
2019.07.23Vol.407 せこいわけではございません
時給を上げてもらえませんか。大学3回生の女の子からお願いされた。そのときは、授業前で十分な時間がなかったこともあり、現時点で上げる気がまったくないことを伝えた上で、いくつかその理由を列挙した。こういうことに関して、思わせぶりなのは良くない。ちなみに、時給は1,500円から始まり、300時間授業に入るごとに100円ずつ上がっていき、上限を2,000円に設定している。これは学生であろうが社会人経験があろうが同じである。
中途半端な状態で終わっていたので、その次に会った時にもう少し整理をして、私の考えを詳しく述べた。変更する予定がない一番の理由は、現時点で優秀な人が雇えているから。特に、この1年は採用がかなりうまく行っている。その状態で、わざわざ時給を上げるなんてもったいない、と考えているわけではない。献血はお金が支払うれるようになると逆にそれを行う人が減る、という話がある。人の役に立ちたくてやっていた人が逆に敬遠してしまうのだ。100人が70人になるとしたら、元の100人から30人減ったのではなく、80人減って20人なり、そこにお金目当ての50人が新たに加わるという感じではないだろうか。この数字には何の根拠もなく、私の勝手な想像である。私が恐れているのはそのことである。仮に今より300円上げたとしたら、応募して来る層が変わりそうな気がするのだ。
「志高塾を選ばれた理由は何でしょうか?」
「他よりも、時給が高かったからです」
「それ以外には?」
「・・・・」
面接で、こんなやり取りをするのはごめんである。
2つ目の理由。先の段落で「300円上げる」と書いたが、300円は1,500円の20%である。その余裕は十分にある。時々書くことなのだが、我々は講師をかなり分厚く当てるようにしている。この一年間で新しく採用した講師が多いので、それに拍車がかかっている。「生徒2人に1人の講師」と謳っているので、生徒が4人であれば講師2人、6人であれば3人で条件を満たしていることになる。しかし、実際は2人ではなく3人、3人ではなく4人入っていることの方が圧倒的に多く、計算上人件費はそれぞれ50%, 33%増しになっている。それを削って最低限の人数まで絞れば、20%増しにしてもお釣りは来るのだ。しかし、話はそれほど単純ではない。それを実現するためには、勤務日数を減らすか、講師の人を減らすかのどちらかを実行する必要がある。前者は一時期よく耳にしたワークシェアリングである。横文字にするとそれっぽい感じが出るが、これは仕事ではなく給与を分けているだけの話で(それであれば、サラリーシェアリングと呼ぶべきである)、雇用する側の、閑散期に人件費を抑え、かつ繁忙期のために人を囲っておきたいという都合のいい考えなのだ。もちろん、働いている人にも優しいワークシェアリングが無いわけではないだろうが。他方、講師を減らすとどうなるか。現状、各人の希望日数より多く出勤してもらうことは皆無であるが、それによって、週1日しか入りたくない講師に3日来てもらうことになるかもしれない。すると、無理がたたって辞めることにつながる。それを補うにも人的な余裕がないから、新たに採用することになる。右も左も分からない人が、いきなり相応の負担を負うことになるのだ。こんな状態で、どうやって質の高い教育を提供できるのだろうか。
3つ目。「この1年は採用がかなりうまく行っている」と述べたが、採用に以前よりもお金を掛けるようになったことがその一因である。学生向けのサイトは、上からA, B, Cの3つのランクに分かれており、BからAに変更した。上位に掲載される分、料金は当然高くなる。それ以外に新たに成果報酬型のサイトを利用するようになった。正直、これに関しては、悪魔が、耳元でささやくというレベルではなく、周りの人にも聞こえるぐらいの声で話しかけてくるのだ。「ばれへんて。みんなも結構やってるからお前も一度やったら」と。成果報酬型と言うのは、我々がたとえば「Aさんを雇いました」と報告しない限り費用は発生しない。それを防ぐ一つの方法として、報奨金制度がある。先のAさんが「採用されました」と運営会社に通知すれば、一定金額が支払われる仕組みになっているのだ。私が個人的にAさんに連絡を取り、「うちで働くことは内緒にしておいてください。その代わり、報奨金の2倍払いますから」と持ち掛け了承が得られれば、出費をかなり抑えられる。「1回ぐらいやったらいいか」とならないのは、私が約束を守る人間だからではない。新しい職場で働く前は、それでなくても不安などがあるのに、上のようなせこい提案をされた日には「あまり期待せんとこ。嫌ならすぐに辞めればいいし」という気分になってしまいかねない。もちろん、その割を食うのは、生徒であり、お子様を預けてくださっている親御様である。
教育の質を上げるために、どこで数字上の無駄をポジティブに発生させるかということについては、それなりに考えているという自負がある。一般的に言われるように、利益を最大化するのが経営者の務めであるなら、私は全く持ってその責務を果たしていないことになる。ただ、「経営者」の前に「教育に関わる事業の」というのが付けば、私のしていることはそれほど間違えていないはずである。時々、思う。教育以外の仕事をしていたら、限りなくブラックに近いグレーゾーンの仕事をたくさんやってやるのになーって。