
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.06.21Vol.26 レンズの向こう(三浦)
子どものころから整理整頓が苦手で、今でも自室はかなり散らかっている。多分、想像のかなり上をゆくほどだと思う。この間のGWで多少は片づけたのだが、まだ紙類があちらこちらに置いてあるなど、結構な惨状である。だから生徒に「部屋は綺麗にしなさい」となかなか強く出られない。一方で、部屋が汚いことの情けなさを重々承知している身なので、こうはなってほしくないという意味を込めて注意することはできる。情けない話である。
こんなことを堂々と書くのはどうかとも思うが、部屋が汚い原因のひとつに、「現状が常態化してしまっている」ことが挙げられる。ようは感覚が麻痺するのだ。床に何かを置きっぱなしにしても「通るときに邪魔だなあ。まあ跨げばいいか」で終わってしまうし、片づけ忘れたレシートが視界に入っても「そこにレシートがあるなあ」で終わってしまう。見慣れてしまったせいで危機感が湧かなくなる。順応しているといえば聞こえはいいが、もちろんそのままでいるわけにはいかない。
そんな時、役に立つのがスマホである。
別段特別なことをするわけでもない。スマホのカメラ機能で自室をうつすだけだ。写真も撮らない。ただカメラ越しに覗くことで、初めてそこで、「私の部屋ってこんなことになってしまっているんだ」と客観的に気づくことができる。楽しんでいる場合ではないのだが、まるで別人の部屋のようで面白い。普段は部屋全体ではなく何かのアイテムに注目している一方、まさしく「全体像」を一目で見えるようになる点が大きかったのかもしれない。
ちなみにそのスマホのカメラ、もうひとつ身近な役に立つことがあった。
私は視力が悪いのでいつも眼鏡をかけているのだが、そういう人にとって眼鏡を失くすというのは命綱を失うこととほぼ同義である。普段はあまり意識こそしないが、例えば緊急避難時に眼鏡がなければどうなってしまうのかを想像すると、足元も見えない、遠くの文字も見えない、顔もわからないで、かなり大変な思いをするのだろうと推測できる。だからコンタクトをした時も「コンタクトを失くしたら一歩も歩けない」くらいの気持ちで、いつもしっかりとケースに入れた眼鏡を持ち歩いていたのだが、荷物がかさばるのが面倒になってついにコンタクトの方を全くしなくなった。
さて、眼鏡がない状態で眼鏡を探すのは腰の折れる作業だ。特に取っ散らかった机の上にほうり出してしまった時など、眼鏡を探すための眼鏡が欲しいくらいだ。しかしそんな時、スマホのカメラを通すと、画面の中では遠近など関係ないので、遠くまできれいに見ることができる。スマホの画面であれば、顔を多少近づければピントを合わせることができる。距離感を掴むのは難しいので眼鏡の代わりにはならないだろうが、探し物には十分だ。眼鏡に限らず、灯台下暗しの探し物も、案外こうすれば見つかるのかもしれない。「これはここにあるはずだ」という思い込みをいったん切り離すことができるのだから。
だが、その命綱でもある眼鏡も、案外外してみると面白かったりもする。この間の夜道、ふと思い立って安全なところで立ち止まって外してみたのだが、車のライトや信号の光などがぼやけるせいでやけに大きく見えて、まるで花火のように派手で明るく、いつもの帰路がまったく違う道のようにも見えたのだった。
さて、つらつらとスマホのカメラだの眼鏡だのの話をしてきたが、いずれも「視点を変える」ことに繋がるな、とふと思ったことだった。
何か、いつもとは違うレンズを通して見てみること。あるいはレンズを外してみること。既にあるものを、別の使い方ができないかと悩んでみること。作文の際、よく「視点を変えてみたら」とアドバイスすることがある。なんとも投げっぱなしなアドバイスだが、視点の変え方にもいろいろとあるのだ。アイデアの出し方とも言っていい。同じ景色でも、通すレンズが変われば何もかもが変わる。たまには歪んで見えるレンズがあっても面白い。そのレンズの引き出しを頭の中に持っておきたい。と、今、視力を計るときにいろいろなレンズを差し替えられる、あの形をイメージしている。
2024.06.16Vol.25 偶然を選び取るということ(竹内)
人生は選択の連続である――。浅学ゆえ、これがシェイクスピアの言葉であったとは知らなかった。今晩は何を食べようか、あの人に悩みを打ち明けるか否か、はたまた、どちらの足から靴を履こうか。何もかもに判断が下される。
スティーブジョブズがいつも同じ服を着ていたのは、重要な意思決定に十分なエネルギーを割くためである、という話は有名だ。服装が固定されていることは一種のトレードマーク化でもあり、自分の印象を作り上げることにもなりうる。たとえそれが一瞬のことであっても、選択には労力がかかる。「選ばなかった方」に後ろ髪引かれる思いが残ることもあるので、やはりその機会自体を減らせるようにすることはある意味で精神安定剤であるといえる。
すごく時間をかけているという自覚がある選択の瞬間は、私の場合は書店で本を買うときである。すでに積読が部屋を占拠していることが一因ではあるのだが、その一角に新たに増やすとすればどれにするのか軽々と一時間は悩めてしまう。どうせすぐには読まないしなあという気持ちと、でもせっかく面白そうなの見つけたしなあという気持ちの間で揺れながら、「今日はこれ」というのがやっと決まる。その時の自分の関心事が決め手であるのは確かだが、それと同じくらいに「書棚の中に入っていたのではなくて平積みになっていたから」とか、「その前に試し読みしていた人が逆さまに戻していたために目立っていたから」とか、実のところ偶然の状況に後押しされていることが少なくない。毎日の服だって、このアイテムを使ってみようと思うのは前日にそれを取り入れたおしゃれな人を見かけたからだったりする。そのセンスまでを吸収できているわけではない。日常生活の中には、自分の意志を強く意識したうえで行われる大きな選択ばかりでなく、ひそかに他者の影響を受けている受動的な選択があふれている。
最近授業で扱った灘中の文章の一つに、癌治療にあたっている外科医によるエッセイがあった。これはその中からの一部抜粋。
この一年間に、二名の再発癌の患者が、私の勧める治療法と考えがあわずに、他の医師のところへ去っていった。(中略)背景や、垣間見ることの出来た人生観などから、その患者にとって、よかれと思った治療法を提示して、説明したつもりではあった。しかし、二年以上のつきあいの中で、その患者を理解していると考えていた自分が傲慢であったのか、私はかなり悩んだ。偶然で知り合って、信頼関係を築いていくことは、相当の努力を必要とすることであった。
ちなみに、ここでの「相当の努力」というのは医学的な知見以外で個々の患者との接点を持てるように様々な分野の知識を得ることを指している。大きな病院で、どの先生に診てもらうことになるのかは、前の診察にかかる時間や、順番待ちが前後することによって変わる。そのたまたまできた関係性は治療をすることだけで必ずしも維持されるものではなくて、数多い患者の中での自分という一人の存在を見てくれていると感じられてこそ、その相手に任せよう、となる。志高塾の一員である私にとって、ここで経験する人との出会いは「偶然」の色が濃い。数多ある塾のうち、ここに通うということには、親御様の能動的選択が大いに関与している。一方で、子どもたちにとってそれは受動的なものであることがほとんどである。また、私自身が立ち上げたわけではなく、揺るぎない理念が掲げられていたこの場所にただただ引き寄せられた一人であるという点では、豊中の入り口で出迎えているのが私であるということも「偶然」の一つに過ぎないといえる。
さて、先ほどの文章。終盤では桶狭間の戦いを取り上げ、圧倒的な戦力差を覆すことの出来た「偶然」(住民が今川方に情報を売ったり、寝返った武将がいなかったりしたこと)について、織田信長の民政に対する努力が寄与していることに言及しており、「(幸運に)遭遇すること自体は偶然であるが、その確率を必然に近いところまで引き上げる努力が、背景にあった」とまとめている。
生徒の人数自体に大きな変動が起きているわけではないのだが、ここ最近は豊中校で生徒同士が授業内外で交流している場面が増えてきた。もともと同級生であるといった繋がりがあれば自然とそれは発生するのだが、学校や学年の垣根を越えての接触が見られるととても嬉しい。西北校ではそのような雰囲気がすでに確立されていて、個人的には長らくそれが目標だった。学年や成績でのクラス分けなどないので、同じコマにその生徒たちが来ていることも、たまたまなのだ。その中である生徒が話していることに共鳴したり、積極的には輪に加わらないけれど何となく耳には入っていたり、しばらくすると自分の取り組みに戻っていったり…。そういうことが起こるようになってきている。
このような「偶然」を「ここだからいたい」という「必然」に引き上げるための努力とは、我々の場合は「より良い授業をする」ことに他ならない。そしてその「良さ」とは、何かを教え導くということだけでなく、子どもたち一人一人が安心して自分らしく過ごせる場を作ることなのであろう。
2024.06.07Vol.24 わたしが思い出になる時(徳野)
当塾が扱っている教材の中に『意見作文(基礎)』と呼ばれるものがある。基本的には中学生以上を対象に、23個のテーマ(うち3個には複数の設問を設けている)をこちらで用意している。日常に関わる題材も多く、まずは400字で書くことを通して自分自身を見つめ直す大切さを感じ取っていくことが狙いの一つだ。そして、多くの生徒が苦戦するお題として「あなたが大人になったら、どのようなことをしたいですか?」というものがある。この「大人」とは「成人」を意味する。だから、子どもたちは初め、飲酒やバイクの運転など、18歳もしくは20歳になると共に法的な制限が取り払われる行為を羅列する。ところが、それでは「自分はなぜそれをしたいのか」という動機に関わる部分が薄くなり、内容が全く膨らまないという事態に陥ってしまう。この場合は「何をするか」よりは「どうなりたいか」という大きな指針を探る方が人生の選択肢を増やすことに繋がる。
しかしながら、未だしっくり来ていないのが「大人=成人」という定義付けだ。それは何より、今年で26歳になる私自身に「大人になった」という実感が無いからだ。10歳の精神のまま身体だけが大きくなったようなイメージを自分に抱いている。おそらく小学4年生が私の自我が目覚めた時期なのだろう。そういえば、児童書以外の小説を初めて読破したのもその頃だった。当時味わっていた「大人の仲間入りをした」という誇らしさは鮮烈に覚えている。「大人の仲間入りを果たした」は流石に見当違いすぎるが、その実態に近い「大人に一歩近づいた」という感覚はふとした瞬間に湧いてきたことがある。
私は映画鑑賞が趣味なのだが、今年に入ってからミニシアターより大手のシネコン(シネマコンプレックス)に足を運ぶ回数が増えている。この事実には我ながら少し驚いている。純粋に興味を惹かれた作品が上映されている劇場を選んだ結果ではある。だが、高校・大学生時代に形成された、「マジョリティ」があえて好まないであろうものに触れる行為こそアイデンティティの表出だ、という信念とも言える考えはだいぶ鳴りを潜めていることに気づいた。映画や音楽のようなコンテンツに自身の独自性を求める人間は視野狭窄で排他的になる。そういう私には根拠無く他者を見下しているような所があったはずだ。そういった青臭い姿勢が消えていないのは確実だが、少なくとも、去年までの己を気恥ずかしく思う視点を持っているのは「大人」の階段を一つだけ上がったからだろう。
過去の自分を「恥ずかしい」と思うこと、つまり自分に対して「含羞」があることは、「大人」とは何かを探る上で重要なポイントになると思う。
ある中学受験生の男の子は去年から、授業後に漢字テストに取り組んでいる。3月くらいまでは合格にはほど遠い点数ばかり取っていたので、その日覚えられていなかったものを全て10回ずつ書き取り練習するために夜まで教室に残る必要があった。当然のことながら本人は早く帰ることが叶わず、泣いたり、ふてくされてなかなか動きだそうとしなかったりしていた。さらに、そのせいで帰宅時間がさらに遅くなる、というまさに悪循環である。彼には「覚えられていないのは自分の責任なのだから甘えるな」という言葉を投げかけ続けた。すると、6年生に上がった頃には流石に懲りたのか、態度は随分と改善され、まだ明るい時間帯に教室を出ることができるようになったのを本人も喜んでいた。そんな彼を「昔は泣きながら夜道を歩いていたのにね」と茶化したところ、「僕の黒歴史を掘り返さないでください」と返された。その時の本人の顔は「含羞」のある苦笑いで、柔らかい表情を浮かべるようになったことが意外だった。去年の彼であれば仏頂面で黙り込んでいただろう。同時に、「黒歴史」というネットスラングを使う余裕があるところにもささやかながら成長を感じた。過去の自分に対して深刻になりすぎず、かつ、それを「良くなかった」と客観視できているのは、彼が出来ることを増やしてきたからこそ生まれた心の「ゆとり」のおかげのはずだ。少しずつ「大人」になっているのだな、と大袈裟かもしれないが心打たれた瞬間だった。(しかしながら、漢字の勉強の質をもっと高めてほしいのは今でも変わりはない)
人生の中で「大人になった」ことを正真正銘の完了形で自覚できる人はけっして多くはないはずだ。私に関しては未熟者として死んでいく可能性が高い。だが、「あの頃の自分は駄目だったな」という風にしみじみと恥ずかしがることができるのであれば、それは人間としての成熟具合が進んだことの証拠である。自己嫌悪していてはむしろ、過去に正対できなくなる。「ほろ苦い思い出」の距離感を目指して日々を邁進するのだ。