志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高く
志同く
お知らせ
志高く

2021.07.20Vol.503 耳より情報

 こんなタイトルを付けると「日頃、どうでも良いことばっかり書いているみたいやん」と突っ込みたくなります。ボケているわけではないので、単品の一人突っ込みです。「(いつも以上に)耳より情報」と解釈していただければ幸いです。
 「試験期間中やから、いつもよりじっくり生け花ができる」と中1の長男が喜んでいた。緊急事態宣言で教室がしばらく休みだったことも手伝っているのだろう。年長で始めた時から親としては大人になるまでやらせる気で、本人も何の疑いも無くそのようになっているので、私としてはしめしめといった感じである。このまま続けていれば高校卒業ぐらいで師範の資格を取れるとかいう話だった。それはそれで良いのだが、長く続けることで身に付くものがある、ということを20歳ぐらいで体験しているということはとても重要な気がしている。時には、何かにスパッと見切りをつけることも大事なのだが、何か1つでも継続しているものがあるというのはすごく意味があるのではないだろうか。自分にそういうものがないので、単なる思い込みの可能性もあるのだが。
 今回のテーマは定期試験と関係している。過去にこのことをメインとして扱ったことはない気がしている。その前に、誰にとって耳寄りなのか。特に、休むことがまだ習慣化されていない現在の小学生以下の子供を持つ親御様にとってである。
 私は、公立中学、公立高校と進んだ。そんな私にとって中学と高校では定期試験の意味合いはまったく異なった。公立高校を目指していたので、中学では内申書のために少しでも良い点数を取る必要があった。ただ、教育熱心な校区で無かったため、実際のところ私はすごい楽ができた。まず、相対的に良い成績を取ることは難しいことではなかった。それに加えて、息抜きをしたければいつ何時でも遊び相手は見つかったし、やるべきことがあれば人に惑わされずにやればいいだけだったからだ。ちょうど私が大学生になった頃ぐらいに携帯電話が普及し始めたので入学と共に買ってもらっている同級生が多かったが、私が持ったのは2回生以降である。理由は単純で必要性がなかったから。麻雀のメンバーを集めたければこちらからは電話をして捕まえることができた。当時、公衆電話があちこちにあったし、そんなことをしなくても近くにいる友達の携帯を借りて、「あっ、俺。麻雀するから来て」と告げ、用事があると断られようものなら「そんなんどうにでもなるやろ。とりあえず来て」と説得を試みていた。あの頃は電話代がそれなりに高かったので迷惑な話である。一方で、私には連絡の取りようがないので誰に邪魔されることなく自分のしたいことをしていた。今の子供たちのように中学生の頃の私がスマホを持っていたらどんな風に付き合ったのだろうかと時々考えることがある。
 公立中学の定期試験については良くない点が1つある。それは問題が簡単なことである。しょうもない自慢をさせていただくと、高校時代、得意の数学で480人中10番以内に入ることはそんなに難しいことでは無かった。進学校と呼ばれてはいたが、最難関と呼ばれるいくつかの私立の学校とは大きく異なり抜群にできる奴なんておそらく3人もいなかったからだ。しかし、その同級生たちと中学のテストで競ったら、100番以内にも入れなかったかもしれない。ほとんどの生徒が90点台を取ることが予想されるので、ミスをするかしないかで順位が決まるからだ。ミスは多い方ではなかったが、それをしないための訓練というのは楽しくない。学力差があることを考慮した上で、70点分はきちんと勉強した生徒は取れるようなものにし、残りに関してはそれなりに解き応えのあるものにするべきだ、というのが持論である。
 一方で、高校の定期試験はフルマラソンにおける5kmごとのポイントのようなものである。常に理想的なタイムで通過する必要はない。時計も無く、残りの距離も分からない状態で、たった一人42.195kmを目標タイムで走り切るのは至難の業である。だが、腕時計をした状態で5kmのポイントが分かるようになっていれば、たとえ遅れていたとしてもどれぐらいスピードを上げればいいかの目処が立つ。ここでのゴールとは大学受験のことを指している。私は高1の頃はそれなりに真面目に勉強していたが高2になるとだらけ始めた。すると、テキストの問題を完璧に理解しないままテスト当日を迎えることが少なくなくなった。そのような時はテスト後に1週間でも2週間でも掛けて、必ずその部分を補ってから次の範囲に移行するようにしていた。しかし、私と同じような状況でも「さっ、次の期末がんばろ」と穴を開けたままの同級生がほとんどであった。数学のような積み上げが求められる教科でそのようなことをするのは理解に苦しむ。たとえば、予定の時間でまだ4kmしか走れていない場合、10kmの地点で帳尻を合わせたければひとまず6kmは頑張らなければならない。しかし、先の同級生たちは車にでも乗って5kmまでワープしていた。もちろん、そんなズルをすればペナルティが課される。この場合のペナルティとは時間を掛けた割にできるようにならないということである。基礎ができていなければ応用などできるはずもなく、解答を見ても理解できないということすら起こる。中間と期末の分野につながりのある場合の話をしているのだ。時間は無駄に過ぎるし、よく分からないしという二重苦である。
 そろそろ結論を。「中高一貫に通っている生徒は試験期間中も休まず来ましょう」ということが言いたいのだ。私の場合、1点でも多く取る必要があった中学生の頃の癖が抜けずに高校生になってからも通っていた個人の塾を休んでいたが、振り返ってみるとまったくその必要はなかった。だらだらしている時間が増えただけだったからだ。実際、西北で国語と数学の両方を習っている生徒の場合、テストに直結する数学はいつも通り授業を行うが、国語は振替になることが少なくない。そして、彼らのほとんどは授業の前後にかなりの時間、ソファーでスマホをいじっている。「もしかして、うちの子のことかしら」と心配になった方はお問い合わせください。かなりの確率で、「告げ口するようで心苦しいのですが、とても優雅な時間を過ごしておられますよ」とお伝えすることになる。もちろん、電話口のこちら側でにやりと笑ないながら。
 中高生がそれなりにいる西北でも休まない生徒は2, 3人しかいないが、彼らは概してよくできる。こういうことを書くと決まって、「それは優秀だからできるんですよ」という意見が出てくる。1年生の1学期の中間テストで驚くぐらいスカみたいな点数を取って来た我が長男よ。頼む、父の言説が間違ってはいないことを証明してくれ。定期テストの時でも休まず塾に通うことで、時間の使い方がうまくなり成績が上がっていくということを。それが鶏か卵のどちらに当たるのかは不明である。

PAGE TOP