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2021.08.10Vol.506 じゃあどうする?

 「松蔭先生は普通じゃない」と生徒が言うので、「そりゃ、平凡な人やと思われたくはないけど、いたって“普通”やと思うで」と返した。その話を他の生徒達にしてもほとんど同じようなやり取りを繰り返すことになる。普通という言葉の使い方は非常に難しいのだが、私はこの場合シンプルという意味で用いている。
 自分がいつから“普通”の道を歩むようになったのかを探るために記憶を辿ってみると中学時代に行き着いた。思春期と言われるその時期にご多分に漏れずいろいろなことに疑問を持ち始めたのだろう。ちなみに、「9歳からの」でググると、それに続くのは「学資保険」、「予防接種」の2つであり、「10歳」、「11歳」であれば候補は増えるが内容的には変わらない。「12歳」で初めて「現代思想」が出て来て、「14歳」になると「哲学」、「社会学」といったように思想に関するものが並ぶようになる。なお、「20歳」、「30歳」、「40歳」だと、一気に現実的でつまらないものばかりになる。70歳ぐらいまで働く人が増えることを考えると、40歳ぐらいでモデルチェンジをするために、小手先ではなく根本的な部分を見つめ直す必要がある気がするのだが世の中はそのような傾向にないようである。プロ野球で言えば、球速が落ちてきた時点で速球派から技巧派へと変身を遂げるピッチャーも少なくない。二刀流で大活躍中の大谷翔平も、体力面を考慮して30歳ぐらいで打者一本になるのではないかと言われている。
 その中学生の頃、周りの男子が女子に対して距離を置き始めるのが不思議でならなかった。異性として意識するからそのように振る舞うのだが、「話したいんやったら話せば良いやん」というのが私の考えであり、それを実践していた。そして、もう1つ鮮明に覚えていることがある。中1の頃の校内の合唱コンクールで、中3の男子の多くが全然やる気が無さそうに歌っていたのには衝撃を受けた。めちゃくちゃダサいな、と。本人たちは、一生懸命歌うことこそ格好悪いと思ってのことだったのだろうが、見ている方からしたら全くの逆であった。その時に、同級生たちと、「俺たちは最高学年になってもおっきな声で歌おうな」という話をした。そして、実際そのようになった。恒例のプチ自慢をさせてもらうと、中学生時代、「あなたがこの学年のリーダーになりなさい」と先生から直々に指名され、生徒会長も任された。そのような意味では、自分の意見を通しやすい立場にいたので、かなり好き勝手やらせてもらえていたのであろう。何かの役をするときはその生徒会長含め、自ら立候補などしなくても声が掛かって「しょうがない、やるか」といった感じで引き受けていた。でも、内心ではそれがずるいことも分かっていた。負けることがないからだ。私と違って長男はどんどん自分から手を挙げる。確か、3年生の時点で6年生になったら運動会で応援団長をやりたいという希望を持っていて、そのためには4, 5年生でどのように応援団と関わって行けば良いのか、ということまで考えていた。結局、我が子は、体格が良く、いかにもスポーツができそうな子に選挙で負けて副団長にしかなれずに悔しがっていたが、私よりか余程良い経験を積んでいる。ここで述べた私との違いを長男にも説明した上で「お父さんより断然すごい。ただ、いつかは選ばれるようになりなよ」と伝えている。
 話を戻そう。生徒が私に対して、「(普通の)先生っぽくない」と言うことは少なくない。そりゃそうである。そもそも先生と思われることを望んでいないのだから。開塾当初は「塾の先生をされてるんですか?」と聞かれるたびに「いえ、経営者です」とわざわざ訂正していたぐらいである。私自身が先生に良いイメージを持っていなかったからだ。小学生時代、私の通っていた進学塾の教室長から、「このままだと2流で終わりますよ」というようなことを言われて母は個人面談から帰って来た。受験生にも関わらず、野球の試合があれば普通に土日の授業を休んでいたので、そのようなことを認めている親の教育方針も含めての批判であった。それを伝え聞いての私の感想は「3流のあいつに何でそんなこと言われなアカンねん」というものであった。
 先生という立場にあるからではなく、言うことを聞かないと怒られるかでもなく、この人の話だから、この人の話に従うことは自分にとってプラスになるから聞こうと思ってもらえる人でありたい。「先生っぽくない」と生徒が評する一因として、日頃私がくだらない話ばかりしているというのもあるが、常にちゃんとした話をしていたら話す方も聞く方も疲れてしまう。良い球を投げようと思えば、脱力した状態から一瞬だけキュッと力を入れる必要がある。最初からがちがちになっていたらボールに適切に力を伝えることができないからだ。それと同様である。
 能力が足らなかったり条件が整わなかったりで、実現できないことも多々ある。だが、中にはやる前から諦めてしまっていることも少なくない。思考停止にならずに、自分は何を望んでいるのか、それを実現するためにはどうすれば良いのか、という自問自答を繰り返せば、自ずと手にできるものは増えるはずである。
 生徒達には、作文を通して自分と向き合うことで、それぞれの“普通”の道を歩み続けられる人になって欲しい。

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