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2025.07.01Vol.692 苦手脱出失敗

 もう10年ぐらい前のことになるだろうか。ある晩、教室から帰ってしばらくすると、妻から「何か良いことあったん?」と聞かれたので、「何もなかったで」というように返したはずである。内容はまったく覚えていないが、その日は仕事でそれなりに嫌なことがあり、それについて話をしないで済むようにあえて楽しそうに振る舞っていたのだ。仕事のことを家に持ち込むことの是非はしばしば議論の対象になる。夫や妻に話すことでストレスが軽減され、聞く側にとってもそれほどの苦労が伴わないのであれば何ら問題はない。一方、ただいらいらをまき散らすだけなのであれば家族にとっては迷惑以外の何物でもない。
 話は変わる。15年ほど前のことになるが、奈良からわざわざ体験授業に来て、入塾した小学生の男の子がいた。まだ開校後2、3年だったということもあり、遠方から通ってくれることが志高塾の価値を表してくれているようで嬉しかった。志高塾を選んだ理由をお母様に尋ねると「ネットで評判が良かったから」とおっしゃるので、うきうきしながらエゴサーチをしてみた。すると、私の目に飛び込んできたのは、言われもないような批判的な内容であった。しかも、コピペされたものが3つ4つのサイトに貼り付けられていた。そのような経験がなかったこともあり、かなり凹んで3か月ぐらいはそのことについて誰にも話をしなかった。このことは少なくとも過去に一度は書いたはずである。
 20代の頃までは納得が行かないことがあれば不機嫌を前面に出していたし、他人に気を遣わせようがお構いなしであった。当時と比べると随分とメンタルのコントロールができるようになった気はしている。それは周囲に気を配れるようになったからではなく、外に向かって発散してうやむやにするのではなく、内側にそのままの状態で溜め込んできちんとそのことに向き合わないと、という心境の変化があったからであろう。
 さて、先週火曜の人生初の動画撮影。結論から先に言うと、大失敗に終わった。「超」をその前に付けたり、「大」をいくつか付け加えたりしてもいいぐらいの不出来であった。その日程を6月初旬に決めたのだが、いくつかの候補日を挙げてもらった中から24日を選んだ。その日が48歳の誕生日だったからだ。ここでも何度か述べているが、今年はいろいろと新しい取り組みを始めようとしている。この歳になると自分の誕生日なんてどうでも良いのだが、門出の日にするにはちょうど良いと考えたのだ。そして、いきなりずっこけた。その帰り道、何が良くなかったのかをいろいろと考えてみた。準備不足の一言で片づけることもできるのだが、もう少し細かく見ていく。カメラに向かって一人で話をするのだが、視線をそこにやっているだけで、その先に視聴者がいることをまったく意識できていなかった。あの日からユーチューブの、特に一人で語っているプレゼンに関する動画をいくつか見ているのだが、その中にカメラの上にぬいぐるみを置けば良い、というものがあった。さすがにそんなことはしないし、カメラの先に誰かに立ってもらうことなども考えたりしたが、そんなものに頼らずに、聞いてくれている人がいる、というイメージを持つことでこの問題は処理することにした。そして、2つ目の原因は、きちんと座って姿勢良くしようとしすぎたことである。私と面談をしたことがある方はご存知だろうが、日頃は腕を組んだり、ふんぞり返り気味に話をしたりするので、体の自由が制限されたことで口調も硬くなってしまったのだ。特に、いつもと違って手がまったく動いていなかったな、と。それは自分が話している映像を見なくても、その時の様子を思い返しただけでも明らかなことであった。そのようなことを踏まえて、次回はスタンディングでやることにした。それと絡んで、PCを直接クリックして次の画面に移るのではなく、リモコンを使うことにした。それ以外にもいろいろとあるのだが、撮影に入る前に、数分間カメラに向かって話す練習をしたのが、そのときに「えー」が多いですね、と注意されてしまった。本番ではそれを意識したせいでかなり減らせたのだが、そんなことにエネルギーを使っているようでは肝心要のメッセージを伝えるということがおろそかになって当然である。これに関しては、とにかく練習を重ねて、無意識に近い状態で滑らかに語れるようにする必要がある。
 あまりにもひどかったのでその日のうちに撮り直しをお願いし、7月10日に決まった。どこまで問題を解決できたかは当日になってみないとわからないのだが、上で述べたようにどのような策を講じれば良いかは明確に掴めている。もし、そうなっていなければ今回の文章でそのことに触れずにもう少し一人で向き合っていたはずである、しばらくは、昨日送られてきた動画を何度も見返すという地獄の作業が待っている。
 家でここまで書いて、教室まで車で移動してきた。助手席にPCを置いて動画を流しながらだったのだが、こんなおもろない話し方で誰が聞くねん、というレベルであった。新たな発見としては、丁寧にゆっくり話そうとし過ぎたせいでリズムが悪すぎた。気分はこの上なく重くなるが、自分が話しているのを見たり聞いたりするのはとても勉強にはなる。

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