
2025.07.18Vol.64 マニュアル作成のマニュアル(三浦)
口下手もあいまって、説明することがいつまでも上手くならない。これまで一度で伝わった試しがなく、二度三度、質問してもらってようやく7割程度の伝達、といったところだろうか。一から十まで説明したつもりで三くらいなのかもしれないし、かえって十二くらいになってわかりづらいのかもしれない。「一度の指示で出来るとは思わないように」とはよく言うが、ここまで伝わりにくいのだとしたら、間違いなくこちらに非があるのではなかろうか。昔からそんなことを思いながらも、ずっとどうするべきかを放っておいてきた。しかし、そろそろそんなことを言っている場合ではなくなってきた。
以前にビジネス書で見かけた内容として、属人化を防ぐためだろうか、「自分の仕事を細かく手順ごとに分ける」とあった。今ぱらぱらと捲ったところ該当の内容が見つからなかったのだが、「自分にしか出来ない仕事と思っていても、実はそうではない。どのような仕事なのかを細かく分けて明文化しておくことで、誰にでも引き継ぐことができるし、誰が突然プロジェクトに配属されても即戦力になれる」というようなことだった気がする。もちろん私は、説明が苦手であれば、引継ぎもとても苦手である。
少し、なぜ苦手なのかというより下手なのかを考えてみる。まず、相手にとってどの順序で情報を伝えるのが最適かを考慮しきれていないのがひとつあるだろう。口頭では、文章のように急に段落の順序を変えることはできない。元々順番を組み立てて話すことが苦手なのだが、それがかなり悪影響を及ぼしているかもしれない。もうひとつ、「相手にはどのレベルの情報がすでに共有されているのか」がわかっていないこと。だから一から十二まで話すことになったり、一から三くらいになってしまったりして説明不足になるのだろう。
考えれば考えるほど難しい。例えば何かの作業について頼むとする。そのとき、目的から話すべきか、手順から話すべきか、そして手順の例外についてはどのレベルまで言うべきか、世の人々は毎回きちんと考えてから伝えているのだろうか? それとも、そのうちに自然にできてくるのだろうか。話しながら考えて、後からあれこれ足りなかったとテンパってしまう身としては、尊敬しきりである。
ここで少し前の話に戻るが、苦手だなあどうしようかなあと考えていたところ、先のビジネス書を思い出し、「マニュアル」を作るのが良い練習になるのではないかと思いついたのが、この話の発端だ。簡単な印刷などの業務を例に試しに作ってみようとしたのだが、案の定苦戦している。紙に手順を書き出した時には出来ている気がしたのだが、それをワードに起こしていると、「ここの説明は足りていないんじゃないか?」「初めて見た人がこれで完全にわかるか?」が増えていって、どんどん煩雑になっていく。必要最低限に絞ればいいのかそうではないのか、そこから悩んで止まらない。しかし、こうやって可視化すると、いかに自分が自分の中だけで確立していたやり方に頼っていたのか、それを痛感する。自分ひとりの暗黙の了解は人に通じるはずがない。その当たり前を、よく見落としてしまう。
さて。そういうことで、この夏はいろいろなことを一度マニュアル化することで練習していこうと思っているのだが、とはいえ、例えば志高塾での指導の仕方や生徒との関わり方をマニュアル化するとなると、やはりそれはなんだか違う気もする。いや、違うと断言できる。実際、私は他の講師に指導についてお願いするときに、「生徒によって違うんですけど」と口癖のように言う。もし私のこの指導のせいでワンパターンになってしまったらどうしようと思うからだ。人には杓子定規で対応するべきではない。それぞれ色々なところに課題があり、魅力がある。それは言葉にはしきれない部分にもしっかりとある。
そもそも、教育とは属人的な要素が強くて当然だ。誰に教わったかで考え方も学びの質も、あるいはもしかすると生き方すらも変わってしまうかもしれない。学生生活を思い返しても、思い出深い先生は授業内容ではなく細かな態度や所作、言動のほうが覚えているし、それが後々に影響を与えている。ああいった先生方には、やはりマニュアルなどはないのだろう。言葉にできないものをどう伝えるべきか、それもまたひとつの課題かもしれない。
2025.07.11Vol.63 必要十分(西北校・山下)
『あんぱん』(2025年3月末より放送開始の連続テレビ小説)を楽しみに見ている。特に朝ドラ信者というわけではない。直近で最終話まで熱意が続いたのは『半分青い』だし、それ以前となると14年前の『カーネーション』になってしまう。毎朝の視聴が板についている人は見逃すことはないらしいのだが、こんな調子なので、気づけば定刻を過ぎてしまっていることも多い。そうしたものぐさな付き合い方ではあるが、『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかし氏をモデルとした柳井崇が、ドラマ初回の冒頭シーンで語ったこの言葉が私の印象に残った。「正義は逆転する。信じられないことだけど、正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある。じゃあ、決してひっくり返らない正義ってなんだろう。」…物語の舞台になっているのは第二次世界大戦前後の、イデオロギーが二転三転する時代である。
話は変わるが、「悪夢のようなシチュエーション」と聞くとどんな状況を連想するだろうか?私の場合、その一つはこのようなものだ。意図せずおこなった何気ない言動が誰かの気に障り、その人が周りのみんなに触れて回る。ある朝学校へ行くと、これまで仲が良かった人たちが誰も返事をしてくれない…学生時代まで遡っても、具体的にこういったトラウマがあるわけではない。それでも「女子あるある」にカテゴライズされるであろうこの場面は、じゅうぶんに恐ろしいものとして深層心理に刻み込まれている。一瞬で世界が裏返ることの恐ろしさだ。
なぜこの話をしたかというと、私の想像上のこのシーンには続きがあって、絶望的な心境でいるところにふと現れた男子が、昨日と変わらない会話を交わしてくれるのだ。(特にかっこいいというわけではない)そんな男子のイメージだなと思うのが志高塾の塾長松蔭である。この文章を書くにあたって、私から見た松蔭の人となりを紹介しようというのが一つあった。そこで浮かんだのがこの例えである。何を書こうかと考えるうち、冒頭の『あんぱん』中の一節から着想を得たのだ。先にこういうことを伝えると、なんだか聖人君子のようにとらえていると事実誤認される恐れがあるため断っておくと、普段の彼のコミュニケーション法は煽りを基調とした、個々に寄り添わないものだし、勤務スタイルだって「19時台になってもまだ先生がいたら時間の感覚が狂う」などと生徒に言われてしまうようなありさまなのだ。それでも、である。
もう少し詳しく彼の生態に迫ってみよう。最近はいけばなに熱を入れている。ある日のこと、教室の玄関に生けるための菖蒲と青もみじが入った花袋を携えて現れた。実に似つかわしくない姿である。それまでにも折々の季節の草花を飾ってくれていたので、ドアを開けて新しいいけばな作品が目に入ると気分が和らいでいたものだったが、実際に花器に挿すところにその時初めて出くわした。華道を嗜むご子息の指南に従って、菖蒲の向きにもこだわっているのだと嬉しそうに話すのを聞くうち、ある人の姿が重なった。
高校で茶道部に在籍していた時の話だ。顧問はかなりのおじいちゃん先生だったのだが、月に一度のお茶会の際に供される生菓子に「五島」という地元福岡の名店のものを用いてくれていた。その中で私がとりわけ好んでいたのが、細やかに刻まれた水色と紫の寒天をまとった宝石のような紫陽花のお菓子だ。高校生の部活だからとリーズナブルなもので済ませるのではなく、老舗の逸品を与えてくれたのも指導の一環だったのだろうか。その美しさが今も鮮明に思い起こされる。
話が飛躍してしまったので現実に戻って…世は「令和の米騒動」などと言われ、あっという間に米価がひところの倍近くまで跳ね上がる事態となった。まさに「食うにも事欠く」状況だ。床の間に花を添えたり、四季の風物を象ったお菓子を楽しんだりすることは、食うことが安定した後に初めて、手を付ける余裕が生まれるたぐいのことであろう。自分自身の毎日を振り返っても、時折他の事をするついでに手軽に求めた切り花を一輪挿しに放り込むのがせいぜいだ。それでも幾多の時代の困難を経てなお、それらは今日まで絶えることなく受け継がれている。志高塾での学びも、それに似たところがあると感じている。
景気も長く低迷する中、限られた財源の中から子供のために何を授けるのか。中高生であれば、普通はまず取り急ぎ対策を講じなければならない数学や英語の補習を…となるであろう。米を買うお金がないのに、花を買ってはいられないのだ。(誤解を避けるために言い添えれば、「必要か、十分か」という話だ)そのような時代背景ははっきり言って志高塾にとってはかなり不利である。けれどもそんな受難の時にも願わくば細々と種を植え、水をやり続けていたい。
授業で扱う教材の一つに『資料読解』というものがある。様々な社会問題に関しての資料を分析し、自分の考えをまとめていく。生徒と共に考察を深めるうち、「解決できそうもないな、世の中腐ってしまってるな」と正直思わないではない。その時に浮かぶのがMrs.GREEN APPLEの『Attitude』の中にある「この世は腐ってなんかは居ない」という歌詞だ。私の解釈によれば、本当に「この世は腐ってなんかは居ない」と思っているというよりは、そう信じたい、信じさせて、というような魂の叫びに聞こえる。同じくMrs.の『Soranji』には「この世が終わるその日に 明日の予定を立てよう。そうやって生きて、生きてみよう。」というものもある。現状を知らない楽観論ではなく、深く理解した上で、それでも日々の中に美しさを見つけ、今日よりは明日がよくなっているように生きる。そんなふうにできたらいいし、子どもたちにもそうあってほしい。
…と頭ではわかっていても、現実的には日々疲れるし悩むことだってある。エピソードが多すぎるきらいがあるが、最後にもう一つ。ある日私は駅前のコンビニで飲み物を買い、その前の空きスペースで立ったまま勤務前の一服をしていた。疲れていたのであろう、限りなくぼーっとして虚無状態であった私の視界に、ある生徒がいきなりフレームインしてきた。彼は満面の笑みを浮かべながら「この前そこのコンビニでお菓子を物色していたら、後ろから松蔭先生に頭しばかれた」という話を一方的にしてそそくさと店内へ消えていった。
不思議なことにその後私は、なんだか元気が出ていた。そしてあろうことか「こんな人になれたらいいよな」と思ったのだ。先ほどの松蔭のキャラクターの件と同じく、この生徒も決して普段みんなからそんなふうに思われるような人物ではない。けれども、世界を悲観的に捉えそうになったとき、「いつも通りだよ」「美しいし、笑えることがあるよ」と思い出させることができる力があるのではないか。「悪夢のようなシチュエーション」のワンシーンのように、生きていれば気づかぬうちに人を傷つけたり不快にさせたりすることもあれば、逆に自分があずかり知らないところで人を救っているかもしれない。そう思うと少し心に明かりが灯った。
そんな塾長や生徒たちに学びながら、今日も私にできることを精一杯おこなっている。
2025.07.04Vol.62 オープンとクローズドの塩梅(徳野)
私が通っていた県立高校は国から「スーパーグローバルハイスクール」なるものに指定されていた。加えて人文系のコースに3年間いたのもあり、「国際的に活躍できる人材の育成」という教育目標の下、英語でのディベートに参加する機会が他クラスの生徒より多かった。(とはいえ英語は上達しなかったし、論理的思考が研ぎ澄まされたわけではない。)ちなみに当時の教師たちが想定していた「国際的に活躍できる人材」とは「日本の地位を向上させられる人材」だったように思う。欧米や中国といった大国に引けを取らないために語学力を磨き、自国にとって有利に事を進められるトークスキルを身につけなくてはならない、というメッセージを肌で感じていた。そういった攻撃的な価値観には個人的に辟易していたものの、とにかく負けないことを討論のゴールに据える認識はしっかり刷り込まれた。
だから、大学の教職課程にて、准教授が「日本では猫も杓子もディベートをやらせるけど、それは時代遅れだ」と力説した時は衝撃を受けた。また、今回の文章を書くにあたりディベートの意義や起源を改めて調べてみたところ、日本には戦国時代にイエズス会の宣教師によって持ち込まれたという説があるらしい。はるばる極東までやって来た彼らは日本語を習得し、仏教諸派の教えを分析しながら僧侶たちと論戦を繰り広げていたというのだから、異文化研究の機会として確かに優れていたと言える。だが、宣教師たちの使命はあくまで布教だ。異教徒の論理が抱える矛盾と誤謬を指摘してカトリックの教義の普遍性を証明するための手段が討論だったのだ。現代のグローバルスタンダードが「多様性の尊重」である点を踏まえると確かに時代錯誤な面がある。
そして、大学を卒業して4年。我が国の学校はディベートの導入に対して相変わらず積極的だ。その傾向じたいを否定する気は無いし、教員の方々も物事の多面性に目を向けさせる方向に重きを置き始めているのだろう。問題は、意見を出し合うことの目的を子どもたちに伝え切れていないところにある。
例えば、ある高校3年の生徒のクラスでは、古典の授業の一環で「性善説と性悪説のどちらを支持するか」というテーマで討論会が実施された。そして、当日までの宿題として各人に準備シートが配布されており、私は微力ながらアイデア出しの手伝いをした。ただ、教科担当の先生には失礼を承知で述べると、議題設定の仕方には首をかしげてしまった。高校生になれば人間の性分が白か黒か決められるほど単純ではないとは分かるし、その上で決着を付けさせようとすれば紛糾が起こるだろう。案の定、終了後のクラスの雰囲気は殺伐としていたらしい。もしかしたら、あえて対立構造を作り出すことで「善と悪は一人の人間の中で両立するものである」という気づきを与えたかったのかもしれないが、だとしたらあまりにも回りくどい。しかも先生は「誰の意見が一番良かったか」のアンケートを取り、得票数が多かった生徒の評定に反映させる仕組みまで設けていた。真剣に取り組ませたい教師心は理解できるが、それこそ性悪説に依りすぎて生徒の柔軟性を封じてしまった印象を受けた。では、どうすれば良かったのだろうか。さんざん文句を言ってしまったので、自分なりに提案してみないといけない。
繰り返しになるが、自分の立場や意見を変えないことが前提の議論は現代社会に即していない。折れない引かないことが功を奏する場面は外交くらいのはずだ。実際、北欧やフィリピンの小中学校におけるアクティブラーニングといえばディベートではなく、一つのテーマに対して各人が考えたり感じたりしたことを列挙させていくいわゆるオープンエンド型の進め方が主流らしい。そのままでは高校生に取り組ませるには少し易しすぎる気がするので、「性善説」と「性悪説」を扱うのであれば、それぞれの概念が当てはまる事例を集めてきて、その方法や仕組みの是非をグループワークで問い直してみる形で良かったと思う。例を挙げると、アップル社の故スティーブ・ジョブズの思想の根本には楽観論が流れており、技術革新によって何かしらの弊害が起こったとしても知恵と善意で乗り越えられると彼は主張していた。人間の進歩の可能性を信じて(信じようとして)いたからこそ画期的なデバイスを次々と発表できたし、テクノロジーがもたらす恩恵を大衆に向けて魅力的に宣伝できた。そこを踏まえると「性善説」は創造性を後押ししてくれる概念だと言える。一方で、スマホ中毒や電力負荷の増大といった負の側面を覆い隠し、世の人々が事態の深刻さを認識する頃には対処が困難になっていることも少なくない事実も頭に置いておく必要がある。他にも、「性悪説」を唱えた荀子は、人間の意欲を上手くコントロールする上での金銭的もしくは物理的恩賞の重要性を強調している。それは欧米型の成果報酬システムや、子どもへの「ご褒美」のあり方にも通じる。特に後者に関しては高校生にとっては比較的身近なはずだから、幼少期を振り返りながら実際の効用を確かめてみても良いだろう。個人的には、前回のビジネス書の紹介文でも触れたが、子どもをお小遣いやお菓子で釣ることには反対である。短期的には効果を発揮したとしても、本質的ではない方向に転んでいくのが目に見えているからだ。もし与えるのであれば、それがご褒美だと悟られない規模と方法を考えた方が良い。こういう風に色々と見ていく中で「善か悪か」を決めるよりは、時と場合によって使い分ける判断能力の方が肝になってくると感じ取れる。何より授業で取り上げた漢文を読み込みながら身の回りの物事とリンクさせられれば、古典を学ぶ意味をより分かりやすく伝えられる。
何かしら「オチ」がある授業構成は型としては整っているので、勝敗を決める競技ディベートが好まれるのだろう。だからといって、今の日本で教育に携わっている者が「論破王」もしくは「論破女王」を育てたがっているはずはない。論破をしたがる子どもと若者にまず手を焼くのは教師か親だからだ。また、これは私の目標になるが、もう少し柔軟性があるタイプの子たちに対しても、他者と膝を突き合わせることを億劫に感じないように持っていってあげたい。皆で一緒に多彩な視点を出し合った方が物事の解像度が上がり、納得感のある結論にたどり着ける。それも綺麗すぎるきらいはあるものの、指導者と子どもたちの間、そして子供たち同士の間で「ゴール」を共有してから話し合った方が生産的だ。その形であれば、今後の教育現場で討論という手法を残していく意味はあると考えている。
2025.06.27社員のビジネス書紹介㉑
三浦のおすすめビジネス書
『ドイツ人のすごい働き方 日本の3倍休んで成果は1.5倍の秘密』西村栄基
当然のことながら、書名の「3倍休んで」は日本よりも休日日数が多く労働時間が少ないことを、「成果は1.5倍」は労働生産性や一人当たりのGDPの数値が日本よりも高いことを指している。具体的な数値は載っていなかったので別のデータをざっくりとあたったが、労働時間でいえば日本は年間1,610時間ほど、ドイツは1,340時間ほどだった。日本はここから残業などが発生すること、一方でドイツは原則残業をしないことを考えると、差はもっと広がるだろう。(日本は短時間労働者も多いようで、それがこの数値に関係しているらしい)。また、休日日数もドイツの方が多く、年間30日の有給をすべて使い、二、三週間の休暇を取ることもまったく珍しくないとあった。日本は有給の消化率が高くなく、およそ18日だというので、おおよそ1.5倍は確かにドイツの方が休んでいる。
こういったドイツ人の働き方について、まず文化としての「早起きの習慣」「整理整頓の習慣」、「プライベート(個人)の時間を確保する習慣」が根本にあるという。このうちの前者二つは身につまされつつ、実践はできそうにないので置いておく。最後の「個人の時間を確保する」というのが、労働生産性に直結するのだろう。17時終業の場合、17時にはオフィスを出る。そのために日中の効率をどれだけ上げられるか、である。
年始に一年の間のどこに休暇を入れるのかを考える、そして仕事の進め方にも見通しをつけておく、と紹介されていた。これに代表されるように、全体のマップのようなものを描いているのが一つ大きなポイントだろう。仕事終わりに翌日のタスクを洗い出しておき、翌日出勤時には朝の時間を使ってそのタスクを優先度順に分ける……ということも述べられていたが、「どう進めていくか」を考えることに時間を割くことで、後々の効率化を図るのは重要なことだ。トラブルへの対処ひとつとっても、ただ場当たり的にするのではなく、「後にも効果を発揮するように」と熟慮する時間を設けるともあった。ただ焦って対処するのではなく、落ち着いてトラブルの根幹を探り、原因を切り分ける。もっと見通しを立てて働けるように工夫しようと思わされた。
徳野のおすすめビジネス書
『アメーバ経営 ひとりひとりの社員が主役』稲盛和夫
「アメーバ経営」とは、大組織を独立採算で運営する集団に分けて、各チームに任命したリーダーと共同経営者のような関係を築いていく手法である。その一つあたり5人から10人で構成されるチームが「アメーバ」と呼ばれる。京セラおよびKDDIを創業した稲盛和夫が考案者であり、会社の財務状況を可能なかぎりきめ細やかに分析すると共に、各アメーバが独自に設定した目標の下で全ての社員が主体性を持って仕事に当たる組織を実現するために編み出された。
ちなみに私は今年の1月から3月にかけて受講した「AI経営講座」を通して本著を知った。講義では昨今のトレンドワードとも言える「人的資本経営」の関連項目として一言触れられただけで、それを聞いた時は「社員一人ひとりのスキルをどう扱っていくか」に主軸が置かれた内容を思い浮かべていた。
しかしながら、京セラを一代で大企業に成長させた稲盛氏の視座は、私の想像よりも遥かに高かった。新しいメソッドを導入するだけでは全アメーバのトップとしての役目を果たしたことにはならない。自立した複数の小集団が同時に活動するとなると、どうしても衝突が生じやすくなる。製造業であれば営業部と生産部の間の摩擦は日常茶飯事であり、京セラもその例外ではなかった。そこで重要になってくるのが、「人間として正しくあれ」という経営哲学である。ただ、稲盛氏は従業員たちの良心に訴えるだけでは不十分であり、利害の不一致で争っている部下たちの声に耳を傾けて公平な判断を下したり、彼らが所属集団の垣根を越えて協力し合える環境を整えたりすることが社長の使命だ、と強調する。
稲盛氏が仕掛けた「仕組み」の中で印象的だったのは報酬のあり方だ。京セラは欧米流の成果主義を導入していない。メンバー間の差が数値化されることへの抵抗感が強い日本人の気質を考慮してのことだが、何より月単位のインセンティブは短期間しか効果を発揮しないからだ。売上はうなぎ上りを続けるものではないという認識が無いまま成果主義を導入しても、業績が停滞した途端、同時に個々の従業員だけでなく集団全体の士気も下がっていく恐れがある。反対に、一人ひとりのモチベーションが維持されるようなアメーバでは、お金ではなく仲間からの賞賛が「報酬」となる。精神的な充足を重視する文化があれば、難局に直面しても自分と組織のために乗り越えようと努力する。
物理的なご褒美ありきで人を評価しない姿勢は、子育てにも通じる部分があると思う。どこかのネット記事で読んだ内容になるものの、「欲しい物を買ってあげるから頑張ろう」という親の声掛けは、「勉強はご褒美が無いとやる気が出ないほど嫌なもの」という刷り込みに繋がるから避けるべきとのことだ。稲盛氏はビジネスを通して、単なる「商人」ではなく、より本質的な「人格者」を育成してきた優れた教育者だったのだと実感させられる。
竹内のおすすめビジネス書
『世界は経営でできている』岩尾俊兵
「経営者」と聞けば孫正義や柳井正、イーロン・マスクなど、世界規模でお金を動かし、その動向が注目されるような人物が思い浮かぶ。不勉強なのでまだまだ彼らの著作を手に取ることができていないが、この3人だけを見ても共通しているのは、「世界を変えていく」という理念を掲げている点である。経営とは本来、自身も他者も幸せにする「価値創造」が目的である。その過程で必要な手段を見直したり、実現の障壁となる対立を解消したりしながら豊かな共同体を作り上げる。企業経営、学校経営、病院経営といった言葉は何となく馴染みがあり、「経営」=「お金儲け」というイメージが先行しがちだが、実際には利益は人々がその価値を認めたときに生まれるものであり、そして次の価値を創り出していくための手段に過ぎない。それなのに、今ある価値の取り分を大きくすることに心血を注いでしまうような誤った経営概念が流布している。
不合理をそのままにせず、それに関わる人々それぞれに利があるようにすること、それが経営である。その意味では、仕事はもちろんのこと、家庭や学校でのやり取りも当てはまる。授業中に早く問題を解き終わった生徒が他のことをするのを認めないのではなく、授業にみんなが参加することを目指すのであればまだできていない子に説明する役割を与えるというような形を模索していく必要がある。目的が何であるのかをその共同体で明らかにしていくことが、新しい道を切り開いていくきっかけになり得る。
余談だが、本書は15の章から成っており、各章の終わりに参考文献が示されている。論文から古典的な哲学書、比較的新しい大衆小説までもが挙げられており、その幅の広さに驚かされる。それに加えて、家庭や勉強に関する非目的的な事例は自分自身の体験の有無に関係なく、鮮明に思い浮かべられるものが多い。常々たとえ話の上手い人は物事の解像度が高く、話が面白いと考えていたが、それを裏付けるような一冊だった。
2025.06.20Vol.61 いつでも続きから(三浦)
この間、久しぶりに一日で映画を最後まで観た。90分程度、さほど長くもない映画なのに、それでも何度か途中で「続きは明日でもいいかな」と頭を過った。とんでもない集中力不足である。
集中力不足でもあるし、そもそもの性格として、「キリのいいところまで」というのがなかなか無い性分なのかもしれないと、最近になって思う。上で久しぶりにと書いたように、いつもAmazonプライムやレンタルDVDで借りてきた映画は、人と一緒に観るのでさえなければ、数日に小分けにして観ている。それもシーンごとに区切るとかでもなく、つまらなくなったからでもなく、ふとなんとなく、「今日はここまででいいか」と思った瞬間で途切れている。だから翌日に再生すると、シーンの最中どころか登場人物が話している台詞の真っ只中であることも珍しくはない。それでも話を忘れていることはないので、特に困ることはない。母に尋ねても同じようなタイプだったので、あるいは遺伝なのかもしれない。
ゲームも読書もそうだ。特にゲームに関しては、たとえばニンテンドーSwitchなどは途中でスリープモードにできることもあり、一週間ぶりに起動すると何かのアクションの真っ最中……ということもしばしばある。我ながらなんでこんなところでやめたんだろうとそのたびに過去の自分に疑問を投げかけつつ、でも、また同じような微妙なタイミングで区切ることになる。
そして上記のいずれも、なんなら「最後まで」観たり読んだりプレイしたり、というものはそれほど多くなかったりもする。入りの10分を観ただけ、序章を読んだだけ、序盤までプレイしただけ……そんなやりかけのものが、たくさんある。
その一方。勉強を時間で切り上げようとする生徒には「キリがいいところまでやりなよ」と声をかけるし、本に関しては読みかけで返そうとする生徒に、「最後まで読んでみなよ」とも話す。矛盾しているな、と思った。自分の行動を棚に上げて何を言っているんだ、とふと冷静になった。
しかし、と言い訳を探してみた。必死で思い返してみると、例えば腕立て伏せやスクワットなどの筋トレは、「〇〇回までやる」と決めたらそこまでは頑張ろうと決めるし、実際にやり通していた。そこで、「なんとなくここまででいいか」とはならない。三日坊主ゆえに日数は持たなくても、回数はきちんと守っていたのだ。インドアなので、運動は苦手だ。筋トレなんかは特に苦手で、体重を支えるだけで腕が震え始める。でも、だからこそ、「終わり」があることがひとつの救いになるのかもしれない。
弊塾で扱う読解問題、『トップクラス』で取り上げられている話題に移る。そこでは心理的時間と実際的時間というものについて、「興味のあることや頭を使うことは集中度合いが上がり、それゆえ心理的時間が短くなる。一方で苦手なものは時間が過ぎるのが遅く感じられる」という説明をした後に、勉強の方法のひとつとして、「好きな科目は分量で区切り、嫌いな科目は時間で区切る」ことを勧めている。これまで述べてきた、私の性質上の区切り方とは正反対である。おそらく嫌いな科目は基本的に集中できないものなので、分量ではなく「集中できる」時間で区切った方が良い、ということなのだろう。
私の感覚と反対だ。嫌いなものは時間を決められたところで、早く終わらないかが気になって集中できなくなりそうだし、だからこそせっかく気が乗ってきたところで区切りになったらつまらない。苦手なものは、再び気を乗らせるまでに労力がかかってしまう。本の読みかけは耐えられても、数学の解きかけは耐えられなさそうだ。
そう考えてみると、本にしろ映画にしろゲームにしろ、それは私にとって好きなものだからこそ、キリの悪いところでも気にならないのかもしれない。いつ再開してもそれ以前と同じ熱量で没入できるという安心感があるからこそ、いつでも手放せてしまう。
であれば、生徒への「キリのいいところまでやりなよ」、「最後まで読んでみなよ」は、次へのハードルを少し下げるという意味で、あながちずれた声掛けでもない。特に本の苦手な子にとっては開くまでが億劫だろうし、会話の途中で区切てしまったら、それまでのやり取りを思い出すのが大変な子もいるだろう。やりかけの状態でほうり出してしまわないこと、それもひとつの方法なのかもしれない。
さて、余談というか、本題というか。前回、高槻校の講師に『志同く』を書いてもらった。一気に読みながら、数年前に短歌にハマり、一日に一首は詠もうと日記代わりにしていたことを思い出した。愛犬が亡くなったことや、学校時代の記憶、それを31字に収めるためにこねくり回す過程で、それらと向き合ったことも思い出した。三日坊主ならぬ七日坊主くらいで終わってしまったが、また初めてもいいかもしれない。いつでも戻ってこられるものとして。
2025.06.13Vol.60 ひとさらい、とくちから(高槻校・有田)
意見作文の教材の中に、詩人・斎藤倫さんの著作からの出題がある。詩歌に興味のある私は図書館でこの本を手に取り、まず奥付を読んだ。すると、作者についての紹介文「また、『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(PARCO出版)に編集委員として関わる。」が、目に飛び込んできたのだった。笹井さんだ!またこの名前に会うことができた。しかしその喜びには、常に、切ない気持ちが入り混じる。
笹井さんと私は直接の親交があった。とはいえ、対面したことも声を聞いたこともない。ネット上での短歌仲間として、主にメールでやり取りしていたのだ。彼の歌は、透明感と儚さ、平易なのに捉え切れない言葉遣いが際立っていた。本人は「自然と短歌を書いている」と述べていたが、その自然さが唯一無二なのである。ミュージシャンで言えば、スピッツの草野マサムネさんや、サカナクションの山口一郎さんの歌詞から受ける印象と通じるところがある。
第一歌集を出版するという連絡をもらったのは、彼が結社(=歌人としての公式な所属先)に入ってしばらく経った二〇〇七年の秋だった。詩歌を得意とする出版社ではなく、簡単なオンデマンドサービスを用いて出版することにしたという。個別の注文を受けてから、その都度、印刷・製本して発送するスタイルだ。つまり、在庫なしの受注生産。しかも、紙質や表紙絵も簡素なタイプにしておいたというのだから、知らされた私は意外だった。ビニール保護付きハードカバー製本とはいかなくても、もうちょっと自由にしてもいいんじゃないの、と不思議に思ったのだ。初めて世に出す自分の本なら、それをより良くデザインしたいという欲求が生じるのは当然だし、その過程であれこれ迷う経験は作者に与えられる特別な愉悦だからだ。ちなみに、いわゆる短歌集と呼ばれる本の装丁は、他者の講評を掲載した別紙を栞として挟んだり、歌人某氏の選んだ一首と短い評を並べた帯を付けたりするのが一般的である。しかしともかく、笹井さんは、それらを全てナシにしたらしい。かくして、翌年の一月二十五日に第一歌集は発行された。
その出来立ての『歌集 ひとさらい』を両手に持ってみた途端、私は先の憶測が単純すぎたことに気付かされた。これは笹井さんの素顔だ。白いつるんとした表紙に、ダークブラウンの歩きやすそうな紐靴のイラストが小さくプリントされた、軽やかなたたずまい。収められた短歌作品には今までの歌会に提出してくれたものも多かったので、読み進めると、同じ時間を過ごしてきた実感が伴ってきて、しみじみと嬉しかった。ご本人は、読了した仲間たちに対して、「ありがとう。初めての歌集を、読みたいと言ってくださるひとりひとりの方のためにだけ、送り出したかったんです。お店に置いて待つのではなく」という意味の返信を、メーリングリストに送ってくれた。
この歌集は話題を呼び、笹井さんは有名になっていった。依頼を受けて作歌活動をする機会も得た。十代前半から重い身体性障害を抱えていた彼は、学校に行くこともままならず、自宅療養を余儀なくされていた。だから、周囲のサポートがあったとはいえ、その手のやり取りには負荷を感じることもあっただろう。しかし彼は短歌を詠み続けた。また、かなり保守的な短歌の世界において、彼が相当に稀有な歓迎を受けていたことは事実だった。大物歌人と呼ばれる人や作家ら(特に川上未映子さん)も称賛していたし、彼に触発されて短歌を始める人も少なからずいた。
そうした大波の只中にあっても、笹井さんは私たちの歌会には時おり参加してくれていた。おそらく気楽な居場所のひとつには成り得ていたのだろう。今回のお題は難しかったとか、味の染みた高野豆腐が好物だとか、さりげなく添え書きしてあった。彼の囲み記事が新聞に掲載された九月の朝、同じページの短歌投稿欄に私の歌が入選していたこともあった。その内容から私が第二子を妊娠したと理解した彼は、その日のうちに、「あ、有田さんだ!って、自分の記事よりも先に見つけたんですよ。お身体ご自愛ください」とメールをくれた。つくづく欲のない人だと苦笑いしながら、「お互い元気でいましょうね」と、お礼と共に軽く返信をした記憶がある。
しかし、その四ヶ月後、訃報が駆け巡った。笹井さんは、ご病気のために突如この世を去ってしまったのだ。偶然にも歌集が発行されたちょうど一年後、真冬の早朝のことだった。享年二十六歳。単なるネット上の繋がりしか持たない私たちは、驚きと悲しみの中でそれぞれご冥福を祈り、彼の短歌を読み返すことしかできなかった。更にその時、私は出産予定日を十日後に控えていた。
彼の夭折は大きな衝撃を持って受け止められ、すぐに所属結社を主体とした新たな歌集が出版された。その反響を受けてテレビ番組が放送された。そして数年後には彼の名を冠した短歌賞も創設された。私は、そういった出来事に触れるたび、もう二度と彼の新たな言葉は生まれてこないのだと思い知らされた。
彼の歌を次に挙げる。二首とも、作者自身が本に収めると決めた歌である。
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい 笹井宏之
からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ 同
(以上、『歌集 ひとさらい』より抜粋。著者・笹井宏之、2008年1月25日発行、企画・発売元BookPark)
一首目は、繰り返し音読するうちに、「えーえん、と口から」(泣き声が次々に出てくること)と、「永遠を解く力」との二つの音を重ね合わせてあるということが分かってくる。「永遠を解く」とは、限りある命しか持たない人間にはかなわないことが多い、ということを意味するらしい。この本の題名についても同様に、「ひととおり、おさらいする」という内省を促す言葉の裏に、「人を攫う」という暴力的な意味合いが隠されている。短歌の力で誰かに影響を与えることもできる、という彼の主張の表出ではないだろうか。
そして二首目は、私の特に好きな歌だ。人物の力量について「あの人は器が大きい」といった言い方をするが、この歌は容量よりも中身の質について述べており、「空虚な人と、満ち足りた人と、隙間を埋めようとしている人」という意味だと捉えている。以上は私的な解釈に過ぎず、的外れかもしれない。しかし私はほぼ常に隙間を埋めようとする人であり、「では今どうするべきか」を問い続ける勇気をもらっている。正解が変わり続ける世の中で、これからも生きていくのだから。
次女が小学校高学年になる頃に、初めて、笹井さんはあなたの存在を確かに知っていたのだと話した。すると次女は「大事な友達なんだね」と返してきた。そのとおりだ。アマゾンの年間書籍販売額の中で、短歌関連書籍の割合は0.5%弱だと知人から教わったことを思い出した。レアなジャンルを好む者同士で知り合えて良かった。
あの冬からもう十六年以上が過ぎた。笹井さんも、短歌という表現方法も、私にとって変わらない大事な友達である。








