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2023.08.29Vol.605 目的を見つめ直すことで手に入れた本質的な差別化

 体験授業に来られた親御様には、次のような説明をする。なお、ブログ用に少し付け加えていることなどもある。
 
 『コボちゃん』、『ロダンのココロ』では、「つなぎ言葉+誰がどうした」といった単文(主語が一つの文)で書かせることを徹底させます。子供たちはつなぎ言葉や主語を感覚的に入れたり抜いたりするので必ず入れさせます。また、マンガの中の表現の使用と同じ言葉の繰り返しを禁止することで、使える言葉が増えるようにします。なお、志高塾における語彙とは、ただ知っている言葉ではなく、使える言葉、つまり、書ける、話せる言葉のことを指しています。「つなぎ言葉+誰がどうした」とすることで文章にリズムは無くなりますが、この段階では、まずはいろいろな表現を用いて、前後の文の関係を意識しながら論理的にまとめられるようにすることを大事にしています。
 次に『きまぐれロボット』ですが、この教材は元々それまでのものと同様に200字で要約させていたのですが、要点を外す生徒が少なくなかったため、その前に我々が「メモ」と呼ぶプロセスを挟むことにしました。「要点とは何だろうか」ともう一人の社員と一緒に考えたときに、物語文においては、心情の変化とその理由を掴むことだという結論に達したからです。「メモ」において、「変化の前」、「変化の後」、「変化の理由」の3つをワンセットで押さえることで、話の骨格を捉えられるようになります。また、要約作文では、これまでのように「つなぎ言葉+誰がどうした」の制約は取り払います。つなぎ言葉や主語を入れるかどうか、単文にするのか複文にするのかの選択をした上で、短い文と長い文を混ぜながらリズム良く構成することを意識させます。そして、「メモ」、「要約作文」と来て、最後に取り掛かるのが、我々が「主題」と呼ぶものです。そこでは、失敗の原因(この短編集では、主人公が大抵何かしら失敗をするので)を抽象化し、そこで終わるのではなく、さらにどうすれば良かったのかまで考えさせます。たとえば、1話目の、「ある男が、博士が開発した寝る時に使うだけで英語が話せるようになる枕を喜んで借りたが、期待した成果が得られずに不満気に返しに来た」という話では、「何か身に付けたいことがあれば、人や物に頼らずに努力しなければならない」となります。ここで、「英語」や「枕」などの話の中の具体的な内容が入っていれば抽象化が不十分ということになります。この訓練をすることで、読んだ本の内容について尋ねたときなどに、「AがBしてCになった話」とただ具体的な事実を並べるだけではなく、「少年たちが、いろいろな楽しいことや苦しいことを共に経験していく中で成長していく話」といった感じで、話のテーマが意識できるようになって行きます。
 そして、要約作文の最終教材である『小さな町の風景』についてです。これも『きまぐれロボット』と同様に200字の要約作文だけをさせていたのですが、表面を撫でたようなものになることが少なくなかったため、何かしら手を打つ必要がありました。当時、入塾するのは中学受験予定の小学3, 4年生の男の子が多く、第一志望は甲陽です、という親御様が少なくありませんでした。もう一人の社員と私は共に進学塾で働いた経験はなく、過去問事情に詳しくなかったものの、「甲陽の物語文の記述が難しいらしい」というのを体験授業の場などでも聞く機会が少なくありませんでした。そこで、甲陽の対策と『小さな町の風景』の課題解決の2つの目的のために、「要約作文」の前に60字の記述を2問解かせることにしました。そのために、二人で一緒に、甲陽の過去問を10年分ほど解いて、それに対応できるような問題を作りました。
 
 開塾するにあたり、教材を含めたやり方などをそのまま盗むのは良くないというのが自分の中に強くあった。その理由は主に2つ。もし、同じことをするのであれば、わざわざ自分がする必要がない、というのが1点。そして、もう1つが、そのような工夫をしない人たちが教えること自体に問題があるのではないか、ということ。1点目に関しては、元々いた国語専門塾で「こうしてはどうでしょうか」といくつか提案をしても納得の行かない理由で受け入れなかったことが自分で始めるきっかけになったので、「自分ならこうする」というのはそれなりに持っていた。それだけではなく、できるだけオリジナルと呼べるものを増やすために、たとえば、4コマ漫画として『コボちゃん』を使うのではなく、『ののちゃん』にすることなども検討した。しかし、試行錯誤をした上で、結局は『コボちゃん』に落ち着いた。その過程で、別のものただ置き換えるだけでは本質的な差別化とは言えない、という当たり前のことに気づいた。
 自己弁護をするわけではないが、このことに限らず、大事なのは、本質は外さないことではなく、外したとしてもきちんと本来あるべきところに着地できることなのだろう。大抵の場合、そのような失敗を犯す原因は本来の目的が見えなくなってしまうことにある。上の場合で言えば、「志高塾オリジナルと呼べるものを作りたい」という邪念が、「生徒を成長させるために何をすべきか」ということを覆い隠そうとしていたのだ。それを振り払えたときに、どのようにすれば目の前にある教材をより活用できるかという視点を持てるようになった。その結果、それぞれの教材で太字部のようなやり方を手に入れるにいたったのだ。気づけば、体験授業で親御様に「志高塾ではこうやって教えています」と説明していることは、自分たちで考え出した方法論が中心になっていた。
 上で二度「もう一人の社員」という表現を用いた。その彼女がいなければ、志高塾を立ち上げるのはもう少し後になったかもしれないし、上のような方法論にたどり着くまでにもっと多くの時間を要したはずである。次回、その彼女が果たしてくれた役割について述べ、このシリーズを終わりにする予定である。

2023.08.22Vol.604 おかえりなさい

 Vol.600から連載して来た振り返りは、今回お休みです。
 ただいま、8月20日の日曜の夕方18時過ぎ。鹿児島市にある平川動物公園の駐車場の車の中でこの文章を書き始めた。長男は学校の勉強合宿があるため、4人での3泊4日の家族旅行の最中であり、現在、妻と二男と三男の3人はナイトズーを楽しんでいる。さすがにこのタイミングで手を付けておかないと火曜日はえらいことになりそうなので、まったく気分の乗ってこない自分に鞭を打ってパソコンを開いた。小休止することにしたのは以下のことを書きたくなったからである。
 去年の夏休みに続いて、ヨーロッパの大学に通う2回生の元生徒が算数の講師として活躍してくれた。18日の金曜日が最終出勤日であった。年末にも帰国するとのことだったので、「来年の夏まで待てない。早く会いたいからよろしく」と別れのあいさつをしておいた。志高塾に12年間通い、算数、数学も約10年間、そのほとんどを私自身が教えた。それ以上の研修はない。丸付けをするとき、式の立て方などを含めた解き方が適切かどうかをチェックしてから、答えの数値が合っているかを確認するという順番も熟知している。それはそうである。教えられる側であったとき、答えは合っていても工夫が無ければ、「頭使わんと解くん得意やな」などと私に幾度となく嫌味を言われてきたからだ。そして、今年は1年前と比べてよく動き回っていた。そのことを褒めたのだが、本人はそのような変化が起こっていることすら把握していなかった。そういうことはよくある。1年前は数か月前まで高校生だったこともあり遠慮していたがそれが弱まったからなのか、もしくは異国の地で1年以上学んでいるという経験が無意識のうちに自信を生み出しているからなのか。後者の要素の方が強く働いているというというのが私の見立てである。その動き回るということも、解答を見ずに丸付けをすること同様に志高塾がとても大事にしていることである。いろいろな生徒を見ることで講師の柔軟性は増し、各講師の柔軟性が増せば、志高塾全体の柔軟性も増すからだ。もし、ある講師がBという教材までしか教えられなければC以上に取り組んでいる生徒が多いコマは任せられないし、名目上講師が足りているように見せかけるために入れたとしたら、その講師は表面を撫でたような添削や丸付けをするだけに終わるので教育の質が下がってしまう。
 先週、数か月前に入った国語の講師に読解問題の丸付けをお願いした際に、生徒が解いている横で、解答を小まめにチェックしているのを見て、「それをしたら、模範解答に近づけようとしてしまう。まずは生徒の答えをちゃんと見ないといけない」という指摘をした。経験が無いから心配になるのは分かる。ただ、エネルギーを割くのであれば、もう一度文章を読み直したり、選択問題は自分だったら何を根拠にどのように消去して行くか、記述問題は本文を抜粋してつなぎ合わせずに言い換えるのであればどんな言葉が良いだろうか、ということを考えたりすることに費やして欲しいのだ。自分が添削や丸付けをできる生徒は限られているからといって、そこに張り付いていてはいつまで経ってもできることは増えない。自分が教えたことが無い教材があるのであれば、それを指導している先輩講師のやり方を見て学んで、いつその教材の指導を頼まれても良いように準備をしておくことが重要なのだ。研修期間が終われば研修が終わるわけではない。ろくな研修プログラムも用意せずにOJTという言葉を使うところがあるが、一定以上の研修をした上で、学ぶ姿勢を持ち続ける人たちが日々実践していることこそがOJTの神髄ではなかろうか。豊中校や高槻校の責任者に、人件費を抑えるように指示することはない。ただ、講師が足りているところに余分に入れるのであれば、その分、学びが多くなるようにして欲しい、とは伝えている。そのときにまだ教えたことがない、CやDに取り組んでいる生徒の指導方法を学ぶのだ。私が体験授業などで訪れた際に、ただ突っ立っているだけの講師がいた場合は、責任者にそれなりに厳しく指摘する。
 そして、次がこの春から九州の大学に通い始めた元生徒。「夏休みにインターンをさせてもらえないですか」というお願いをされたので、二つ返事で受け入れた。「バイトをさせてください」でも断る理由はなかった。人件費をけちりたかったわけではなく、給料をもらえなくても学びたいという気持ちを買うことにした。大学の先生がさびれた商店街の活性化プロジェクトに携わっていて、その一環として小学生向けの塾を開くので、そこで指導するために学びたいとのことであった。彼は小4で入塾し、海外の現地高校に入学するまでの6年間通い続けた。そして、浪人生だった昨年の1年間は日本の大学の小論文試験に向けて志高塾に毎日のように来て自習をしていた。週2回の授業で私が添削することはほとんど無かったが、教室にいる間に間違いなくどの生徒よりもたくさん会話をした。その中でいろいろと伝えたつもりである。
 英語のスピーチコンテストに学校代表で出る中3の生徒の日本語原稿の添削を6月ぐらいから私が行ってきて、夏休み前後からそれを英語に置き換えて完成を目指している。現在、その英語の原稿を彼に見てもらっている。行き詰まれば、彼とその生徒が私のところに一緒に相談に来て、アドバイスをすると、彼が私の指摘した内容を理解して、それを踏まえてまた2人の作業が始まる。その一連のやり取りが円滑に進むのは、基本的な部分での共有認識が持てているからである。
 元生徒が成長している姿を目の当たりにできることは幸せである。当初は「お帰り」だったタイトル。「おかえりなさい」とすることで、ぬくもりがあるように見せかけてみた。

2023.08.15Vol.603 国語塾を経営するということ

 「松蔭さん、儲かっているから余計なことはしなくて良いんです」
 Vol.598「企業秘密なんて何もない」の最後の一文を、「節目のVol.600は少し前から意識しているのだが、今回のことでちょうど過去を振り返るきっかけにもなったので、志高塾のたった16年の歴史をテーマにする予定である。」と締めた。一つのきっかけ、一つの理由、一つの目的。Vol.600から振り返っているのにはその3つが関係している。一つ目のきっかけに関しては、そのVol.598で述べた。そして、今回はその次にある理由がメインテーマとなる。正確には、このタイミングで「書きたくなった理由」ではなく、「書いてもそれほど問題にならなくなった理由」である。それは、私が幸運にも巡り会えた国語専門塾が、数年前に閉鎖したからである。だからと言って、何でも書いても良いわけではないので、そこには最低限の気を配りながら筆を進めて行く予定にしている。
 私の中では、「国語力=人間力」という図式がある。別の言い方をすれば、国語という教科はできるのに、人間ができていなければ、その国語力は一体何のためなのか、ぐらいに考えている。もちろん、「私の中では」と断ったぐらいなので、世間一般でそんな式が成り立たないことは百も承知である。俺が、志高塾が、生徒たちを立派な人間に育ててやるんだ、などというおこがましいことは考えてはいないが、志高塾での作文や読解問題を通して生徒たちの内面が磨かれていないのであれば、私の中ではそれは何もしていないに等しい。私の個人的な感情が優先されるわけでは無いので、親御様が国語の成績アップだけを求められ、我々がそれに少なからず貢献して、それもあって第一志望の学校に合格でき喜んでいただけたのであれば、それは最低限の役割を果たしたことにはなるので、そのこと自体を否定する気は無い。
 話が逸れて行きそうなので引き戻す。Vol.600の最後の段落で「こんな良い教育をしているので組織自体も優れているに違いない、という確信めいたものがあった」と述べた。こんな分かりやすい前振りも珍しいが、実際に入社してみるとイメージしていたものとはまったく違った。「新しく入った先生が研修もせずにいきなり生徒に指導し始める」、「先生は、生徒が作文をしている間、その近くで椅子に座りながら自分の本を読んだり時には居眠りをしたりする」というのがそこでの日常の風景であった。また、授業を受ける部屋に本棚やソファーが置かれていて、しかも、入れ替えの時間が無かったため、授業を受けている最中に次のコマの生徒がやって来て、周りでうろうろし始めていたのだ。さすがにそれは問題だと考え、私は週に1回、確か1~2時間ほど主宰者と2人で話し合う機会があったので、「今のやり方は、ホテルに例えれば、自分たちがチェックアウトする前に、次の客がチェックインして部屋に入ってくるようなものなので、せめて授業と授業の間に休憩の時間を設けたらいかがでしょうか」という提案を行った。それに対する返答が冒頭の一文である。どのタイミングで失望し、いつ絶望に変わったのかは分からないが、その言葉を聞いたとき「こりゃ、どうしようもないな」となった。算数や数学のテクニックに熟知していて、それらを駆使した問題の解法を論理的に教えられるトップが、売上至上主義の経営をしていても「そういうこともあるか」とどこか受け入れられる部分はあるが、国語の場合はそうはならない。経営する自分と教える自分を完全に切り離すことができれば話は別なのだが、そうでなければ、そんな人がいろいろな言葉を使って柔軟な思考を持てるように子供たちを導けるとは到底思えないからだ。ちなみに、志高塾では20コマ(1コマ90分)の研修を行い、最初の8コマは授業内では生徒との接触を禁止している。たとえば、「先生、この漢字教えて」と助けを求められたとき、それに対してどう対応するかは生徒ごとに異なる。8コマでそういうことのすべてが分かるわけではないが、一生懸命観察をして、そのことに関して言えば、まず「生徒ごとに異なる」ということを掴んでもらわなければいけない。そして、当然のことながら先生のための椅子は無い。ただ立っていれば良いのではなく、歩き回ってそれぞれの生徒の進捗を確認することに加えて、生徒の表情をよく見なければいけない、ということを伝えている。それによって、生徒が集中しているか、楽しめているかなどが把握できるからだ。
 また、その塾には生徒ごとに連絡ノートというのがあった。先生は親のコメントに対して返事をするといったやり方であったため、たくさん書く親であればいろいろとやり取りがなされるが、そうでなければ「来週休みます」などの事務的な連絡がなされるだけであった。「同じ授業料を払っているのに随分と不公平だな」というのがそれに対する私の感想であった。すごく熱心に子供が書いて来た作文を読んだり、どんな本を読んでいるかに興味を持っていたりするのに、意見を伝えることに二の足を踏む遠慮がちな親も中にはいたはずなのだ。だから、志高塾では開校当初からすべての親御様に「月間報告」というのをお渡ししている。自分でも理由はよく分からないのだが、省略形を使うのが好きではない。それも「月間報告」のことを「月報」とは呼ばない一つの理由なのだが、「月報」だと会社で義務付けられている月々の形式的な報告のような感じがするので嫌なのだ。
 ここまでいくつかの具体例を挙げて来たが、要は、その塾で私だったらこうするのに、と考えたことを志高塾で実践しているだけなのだ。「最低限の気を配りながら」と述べたが、自分でもどこにどう気を配ったのか疑問に思うところである。
 誤解を与えないように最後に少し補足を。自らに人間力があると勘違いしているわけではない。ただ、自分に不足しているものがそれなりにあって、それをトップの立場にいる私自身がどうにかしようともがいていれば、志高塾という組織は少しずつでも良い方に向かって行くはずだと信じている。このブログ自体が、私のもがき、あがき、苦しみの象徴であることは読んでくださっているみなさんが一番理解してくれているはずである。

2023.08.08Vol.602 夜はまだ明けない

 独立することを母に告げたとき、「企業に勤めていた方が安全では無いのか」、「塾をやるにしても、西宮北口ではなく、もう少し塾が少ない所でやった方が良いのではないのか」という言葉が返って来た。安全かどうか、という考えが頭にまったく浮かばないわけではないが、そんなものは自分が人生において何かを選ぶ際の基準にはならない。生徒の志望校選びでもそうである。その子にとってどこの学校が良いのかを自分なりに考えて、提案し、そこに合格できるようにやれることをやるだけである。生徒が将来、もっと重要な分かれ道に立ったときに活かせる経験をさせてあげたい。また、テレビCMでもよく見かける、世界シェア1位のある大企業で技術職をされているお父様が面談の際に、「私の技術は今の会社で通用するだけで、他のところでは役に立ちません」ということをおっしゃっていたが、それは決して珍しいことではないのだろう。未来永劫安泰な企業など無いのだから、いつリストラの憂き目に遭うかなんて誰にも分らない。つまり、どこにも安全など存在しないのだ。
 場所に関しては、西宮北口以外はまったく考えなかった。そのことに関する母の発言に対して、少なくとも私は2つのことを伝えたのを覚えている。1つ目は、「ど真ん中でやってうまくいかへん奴はどこでやってもうまくいかへん」ということ。心底そのように考えていたのだが、そもそも激戦区というのは、ネガティブな要素ではないのだ。競争は激しいが、裏を返せば子供たちが自然と集まってくる環境であるからだ。また、我々は進学塾ではないので、大手とは競合関係にはならない。始めて3年ぐらい経った頃だろうか、大手塾の、しかも国語の先生から勧められて体験授業に来られた方がいた。国語の成績が悪いのでその先生に相談をしたら、その塾の個別に行っても成績は上がらないから、志高塾に行った方が良い、とこっそり紹介されたとのことであった。2つ目は、「10個レストランがあったら、もう1回行きたいと思うのは3個しかなく、3度目となると1個しかない。そういう店が7個も8個もあれば勝ち抜くのは大変だけどそうではない。それは教育業界においても同じはず」ということ。先の数字は私の感覚的なものでしかないのだが、残りの7個にはそもそも客に対する心遣いが足りない気がする。そう言えば、あれもきっと3年目ぐらいだったはずだが、あるお母様から退塾の連絡をいただいたときに、「松蔭先生は開校当初の情熱を失ってお金儲けに走るようになってしまった」と告げられたことがあった。「心外だ。失礼にもほどがある」と言い返した。電話口で親御様に大声を出したのは後にも先にもそのときだけである。これには後日談がある。その2, 3年後に、「先生、あのときは私が間違えていました。もう一度息子を教えてやってください」と帰ってこられたのだ。そして、そのときに過去の事情を教えていただいた。そのお母様のお子様をA君とする。同級生にB君とC君がいて、B君のお母様が勝手にC君をライバル視していて、C君の成績が良いのを妬んで、私がC君をえこひいきして、自分たちの子供はちゃんと見てもらえていない、というのをA君のお母様に吹聴し続けていたらしいのだ。それと金儲けの話がどう結びつくのかは分からないが、それが事の真相。誤解が解けたので、私としてはそれで十分であった。教育に関する情熱は、失うも何も、開校時からそんなものは無いし、必要だとも考えていない。講師に応募してくる人の履歴書に「子供が好き」ということが書かれていることは少なくない。私に言わせれば、嫌いでも良いから子供の将来に役立つ質の高い授業をしてくれればそれで良いのだ。情熱は無くても、そういう授業をしなければならないという責任感は持ち続けているつもりである。
 さて、回転させない寿司屋さんの話。カウンターに8席しかない小さなお店だった。そういう形式のお店のシェフ(寿司屋の場合は大将と呼ぶのだろうが)は、客の話をよく聞いていて、決して出しゃばることなく、絶妙のタイミングで話に入って来られる気がする。あの日も、一通り食べ終えたところで、おもむろにカウンター越しに会話が始まった。その中で、「この店、回転させないんですね」と不思議に思ったことを伝えると、「日によっては回転するときもありますが、そんなん毎日してたら持たないです」と返って来た。これは私の予測でしかないのだが、予約が17時半と20時からなどといった感じで偶然うまく組み合わさった場合にだけそうするのだろう。要は、店がそれをコントロールするのではなく、客の希望を優先させているのだ。一緒にしたら怒られるのだろうが、その気持ちは分かる。私も時間割には常に余裕を持たせるようにしている。生徒の振替、曜日変更の要望にある程度応えられてこそ良い教育だと考えているからだ。大将は、回転させた方がお金は儲かるが、どこかで手を抜かないといけなくなってしまうのでそれはしたくない、とおっしゃっていた。また、その日、パリでミシュランの星付きのフレンチレストランを経営している日本人シェフも来ていて、大将がうまく架け橋になってくださったので、どんな店をされているのか、日本人は多いのか、ワインの買い付けはやはりワイナリーに行くのか、など気になったことをいくつか質問した。その方の店も席数は多くなく、フランス人の常連さんの貸し切りになることが少なくないとのことであった。久しぶりにパリに行きたいな、と考えていたところだったので、その際には早めに予約を入れて訪れてみたい。
 大将が1歳上、シェフが3歳下、と年齢が近かったこともあり、「俺ももっとがんばらな」とエネルギーをもらえたし、規模の拡大ではなく一人一人の生徒を大事にすることの重要性を再確認できた夜であった。

2023.08.01Vol.601 志高塾誕生前夜に考えていたこと

 いつもは回転するところにしか行かないのだが、この週末は回転させない寿司屋に連れて行っていただいた。その話は後ほど。
 ネタが熱いうちに書け。文章にはそんな格言があるとかないとか。先週、「beforeとafterの間」を行ったことに伴い、順番を前後させ、今回は自分で塾を始めると決めてからのお話。5類に移行してから、私自身初めてコロナに罹り、志高塾として初めてのオンラインイベントを開催した。世の中とのタイミングがずれている感は否めない。
 前回、「教育が一番手っ取り早いが、数学(算数)だけはしたくない」と述べたが、それと同様に「松蔭塾だけには絶対にしない」というのがあった。親御様から進学塾の授業選択について相談をされたとき、「優先順位を付けるだけなら誰にでもできます。大事なのは、どれを受講しないかを決めることです」というようなことを伝えることは少なくない。何をしないかを決断するためには、本当に必要なことが何かを分かっていなければならない。きっと、その逡巡している過程で、その「本当に必要な何か」の輪郭がはっきりしてくるのだろう。塾名に話を戻す。そんな名前にしてしまうと、自分というのが天井になってしまいそうで嫌だったのだ。私より断然優秀な子供が学び続けたい、そんな塾にするには自分の名前など冠している場合ではなかった。いろいろと考えて、候補に残ったのが「志高塾」と「サンバ(Samba)塾」。カタカナであろうがアルファベットであろうがブラジルのダンスを思い浮かべられてしまうので落選の憂き目にあった。元は「産婆塾」なのだが、それでは出産を想起されてしまうためにカタカナなどにしようとしていた。塾名について考えているときに、「産婆というのは、子供を引っ張り出すのではなく、あくまでも妊婦が自ら産もうとするのを手助けする役割なのだ」ということが本に書かれていたのを読んで、「自分のやりたい教育ってこれやん」となったのがきっかけ。「これはこう」と教え込むのではなく、生徒が自ら考えられるようになるための訓練の場にしたかったからだ。名前という形は無くても、その概念は自分の中にきちんと溶け込んで、今も外に染み出してはいないはずである。
 さて、スピーカーの川本君と参加していただいた皆様のおかげで成功裏に終わった「beforeとafterの間」。私の役割は、冒頭の3~5分の話で少しでも場を温めることであった。気を付けたのは、校長先生の話のように長くなり過ぎないようにすること。それゆえ、あのときはかなり短くまとめざるを得なかったので以下で補足する。
大学生になってからも1年に1回のペースで顔を合わせていたが、コロナでしばらく空いて去年3年ぶりに会った。そのときに川本君が「久しぶりに会っても、昔と変わりなく話ができますね」というようなことを漏らしたので、「そりゃ、長い付き合いやからなぁ」というように返した、おそらく。先日も5時間ほど一緒にいたが、話は尽きることがなかった。そのことを話題として取り上げることにしたため、スムーズに話ができるのはなぜなのか、ということについて考えた。初めに思い浮かんだのは共有認識が持てているから、ということ。ここでいう共通認識とは、ある事象に対して同じ考え方を有しているということ。しかし、すぐに「それは違う」となった。ある事象に対して、「これはこう考えるべきだ」という教え方はしてきていないからだ。我々の役割は生徒がAとBという2つの選択肢しか持っていなければ、Cだけでなく、できればDやEまで与えることである。その中からどれを選ぶかは生徒の自由であるが、それも「後は勝手にどうぞ」ではなく、根拠を持って納得の行く選択をできるように論理的な思考ができるようにしてあげなければいけない。共通認識でなければ何なのか、となり、行き着いたのが相互理解。相互理解というのは、ある事象に対して、一方はAを、他方はBを、といった感じで意見が異なってはいても、相手がそれを選ぶ理由をお互いきちんと理解しているということである。作文の添削を通して、知らず知らずのうちにそういうものを積み上げていたことに今回初めて気づいた。考えてみれば当たり前のことなのだ。作文のテーマにおいて川本君が出した結論に対して、「まっ、こんな感じでいっか」とゆるがせにすることなく、その度ごとに、ああでもない、こうでもないとやり取りした上で、きちんと締めくくっていたからだ。相手がどういう考えを持っているかを理解しているほど、会話のときにいらない気遣いをしなくて済む。その心理的安全性が担保されていることが重要なのだ。それゆえ、「そりゃ、長い付き合いやからなぁ」は適切ではなかった。算数や数学を教えていたら、相互理解は大して深まらなかったはずだからだ。
 そして、もう1つ欠かせないのが、大切にしている価値観が変わらないこと。私がいかに生徒を増やすか、ということを一生懸命考え始めたら、これまで築いて来た周りの人たちとの関係は立ちどころに壊れてしまうはずである。志高塾を知らない人に、教室や生徒の数を伝えたときに、「すごいですね」と驚かれるぐらいの規模にしたいという気持ちが無いかと言えば噓になる。だが、そんなことよりも、長年お子様を通わせ続けた親御様に、生徒自身に「志高塾に通わせてて(通ってて)ほんとに良かった」と満足してもらうことを優先させたい。高い質を保った上で量を追い求められれば良いのだが、それには私の経営者としての能力とエネルギーのいずれか、もしくは両方が欠けているせいで実現は難しそうである。
 ここまでそれなりの字数を割いて来たこともあり、寿司屋の話は持ち越すことにした。それであれば冒頭の段落を削ってしまえば良いのだが、うまく表現できた手応えがあるのと、備忘録も兼ねて残しておくことにした。次回、そのことから始める予定にしている。

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