志高塾

志高塾について
志高塾とは
代表挨拶
通塾基本情報
アクセス
お問い合わせ
志高塾の教え方
指導方法
志高塾の作文
志高塾の添削
読解問題の教え方
使用教材と進め方
志高く
志同く
お知らせ
志高く

2021.06.08Vol.497 言葉の重量

 食卓に閉じられずに置かれていた読売の『中高生新聞』のページ下の広告に目が行った。

「勝ち」がなければ、「価値」はなかったのか?

第58回宣伝会議賞の特別課題「部活動の価値を伝えるキャッチフレーズ」の受賞作品。検索すると、「宣伝会議賞」のHPがあり、トップページに「心を動かすって、こんなに楽しい。」というフレーズが。それは、志高塾における「最短の遠回り。」に当たる。きっと「心を動かすって、こんなにも楽しい。」から、最終的に「も」を取り除いたのではないか。文章を書いていると、そういう一文字を入れる入れないに始まり、ある言葉を前に置くのか後ろに持って行くのかを決めるのにかなりの時間を要する。それを判断する基準などは存在せず、感覚でしかないから。1ついじると全体のバランスが変わり、新たに他の所が気になり出したりする。ほとんどの場合、その1つ1つが読み手に影響を与えることはない。でもきっと、そういうところに神経を使うことがとても重要なのだ。「神は細部に宿る」の信奉者ではないが、少しでも良くしようともがけば、自ずと細部はおろそかにできなくなる。文章ですらそうなのだから、キャッチコピーとなるとなおさらであろう。
 先日「HPを拝見しました」とセールスの電話が掛かってきた。HPに載っている我々の指導方針などにいくつか触れて、暗に「時間を掛けてきちんと読みました。単なる売込みとは違います」ということをアピールした上で、「生徒さんが読書感想文のコンクールで賞を取れるようにするために」と話は続いた。「それ、全然ちゃんと見ていませんね。まったく興味ないです」と伝えて電話を切った。そういうときに周りに社員がいれば、どういう電話が掛かってきたかを簡単に説明した上で、「あんなのは仕事でも何でもない」という話をする。電話相手のことなんてどうでも良いので、彼らを否定することが目的ではない。具体例を交えて意味のない仕事をいてはいけない、ということを胸に刻んで欲しいのだ。読書感想文に対してはそんなスタンスの私も、もし生徒が「宣伝会議賞」の中高生部門にエントリーするとなれば、言葉が生み出される過程を見守りたい。「実体の伴わない、言葉遊びはアカンで」ということを伝えた上で。
 『Vol.494想定外で予定外は想定内?』でも触れた『毎月新聞』という教材に、次のような課題がある。
「『お客さん、これ最後のひとつですよ』と言われることで筆者は本来買おうと思っていなかったものを買ってしまうことがあります。このように人の行動を変えさせる効果のある言葉を考え、なぜ変わるのか、それによってどのような効果があるのか、などが分かるように四百字程度で作文をしなさい。ただし、物の売り買いとは別の事柄について書きなさい。」
「実体の伴う」とは何か。それは、人の行動を変えさせるだけのインパクトがあるということ。それが特定の誰かである場合は、その人のことを真剣に思ってのものでなければならない。
 先週、5年生の男の子を本気で怒った。その子は家で本を読まないので、以前から授業後に教室で30分ほど残して読書をさせている。そのように我々に強制される子の多くは集中せずに時間が来るまでどうにかやり過ごそうとするのだが、彼は例外的にグッと入り込む。家では漫画やゲームなどが優先されるだけで、読書を楽しめないわけではないのだ。作文の時もかなりよく考える。最近、「5年生の1年間で頑張って読書習慣を付けるように。そうしたら国語の成績は一気に良くなる」と発破をかけた。後日、本人に尋ねると「(最近は)読んでる」と返って来たので信じていたのだが、お母様に確認したら「そんな姿をまったく見ない」とのこと。それだけでもいらだっていたのに、それに加えて「お母さんのいないところで読んでる」としょうもない言い訳をしたので、見事なぐらい火に油を注いだ。改めて彼にとっての読書の意味を説明し、「期待をしながら夏休みが終わるまでは読んでいるかどうかの確認をする。でも、それでもだめならこいつは言っても分からん奴やからと俺はあきらめる」ということを話した。
 一方で、どの生徒にもそのようにすれば良いわけではない。元々読書をせず、勉強やらクラブやらに追われている中高生に「ちゃんと読みなさい」の言葉は響かない。言われた方からすると「読まへんの分かってるやん」となったり、適当に「はい」と答えたりするようになる。このような中身のない言葉のキャッチボールをすると、意味のあるやり取りができなくなってしまう。それであれば、夏休みなどの時間が取れるときまで待って勧めたり、その子が興味の持てそうな本を見つけてあげたりしなければならない。また、時には読書をさせることを断念して、他の所で補充してあげなければならない。それは読解問題を通してかもしれないし、添削や丸付け時の会話かもしれない。そのひと手間をかけずに、本人任せにすることほど無責任なことはない。
 私は下らない話をするのが大好きだ。そこで発せられた言葉は、あたかも無重力状態下の物体のようにふわふわと宙を舞う。できる限りどうでもいい話を楽しむためにも、たまにちゃんと話をするときぐらいはきちんと重力を生む場を作り出せなければならない。どれだけの重力を生み出せるかは日頃の言葉との向き合い方に掛かっている。

PAGE TOP