
2026.06.02Vol.736 構想の起点
こんな言葉を一度も使ったことが無い気がするが、「ギャン泣き」というのが一番しっくりと来るような惨状であった。3歳ぐらいの女の子が、東京行きの機内で30分ほど泣き叫び続けていた。その母子は通路を挟んで私のすぐ斜め後ろにいたので、少し振り返ることで2人の様子をうかがうことができた。お母さんが必死に手を打つのだが効果は無く、万策尽きて、最終的には「泣き止んで」と懇願する始末であった。もちろん、そんなものが功を奏することはない。誰も咎める人はいなかったし、仮にそのような人がいたとしてもキャビンアテンダントが間に入ってくれるのでそれほど問題は大きくならなかったであろう。電車やバスであったらもっと大変なことになっていたかもしれない。そんなことを考えながら、我が子たちのことを思い出していた。3人とも0歳か、遅くとも1歳のときから飛行機に乗っていたが、ただの一度もそんな苦労をした記憶が無い。5時間以上のフライトも含めて、である。
夫婦で子育ての方針がぴたりと合うことは珍しい。それであれば話し合いによってずれを修正すれば良いのだが、それはそれでとても難しい。私は昔からどうしても外して欲しくないポイントだけを妻に伝えるようにしている。子供の叱り方はそのうちの一つである。「どのように叱るかは任せるが、場面によってやり方を変えることだけは止めて欲しい」というお願いをしていた。家の中で怒鳴るのであれば、たとえ人目が気になっても外でも同じようにしないといけない、ということである。使い分けをしてしまえば、親の言葉が響かなくなってしまうからだ。私は、あまりにも聞き分けが悪くぐずぐず泣いていると、「もうそれ以上泣くな!」と怒っていた。それでそれなりに収まっていたのだが、一度だけどうにもならないことがあった。2歳下の二男がまだ生まれる前なので、おそらく長男が1歳の頃、家族での沖縄旅行でそれは起こった。妻がマッサージに行っている間、私は長男と2人きりであった。寝ていた長男が目を覚まし、お腹を空かせて泣き始めたので、妻から教えられた通りに、混ぜて、少し冷ました上で粉ミルクを飲ませようとしたのだが、哺乳瓶を何度口に入れてもすぐにペッと吐き出すのだ。中々の地獄であった。そのとき心誓った。2人目以降が生まれたら、母乳をあげられるときでも週に何度かは粉ミルクを与えてあの人工的な感触に慣れさせておこう、と。そのかいあってか、二男、三男で同じ苦労をすることは2度となかった。
前回、「マツカゲ武者は、私の文章がどのように構成されているかは把握できても、私がどのような手順で構想しているかを掴めていない。そして、それがおそらく私の文章を特徴づけている一番の要因なのだ。次回、私が発見した『ファイルの法則』を例に取った上で、それについて説明をしていく予定にしている。」と文章を締めたにも関わらず、例のごとく「ファイルの法則」の出番はなくなった。それは私がどのように文章を構想しているかということと強く関係している。マツカゲ武者は、テーマを決めた後に、それに関連する具体例を集めて来ているとおそらく勘違いしているがそうではない。出来事こそが構想の起点にある。今回で言えば、「ファイルの法則」について書く予定だったのだが、「ギャン泣き」しているのを目の当たりにしたことで、そのことを取り上げたくなってしまったのだ。
マツカゲ武者が、「『抽象 ⇄ 具体』を何度も往復する構造」と分析していたことに倣うと、ここで一度抽象化しておく必要がある。女の子の「ギャン泣き」と我が子の哺乳瓶の例から言えるのは、「日頃やっていないことはいざというときにできない」ということ。推測の域を出ないが、あの子は日頃からある程度わがままが許されているはずなのだ。ちなみに、「脱線(かなり長い)」に関しては、今回も「泣く」ということに端を発して、そこからLGBTQの話に飛ばすべく書き始めたのが、それこそかなり長くなりそうだったので割愛することにした。
抽象化を終えたので、もう1つ具体例を持って来る。たまには中学受験の話を。志高塾では教室で過去問を解かせる際、60分のテストであればタイマーを63分に設定させて、その3分間で「どの順番で解くか」、「日頃どのようなミスをしがちで、それを防ぐために何に気を付ける必要があるか」などについて黙って考えるようにさせている。もちろん、問題、解答用紙は伏せた状態で、である。それにも関わらず、私の目を盗んで他の受験生とこそこそ話しているのを見つければ、大抵はテストを取り上げてビリっと破いて終わりである。別に大声で怒鳴るわけでもなく、たらたらと説教をするわけでもない。まだ小学生なので、そのようなことをしてしまうのも理解できる。大事なのは、2度、3度と同じことを繰り返さないことである。また、前受けについて尋ねられることは少なくないが、私は基本どちらでも良いと考えている。どちらかと言えば、不要派である。ただ、第一志望のボーダー上にあるのであれば、その1日が無駄になるので止めに行くことが多い。前受けの一つの目的として「本番の緊張感を味わう」というのが挙げられるが、前受けと第一志望とでは入れ込み具合が全然違うのでその経験は大して生きない、というのが私の考えである。1回や2回の前受けよりも、何十回と練習する過去問を毎回最大限の集中力を持って解くことを積み重ねる方が断然効果がある。
次回取り扱うのは、「ファイルの法則」になるか、「アイスランドでスタックした話」になるか、それとも私の周りで起こった出来事になるか。よく考えてみると、1週間生活していて、それなりに深く考えるようなことが何もないという方がおかしなことであるような気がする。








