
2026.07.28Vol.744 ウェビナーでいただいたご質問に対する回答(要約作文編)
シリーズ3回目なので、2度に渡って行ってきた冒頭の説明は割愛する。
自分が学生の頃、とにかく国語は何をどのように勉強して良いかがまったく分からなかった。中学受験の志望校の国語においては、120点満点中58点であった。進学塾での過去問演習においては、良ければ8割近く、どれだけ悪くても6割は超えていた。8点差で不合格になったので、国語が6割あれば合格できていたことになる。大人になってから思うのは、「いつも通りの力が出せていれば合格できていたのに」ということではなく、地元の公立中学ではなく私立に通っていれば自分の人生はどのように変わっていたのだろうか、ということ。また、当日はいつも通りできたという手応えがあったので、日頃、隣の席の子と答案用紙を交換して、先生の解説を聞きながら丸付けをするというあのやり方がいい加減だったんだな、という結論に達した。きちんと採点すれば、練習での得点率自体がそもそも5割前後だったのだ。高校受験は公立高校のものだったので、実に簡単で国語ができない私でも9割を超えることは難しくなかった。記述も少なく、ほぼ抜き出しで対応できたからだ。大学受験においては、当時、京大の理系学部の中で工学部だけは2次試験の国語は無かったため、センター試験対策をするだけで良かった。一浪したときの現代文ではまぐれで満点を取れた。こんなしょうもないことを自慢してしまうぐらい国語はできなかった。中学受験のときの国語はただやらされていただけだったし、高校、大学受験のときは選択問題が中心だったので、丸付けをして当たっていたらラッキー、というレベルの勉強しかしていなかった。浪人時代のセンター試験をもって国語のテストとはめでたくさよならできたのだが、国語力の無さはその後もずっと付きまとうことになる。30歳を数か月後に控えた29歳で志高塾を始めたのだが、その時点で少なくとも30代の10年間を使って自分の国語力を磨こうというようなことを考えていた。そのとき頭にあったのは「国語力=人間力」という式であり、それは今も変わらない。逆に言えば、「国語は得意です」、「読書が好きです」と口にする人が人間的にあまりにもアンバランスであると、「何のための国語力なんだろう?」、「その読書はどこに生きているんだろう?」となってしまう。作家など、自分で何かしらの創作活動を行う人は、人間として凹凸がある方が面白いものができるのだろうが。
随分と前置きが長くなった。学生時代、国語ができるようにするためにどうしたら良いのだろうか、ということを本気で考えたことはただの一度もなかった気はするが、なぜだか「天声人語」の要約をした記憶はある。それがいつの頃のことなのか、誰かにやらされたのか、それとも自らやろうとしたのか、はまったく覚えていない。ある私立の中高一貫校に通う男の子が確か高校1年生のときに体験授業に来た。その際お母様から、「息子が学校の国語の先生に、苦手な国語を克服するために何をすれば良いかを聞きに行ったら、『天声人語』の要約をして持って来るように言われた」という話を聞かせていただいた。一事を持って物事の良し悪しを判断するというのはどうかとも思うが、それに関しては「そういう先生はだめですね」と一刀両断した。まず、苦手意識のある子にやらせるにはハードルが高すぎる。また、「天声人語」は話を転じることに重きが置かれているのだが、「転じている」ではなく「転んでしまっている」と感じさせられるものも少なくない。それもそのはずで、603字、6段落に分ける、いう明確な縛りがある中で、新鮮な時事問題を扱いながらうまく話を転じるというのは至難の業である。そのお母様には、「仮に『天声人語』をさせるにしても、その先生自身が、1週間の中で2日分ぐらいを厳選した上でのことであれば分かりますが、それすらしないのであればあまりにも乱暴です」というようなことをお伝えした。おそらく「今回のものはうまく行った」と担当者自身が一定の満足感を得られるのは3回に1回ぐらいのはずである。親が、思い付きに近い形で「天声人語」の要約をさせるのはまだ理解できるが、国語の先生がそれをさせることで国語力が上がると考えるのはあまりにも短絡的である。
「要約作文」のことでここまで述べて来たことは「天声人語」は好ましくない、ということだけで何をしたら良いのかは何ら示せていない。セミナーの中では、実際に教室で生徒たちに取り組ませている偕成社が出版している『科学なぜどうして』を使ってのものを紹介した。300字から400字程度の簡単な文章を読み、80字程度でまとめるのだが、志高塾では要約のとき、本文を見ながらさせることはない。先の「天声人語」にしても、自分の言葉で表現させるのであれば意味はあるのだが、大抵は本文に線を引いて、それをつなぎ合わせているに過ぎない。そんなものは要約とは呼べない。ポイントは、それほど難しくない文章を自分の言葉で表現するということである。読解問題でも同様で、本文が難し過ぎないもので、かつそれなりに記述問題が用意されているものが望ましい。自分の言葉でまとめることで文章がきちんと消化され、それが国語力を、ひいては人間力を磨くことにつながるのだ。








