志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生の声
志高く
志同く
採用情報
お知らせ
お問い合わせ
体験授業申込 カレンダー
志同く


 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.12.12Vol.79 「機械的」になる五分間(三浦)

 ルーティーンが驚くほど身につかない。
 些細なストレッチや短い日記のように大した手間でもないものほど、毎日行うというのがどうしても続かず、たいていのことは三日坊主で終わってしまう。よく聞くのは、風呂上がりや食後などのように行うタイミングを決めることで習慣の一部にするというものだが、それも四日目にはすっかり忘れてしまっていることが大半だ。
 いや、忘れるというのは言い訳に過ぎない。「三日も続いたし、もうやらなくていいかも」という思いがなぜかふと浮かんで、それに負けてしまう。これが正確なところだ。飽き性なのか何なのか。褒められたことではない。
 そういった悩みに対して、このあいだ、そもそも「『やる』『やらない』の二択にしてしまうのがよくない」という旨の投稿を見かけた。確かにその通りだ。「やろうかな、やめておこうかな、どうしようかな」という迷いが浮かんだ時点で、私の場合は何かと理由をつけて「やめておこうか」に傾いてしまう。決めたことを実行するだけの意思が弱いと言われればそれまでだ。前回の作文で取り上げた武者小路実篤の「いいと思ったことはどんな小さいことでもするがいい。」という言葉はいつもその度に背を押してくれている、押してくれてはいるのだが、実行に移せるのはせいぜい半分程度である。意思というのはすぐに強くなるものではない。
 自分の意思はとうに信用できない。だから、意思に頼らないシステムを作らなくてはならない。
 と、思ったところでふと、よく聞く「決断」の話を思い出した。一日の決断の回数を減らすために服や昼食をあらかじめ決めておくという話。そういえば、あれもルーティーンの一種だとようやく気づいた。これまで気づかなかったのは、私が想定している「ルーティーン」がストレッチや暗記のように、生活に新たに加えるものだったからだろう。
 思い返せば、「考えないで行っている」こと自体は私にもいくつかある。しょうもないことではあるのだが、小食なこともあり、ラーメンを一杯食べきるために食べ方を自分用に最適化した。麺やスープに先に手を付けてしまうとすぐに満腹感が襲ってくるので、先に具材を完食する。そして麺、そしてスープ、という順序に決めており、行き慣れた店になるとメニューすら何一つ悩むことはない(何で満腹になるかがわかるので)。これによる利点として、食べきれるようになるのはもちろんのこと、他のことを考える余裕が生まれる。私にとって考え事に最適なのは、ひとつには散歩の時間、その次点はそうやってラーメンを食べる時間といっても過言ではない。
 少し脱線した。上記のような「考えないことによって、他のことを考える」というのは今求めているものではない。それは動作中の話であって、動作に取り掛かるまでの話ではないからだ。しかし、ここからあえて何かを見出すとするのなら、「常に何かを考えようとしている」という点だろうか。言葉の割に、そんなに高尚なことではもちろんないのだけど。
 そんな私が、「やる・やらない」の二択に持ち込まずにいるためにはどうするべきか。習慣化の方法論などはいくらでも本で紹介されているし、もちろん私も読んだことがあるが、いまの私に何より必要なことは、迷わないことだろう。
 朝、ぎりぎりの時間まで眠った時、家を出るまでの行動は無意識のうちに最適化されている。服を選ぶなどという工程も省き、決まった荷物を持ち、機械的に身支度を済ませる。それがルーティーンとしては理想かもしれない。そう思うと、時間的余裕はない方がいい。
 ここまで書いてようやくひとつ浮かんだのは、ストレッチを「風呂上がり」とアバウトなタイミングの設定にするのではなく、「風呂上がりの5分以内に始める」とより制限することだった。あまり変化はないように思えるが、だらだらする時間は減ると信じたいし、時間が減れば迷う時間も減るだろう。はたして些細な変化でどれくらい効果があるのか。
 仮に、授業で生徒が上記のようなことを書いていたら、「じゃあ、実際にどうなったか今度聞くわ」と声をかける。作文して終わりではなく、それ以降に活かしてこそだからだ。つまりは習慣化を身に着けるもう一つの方法とは、「誰かに宣言する」ことだろう。この場を借りて宣言させてもらい、一カ月後、自問自答することにする。ひと月何かが続いたとしたら、それは自分にとってかなりの快挙であるし、ようやく生徒に「毎日やったら?」と自信を持って声をかけられるというものである。

PAGE TOP