
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.09.12Vol.70 城の崎より(三浦)
今回の作文は、城崎の旅行記のようなものだ。一人旅である。元来、どちらかといえば、一人で何処かに出かけることを厭うタイプではない。ひとり焼肉、ひとりカラオケ、ひとり城崎。ひとりテーマパークはまだ機会がないが、そのうち達成してしまうかもしれない。東京に出かけた際も、現地の友人の都合がつかないときは日がな一日土地勘のない都会をあてどなく徘徊しまくっていたこともあるので、気ままな一人旅は嫌いではない。
城崎といえば、真っ先に浮かぶのは志賀直哉の「城の崎にて」だった。今回のタイトルも少しそれに倣っている。教科書に載っていたこともあって幾度か読んでいるはずだが、子どもが鼠をいたずらに死なせる場面の印象が強すぎて、それ以外の記憶はおぼろげであった。それでもまあ天下の志賀直哉だし、そして案の定城崎文芸館もあるし、と、今回の一泊二日の旅行に踏み切った。
文芸館の休館日だけ調べて、素泊まりの宿と電車の切符だけを買ってのこのこと出かけて行ったのは八月末だ。大阪から城崎温泉までは特急電車で三時間弱、姫路を過ぎたあたりからは時折普通列車かと勘違いするほどの速度での走行もあり、見渡す限りの自然の中をのんびりと進んでいく。なんというか、そういったところにも旅情があった。夏はシーズン外なこともあってかそれほど人は多くなかった。外国人観光客もさぞ多いだろうと踏んでいたのだが、実際には現地でも時折見かけるくらいだった。ただ、宿泊した宿では海外の人が働いており、その割合も多いような気がした。働き手不足の影響もあるのかもしれない。素泊まりのできる宿が増えたのも、飲食と宿を別にすることで宿泊客を多く受け入れることができるというのがあるらしい。
さて、話を戻す。まずは城崎といえば城崎温泉、外湯巡りだろう。個人的に大衆風呂というものに苦手意識があったため、宿を取れば入り放題のパスがついてくる、とあっても巡る気はさらさらなかったのだが、特にやることもないので思いつきで足を運んでみることにした。結果的にはものすごく楽しくて、七つの外湯のうち、定休日の関係で難しかったものだけを除いて、結果的には六つは回った。そのうち一つは雨宿りも兼ねて二回、一つは朝一番に向かったので、なかなかのハマり具合だったかもしれない。
私は視力が弱いので、眼鏡を外すと何もかもがぼやける。その状態で温泉に入るのだが、驚くほど何も見えず、かえってすべてが新鮮なのだ。近づかないと掲示されている字が読めないので片っ端から近づいていく。人の顔もよく見えないので、人を意識することもなく、そして意識されているとも思わない。それが個人的にとても気楽な距離感だった。先ほど「雨宿り」と書いたが、突発的な雨の多い時期だったので、露天風呂で30分ほどぼんやりと時間を潰したことがあった。露天風呂の端、屋根のある下に皆が静かに並んで湯に浸かり、雨の打ち付ける水面を眺める。時折雨をものともしない人がふらりと中心まで出ていく。雨の影響で少し温度の下がった湯も含め、その時間と経験がとても印象深く、城崎のことを思い出そうとするとまずそれが浮かんでくるし、これからしばらくはそうなのだろう。あと、温泉は問答無用でスマホなどの機械に触れないので、そういう意味でもデジタルデトックスになった。温泉にはそういった効用もある。
もう一つの目的である文芸館は、志賀直哉や志賀に勧められて訪れた彼の友人に関する展示がほとんどだろうと思っていたが、「城崎を訪れ、作品に残した文芸人」という枠組みではかなりの人数についてのパネルがあり、温泉街というものの強みを感じた。実際、街中にも吉田兼好や松尾芭蕉、島崎藤村などの文学碑が多く点在している。もちろんそういった展示も面白かったのだが、特に興味を惹かれたのは約百年前、北但大震災によって城崎が火災に見舞われたこと、そこからの復興の足跡だった。当時の状況はひどく、山に逃げてもそこまで火の手が回り助からなかったともあった。だが、温泉があれば復興できると立ち上がり、まずは教育を軸にと子供を集めて学校を真っ先に開いたり、人々が自身の土地を譲ることで道路を広くしたり(道がふさがったことで救助が遅れていた)、建物は景観のためにも木造主体での再建をしたりと、多くのことを乗り越えたのだそうだ。当時の城崎を訪れた島崎藤村の作品が記されており、至る所に足場がかかっていることや、それでも温泉街として既に機能していることなどが書かれていた。後から調べたところ、『山陰土産』という作品らしい。今年のGWにも城崎では火災が発生していたが、八月末には一見してわかるような名残はなかった。もしかしたらあったのかもしれないが、そう思わせない穏やかな活気の方が勝っていた。これは百年前もそうだったのだろう、きっと。
文芸館でありのままに書く旅行記というものに憧れ、帰路の電車からゆっくりと書き進め始めたはずが、気づけば数週間経っていた。城崎は文学の町として、湊かなえや万城目学の「城崎限定」短編小説を発売している。まだ読んでいないそれが手元にあるのだが、タオル生地でできた特別製の表紙を撫でつつ、いまだに温泉に思いを馳せている。