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2024.05.21Vol.638 欧州旅行記 ~タイパ~

 お笑い芸人のレイザーラモンRGに、懐メロに載せ「・・・に関するあるある早く言いたい~♪」と歌いながら中々それを披露しない、という実にベタなネタがある。それになぞらえれば、「旅行中に考えたあれこれ早く書きたい~」という状態だった。頭からいつ抜け落ちてしまうか分からないので、その前に形にしておきたかったのだ。それゆえ、翌日の水曜から手を付けるはずだったのだが、結果的には土曜になってしまった。
 前回、「旅行は非日常であると言われる。それは、出発前の少し気合を入れた読書から始まっていたことになる。」と述べた。それは布石であり、その後にいろいろな「非日常」を並べる予定にしていたのだが、紙幅の関係上叶わなかった。ここで一つ挙げる。私の経験上、旅行というよりヨーロッパ旅行に限ったことになるのだが、その間、とにかくよく歩く。複数の見たいものがある程度の範囲にまとまっていることが多い上に、街並みがきれいだからだ。少なくともメトロに乗って地下に潜るのはもったいなく、バスも乗り換えがややこしいため敬遠してきた。
 ヨーロッパにいる間、アイデアがどんどん湧き出て来た。ジュネーブにあるルソーの生家を訪れたときに次のような言葉に出会い、なるほど、となった。「私の思考を動かし、活気づけてくれるのが散歩である。じっとしているときにはほとんど考えることができない。体を動かさないと心ここにあらずなのだ」。帰国後、「沈思黙考」という四字熟語がふと頭に浮かんだ。辞書には、沈黙して深く考えること、とある。旅行中、日本語で話をする相手は基本的に妻だけであり、ここで扱うような内容を日頃から二人の会話に盛り込むことが無いため、自然そのアイデアは私の中に長い間留まることになる。誰に話すことも無く、黙るしかなかったことで、時間を掛けて深く考えられたのだ。アイデアが湧き出て、さらにそれを熟成させられていることに喜びを感じていたら、あることに気付いた。熟成はさておき、いつも以上に湧き出ているというのは錯覚に過ぎないことに。『志高く』を2週間休んでいたから、その分溜まっていただけなのだ。収入が変わらなくても支出が減ればその分貯金が増えるのと同じ仕組みである。
 大学の同級生とのバルセロナを訪れた際、サグラダファミリアの塔を歩いて上り下りし、心地良い疲労感と達成感を覚えながらその前で休んでいると、日本人のツアー客を乗せたバスが目の前をゆっくりと通り過ぎて行った。彼らが窓にへばりつきながら一生懸命写真を撮っている光景は衝撃的であった。その後、彼と別れ、一人マドリード近郊の古都トレドを訪れた際、橋の上から眼下を流れる川を見ながら、「もっと、じっくり時間を使わないと」というようなことを自分に言い聞かせていたことをよく覚えている。そうでもしないと、「どこどこに行った」、「何々を見た」というのをより多く積み上げることだけが目的になってしまいそうだったからだ。それは、ジョッキーが、ゲートが開いたと共に、前に前に行こうとする馬の手綱を引っ張ってそれを押さえようとするのに似ているのかもしれない。
 効率性を求めるのは、若者の特権の一つであるように思う。ただ、今はタイパという言葉によってそれに拍車が掛かかり過ぎているきらいがある。価値を判断する際、すべてを数値化できるわけではなく、むしろ、それ以外の部分の方が大きい。ご飯を例に取る。必要なカロリーを、より短い時間でより安く摂取できるような流動食で三食済まして、不足する栄養分に関してはビタミン剤で補う、というのでは味気が無さ過ぎる。もちろん、価値観は人それぞれなので、そのような食生活を好んでいる人に対してどうこう言いたいわけではない。(タイパ)=(効果)÷(時間)で表せるが、「タイパ」と口にする若者の多くは、(時間)に入れる数字がどれも小さいのだ。そこに大きい数字を入れる何か、じっくりと時間を掛ける何か、つまり、ものすごく大事な何か、があって、そのために、他のことのタイパを最大化しようとするのであれば分かる。しかし、一事が万事、タイパタイパではあまりに貧相ではないだろうか。
 グーグルマップのおかげで、知らない土地であっても道に迷わなくて済むようになった。しかし、今回も基本的には、紙の地図を片手に、建物の壁に貼られた道の名前を確認しながら目的地を目指した。大学生の頃は、まず駅に着いたら、インフォメーションで地図をもらい、行きたいところにボールペンでドットし、どのような順番で回るのが良いのかを考えていたのだが、そういうことをしなくなった。当時に比べて行きたいところを盛り込み過ぎないことで時間的余裕が生まれたからだ。ただ、どうしても急がないとだめなときやバスの乗り換えなどには重宝した。これは、紙とデジタルの辞書の関係に似ているかもしれない。日頃は紙の辞書を使う。それによって、ある単語を調べた際に見開きのページの情報が何となく視界に入ってくる。デジタルでもスクロールすれば、理屈上同じことができるがそのようなことは中々しない。紙の地図であればその町の全体像が何となく分かるが、グーグルマップであれば、設定の仕方にもよるが、徒歩の場合だとたかだか数十メートルの範囲がクローズアップされるだけである。
 点と点を直線で結ばないことで、思いもよらないものに巡り合えることがある。そういう過程を楽しめる人、その過程で自分なりの発見をできる人でありたい。(つづく)

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