータなどを与え、それについて要約することで知識を頭に入れ込んで行き、章の最後でそれまで学んだことを活かして意見を述べる、というような作りになっているからだ。私が子ども時代にそうであったように物を知らない生徒が多すぎるので世の中のことに興味を持って欲しくて、元々は「読売KODOMO新聞」を一面から3ページほど読ませて、その中で気になった記事に関して400字程度の作文をさせていた。より体系的に学べるように、5年ほど前に「資料読解」と名付けて教材を作成し、どんどん手を加えながら今に至っている。上の「書き上げたところからスタート」というのは、そのテーマと真剣に向き合い文章にしたことによって、たとえば、それまではエネルギー関連のニュースが流れていてもまったく気にならなかったのが引っ掛かりを覚えるようになる、ということを意味している。作文は、興味の導火線に火をつける役割を果たすのだ。
100点満点の60点を平均としたとき、教材に限らず服などでも良いのだが、70点のものを見つけるのはそれほど難しくはない。ただ、80点、90点となると探す手間やお金がそれなりに必要になる。「資料読解」を自作することは、好きな言葉ではないがタイパ、コスパが良い。データの鮮度がとても大きなポイントになるからだ。エネルギーで言えば、2011年に起こった東日本大震災によって日本の原子力発電量は一時的にゼロに近い状態になり、2022年のロシアのウクライナ侵攻がきっかけで、ドイツは、天然ガス輸入の5割以上を占めていたロシアから完全に脱却した。最近のことで言えば、ホルムズ海峡の問題が今後どのように影響を与えて行くかを見守る必要がある。ナフサなど、これまでは何となく名前を聞いただけだったが、石油にもいろいろな種類があり、それが生活とどのように関わっているのを知るのも面白そうである。その他、次にテキストをアップデートでするタイミングで、「AIが、電力使用量のうちどれぐらいを占めるかが分かるようなものを入れ込んで欲しい」という要望をテキスト作成の担当者に出している。AIの普及によって電力量が増加している、というのはよく耳にするものの、どれぐらいインパクトがあるのかという具体的な数字については私自身聞いた記憶が無いのがその理由である。また、数日前にオーストラリアの太陽光発電に関するニュースに触れた。日本では自然エネルギーの占める割合は25%前後だが、オーストラリアでは40%を超えたとのことであった。日本とオーストラリアの比較を新たに加えても良いかもしれない。
「資料読解」で学んだことは、特に小論文試験に生きて来る。現在高3で、獣医師を目指している生徒がいる。彼は小3の終わりから通っていて、中学入試のときには本番直前の2, 3日前にもふざけていて、その日は9時から17時まで教室で勉強する予定になっていたのだが、私の逆鱗に触れ、10時ぐらいには教室から追い出した。頭に血が上り、怒りに任せてそのようにしたわけではなく、その気持ちのゆるみが本番で実力を発揮しきれないことにつながるのを恐れてのものであった。無事に志望校に合格したものの、中学の3年間もいろいろと大変で、高校の途中ぐらいからようやくまともなやり取りができるようになってきた。少し前に初めて過去問に取り組んだとき、アイデアが中々出てこなかったので、知識を増やすためにも、自分の将来の仕事に関してもっと深く知るためにも獣医関連の本を何冊か勧めた。世の中の多くの受験生は、わざわざそんな時間の掛かることをせずに手っ取り早く点数が取れるようになる方法を探るであろう。そんなものは存在しないのだが。読んだ本がいかに面白かったかという感想を伝えて来たり、作文の添削中の私とのやり取りを楽しんだりしているのを見ると心底嬉しくなる。子どもは放っていても成長するものなので、我々がどれほど貢献できたかは定かではないし、そんなことはどうでも良いことではあるのだが、彼の成長に最低限寄与できてきたかな、という実感がある。彼は、産業動物獣医になることを目標にしている。鳥インフルエンザの発生によって大打撃を受ける養鶏農家を救うことや食の安全を守ることにおいて彼が将来大いに活躍してくれることを期待している。
2026.08.04Vol.745 ウェビナー(おまけ編)
オンラインの体験授業を行う前に保護者の方と面談を行うようにしているのだが、セミナー直後に実際に申し込みがあったのは2件だけであった。参加者が100人を超えていたのでもう少し多いだろうと予想していた。野球でもサッカーでも、生徒や息子から「どっちが勝つと思う?」と聞かれたら、それが阪神やガンバ大阪、もしくは日本代表に関することであれば、「応援してるチームやから予想ではなく期待になってまうからなぁ」と、基本的にはっきりとは答えない。それで言うと、「もう少し多いだろう」も淡い期待に過ぎなかったので、「まあ、そんなもんか」というのが、現時点での率直な感想である。セミナーの前の時点で、アメリカ在住の2家庭(お子様はそれぞれ3人と2人)が一時帰国した際に教室で体験授業をすることは決まっていた。また、いずれも生徒の親御様からの紹介でベトナム在住の2家庭(お子様は1人ずつ)の方から問い合わせがあり、共にオンラインでの面談、体験を終えた。結果的に全員入塾していただけることになり、オンラインの生徒は元々の9人に7人が加わったので16人になった。また、この9月からアメリカとイギリスに留学する生徒が1人ずついて、その2人はオンラインに移行すると勝手に予定している。2人とも長いこと通ってくれているので、これに関しては期待ではなく願いかもしれない。彼らに限らず、ある程度長いスパンで成長の過程に関わり続けられるというのは志高塾にとってはとても大事なことであり、私にとってはとても幸せなことである。その私の個人的な願いが叶うと18人になる。今の態勢で受け入れ可能なのはおそらく25人前後なので後7人分しか余裕がない。本などを読んでいて、書き手が数字を入れることによって具体的に伝えてくれても、それによって逆に内容が入ってこないことがある。今回の私のものもその一例かもしれない。
「9人が16人になりました。ほぼ倍です。」と訴えたところで、それを受け取った方としては「ふーん」で終わるだろう。数字的なインパクトが非常に小さいからだ。ただ、私の得た手応えは、2倍ではなく、3倍、4倍といった感じである。アメリカの2家族の体験に顔を出し、ベトナムのお母様2人との面談も私が行った。その手応えとは、いろいろと話をさせていただく中で、自分たちが役立てることがもっとあるのではないか、というものである。これまで体験授業に来られた方から「志高塾のようなところは中々無いですよね」という評価の言葉をいただいた際には、「世の中には我々と同じようなことをもっと高いレベルでやっているところはもちろんあるでしょうが、それを家の近所で見つけるとなると簡単でないかもしれません」というような返答をしてきた。謙遜しているわけではなく調子に乗っているわけでもなく、偽らざる本音である。今や、多くのところがオンライン授業を行っているため、上の私の論に従えば、志高塾ではなく他のところを選べば良いということになる。それにも関わらず、我々のところに興味を持っていただけたり、その後入塾していただけたりするのは非常に嬉しいことである。
冒頭の2件のうちの1件は横浜市在住の方であった。30分を予定していた面談は私がべらべらとしゃべり続けたせいで1時間半になり、後日体験授業も行った。それなりに気に入っていただけたのだが、現在小6で中学受験生であるため、受験後にまた連絡をいただけることになっている。また、もう1件はアメリカ西海岸の方であり、今週オンラインでの面談予定である。単純に日本人が多いからなのかセミナーの参加者の中で西海岸在住の方が一番多かったような気がする。参加者のリストを眺めながら、いつかロサンゼルスに教室を作れないかなぁ、となった。
開塾当初から、生徒たちをどのよう人に育てたいか、と考えたとき、「グローバル」という言葉がずっと私の中にあった。「長年ものすごくぼんやりとしたものであった。それがはっきりと形を持ったのは“Think Globally, Act Locally”という言葉に出会ったときである。たとえば、こういうことである。私が志高塾を始めると決めたとき、候補として考えたのは関東と関西の2つであった。それは、“Think Locally”の典型例である。もし、そこにロサンゼルスやパリなどが含まれると“Think Globally”となる。生徒たちの皆がそうである必要はどこにも無いが、彼らが大人になったときに「どこの国でやろうかな?」といったような考えを持てるように、授業を通して刺激を与えてあげたい。オンラインの生徒が増えることで、日本の教室で授業を受けている生徒たちにも有用な情報をもっと提供できるようになるはずである。中には世界を股にかけて、“Think Globally, Act Globally”になる子も出てくるかもしれない。こういうことは想像しているだけで楽しい。
そろそろ締める。今回、最初に頭に浮かんで来たのは(総集編)だったのだが、1文字も書く前から大仰なタイトルに見合う文章にはならないだろうな、となり、(まとめ編)とひらがなにしてから書き始めた。そして、さらに修正を加えて最終的に(おまけ編)に落ち着いた次第である。








