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2021.08.03Vol.505 自分を見つめ、社会を見つめ

 「バレー女子、歴史的敗退 こだわりすぎた独自路線 攻撃の幅狭く」オリンピック関連のネット記事が多々ある中で、このタイトルが一際私の目を引いた。なぜか。前回「こだわり」について書いたからである。
 体験授業において親御様が、志高塾にお子様を連れて来られた理由として、「将来、自分の中にある考えをきちんと説明できるようになって欲しい」を挙げられることは少なくない。それに対して、「そもそも大人でも自分の考えなんてない人がほとんどなので、それを持てるようにしてあげることこそが大事です」と私は初対面であるにも関わらず否定的な返答をする。自分の考えを持っている人が、それを論理的に説明できないとは考えづらい。
 本すら読まない子への、新聞ぐらい読みなさい、はかなりハードルが高い。1冊読破するのにそれなりに時間がかかる一方、新聞の一面だけであれば毎朝10分ぐらいで済むので隙間時間でどうにかなるし習慣化もしやすい。時間だけの観点から言えばそのようになるが、そもそも興味が持てない。それは、中学受験をする子供に毎朝計算や漢字の勉強をさせることに似ている。小学生の時点で目標に向かって頑張るという経験をすることは大事だが(それはスポーツでも何でも構わない)、その「頑張る」は毎日つまらないことをコツコツとすることでは決してない。計算ができるようになったからと言って文章題が解けるようになるわけでもなければ、漢字ができるようになったからと言って記述が書けるようになるわけではない。何かができるようになるためには何かしらのコツコツは必要だが、闇雲にコツコツを続けても何かができるようになるわけではないということを言いたいのだ。
 なぜ大人は子供に新聞を読ませようとするのか。社会のことに興味を持って欲しいからである。その気持ちはよく分かる。しかし、前述の通り「読みなさい」で変化は生まれない。そこで作文の出番である。中学生以上に対して、以前は読売の中高生新聞を読んだ上で気になった記事を1つ選ばせて、それに対して自分の意見を400字程度で書かせていた。しかし望ましい結果は得られなかった。記者の意見に追随しただけのものになったり、何かしら自分なりの意見を述べようとしたものの中身のあるものにならなかったりしたからだ。だから、資料読解(以前は、論述問題と呼んでいた)に移行した。たとえば、人口問題に関して、グラフなどのデータが与えられ、それを踏まえた上で自分の意見を述べて行く。それも「今後日本は人口が減っていくから、それをどうにかして食い止める必要がある。そのためには子育て支援を拡充させなければならない」というようなどうでも良いことではなく、「じゃあ、なぜ今そのようになってへんの?」、「政治家が選挙で票を得るために高齢者向けの施策ばかりに力を入れているから」と原因を考えさせたり、「人口が減ると何が減る?」、「家」、「じゃあ、家が減るとどのようなプラスがある?」、「(住宅地が減るので)自然が増える」などと抱えている問題に対して、ポジティブな面に目を向けさせたりする。このような訓練を重ねることで、流行りのSDGs関連の小論文にそれなりに対応できるようになるが、私の中ではそんなものはおまけであって目的ではない。私が「こだわり」について書いたことで記事が目に留まったように、立ち止まって考えることで引っ掛かりを作ってあげることの方が重要である。今後さらに情報が溢れて行く中で求められるのは、自ら積極的にそれを取り行くことよりも、自分の方にたくさん飛んで来るものの中から必要なものを適切に選び取れる力である。引っ掛かりはその助けとなるのだ。
 何もそんな硬いものばかりを扱っているわけではない。「あなたの一番楽しい時間は何ですか?」や「優越感、もしくは劣等感について述べなさい」というようなものを扱ったテキストもある。「Aをしているときが楽しい」と書き出してみたものの、そのように考える根拠が挙げられなかったりする。それによって、Aは単なる暇つぶしで本当に楽しいのはBの方だということや、CやDに対して劣等感を抱いていたが、実はCは自分にとってはどうでもいいことであって、昔はうまくできなかったが努力したおかげでDはそれなりにできるようになり苦手意識は無くなった、ということに気付けたりする。
 昨日、ハロワーク主催の「合同就職面接会」に初参加した。隣のブースで集団面接が行われていたのだが、皆、“普通”のことをはきはきと語っていた。自己アピールをしているつもりなのだが、それは企業が求めているであろう自己であるから、皆似たようなものになっていた。
 また、我々のブースを訪れたある学生から履歴書に対してアドバイスを求められた。「『~ができなかったけど、・・・したおかげでできるようになりました』。0から5になりました、とするのではなく、こういう風にして-5から5になりました、とする方がインパクトはある。でも、これは皆がやることなので、採用担当者は『またか』となる」というような指摘をした。そもそも、実際はそうでないのに定型に当てはめに行こうとするから話が嘘っぽくなるのだ。もし、実際に1のものが3にしかならなかったとしても、そこで何を学んだかを読み手に伝わるように書けば良いのだ。また、「1つではなく、複数の例を挙げた方が説得力は増す」ということも付け加えた。そのインパクトの話も複数の例の話もつい最近中学生の添削をしている時に伝えたことである。
 志高塾で学んだ生徒達には、将来、自分の姿をありのままに伝えられるようになって欲しい。その自分を磨いていくために、自分を見つめること、社会を見つめることはいずれも欠かすことができないのだ。

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