
2026.03.13Vol.88 往復する扉(三浦)
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読了した。来る3月20日に映画が公開されるということで、どうにかそれまでに読み切らなければと急いでいたのだが、下巻に突入してからはそんなことは気にしなくても良いほど早く読み終えてしまった。安心して映画の予告なども見られるようにはなったのだが、見たら見たで小説版で感じた感動や衝撃が恋しくなり、宣伝の仕方にもどかしくもなりで、ちょっと複雑だ。
本当はこれすらも小説で読んでほしいのだが、これからの展開に必要なので仕方なく、簡単に書影に載っていた部分だけのあらすじを説明する。主人公の男性は記憶喪失の状態で不可思議な空間で目を覚まし、(本人にとっては)なぜか持っている宇宙や科学に関する知識、それを基にした実験を駆使して、自分が宇宙空間にいることを突き止める。そしてその理由を自身に問いかけていくうち、地球の危機、そして地球を救うという自分の使命を思い出していく……というのが、導入の流れだ。
この、実際の知識や実験を駆使して試行錯誤していく過程がまた面白い。突拍子もない部分と地に足のついた部分が良いバランスで組み合わさっていて、説得力とエンタメ性が補強されている。上巻の途中まで読み進めたところで、一人の男子生徒の顔が浮かび、その生徒の授業があった日に喜々としてこの本を勧めた。理系で、実験や宇宙に関することが好きな生徒だったので、きっと私よりもずっとリアルに想像できるだろうと思ったからだ。テスト前だったにも関わらず購入してくれた彼は、その一週間後には上巻をほぼ読み切ってくれていて、感想や所感をいろいろと話してくれた。嬉しいやらタイミングを後悔するやら、教師としてはいまいちだったかもしれない。
そして、今は同じ作者の『火星の人』を読んでいる。映画『オデッセイ』の原作といったほうがわかりやすいかもしれない。これは火星探査の一員である主人公が死んだと判断されて取り残されてしまい、植物学をはじめとする知識を活用してひとりぼっちの火星で数年を生き抜かなければならなくなる、というものだ。宇宙や深海といった酸素のない空間に対してどうしても恐怖を抱くたちだから、映画の方は苦手意識があって避けてきたのだが、本を読み切ったら観てみようと思う。
上記の二作は科学エンタメともいえる作品で、だからこそ読者にも納得のいく、身近な科学や地道な計算が登場する。一方、古典SFの有名どころでは、火星人が地球を襲うウェルズの『宇宙戦争』などは科学というよりは逃げ惑う人々がメインだったので、特に火星に関する知識がなくとも良かったし、特別それを語る必要もなかった記憶がある。『宇宙戦争』の発表は1898年。同時代には、大砲で月へと向かうジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』も出版されている。思えば、その時代よりもずっと科学は進歩し、火星も月も夢物語ではなくなったということだろう。
サイエンス・フィクション。いわゆるSF小説は割と好きで読むほうなのだが、この「サイエンス」の部分への造詣は未だに浅い。地に足のついた身近な科学であればあるほど、その部分を流し読みしてしまうこともままある。しかし、理系科目とは早くに縁を切ってしまった私が、こういった文学を通じて、知らない世界を覗き見て、その面白さを痛感できるのは、物語という媒体の良さなのだろう。
考えてみれば、SFのように文学を通して科学に通ずる道はあるが、その逆は少ない気がする。つまりは科学から文学へ、理系から文系へのアクセスのことだ(理系・文系と括ってしまうのはいささか乱暴かもしれないが、ひとまず)。私が理系に詳しくないからかもしれないが、ぱっと思いつくものはない。SFを好んで読む理系の子が、その延長線で他の本に手を伸ばすくらいだろうか。そこからどんどん広がってくれればいいが、その入り口はやはり万人が立っているものでもない。
双方向のアクセスをどう作っていくか。自分の範囲にないものを、どう面白がれるようになっていくか。その扉をたくさん作ってあげるのが、教える側の責務なのだろう。
最後に少しネタバレを。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の主人公の職業は教師である。後の世代にバトンをつなぐこと、子どもの未来を信じること、そんなことにまで思いを広げながら読み終えた。教えるというのは、ともすれば地球を危機から救うことくらい、難しくも大切なことなのかもしれない。








