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2024.04.02Vol.633 気になる四字熟語

 「承認欲求 承認要求」で検索してみた。一見したところ、それらが共に含まれているものはなく、「承認欲求」だけの記事が並んでいた。何かを思い付いたとき、このように調べることは少なくない。あるアイデアが、オリジナルのものかを確かめるために。どこかで聞きかじったことなのに一度意識の下に潜り込んだことであたかも自分の内から湧き出たように錯覚することもあれば、純粋に固有のものであっても同じことを既に誰かが公に述べていることもあるからだ。意見作文に取り組んでいる生徒たちによく伝えることがある。「一般論を述べるときには、ありがちなものに加えてプラスαの理由を付加すること。一方で、少数派の立場を取るときには奇を衒っていると思われないように説得力のある根拠を提示すること」。たとえば、東日本大震災直後の一般論は原発反対であり、賛成は少数派であった。今回はこれに関して、これ以上詳しく述べない。
 冒頭の承認に関する話。以前から「承認欲求」という言葉が否定的に捉えられることが少なくないことに違和感を覚えていた。程度の差はあれ、多くの人はそのようなものを持っている。ただ、欲求というのは本来内なるものだ。外に出て姿を現したとき、それは「承認要求」に化け、それを突き付けられた方は時に対応に苦慮する。
 先日、卒業以来、初めて高校の同窓会に顔を出した。11年前にも開催されていたのだが、家族旅行と重なってそのときは参加できなかった。仲が良かった連中と近況報告をしたり名刺交換をしたりというのとは別に、当時そこまで親しく話したことがなかった男子と女子が一人ずつ話し掛けてくれ、「俺の妹が子供を志高塾に通わせようかと迷ってたわ」、「看板見たよ。子供が国語全然できへんから調べたことあってん」というようなことを教えてくれた。物理的(距離的、時間的、金銭的)な理由で実際に通わせるに至らなかったのか、それとももっと他の理由があったのかまでは聞いていないが、わざわざそのように伝えてくれたということは少なくとも否定的には捉えていないということである。浪人生の頃に通っていた予備校の同窓会が5年ぐらい前にあったが、そのときにも似たようなことがあった。ブログを読んでいる、と。照れ臭くはあるが、自分のこと、自分が関わっていることに自分の知らないところで誰かが興味を持ってくれているというのは幸せなことである。こういうとき、承認欲求が心地良く満たされ、「がんばろ」というエネルギーをもらえる。このタイミングで、「情報 くれくれ」でググると、「クレクレ君」、「クレクレちゃん」、「クレクレママ」というものが出て来た。承認も情報も人に求めたからと言って得られるものではない。何かしらのものは手にすることができても、それは自分の望んでいる質や量にまったく届かないはずである。そういうものは、自分がやるべきことをやっていたら、自ずと誰かが与えてくれるものなのだ。
 話は変わる。おそらく一か月以上前から読み始めている気がするのだが、村上春樹の『街とその不確かな壁』もようやく3分の2ぐらいまで来た。以前にも書いたが、彼の本を読むと、それをきっかけにして、なぜだか内容とは直接関係の無いいろいろなことに思いが及び、頭が活発に動き始める。それを期待して新作が出るたびに読んでいるのだが、相も変わらずテーマや内容に関してはほとんど理解できていない。それゆえ、彼のファンであるハルキストと呼ばれる人たちが、どれだけ自身の力で読み解けているのかいたって懐疑的である。読解力が無い者の単なるひがみなのかもしれない。4月1日(月)に、大してやる気も無い三男のサッカーの試合が奈良の五條市という遠いところであり、そのためだけに送り迎えするのも何なので、30日から二泊三日で家族旅行をすることにした。現在、試合と試合の合間に車に戻ってこの文章を書いている。
 一日目は和歌山県の高野山金剛峰寺とその麓にある九度山を訪れた。比叡山延暦寺には何度か行っているので、これでようやく最澄と空海が揃った。九度山は、大河ドラマ『真田丸』を見て、関ケ原の合戦後真田昌幸、幸村親子が家康に幽閉されたところであることを知った。この旅行中、二男に何かを聞かれた際に、「答えも持たずに、質問をするのはアカン」と注意したことがあった。最終的な答えとまでは行かずとも、尋ねることに対して少なからず自分なりの考えを持っている必要がある。これは生徒たちにも日頃から伝えていることである。村上春樹に関しては、限りなく何も考えられないので、ゆえにハルキストたちにものも含め、何を語られているかを知ろうとはならない。唯一の例外は、内田樹の本に一時期はまっていたことがあり、その一環で『村上春樹にご用心』を読んだことである。
 わざわざ『街とその不確かな壁』を持ち出す必要は無かったのだが、その中に登場する少年について「登校拒否」という言葉が使われていた。これが二つ目の気になる四字熟語である。それは、いつの頃からか「不登校」にとって代わられるようになったが、いずれも「登校」に、否定する言葉を付けているので後ろ向きである。そこでもう少し良いものはないか、と考えた。最初に思い付いたのが、「在宅勉強」である。だが、必ずしも勉強をする必要はないな、となり、たどり着いたのが「在宅学習」である。皆が学校で授業を受けている間は、せめてスマホやタブレットなどの電子機器はいじらずに何か他のことに情熱を注ぐべきである。そういう子供が増えれば、我が子が何かしらの理由で学校に行かなくなってとしても、親はそれほど心配せずに済むのではないだろうか。
 この2週間でつらつらと考えていたことを何となく並べた文章になった。

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