
2025.07.22Vol.695 大人の夏休み日記
朝食のビュッフェに、手作りのオムレツがあると無性に嬉しくなる。どんな具材があるかを確かめることもなく、「全部入れてください」とお願いする。それ以外に私を喜ばせてくれるのは、シャンパンなどの酒類を見つけたときである。これは日本のホテルではほとんど見た記憶が無い。
3年ぐらい前に、ソロキャンプにはまっていた幼馴染とキャンプをしたときに、彼が朝、ホットサンドを作ってくれた。冬に自然の中で焚火をしながら食べた、という状況がさらにおいしさを感じさせてくれたというのもがあるのだろうが、「これは良い」となり、早速ホットサンドメーカーを手に入れて、その後1年ぐらいは毎朝それを使っていた。それ以前の数年間は、ガーデンズで翌朝の菓子パンを毎日のように買っていた。その2つから言えることは、私は朝食を適当には済ませないこと、一度始めると一定期間継続するということである。現在のマイブームはオムレツづくりである。そう言えば、最近「マイブーム」という言葉をあまり聞かなくなったような気がする。
まずは、ある程度小さく切った鶏肉をオリーブオイルで炒めて取り出してフライパンをキッチンペーパーで拭いた後に、今度は刻んだ玉ねぎとプチトマト2, 3個を4等分してバターで炒めた後に一度引き上げる。玉ねぎの代わりにマッシュルームを入れることもある。最後に、少しだけ油を引き、解きほぐした卵を広げ、青ネギとチーズを載せ、そこに一度火を入れた具材を戻す。このようにごくまれに料理に関して言及することがあるのだが、その度に、村上春樹であれば、たとえ私のものでもおしゃれに表現できるんだろうな、となる。少なくない時間、キッチンの一定のスペースを私が占拠することは、朝ごはんの用意や子供たちの弁当作りで忙しい妻にとってはきっと煩わしいのだろう。その気がないこともあり一向に手際が良くなる気配はないのだが、下ごしらえにおいては少しぐらい工夫するようになっている。毎朝鶏肉が冷蔵庫に入っているわけではないので予め1回分ごとに分けて10日間分ぐらい冷凍保存したり、玉ねぎを毎日その日の分だけ切るのは大変なので3日分ぐらいはまとめて刻むようにしていたり、といった感じである。こんなことを「工夫」と表現してしまうぐらいなので、私のレベルがいかに低いかがお分かりいただけるだろう。
2か月ほど前のことになるだろうか。元生徒から算数の講師になった大学1回生の男の子がいるのだが、初回の研修の際に、「俺がホワイトボードを使って説明を始めたら、生徒を教えながら聞くようにしてな」と伝えると、間髪入れずに「そんなの無理ですっ!」と返ってきた。そこにいた生徒たちは笑いながらそのやり取りを聞いていた。「そんなにきっぱりと否定するか」と思いつつも、私は、彼のそういう率直な物言いができるところを評価しているので、「それならしょうがないか」と納得はしたのだが、一方で、「それはそんなに難しいことなのか?」という疑問が湧いて来た。私は、ある生徒にホワイドボードに書いて説明しながら、私の背中越しに交わされている講師と生徒とのやり取りを聞いているので、時に「そんなしょうもないこと質問するな。もっと考えろ」、「それ、この前俺が説明したやつやん」などと前を向いたまま突っ込むので、言われた生徒が自分のことだと認識できないことがある。それについて考えてみると、小学生の時点でその萌芽があった。まだ3年生ぐらいのとき、くもんで顔を上げてプリントを見ずに数字を書いていて、「よくそんなことができるな」と不思議がられたことがある。よくて「器用だね」と言われる程度の価値しかない、「よそ見しながら書ける」という芸を身に付けたかったわけではなく、周りで行われている会話に入って行きたくてそうしていただけのことなのだろう。楽しい話が周りでされているのに、計算なんかに集中している場合ではなかったのだ。目隠しをされても5mぐらいであれば真っ直ぐ歩くことはそれほど難しいことではないが100mとなったら話は変わってくる。私は小さい頃から、とにかくいろいろなやり取りに口を挟んでいるうちに10m, 20mと他の人より距離を伸ばして行っただけではなく、軽く走れるぐらいまでになったのであろう。
そんな私なのだが、不思議なことに朝ごはんの用意をしているときは、ながら、ではなかったのだ。1回目と2回目と動画撮影の間にそのことに気づき、それからはユーチューブでプレゼンの仕方に関するものを結構見た。そのかいあってか、2回目はそれなりのものにすることができた。編集されたものが上がってきて、今それをチェックしている最中である。自分が話しているところなんて見たくはないが、今後のためにも目を背けてはいられない。次回は、そのことに関しては詳しく書く予定でいる。