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2019.02.05Vol.385 メソッドとスタイル

 前回ブログ内でも触れた「中学入試結果」に関する数値の修正から。甲陽の累計の合格数に関して「この扱い方を人がインチキと考えればインチキなわけであるが」と述べたが、「いや、アンタ。それどう考えても」と自身で突っ込みたくなったので、今年の実績を「3名中3名」ではなく「4名中3名」合格とし、累計を17名中14名から、18名中14名に変更した。「3名中3名」と一度書いたことで溜飲が下がったのだろう。数値と言うのは、恣意的に操作し始めた時点で信用できるものではなくなってしまう。この件もそうだが、つまらないプライドが事実を歪めたり方向性を間違えたりすることの元凶となるので要注意である。
 昨年の11月ぐらいだろうか。本を出しませんか、という電話が掛かってきた。何のことはない、自費出版の依頼である。そういうのは時々あり、大抵は「結構です」で終わりなのだが、なぜだかその時はとりあえず話だけは聞いてみようか、となった。自費出版の広がりは、出版不況と密接に関係している。大きな利益は見込めないものの、出版社が損することはない。売れなければ著者がそれを負い、奇跡的に売れれば部数増に応じて出版社も儲かる仕組みなっているからだ。予め多く刷るのではなく売れれば少しずつ増刷していくので、基本的に売れ残りというのがほとんど発生しない。
 会って私が確かめたかったのは2点である。1点目は費用がどれだけかかるのか、2点目は出版することで私自身何が得られるのか、ということ。1点目は電話の時点でおおよその数字は掴んでいたので、会って直接伺いたかったのは主に2点目である。このブログを始めたときには、自分の文章力を磨くため、自分の頭の中を整理するため、志高塾に興味を持っていただいた方に我々の方針を理解してもらうため、というのに加え、いつか出版の依頼が来た時に備えて書き溜めて置くため、という狙いがあった。「私自身何が得られるのか」というのは、どのような編集者がどのような仕事をしてくれるのか、ということである。大して売れないことは分かっていたので(5千部ぐらい売れて、トントンぐらいになるのだろうか)、マイナス分は勉強代、という位置付けだった。「編集は、どのような方が行うのですか」と聞いても明確な返答はなく、「弊社のほとんどの人間は他の出版社からの転職組だから安心してください」というレベルのものであった。話をしていくうちに、どうやらその日来ていただいた方が原稿などのやり取りの窓口になることが分かった。いわゆるワンストップというものである。そこで「その前はどのような会社にお勤めでしたか」と尋ねると「私は、出版業界は初めてで、この前は介護業界でした」と返ってきた。もしあの日、滑りやすい生地のズボンを履いていたら、間違いなく椅子からずり落ち、どこからともなく「チャンチャン」という音が流れて来たであろう。
 志高塾を始めてからしばらくは、本を出したい、テレビで取り上げてもらいたい、というのがあった。しばらく、というよりかはついこの間まで、という方が適切かもしれない。今は、それらを積極的に求めていない。よく考えてみると、それらは目的ではなく手段であったのだ。より多くの人に注目してもらうための。受け入れの一時停止と再開を繰り返しているように、現時点では十分なだけの、正確に言えば、身の丈以上の問い合わせをいただいている気がしている。何もそれに満足しているということはなく、どこまで責任を持って受け入れられるのかの確信を持てないため、「よし、ここまでは大丈夫」という現在だけではなく、「この人数であれば、この先も大丈夫」と未来の状況もイメージしながら受け入れ枠の微調整を行っている。「より良い教育をより多くの人に」であって、あくまでも「より良い教育」が担保されていなければ「より多くの人」は求めるべきではない。体験授業に来られた方から「こういう教室を求めていました」などとおっしゃっていただくのはもちろん嬉しい。だが、1人の生徒が何年間も通い続けてくれる方が、その何倍、何十倍と私に喜びを与えてくれる。
 メソッドに対するスタンスも似ている。HPの「志高塾の教え方」のページのURLはhttp://www.shiko-juku.com/methodとなっているが、我々にメソッドと呼べるようなものはない。いつか業者の方にお願いして(業者の方が気を利かせてそのようなURL名にしてくださった)、/oshiekataに変更してもらおうかな。当初は、志高塾メソッドなるものを開発し、HPでバーンと打ち出したい、というのがあった。しかし、ある1つのメソッドが教育の質を保証してくれることなんてありえない。仮にそのようなものがあったとしたら、教える側の人間は、ただそれを実践すればいいだけだ、と勘違いしてしまう。いつしかメソッドに対する思いはきれいに消えてなくなった。私は、時間を掛けて、少しずつ志高塾スタイルを築き上げて行っているのだ。そこにゴールなんてない。
 そんなことを考えながら、子供の頃、砂場で山を作っていたことを思い出した。周りの子は、上へ上へと砂を盛っていた。頂上付近に砂をかけては、滑り落ちてくる砂を叩いていた。私はと言うと、とにかく大きな山にしたくて、土台を広く、強くすることに執念を燃やしていた。基礎部分の円を少しでも大きくしたかったのだ。時間切れで結局期待通りのものはできなかったのかもしれない。
 志高塾を始めて12年が終わろうとしている。未だ基礎作りにエネルギーを費やしている気がしている。子供の頃、昼ご飯ができれば、夕方暗くなれば母が迎えに来て、手を止めざるを得なかった。今、私の手を止めようとする外的な力は働かない。いつ、上を目指して積み上げていくかも私自身が決める。それなりに大きな山ができたと感慨に浸るのもいい。けれども、どれだけ大きな山になるのだろうか、と広くて頑丈な土台を見ながら未来を想像するのはもっともっと幸せであるような気がする。
 それは生徒達に対しても。見栄えが良いようにある程度完成させることより、未来の可能性を広げるための土台作り。ただただそれを追い求める。それが志高塾スタイルである。

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