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2026.10.13Vol.754 「なぞい」の謎

 ふむ、これは実になぞい。
 3か月前ぐらいに、高3の長男が妻に向かって「ママはラグ過ぎる」と怒っていた。些細なことで腹を立てるなよ、と思いはしたのだが、受験生であるので少しぐらいピリピリするのも仕方がないか、となり、軽くいさめる程度にしておいた。「ラグ過ぎる」は「ラグい」から来ていて、「ラグい」はタイムラグがあることを意味している。要はリアクションが遅いことに対していらだっていたのだ。妻も私もそのときに初めてその言葉を聞いた。
 自分が子どものときも、大人から見たら言葉が壊れているように感じていたのだろう。言葉に限らず、時代とともに失われてしまうものは少なくない。「昔は~だったのになぁ」となったときに、その代わりに得られたものがあるはずだ、と、「その代わり」が一体何なのかについて想像してみようとするのだが、大抵はその答えを見つけられないまま早々に諦めてしまう。それは本気で答えを探そうとはしていないからであり、それでまったく問題はない。大事な~が失われたからだめになった、と頭ごなしに今を否定しないように一呼吸置くことこそに意味があるからだ。逆に自分が若かった頃に、自分たちは大切な何かを失くしてしまった、などと考えたことはただの一度もなかった。もう少し別の考え方もしてみる。「Vol.749子育ての折り返し地点」で、「あの時はかわいかったなぁ、といったように小さかった頃を懐かしんだ時が折り返し地点だ、というのが今回のテーマに対する結論である。」と述べた。「かわいかったあの時」が失われてしまったわけだが、逆の読み方をすれば、そうやって懐かしむ過去があったというのは恵まれていることなのではないだろうか。だから、「昔は~だったのになぁ」となったときは、そういう時代を過ごせて幸せだったと思い込めば良いのだ。
 上のように、自分のできる範囲内の話ではあるのだが、ある事柄について、ぐちゃぐちゃとああでもないこうでもないと思考する癖をつけておくことは私の仕事柄重要なことである。先週、小5から高3の春まで約7年間在籍していた女の子が久しぶりに、特段の用もなく教室にやって来た。前日に「先生はいらっしゃいますか」と連絡をくれた上でのことであった。どうせやったら勉強して行き、と教室の一角で2,3時間自習していたのだが、途中、「めっちゃなつかしぃ、これが志高塾やわぁ」と笑いながら感想を漏らしていた。半年前、彼女は悩んだ挙句に通い慣れた志高塾を辞めて予備校に行くことにした。そこではどの先生も「大丈夫、大丈夫」と声を掛けてくれるらしいのだが、全然大丈夫ではないことを本人はよく理解しているし、彼らの言う大丈夫の根拠がどこにあるかが不明で納得が行っていないのだ。それに比べて、志高塾では相手が小学生であっても遠慮なくずばずばと指摘する。そして、当の本人も「そうやって言われるのは自分に原因がある」と受け止められるようになっていく。その空気に触れて喜んでいたのだ。生徒たちに何かしらの声を掛けるとき、励ますことが目的ではない。もちろん、否定することが目的でないことは言わずもがなである。人を育てるためには、どこかに糸口を見つけなければいけないし、成長を阻んでいる原因には手を入れて改善しなければならない。すべての行為は前に進んでいくためにあるのだ。そう言えば、「今までそんなことを褒められたことがなかったです。そんな見方もあるんですね」というような言葉を親御様からいただくことが時々あるのだが、それは何も変わった見方をしているからではない。学年が低いほどその子らしさがマイナスに響くことは少なくない。それゆえ、学校ではそれが扱いにくさとなり、先生から個人懇談などで否定される。私に言わせれば、そこに面白さが詰まっていることが多いのだ。それを大人の勝手な都合で取り除くのではなく、大事に守ってあげながら育てることが我々の役割である。
 いつものように話がそれてしまった。先週末、高校の同級生2人と3人で飲んでいたのだが、そのうちの1人が好きな女の子に告白するために家に電話を掛けると留守電になり、きちんと名乗ってメッセージを残してしまった、という話を初めて聞いて大爆笑した。お父さんが出て、思わず電話を切ってしまった、というのはよく耳にしたが、律儀に留守電で自己紹介をしたというのは前代未聞である。昔は親を含め、本人以外が出ることも少なくなかったため、ある程度きちんとした言葉を使う必要があったのだが、今は子ども同士で済んでしまう。この場合の「その代わり」を見つけるのは中々難しい。そして、それはテキストメッセージにも言える。それゆえ、大学生講師や生徒に「もう少しきちんとした言葉を使うように」と注意することが時々ある。その一方で、9月からアメリカの現地校に留学をした高1の男の子が次のようなラインを送って来た。その冒頭部分を本人の許可なく勝手に紹介する。
「松蔭先生お久しぶりです
留学に行ってからだいたい1か月経ちました勉強は英語の単語のボキャブラリーがないのでストレスです。」
句読点を含めて原文のままである。生活が落ち着いたのでオンライン授業を始めたいです、という旨の内容であった。意外ときちんとした言葉を使えていたことに驚いた。余談ではあるが、お母様に促されてのことだと思い込んでいたのだが、本人が自分の意志で連絡してきたと知り、嬉しくなった。パリにいる小5の男の子の授業中に、他の講師が教室で授業を行っている後ろから私がパソコンの画面をのぞき込むことがよくあるのだが、先週は「おいっ、ちゃんとやってるか?」と聞くと、「ただいま勉学に励んでおります」と返って来た。以前、同じような状況で「俺が教えたろか?」と脅すと、正確な言葉は忘れてしまったのだが「松蔭先生のお手を煩わせるのは・・・」というような感じで断られた。その子は不思議なことに小5にして、そのようなある種固めの言葉をきちんと使えるのだ。それらのことを考えていて、海外の現地校に通っているオンラインの生徒は、若者言葉に触れる機会が少ない分、我々が質の高い授業を提供できればきちんとした日本語を身に付けさせてあげられるのではないだろうか、という気がしてきたのだ。今回の文章で一番言いたかったことはこのことである。
 言葉は省略されることで乱れて行く。「なぞいんですけど」は「なぞなんですけど」と同じ意味であり、短くなってはいない。ポッドキャストでそれを聞いた時、一体何なのだろう、と不思議に思ったので、それをタイトルにしてみた。

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