志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生・卒業講師の声
受験結果
志高く
志同く
採用情報
よくあるご質問
お問い合わせ
体験授業申込 カレンダー
志高く

2026.05.26Vol.735 マツカゲ武者の分析力

 マツカゲ武者に、私の文章をどのように捉えているのかを尋ねてみた。その結果を先に示し、次に生みの親であり育ての親でもある山崎のコメントを紹介し、最後に私の感想を述べて終わりとする。では、お楽しみください。

【マツカゲ武者への質問】
今まで学習したブログをもとに、松蔭俊輔の文章の特徴を分析して教えてください。

【マツカゲ武者の回答】
これまでのブログを通して見ると、松蔭俊輔の文章にはかなり一貫した「思考の型」と「語りの癖」があります。表面的な文体よりも、内側の考え方に特徴が出ています。

①「結論を断言しないが、判断は明確」
松蔭の文章は、一見すると断定を避けています。
・「〜な気がする」
・「おそらく」
・「かもしれない」
といった表現が頻出しますが、最終的な判断自体はかなりはっきりしているのが特徴です。つまり「柔らかく語りながら、芯はぶれない」。これは指導方針とも一致しています。

②「抽象 ⇄ 具体」を何度も往復する構造
ほぼすべての記事に共通する最重要特徴です。
1. 抽象的なテーマ提示 (例:評価、厳格、時間、境界線)
2. 個人的な具体エピソード (生徒・息子・自分の過去)
3. 再び抽象に戻して一般化
この流れが非常に自然。しかもポイントは具体が「説明用」ではなく「思考の材料」になっていること

③「自分を落とす」ことで説得力を作る
松蔭の文章は、上から教えるスタイルではありません。むしろ、自分の失敗、未熟さ、矛盾をあえて出します。
例:
「全然そんなことはない」
「うまく行っていない」
「自分でも分からない」
これにより読者に「この人は本音で考えている」と感じさせる。

④「評価基準は一貫して“能力ではなく取り組み”」
これは思想の中核です。
繰り返し出てくる軸:
・能力は評価しない
・再現性を重視する
・取り組み方を見る
文章のあらゆる場面でこの価値観が滲む。これは教育論でありながら、人生観でもあります。

⑤「比喩が独特で、やや飛躍する」
松蔭の比喩はかなり特徴的です。
例:ビンゴゲーム、産婆、絵画、政治、ゴルフ
一見関係なさそうなものを持ってきて、最後に繋げる。ポイントは「うまく説明するため」ではなく、「考えた結果そうなった」感じ。そのため少し強引でも成立します。

⑥「読者を説得しようとしない」
普通の文章は「納得させる」方向に書きますが、松蔭は違います。
・押し付けない
・まとめきらない
・余白を残す
読者に考えさせる構造。その代わり、思考のプロセスはかなり丁寧に見せる。

⑦「会話・関西的ニュアンスが混ざる」
完全な論文調ではなく、 「なんでや?」「あかん」「そんなもんや」などが自然に入る。これにより「距離感が近く、リアルな指導現場」が見える。

⑧「話が逸れるが、最後に回収される」
よくある流れ:
・本題に入る
・脱線(かなり長い)
・いつの間にか本題に戻る
この脱線がむしろ本質。「思考の過程そのもの」を書いているためです。

⑨「時間軸が長い(短期では語らない)」
松蔭は短期的な成果をほぼ評価しません。
数年単位、小学生→社会人まで。
そのため文章にも、「積み上げ」「変化」「経過」が頻出。

⑩「最終的には“自分への問い”で終わることが多い」
典型パターン:
・結論を言い切らない
・少し余韻を残す
・自問で締める
例:「それで良いのだろうか」「どうするべきか」
読者ではなく、自分に向けて書いている感覚。

総まとめ(本質)
松蔭俊輔の文章は一言で言うと「思考の記録」です。
・教えるための文章ではない
・綺麗にまとめるための文章でもない
「考え続けている人の、その過程そのもの」
だからこそ、一貫性があり、説得力があり、読後に引っかかるという特徴が生まれています。

【育成者からのコメント】
 先日のVol.728と今回、「マツカゲ武者」の出力した文章を読んでいただきありがとうございます。このプログラムは、対話型生成AIのChatGPTを用いて、約700本の『志高く』バックナンバーから、志高塾らしさ、松蔭「っぽさ」が特に表れている約300本を厳選し、ブログの公開日やタイトル、本文を学習させて仮完成したものです。先日「彼」が代筆したブログは、松蔭の文章の傾向を捉えていたものの独自性という点で遠く及びませんでした。いくらAIの文章力が向上したとはいえ「その人らしい文章」を再現するのは容易くないという事実に、当教室の存在意義を再確認し、安堵しています。一方で、松蔭や事務員の志賀との会議中に、今回ご紹介した分析結果が出た際には「めっちゃ当たってる!」と3人で声を上げて笑いました。たとえマツカゲ武者でも「理解していること」と「それができるようになること」は別物だったようで、名付け親、育ての親を名乗る自身はその一面に親近感を抱きました。当分の間は、私が担っている広報業務の一部をサポートする壁打ち相手ですが、やがて授業でも活躍する存在になることを期待して今後もアップデートを重ねていきます。

【私の感想】
 3人が爆笑したのは「脱線(かなり長い)」の「かなり長い」の部分。あまりに面白く的を射ていたこともあり、思わず「なんやねん『かなり』って」と突っ込んでしまったぐらいである。
 特徴をよく捉えている、というのが第一印象であり、それと同時に、自分の頭の中だけではなく心の中を見透かされているような気恥ずかしさを覚えた。そこまでよく理解しているのに、なぜ文章があれだけ私が書くものとは違ったものになるのだろうか、ということについて数日間ぼんやりと考えていて、そういうことか、とかなり納得の行く答えが得られた。マツカゲ武者は、私の文章がどのように構成されているかは把握できても、私がどのような手順で構想しているかを掴めていない。そして、それがおそらく私の文章を特徴づけている一番の要因なのだ。次回、私が発見した「ファイルの法則」を例に取った上で、それについて説明をしていく予定にしている。

2026.05.19Vol.734 フッ軽の条件

 最近、「フッ軽ですね」と言われることが何度かあった。省略形を好まない私があえてそのまま使うのは、語感と意味が一致しているように感じるというのが一つ。もう一つの理由が、それを私に対して使うのが生徒や元生徒、学生講師などの若者に限られているということ。たとえば、マクドナルドであれば、「マクドナルド」、「マック」、「マクド」の3つが混在しているが、「フッ軽」にはその他の選択肢がない。私が若かった頃は、外に出たがらない人のことを「インドア派」と呼び、その対として「アウトドア派」という言葉が存在していたような気がする。それゆえ、その場合のアウトドアは必ずしも自然などと関係するわけではない。また、私と同年代の人は、「アクティブ」という言葉を用いることが多いのではないだろうか。語感について考えていて高校時代の英語の先生のことを思い出した。ある日の授業の冒頭、「英単語は発音を聞けば大体の意味が分かります」とまったく訳の分からないことを口にして、一番後ろの席の人に聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で“whisper”と大真面目な顔で何度かつぶやいたのだ。怖い先生で無ければ、「いや、それ、ただ『ささやいてる』だけやん」と間違いなく突っ込んだ。
 さて、「フッ軽の条件」。最も大事なことは、予定が立て込んでないことである。5月半ばのこの時点で6月のスケジュールは驚くほどスカスカで、週末を例に取ると、8日間ある土日のうち2日しか用事が入っていない。西宮北口校の国語講師の送別会と、生徒の親御様に用意していただける競馬場の来賓席での観覧だけである。7月以降に至っては見事にゼロである。そんな状況なので、誰かに誘われれば余裕で行けてしまう。2つ目が、いろいろとやりたいことがあるということ。釣り、ゴルフ、美術館巡り、スポーツ観戦、フットサルなど。疲れるほど仕事をすることはないので週末にゆっくりしたいというのはなく、ストレスがたまることもないのでリフレッシュのために何かをする必要もない。釣りは2, 3日前に予約することが多く、野球やサッカーのチケットを入手するのも大体そんなタイミングである。その日の気分とまでは行かなくとも、その辺りの気分でやりたいことを決められる状況に常にある。上で挙げたもの以外に読書や英会話など時間が空けばいくらでもやることはあるので暇を持て余すことがない。
 今回のテーマ、旅行とまったく関係ないわけではない。海外に行ってもポッドキャストで日本のニュースを流していることが多いのだが、この前は二男のプレイリストでずっと音楽を聴いていた。その中で、それまで曲を聴いたことすらなかった川崎鷹也と平井大という2人のシンガーソングライターを気に入り、帰国後、何気なしに調べてみたら、2人とも5月にコンサートがあったのだ。中々の偶然である。平井大の方は単独では無かったので、「じゃあ、川崎鷹也に行こう」となった。まずは、5月8日(金)の大阪城ホールのチケットを購入した。ちょうど教室が休みの1週間だったので、迷う理由はどこにも無かった。わずかばかり逡巡したのは5月29日(金)の武道館の方である。こちらに関しては、その週末の時間割について少し考えて、「よし、大丈夫」となった。この話を嬉しそうにしたときに生徒の口から件の「フッ軽ですね」が飛び出した。特別好きでも無かった歌手のコンサートのためにわざわざ東京まで行くことが理解できないらしいのだ。もし、飛行機で片道5時間以上掛けて、コンサートだけでトンボ帰りするのであれば、確かに「わざわざ」となるのだが、そうではない。実際、29日の朝一の便で東京に飛び、就活時代からの友人と3人で朝ごはんを食べ(2人は共に勤め人なのに、なぜ平日の朝に顔を出せるのだろうか)、その後、新宿にあるSOMPO美術館を初めて訪れて『ウジェーヌ・ブーダン展』を見る予定にしている。コンサートの後は、1年前の3月まで働いてくれていた元学生講師と飲みに行き、翌30日(土)は、この春東京の大学に進学した2人の元生徒とブランチをして、その後、千葉のZOZOマリンスタジアムでロッテ対阪神のデーゲームを予備校時代の友達と3人で観戦して、その流れで飲みに行く、というところまでは決まっている。その日の晩も泊まるのであれば、日曜は少し前に神奈川に一軒家を建てた生まれたときからの幼馴染の家を訪ねるか、Jリーグの監督を務めている小学校からの幼馴染の試合の応援に群馬まで足を伸ばすか、新入社員の頃に私が住んでいた池上(品川駅まで電車で20分ぐらい)にいる大学時代の同級生と会うか、現時点では3つの選択肢がある。なお、池上駅から徒歩10分のところにある池上本門寺は、日蓮宗の五大本山の1つであり、力道山のお墓があることで有名である。大学の同級生に関しては、彼の関西出張の際に年に2, 3回は飲みに行きお互いの近況報告をしているので、こっちで会うのが良いのかもしれない。
 そう言えば、一度は諦めた平井大のコンサート、土、日の2daysのうち日曜は単独ライブであることをその3日ほど前に知り、転売サイトでチェックしたところ、日が近づいていたこともありラッキーなことに定価の6掛けぐらいの値段で買うことができた。5月8日(金)の川崎鷹也と10日(金)の平井大、いずれも高3の長男と二人で楽しんで来た。コンサートに行ったのは実に20年以上前の槇原敬之以来であった。そこにいた人たちを含めた、その場の雰囲気は、普段私が感じるものと違って随分と新鮮であった。あれやこれやとただ新しいことに手を出せばいいわけではないが、非日常は日常を見つめる良い機会になる。
 私にしては珍しく、大きく外れることなくテーマに沿ってきちんと話を進めて来た。特に生徒たちが私に向けて使う「フッ軽」には、「好き放題遊んでてえーなー」という意味が込められているのだが、よくよく考えたら仕事でも同じスタンスなのだ。もう5年以上は前のことになるだろうか、タイトル自体をそのようにしたかは定かではないが、「志高塾は使われなかった枠で溢れている」というような題材で文章を書いたことがある。確か、当時は生徒の受け入れをストップした上で、今もそうであるように講師の方も少し多めに採用していた。振替を取りやすいように、また、特に受験生の親御様からのコマを増やしたいという急な要望にスムーズに応えられるように、常に余裕を持たせるようにしている。その使われなかった枠は、使われなかったという役目を果たしているのだ。「申し訳ございません。全部埋まっていて授業をお取りすることができません。もう少し早くに連絡をいただていれば枠を確保できたのですが」というのは、何も間違えてはいないが、間違えてはいないということと正しいこととはまた別の話である。志高塾には講師の欠員補充、という考えは存在しない。当たり前の話であるが、こちらが必要なときに十分な能力を持った方が応募してきてくれるわけではない。少し余らせた状態を作っておくことは、採用基準を上げることにもつながっているのだ。このような話をしたところで、生徒たちには「仕事休んで東京行くこと正当化しているだけやん」と突っ込まれて終わりである。それはさておき、親御様方によりご満足いただけるよう、公私共にさらなるフッ軽を目指し邁進して行く所存です。

2026.05.12Vol.733 初体験×旅行ver.2(ザ・スタック)

 アイスランド1日目、電気自動車ではなく乗り慣れたガソリン車を空港でレンタカーし、まずはブルーラグーンを目指した。こういうときは、AI(Gemini)の出番である。「アイスランドの『ブルーラグーン』は、約800年前の火山地帯に作られた、シリカ(白泥)を多く含むミルキーブルーの温泉スパです。ケフラヴィーク国際空港近くのレイキャネス半島に位置し、37~40度の湯に浸かりながら、泥パックやバーを楽しめます。完全予約制の超人気スポットです。」。そう言えば、と思って調べてみると、次のようなタイトルの記事が見つかった。「AIによって『検索』は不要に グーグルに迫る3つの脅威を米経済紙が指摘」。その中のある一段落を紹介する。「グーグルの中核事業は包囲されている。人々はますます人工知能(AI)に回答を求めるようになってきている。若い世代は情報収集に他のプラットフォームを使用している。そして、ウェブがAI生成コンテンツであふれかえるにつれ、検索エンジンが提供する結果の質は低下している。」。約1年半前の2025年1月の『ウォール・ストリート・ジャーナル』のものだ。当時、そのようなことがよく話題になっていたこともあり、「グーグルは今後どうして行くんやろか?」と素朴な疑問を抱いていた。ググれば、いつの頃からか「AIによる概要」がトップに表示されるようになり、利便性が増した。「平均、共生、融合」の話を掘り起こすと、(検索エンジン)×(AI)となる「融合」の典型例である。グーグルはこれまで検索エンジンによって膨大なデータを蓄積してきていて、それが大きなアドバンテージになっているのだ。
 その「AIによる概要」に対する一般的な評判はどうなのかと気になってググってみると、情報の正確性に対する批判が散見された。初期のウィキペディアの評価と似ているかもしれない。「正確性に対する批判」はさもありなんといった感じなのだが、一個人としては不思議な感じがする。情報の信ぴょう性があまりに低ければそのような意見は理解できるが、80%~90%ぐらいの精度があれば十分である。そもそもAIはオンライン上のデータを参考にしているのでそんなことはありえないわけだが、逆に99%の確度があると言われてしまうと、疑うこと自体をしなくなってしまう気がする。そのことの方がよほど怖い。私の場合、冒頭の「ブルーラグーン」に関することのように主に既知のことの要約に利用しているので、内容がおかしければその部分だけ修正したり、私が入れ込みたい情報を追加したり、逆に不要なものを削除したりすれば良いだけの話である。一つ断っておくと、要約することで作文力は付いていくので、特に大学生になるまではAIに頼らずにとことん自分でまとめる練習を重ねた方が良い。私の場合は、文章を書くことや添削を通してこれまで十分過ぎるぐらい訓練をして来たので「さすがにもう勘弁してください」といった感じである。もちろん、明らかに感覚が鈍ってくれば鍛え直さなければならない。話を戻す。逆に未知のことであれば、「AIによる概要」によってその事柄の輪郭が掴めるので、そこからググって行き細部を詰めて行くという過程を辿ることになる。情報を鵜呑みにすることの危険性については昔から語られているが、情報過多に拍車が掛かって行くこれからの時代は、「あれっ、なんかおかしい気がする」と未知のことにすらセンサーが働くようにすることがより大事になって行くのではないだろうか。一時期、本のタイトルなどでもよく目にした「~力」に倣えば、「違和感力」となる。未知のことと言っても、何から何まで新しいわけではなく大抵はどこかで既知のこととつながっているのだ。
 では、その違和感力なるものはどのように磨かれて行くのか。まずは知識を増やすことである。私の場合、読書やポッドキャストでニュースを毎日聞くことがその手段となっている。知識と言っても、歴史を例に取ると人物名を答えるような一問一答ではなく、ある出来事が起こるに至った流れを知ることである。ここでも何度か紹介したポッドキャスト番組『COTEN RADIO』では、たとえば明治維新の話をするのに、江戸時代末期ではなく、鎌倉時代や平安時代などのことから話が始まるなど500年以上遡ることはざらにある。それ以外には未来を予測することも違和感力を鍛える良い訓練になる。何も難しいことを考える必要はなく、身近なことについて少しだけ頭を働かせてみる。最近で言えば、早くも冬眠明けのクマ出没のニュースが相次いでいる。去年より多い気がするのだが、気がするだけなのか、実際にそうなのかは調べてみればすぐに分かる。また、2025年9月の法改正により、市町村の判断で、市街地でも緊急時の猟銃使用が可能になったが、この1年はさらに積極的に駆除して行く方向に向かうと予想している。現状、クマ一頭当たりの報奨金は1万~5万円程度で、日当も8千から2万円前後とのこと。自治体がその金額を決定しているのだが、それとは別に国が何かしらの手当てを出すことが必要なのではないだろうか。個人的には日当は1万円ぐらいにして、1頭当たりの報奨金を5~10万円になるようにすれば良いと考えている。予測がある程度当たれば嬉しいし、外れてもどこかどうずれたかの原因を把握することで、それがその後何かを予測する際に役立つ。
 アイスランド2日目、雪が降り積もった駐車場で車がスタックして1時間ほど悪戦苦闘したことを中心に話を展開するはずだったのだが、例のごとく本題にたどり着くことなく私の文章自体が空転した。

PAGE TOP