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2026.06.30Vol.740 あの時ああして

 何かしらうまく行かなかったことに対して、あの時ああしていれば、となることがある。旅行記(Vol.732, 733, 738)に絡めると、充電がうまく行かなかったとき、スタックしたとき、ばっちり自らの選択を後悔した。その場合の「あの時」はそれほど遠くない過去であり、また、「ああしていれば」の「ああ」はかなり限定的で分かりやすいものが頭に浮かぶ。イギリスでガソリン車を、アイスランドで4WDを借りていれば、となる。だが、子育てにおいてはどこまで遡れば良いかも分からず、それもあって「ああしていれば」の「ああ」はものすごくぼやっとしたものであることが多い。実際は、「ああ」を否定する形の「ああしていなければ」であり、その代わりの「ああしていれば」が無いままに、何かもっと理想的なやり方があったかもしれない、の状態で留まっていることが少なくないのではないだろうか。言葉遊びのようになってしまっているが、我慢してお付き合いいただきたい。元々この段落は話のまとめとして最後に持って行く予定にしていた。結論部分のアイデアが思い浮かんだので忘れないうちに書いているうちに、折角だから冒頭に持って来よう、となった。意見作文に取り組んでいる生徒に「いろいろな書き方をしなさい」というようなことをよく伝える。つい先日も、高校生に「俺のブログは700を超えた。『あの人、内容も構成もいつも似たようなばっかり』と思われたくないから、そうならないように工夫をしようとしている。ただ、一人の人間のやることなのでどうしても同じような感じになってしまうけど」という自らの例を挙げながら説明していた。結果としてバラエティに富んだものになれば良いのだが、決して簡単なことではない。だからこそ、少しでも良いから違ったものになるようにしよう、と心がけることこそが大事なのだ。
 前回のブログ『Vol.739 ウェビナー集客のための旧友からの寄稿文』の中で、友人は、「私の息子は、東京のインターナショナルスクールに通っています。息子をインターナショナルスクールに通わせるという選択は、私たち夫婦にとって非常に大きな決断でした。私自身が米国と日本を行き来しながら仕事をしていることもあり、息子の教育については、米国の現地校、東京のインターナショナルスクール、私立小学校受験など、さまざまな選択肢を検討してきました。」と書き始めて、その後に、インターナショナルスクールに通わせるに至った経緯を詳しく紹介してくれている。私の場合で言えば、園庭が広いところでのびのびと育って欲しいという理由で幼稚園選びをし、小学校に関しては3人とも地元の公立小学校に通った。長男と二男は共に中学受験をしたが、三男はそうではない。
 「あの時ああしていれば」となるが、別の道を歩ませていたとしても、かなりの確率でそれなりに多くの親が「あの時ああしていれば」となる気がしている。そう考えると、「あの時ああしていても」なのだ。開き直ってしまうと、子育てなんて思ったようには全然行かない。彼が寄せてくれた文章を読んで、夫婦で子育てについてそんなにちゃんと話し合えるのはすごいな、と感じた。とてもではないが私にそんな芸当はできない。だからと言って、私が、我々夫婦が適当に考えてきたわけではない。「その時そうすること」を決断してきているのだ。「決断」は少し大げさかもしれない。「その時そうすること」が良い、という判断を積み重ねてきた。
 それこそ700以上のブログの中で何度か書いてきたはずなのだが、20代の頃はとにかく人生がうまく行かず、「こんなはずじゃなかった」という思いが強かった。そんなときに去来したのは「俺は、どこでどう間違えたんだろうか」という思いであった。内定が出ていた別の会社を選んでいたら、もっとうまく行っていただろうか、などと考えもした。でも、やはり「あの時ああしていても」だったはずなのだ。30歳目前で志高塾を始めたとき、30代の10年間は自らが成長する期間に充てよう、という思いがあった。立て直しには10年は必要だ、と感じるぐらい、人として根本的な問題を抱えていたのだ。思考の柔らかさや深さが明らかに欠如していたのだ。そんな状態で未来のある子供たちを教えていたのか、とのそしりを受けるかもしれないが、体験授業に来られたときでもこのブログでも、大きく見せようとすることなくその時のありのままの自分をさらけ出し、志高塾を選んでくださった方には、その期待に応えられるようにやってきた。
 親から見て中2の三男がかなり大きな問題を抱えているので、そのことについて具体的に言及した上で文章を展開して行く予定にしていたのだが、先に述べたように結論部分から書き始めたら、偶然にもいつもとは違った展開のものになった。「今この時どうすれば良いのか」を考えながら、生徒たち、息子たちと接して行きたい。彼ら自身が、親御様が、私が「あの時ああしていれば」となり過ぎないで済むように。

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