志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生の声
志高く
志同く
採用情報
お知らせ
お問い合わせ
体験授業申込 カレンダー
志同く

2026.01.31Vol.83 自信と謙虚のあいだ

 小学生の頃からドキュメンタリー番組が好きだ。これまで見てきたものの中で印象に残っている一本を問われたら、≪情熱大陸≫の世界的なヴァイオリニストの庄司紗矢香に密着した回を挙げる。調べたところ19年前の放送だった。時の流れはおそろしい。それでも記憶がある程度の新鮮さを保っているのは、庄司氏があまりにも気風の良い女性だったからだ。彼女はパガニーニ国際コンクールで史上最年少の16歳で優勝したことで、スター演奏家の仲間入りを果たした。しかもこのコンクールは「1位該当者無し」が珍しくないくらい審査基準が厳しい。そして、番組内ではおそらく表彰後に行われた記者会見の様子が一部流されたのだが、記者から感想を尋ねられた庄司氏は涼しい顔で「優勝すると思っていたけれど(実際に1位を獲れたのは)やっぱり嬉しいです」と返していた。なんてクールな発言だろうか!放送当時9歳だった私は、彼女のように堂々と自信を持っている日本人を目にしたことが無かった。優秀な子や才能のある子じたいは身近にもいたし、彼、彼女たちの性格もそれぞれであったが、自身が力を入れている分野の話を学校の教室で持ち出すようなことはしなかった。また、一芸に秀でていようがいまいが「自分なんて大したことない」という謙遜のポーズを取ることが良識なのだと、大人たちからは教えられてきたし、子どもたちの方も集団生活を送る上で重要な処世術だと肌で理解していた者が大半だったはずだ。空気を読むのが下手な私でも、出る杭になっては生きづらいだろうとは感じていた。そういう常識の下で生きていたのもあり、10代ですでに一流の精神が確立されていた庄司氏の姿は衝撃的だった。プロフェッショナルとは、自分の立ち位置を正確に把握しながら、ゴールの無い研鑽の道を歩むことができる人物なのだと教えられた。また、努力を続けられているのは、目標を達成した喜びを純粋に受け止める素直さもあるゆえだ。数値化が難しい音楽の領域において己を客観視できる鋭い感性は生まれ持った素質によるのだろうが、トップランナーに対して「天才はやっぱり違うなぁ」という漠然とした尊敬を抱くだけで終わるのは勿体ない。彼ら、彼女らの活動に触れることの意味は、凡人なりに「より良く在る」ための視点を与えてくれることにある。
 庄司氏の発言が最近になって脳裏に浮かんだきっかけは、国語講師に応募してきた方の面接を通して、相手は「作文が得意です」と(たとえ表面上でも)断言するまでに葛藤はあるのだろうか、という疑問が湧いてきたことだ。私の知る限り、著名な職業作家は作品に誇りは持っていても、だからといって「執筆が上手いです」とはアピールしない。誰よりも言語化能力と構成力に長けているのに。だが、言葉を大事にする彼、彼女らが「自分なんて大したことないんです」などと表面的な謙遜をするはずは無いだろう。
 肩を並べるようであまりに恐縮なのだが、私自身が「得意」という自己認識を持っていない、より正確には「持ってはいけない」と肝に銘じている。これまでの「志同く」でも今となってはぞっとする内容のものを掲載してしまったのは一度では無い。逆に、他の講師から有難いことに高評価を貰えた場合でも、実態は「全然きれいにまとめられなかった」と半ば絶望しながらのブログ更新だったりする。要は、当の書き手にとっても文章の質は発表してから決まる部分があるからこそ悩む。掴み所の無い相手との格闘のようなものだ。ちなみに、あの村上春樹氏は空想上の「うなぎ(の蒲焼)」と協力しながら闘っているらしい。彼いわく、小説とは、筆者と読者とうなぎが「三者協議」を行わないとが生まれないものだという。私は内田樹氏の著作『先生はえらい』での引用文を通して村上氏の創作の裏側を覗いたのだが、第三者的な視点をうなぎのキャラクターに設定している理由は明かされていなかった。内田氏は「それを嫌う日本人はほとんどいないけれど、(産卵場所のように)謎に包まれた部分も多い」点が比喩表現として秀逸だと評価しているため、一般論を想定して物語を練るという意味なのだろう。つまり、「伝えたい」という衝動に任せてただ好きなように書き連ねていては、かえって伝わらない文章が出来上がってしまう。そして、「志同く」の場合に引き寄せて考えると、テーマに自由度に甘えることなく、日常生活で琴線に触れた事柄について「ここから生徒と親御様が何か気づきを得られる内容になっているか」を見直すことと繋がっているのではないか。
 面接の話題に戻る。応募者は国語の専門塾と自分をマッチングさせるべく「得意です」とあえて言い切っている面もあるだろう。ただ、もう少し踏み込んで、国語に対してポジティブな気持ちを抱くようになったきっかけを教えてもらうと、「何気なく書いた作文を大人に褒めてもらえたから」や「入試科目の中で一番点数が良かったから」という答えが返ってくる。それらはご本人の自信に繋がる大事な経験だろう。ただ、個人的には、苦しみの過程を経て「作文を好きになった」もしくは「今でも得意ではないけれど重要性を認識するようになった」という結論に至っている人の方に魅力を感じる。言葉を紡ぎ出すことの困難さに正面からぶつかってきたがゆえの謙虚さが滲み出ているからだ。

PAGE TOP