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2023.11.28Vol.617 (偽)志同じく

 10月から毎週金曜に社員の文章をXで投稿してきたが、この『志高く』と並列する形でHP上に掲載することにした。それに伴い、その目的などについての説明の文章を入れることになったため、今回はそれをここで紹介する。その決定をしたのは2週間ほど前なのだが、なぜそのような変更をすることにしたのかを既に忘れてしまっている。ただ、予想していたより彼らの文章が良かったから、というのがその理由の一つであることはほぼ間違いない。
 回数を重ねるごとに書くことに慣れて来るものの、一方でテーマ選びは難しくなってくる。最初の数回は、大学生のときにレポートで使った題材や就活中の自己分析などが頭に残っていて、それを利用することができるからだ。そのようなストックが無くなったところからが勝負である。どうにかして材料を見つける必要に迫られるので、日頃からもっとアンテナを張るようになる。また、「書くことに慣れて来る」と上で述べたが、それを実感できる期間もそれほど長くはない。成長の踊り場がすぐにやってくるからだ。私の場合、ずっとそこで無様なダンスを続けているような気もするが、大事なことは、読んでくださっている方たちの時間を浪費してはいけない、ということに対する責任感である。それを持ち続けていれば、少しずつでも階段を上って行くことはできる。そして、それが特に意見作文の指導をする際に役立つのだ。では、どうぞ。

 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月 志高塾代表 松蔭俊輔

 思い付くままに書いてみたものの、一度HPに掲載した文章に手を加えることは無いので、もう少し加筆、修正は必要であるが、大体上のようなものになる。
 社員のブログを始めた目的の1つが「社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと」であると述べた。現在中3の生徒のお母様が、受験が終わってから教えてくださったことがある。「先生の考えに共感していたものの、本当にそれを信じて良いのだろうか、という不安に襲われた。その度に、ブログを読み返しては、『この人なら大丈夫』と自分に言い聞かせていた」と。特に最後の方は、受験が迫ったタイミングで乗りかかった舟から降りるわけにはいかない、というのがあったのかもしれない。
 私は、受験にただ合格すれば良いとは考えない。折角、中学受験にチャレンジするのであれば、小学生なりではあるものの人間的な成長を求める。自主性がその代表である。小学生は計画的に行動できないので周りの大人がやるべきことをすべて決めて、子供はただ処理するだけで良い、と考える人は少なくないが、5%でも10%でも良いので自分の意志を持って欲しい。たとえば、塾のどの講座を取るかを決めるのもその1つである。同じ学校を目指す塾のクラスメイトが受講するから自分も、は危険である。得意なこと、苦手なことはそれぞれ違うのだから。そして、長いものに巻かれろ的な考えで第一志望に合格してしまうと、それが誤った成功体験となって、その後の人生も自分で考えるということをしなくなってしまう恐れがある。進学塾の先生にとって、そんなことはどうでも良いことであり、むしろ、合格率を下げるぐらいに考えるのだろうが、私はその逆である。
 さて、その中3の女の子。入学以来、成績はそれなりに良かったのだが、それに加えて人間的にも成長してきた。それに我々がどれだけ貢献できたかは分からない。ただ、中学受験の頃から私がそれを望み続けてきたことは紛れもない事実である。そんな私をお母様が信頼して預けてくださったから、今も彼女の成長を傍で見続けられている。『志同く』がそういうことにつながるのであれば、それに勝る喜びはない。

2023.11.21Vol.616 (偽)円陣(後編)

 現時点で、タイトルを予定通り「円陣(後編)」としているのだが、どこかのタイミングで「円陣(後編の前編)」などとなるかもしれない。
 連載小説というものがあるが、あれは一体どのように書き進めているのだろうか、と疑問に思ったことがある。かれこれ10年ぐらい前のことになるだろうか。と言っても、私はそのような形態で読んだことはただの一度も無く、購入した本に「これは〇〇で連載されていたものに手を加えて」などと説明があるのを目にして、その事実を知る。その疑問に対して最初に思い浮かんだのが、「書き上がったものを、読者の興味を引き続けるために小出しにしているのだろう」というもの。クライマックスに向かって、きちんと話が組み上っていないと面白いものにならないはずだからだ。しかし、実際はほとんどの場合そうではないのだろう。村上春樹も、私が好きな作家の奥田英朗も、ゴールを決めずに思うに任せて筆を進める、とエッセイで語っていたからだ。一度世に出たものは修正できない。その条件下で話の筋を付けないといけないのは至難の業であるはずなので、なぜそのような依頼を受けるのだろうか、と長年不思議であった。利点が見えなかったからだ。よほど原稿料が高ければ話は分かるが、それも無さそうである。だが先週、「もしかして、こういうことか」となった。
 この『志高く』は、これまでにも前後編含め、複数回に渡るものはあったが、そのような場合でも、毎回ひとつのまとまりになるようにしてきた。前日までに2000字ぐらい書き上げていて、後は最後の仕上げをするだけなのにそこから2, 3時間掛かることも少なくない。これを追加してあれを削って、としているうちにそのようになってしまうのだ。裏の話をさらすと、授業が始まる17時ぐらいまでにアップできてないときはかなり焦っている。そのように文章と格闘し、劣勢に立たされている状態で、『志高く』のために授業が疎かになるのは本末転倒では無いか、でも、これを続けていることには意味があるはずだ、という自問自答まで始まるから中々大変である。そして、そんなときに生徒や親御様から、まだ上がっていないことを指摘され、「そうやって読んでもらえていることはありがたい」と暗くなりつつあった心が少し光で照らされるのだが、それも束の間に過ぎない。そこからさらに追い込まれて行き、結局、「これ以上やってもどうにもならん」と新規投稿のボタンを押す。そういう日の帰り道の足取りは重い。
 先週、「前後編でひとつになっていれば良いのだから、今回は話を閉じなくても良いか」と随分気楽に終えられた。これまでに無かった感覚である。そして、連載小説の良さはこれなのか、と納得した。大事なことは過去ときちんとつながっているかどうかであり、決まったゴールに向かって行く必要が無いのだ。そして、それは人生に似ている。未来ではなく、良くも悪くも過去に縛られているからだ。
 大学で建築を学んだのに現在塾を開いている、ということについて、その理由を尋ねられることがある。話せば長くなるがそれにはちゃんとストーリーはある。簡略化して、「人の言うことを聞けず、サラリーマンとしてうまく行かなかったからです」と答えることが多い。それは独立する由縁であって、その中で塾という業種を選んだ説明にはなっていない。それに対しては、「大学生の頃、自宅に同時に数名の高校生を呼んで数学を教えていました。家庭教師の延長上のようなものです。ある程度成果は出していたので、それから10年経って30を前にしたときにまた同じことをするのは嫌でした。自分が小さい頃にもっとこういう教育を受けておけば良かった、ということをやりたくて作文を中心の塾を始めました」と付け足すことができる。そう言えば、先週、授業の中で高校生たちに、「最近は何かと語尾に『イズム』、『ハラスメント』を付ける」という話をしていた。ここでもよく話題にするポッドキャストの番組で、コメンテーターがインドについて「ジャイアニズム」という言葉を大国主義という意で用いていた。それが英単語の”giant”から来ているのか、それともドラえもんのジャイアンからなのか分かっていないままに放っていたので、「どっちなんやろか」と彼らとそのことを話しながら調べてみると、私の予想に反し、後者であることが判明し、「剛田主義」とあった。ちなみに、上で述べた「人の言うことを聞けず」は、物心ついたときからジャイアニズムを通してきたことと関係している。
 私が連載小説の主人公であったのなら、50歳を前に一念発起して、人生最後の勝負をするために、海外に出て、何かしらの事業を始め、苦労を重ねながらも満足の行く最期を迎える、というストーリーを作家は描くのかもしれない。それはそのまま私が夢想していることである。そこまで思い切ったことはできないにしても、このまま終わるのは嫌だ、というのがある。正確には、最近その気持ちが自分の中で強くなってき始めた。良い傾向である。それもあり、手始めとして、古我知史著『いずれ起業したいな、と思っているきみに17歳からのスタートアップの授業』、成田修造著『14歳のときに教えてほしかった 起業家という冒険』、佐々木紀彦著『起業のすすめ』を購入してみた。読みかけのものが何冊かあるので、それが終われば手を付けるので、少なくとも年内には3冊とも読み終えられるはずである。面白ければ、特に前の2冊に関しては、生徒や息子に勧める予定にしている。今の自分に満足が行かないとき、「小説の主人公になりえるだろうか」という客観的な視点が持てたら、その先何をするべきかのヒントが少しぐらいは得られるような気がする。
 親御様に、「親には『不安だけど』と『不安だから』の2種類がいる」という話をすることがある。前者は、不安を言い訳にせず、それをきちんと受け止めた上で、忍耐強く子供をどのように導くかをその度毎に立ち止まって考えて、実践する。一方で、後者は思考停止に陥った状態で、それを全部子供にぶつけてしまう。それでは子供が本来持っている力が発揮されるはずはない。人生も同じで、過去に縛られることからは逃れられないものの、「これまでこうだったけど」と過去を踏み台にするか、「これまでこうだったから」と過去にがんじがらめにされたられたままで終わるかでは自身の満足度に大きな差が生まれる。
 今回、タイトルを付けるなら、「『円陣(後編)』にならなかった話」が適切かもしれない。次回はまったく別のテーマにすることを決めているので、「(真)円陣(後編)」は少なくとも再来週まで持ち越しである。
 今日はいつもより靴が軽く感じられるかもしれない。それもそのはず、朝の8時台にアップできたのだから。

2023.11.14Vol.615 円陣(前編)

 サッカーやラグビーのように前後半に分かれているスポーツではハーフタイムに、バレーボールなどはセット間に作戦会議を行うことが通例となっている。野球の場合、そのような明確な時間が設けられていない。それゆえ、必要な時にベンチの前で円陣を組むことになる。大抵は相手ピッチャーの調子が良く、打ちあぐねているときである。攻略するために意思統一を図るのだ。見事日本一に輝いた我が阪神タイガースがそれをしたのは、シーズンで1回、日本シリーズで1回の合計2回だけである。データが無いので推測の域を出ないが、シーズン中に2, 30回やっているチームがあっても不思議ではない。なお、シーズン中のそれは打撃コーチの判断で行われたものなので、監督が指示をしてのものは日本シリーズ中の一度きりである。監督が円陣を好まないのは、相手に困っていると思わせたくないから、とネット記事にあった。それ以外に、どうしても必要なときに効力を最大限発揮するために取って置いてある、というのが私の見立てである。
 岡田監督に自分をなぞらえるのは、さすがの私でも厚かましいとは思うのだが、私が生徒を集めて改まった話をするのは年始の一発目の授業の朝だけである。塾自体は年末年始に1週間休みになるのだが、例年受験生向けに年末は29日まで、年始は3日から授業を行っている。そのときは、中学受験生を主な対象として、本番で力を出し来るために残り2週間をどのように過ごすかという話をする。話す相手が違っても同じ話をするのは工夫が無いようで嫌なのだが、こと年初の話だけは毎年基本的な部分は変わらない。
 前回、11月4日(土)に受けた三男のテスト結果が悲惨であったことをお伝えした。その翌日の日曜は、最近にしては珍しく、三男との城巡りではなくゴルフに行っていた。その帰り道、夕方の渋滞に巻き込まれながら、「帰ったら面と向かって三男と2人で話をしよう」となった。ただ、共通認識を持つために妻にも聞かせようとなり、最終的に長男と二男も同席させることにした。子供の頃、お節料理を前にして、父が新年の抱負を語り、その後、各人が一年の目標を述べるという儀式があったのだが、私はその時間が億劫であった。そもそも、父以外は単なる思い付きであったので中身が無かった。年末に1か月間ぐらい掛けて、試行錯誤して練り上げたものを各人が何らかの形でプレゼンテーションするのであれば、まだ意味があったのかもしれない。まあ、それはそれで面倒くさいのだが。今は私がその父の立場にあるのだが、元旦の朝に毎年1分も話をしていないはずである。それゆえ、大袈裟に表現するのであれば、松蔭家は11月5日に初めて家族で円陣を組んだのだ。
 遡ること半年と少し。春休みのある夜、家族でご飯を食べている最中に、三男が私に向かって何気なく「この後、本、読めば良いんでしょ」と漏らした。特別嫌そうに言ったわけでない。ただ、その一言に「しょうがなくやるんだったら、習い事も行かなくても良い!」と私は激怒した。こういうことのほとんどすべてがそうであるように、その一言が問題だったのではなく、それまでの布石があったのだ。ここでも何回か述べてきたが、息子たちにも生徒たちにも、やらないことは言わないし、言ったことはやってきた。ただ、そのときは少しだけ変更を加えた。隔週の陶芸は行くことは認めた。それに関しては、ほとんど生徒がおらず、我が子のためだけに枠を先生が作ってくださっていたからだ。また、Z会の通信教育の理科と社会は続けることを許可した。どちらも辞めたければそのようにすれば良いと伝えた。そのことを今春から大分の大学に通い始めた生徒に話すと、「先生、さすがやな」という感想を漏らしていた。「普通の親ならその逆のことするで」と。そのとき、少なくとも3か月はサッカーと私の教室を休ませることにしたからだ。サッカーはその少し前ぐらいから、所属しているチームとは別に、もっと真剣に取り組んで欲しくて、テクニックなどを教えてくれるスクールに週2回通わせ始めていた。また、志高塾も今のうちに基礎をきちんと築かせようと新5年生になったタイミングで週2回に増やしていた。要は、力を入れていた方を休ませることにしたのだ。そのサッカースクールに関しては少し面白い話があって、休会するにはタイミングが遅かったため、翌月も籍自体は置いておくことになった。それゆえ、その後の初回の練習の日に、月謝袋を本人に持たせて、自らの口でコーチに事情を説明して、翌々月から休会する旨を伝えさせた。絶対に練習には参加して来るなよ、挨拶だけして帰ってこい、と釘を刺しておいた。一緒にやっていけば、とコーチに声を掛けてもらったものの、私に禁止されていたため、そのグランドの隅の方で、みんながやっていることと同じことを一人でやって帰って来ていた。その光景を想像すると笑ってしまった。今回のような一件で大きく変わるわけではないが、こういうものを蓄積することで、そのうちに自分が自分のために何をするべきかが分かる人間に育って欲しい。
(後編につづく)

2023.11.07Vol.614 テストの位置づけ

 先週の土曜の朝、5年生の男の子のお母様から、午前に入っていた授業を午後に変更して欲しいとの連絡が入った。これまで志高塾にしか通っておらず、数日前に深い意味も無く誘われて試しに受けた進学塾の入塾テストが散々な結果に終わり、「俺、やってもどうせできへんから志高塾に行きたくない」と言い出したとのこと。授業の前に私が話しますから連れてきてください、とお願いした。その子は、お母様の話は聞かないのだが私の言うことであれば素直に耳を傾ける。そういう生徒は何人かいるので、「先生から伝えてもらえませんか」という依頼を受けることは少なくない。大体、次のような言葉を掛けた。「以前と比べて考えるようにはなった。それは間違いないから、最近そのことを褒めてるけど、それでもまだ算数の宿題をちゃんとやってくるわけではないから進みが遅い。3か月、半年と、一生懸命やり続けて来た奴が『やってもできへんから』となるのなら分かるけど、今それを言うのは厚かましすぎる。」と2, 3分話して終えた。その際、「今日、俺の5年生の三男が初めて塾の公開テスト受けてるけど、絶対できへん。それもやっぱり日頃ちゃんとやってないから」という話もした。テスト数日前に、長男と二男が初めて受けたときの成績表を妻が出して来て、ダイニングテーブルの上に置いていた。それを見て驚いたことが。3人揃って5年生の11月なのだ。それゆえ、妻は私が意図的にそのようにしていると思っていたのが、単なる偶然に過ぎない。それは私自身がテストを無駄に受ける必要が無いと考えていることと関係している。もちろん、誰も「無駄なことをしよう」などとは考えないので、この場合は「無駄」の基準がポイントになる。
 ここからは私の経験を振り返って行く。小学生時代には進学塾に通っていたため、それなりにテストを受けさせられていたが、所属していた野球チームの試合と重なれば6年生の頃でも当たり前のように休んでいた。余談ではあるが、当時、塾の定期面談に親が行くと、「受験に対する真剣さが足りない」と毎回のように怒られて帰って来ていた。中高生時代は公立に通っていたこと、また、その6年間、個別で数学を教えてもらう塾で学んでいただけだったので、自ら申し込まない限り外部の試験を受ける機会は無かった。中学生の頃は3年になってから五ツ木と大手塾の公開模試をそれぞれ何回か受けた。自分がちゃんとできていることを確かめるのが目的であった。高校生になってからは、高3の頃に京大模試を1回とセンター型の模試をそれぞれ1回ずつ受けたはずだが、それ以外の記憶はほとんどないのでどれだけ多く見積もっても合計5回もないはずである。現役合格できるような勉強量では無かったので、一浪したら合格できるようにどれぐらい自分ができていないか、その時点での京大との距離を計るために受けたのだが、あまりの遠さに愕然とした。だからと言って、志望校を変えることは微塵も考えなかったので、合格するためにどのレベルまで持って行かないといけないかががより鮮明になっただけの話である。浪人生の頃は、今は無くなってしまった大阪北予備校というローカルなところに通っていたので、河合と駿台の京大模試をそれぞれ2回ずつ受けたが、それは中学生の頃と同様に、ちゃんとできていることを確認するためであった。
 ここまで述べて来たことを整理すると、大学受験までに受ける勉強関連のテストには、できていることを確かめるためと、どれぐらいできていないかを知るためという2種類がある。それに、英検などの資格試験を加えて3種類に大別することができる。長男は私立に通っていることもあり、英検を早く取るように促されているのだが、「あんなん取ったところで大した意味は無いから、受かるかどうか分からない状態でチャレンジするのではなく、学校が設定している期限ぎりぎりのタイミングで受ければ良い」と伝えていた。ただ、それによって思わぬ問題が発生した。学校からの短期留学に申し込む際に、英検2級取得者という要件が入っていたのだ。それに気づいた時点で、1次試験と2次試験に分かれている通常の英検では間に合わなかったので、1日で終わる英検S-CBTというのでどうにか条件をクリアすることができた。
 テスト慣れとか、テストを受けて刺激を受けるなどということが一般的には言われるが、私はそんなものを感じたことはない。実力も無いのに、良い点数を取れたらラッキー、やる気が出るなどと淡い期待を持って臨むことが私にとっては時間の無駄なのだ。受験に関しては過去問以上に参考になるものはない。マーク型の模試であれば基本的にそれで事足りるが、記述形式のもの、中学受験の国語や大学受験における数学や英語などは実際にどのように点数を付けられるのか知る手掛かりになるので、それに関してはある程度きちんと採点してもらえるということが担保されるのであれば意味はある。
 息子たちには、先手先手を打って勉強をさせて来なかったので大してできないことは折り込んでいるのだが、中学生以降に向けて一度自分の立ち位置を知って欲しい、と私がなるのが偶然にも5年生の11月なのだ。その時期であれば、少しぐらいは何かを感じ取れるようになっているだろう、というのもある。算数に関して、上の2人は5割程度であった。三男は同じ時期で比べると2人より明らかに劣るので3割ぐらいだと想定していたのだが、それを遥かに下回る1割であった。気が変わらなければ、次回は三男のテストの結果のことと絡めて「えんじん」というタイトルの文章を書こうかな。

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