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2018.12.25Vol.380 期待され、そしてそれに応えたい

 今回は、月間報告を通したある親御様とのやり取りを紹介させていただく。内部生の向けの2018年10月版の『志高く』 Vol.138「若者よ」でも扱った、高等専門学校の4年生(大学1年生と同学年)の生徒(大学への編入試験の小論文対策のために、今夏、中学卒業以来、約3年ぶりに戻って来てくれた)に関するものである。

(月間報告)
先月は4回の授業を使って「日本的教育」という題材に関して取り組んでもらいました。いわゆる「暗記型の教育に対して、あなたはどう思いますか?」というよくある類のものです。その前の「自由の息苦しさ」もそうだったのですが、問題文のさわりを読めば「ああ、これはあれだな」と分からないとだめなレベルのものであり、同時に「これはああいう風に答えるのが1つの定型」というところまで思い浮かんでなければいけません。
編入試験の対策のために戻って来てくれたわけですが、最初から専門的なことを書かすのではなく、もっと一般的なテーマを扱うことで思考が柔軟になり、それが小論文対策になると考えていたのですが、思っていた以上に苦戦していますし、それが長引いています。正直、先月はもう少し上向いてくると予想していました。
具体的な内容に話を移します。たとえば、初めて取り組んだときには、一文目に「私は学校で学ぶときはひたすら暗記でも好いと思う」と安易な結論を持って来ていました。もちろん、その後にそのように考える根拠がしっかりと述べられていればいいのですが、そうではありませんでした。そこから分かることは、何だか知らないけどとりあえず結論ぽいことを言ってみよう、という考えを持っているということです。その翌週には、結論は置いておいて、まずは自分が受けてきた教育(中学校までは暗記型、高専ではそこに思考型も追加される)について考察するように、と指示しました。その結果、小学校の授業に関して「自分で深く考える機会は国語の作文や本読み、道徳の授業ぐらいしかなかった」などとしていたのですが、添削の際には「ほんまに作文では頭を使ってたんか?」、「本読みで深く考えるってなんや?」というような指摘をしました。また、教育内容の話をしているのに、なぜだか「中学生の頃にケアレスミスをしたせいで、数学のテストで満点を逃し悔しかった」ということを述べていました。
最重要課題(それは1つの事柄を、複数の事柄と結びつけて、その意味を考える)で挙げたことですが、具体例を出すように伝えても、あるAと言う事柄に対して、すぐそばにあるBと結びつけて終わってしまっています。それが、CやDとつながっているかもしれない、などと考えることはありません。
何ができていないかは分かっているのですが、中々根深いものがあるので、今使用している大学受験用の小論文試験の問題ではなく、もう少し型にはまっていないものにするなどして、思考に広がりが出るようにしていきます。
また、あまりにも物を知らなさすぎるので「TEDでも見たら」と勧めたら、「母から何度か勧められました」と返ってきました。付け刃的になってもうしょうがないのですが、もう少し世の中のことに対する知識を詰め込む必要があります。

(親御様のコメント)
 いつもお世話になりありがとうございます。先生のご指摘の一つ一つ、まさに志高塾でしかなかなか言っていただけないことであり、私が言っていただきたかったことです。先生には、たいへんなエネルギーを使わせてしまうことになり、申しわけないのですが、、、、。よろしくお願いいたします。
 ノーベル賞の授賞式があり、本庶先生のスピーチの一部が放映されていました。その中で「すべての人々に恩恵を」とおっしゃっているくだりがありましたが、先生が「on the planet」と表現しておられることが心に響きました。それを「世界中の」と訳していたテレビ局が午後の番組では「地球上の」と訳していました。しかし、「on the earth」ではなく「planet」とおっしゃったことに、地球を惑星、宇宙全体の一つの星と捉えておられるように思いました。なんと広い視野、そして、強い使命感かと感銘を受けました。これからを生きる人として、広く、遠くへと視線を向け、そこから、身辺、目の前で起こっていることへと視線を戻して、進む道、取り組むこと、つかむものを選択してほしいと思います。その意味においても、今、思考を耕し、掘り起こす機会をいただいていることは貴重な時間だと思っています。いつもありがとうございます。

 少し補足すると、上記「これはああいう風に答えるのが1つの定型」は、それを書けばいいというのではなく、定型、いわゆる一般論を意識した上で、自分の意見を明確にしていくということである。自らの結論が、一般論と同様のものであるなら、そのように述べる理由で少し色を付けなければならず、逆にそれと異なるものにするのであれば説得力のある根拠を並べなければならない。
 このお母様とは現在通ってくれている二男の兄が小学生の頃からの付き合いだ。調べてみたら開校1年目からなので、志高塾の歴史と同様の年数なのだ。当時、私にはまだ子供はいなかった。生まれてからは「先生、積み石(正式名称は知らないが、積み木の石版)はいいですよ」と紹介していただき、早速長男に買い与えた。その長男が10歳になるのだから不思議なものである。
 このお母様の文章は、このブログか内部生向けの『志高く』で何度か紹介させていただいている。今回いただいたコメントは「月間報告」の内容にも触れているが、いつもはその裏面に掲載している私の『志高く』に関わることについてのことがほとんどである。今でこそ少しはましになったものの、当時の文章は本当にひどいものであった。それにも関わらず「先生の文章を読んだら、触発されて書きたくなるんです」という嬉しいコメントをいただき随分と励まされたものである。
 何も、このようなものをすべての親御様に求めているわけではない。たとえば、3人の子供を合計20年(それぞれの子供の通塾期間を足し合わせたもの)通わせてくださっているご家庭もある。計算上240回月間報告をお渡ししたことになるが、どれだけ多く見積もっても何かしらのコメントをいただいたことは10回もない。しかし、月間報告にはしっかりと目を通してくださっているのだ。何も長い年数通わせないとだめだ、と言いたいわけでもない。
 このまま文章が行き先を見失いそうなので、強制的に終えることとする。温かい親御様達に支えられながら、おかげさまで充実した1年を過ごすことができました。教育の質をさらに上げられるという手応えを今、私自身強く感じています。来年は志高塾にとって飛躍の年になるはずです。是非ご期待ください。
次の投稿は1月8日(火)です。この1年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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