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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.05.24Vol.23 修正過程(三浦)

 文学館に行くのが好きだ。二月末、神奈川近代文学館に行くことを目的に横浜まで出かけた。神奈川は作家の療養地として人気の鎌倉にある鎌倉文学館もあり、本当はそちらも寄りたかったのだが、修繕工事のため休館中のことで断念した。いずれも既に一度は立ち寄ったことがあるのだが、会期によって展示が変わるのはもちろん、再訪するまでに読んだ作品が増えていると、こちらの見方もまた変わるというのが面白いところだ。ちなみに鎌倉文学館は日本遺産にも指定されている立派な建物で、入るだけでもじゅうぶん価値がある。
 文学に精通しているわけでは全くないので、全く聞いたことのない作家の展示に当たることももちろんある。聞いたことがあっても作品を知らない、というのも同様だ。例えば今回で言えば大岡昇平の「野火」は聞きかじったことこそあれほとんど知らなかったのだが、一部分が展示されていただけだったものの、その一部分を食い入るように読んでしまった。同行していた知人はすでに読み終えていたので、知人の感想や解説も織り交ぜながら落とし込んでいった。
 一番の目的は太宰治の展示だったのだが、そちらは原稿よりも手紙などのインパクトの方が強く、それよりも坂口安吾が書いた「あちらこちら命がけ」という色紙が思いのほか記憶に残った。言葉だけでは伝わりきらないのだが、のたうち回ったような、本当に命がけで何かを成していないと浮かび上がってこない筆致だった。以前は武者小路実篤の「君は君 我は我也 されど仲よき」の色紙に唸った。いずれも、作品と繋げて色紙を読むと、その人柄が色濃く反映されていて面白い。「心の底からそう思っていないと出てこない言葉だな」と思わせるものがある。
 初版の装丁や直筆の原稿、色紙などを見るとどうしても胸が躍るたちである。基本的に文学館にはそういった直筆を見に行っている節がある。色紙はさておき、原稿には作者の悪戦苦闘が色濃く残る。細かな表現の修正を積み重ねた末に、最終的に普段読んでいる印刷物の形に落とし込まれているのだと改めてわかる。ものによっては版によって言い回しや内容が変わるものもあり、それを見比べるのも楽しみである。好きな作家は修正跡まで愛おしく見えるものだ。
 ところで、Eテレに「ザ・バックヤード」という、博物館やテーマパークの裏側を取材する番組がある。その中で横手市増田まんが美術館が紹介されている回があった。私はその美術館について全く聞いたことがなかったのだが、秋田県にあるさまざまな漫画作品の原画などを保存・展示している美術館らしい。その番組内で印象的だったのは、原画に残る修正の跡である。インクで描いた上からでも、修正液(ホワイト)を使えば印刷時には修正されたことがわからない。だから印刷物を見ているだけでは、その絵が修正を重ねられた末のものなのか、あるいは一度で完成したものなのかはわからない。紹介されていたのは男の子が驚いているコマで、驚いている表現として口元のない、目元だけの描写になっていた。しかし原画をよく見てみれば、何度か口を描いては消し、最終的に「口元がない方がいい」として完成形としていることがわかる。他の番組にはなるが、手塚治虫の手書き原稿でも近しいことを紹介していた。要は、「いろいろ試した結果、これが良いと思った」という過程を見ることができ、そこから「なぜそれが良いと思ったのか」という狙いを考察することができるのだ。ただ、今はコンピューターを使った作品も多く、そういった作業過程が(データとしてはあるかもしれないが)目に見える形として残っているものは少なくなってきているのかもしれない。
 修正の過程と結果、そこからその意図を読み取れるというのは、なかなか特別で貴重なことなのだと実感する。
 思い返せば、志高塾の作文は修正の際に消しゴムを使わないことを原則にしている。生徒からはよく「なんでですか」と聞かれるのだが、そのたび、「どこをどうやって変えたのか、どう考えていたのかわかるから」と返す。初めからきれいに書けることより、より良くしようとして自分で手を入れたことの方が重要なのだ。そのため作文用紙は書き込みだらけになってしまうこともしばしばだが、読みにくかろうが問題はない、それもまたひとつの苦戦と工夫の証である。
 この「志同く」も打ち込んでは消し、段落を変え、書き直し、そういった悪戦苦闘の工程を経て完成しているのだが、デジタルゆえにその過程は残らない。残ったら多分とんでもないことになっている。その修正の多さは、やり直しが容易なデジタルだからこそ、かもしれない。一長一短、一手一手に意味を込めた修正は、アナログの特権でもあるのだろう。

2024.05.18Vol.22 どこにだって(竹内)

 連休中のある日、小学校からの友人が西宮に帰省していたので、「明日空いてる?」と連絡をくれた。年末に会うことが叶わなかったため久しぶりに顔を合わせるチャンスだったのだが、「今、免許合宿中やねん」と泣く泣く断った。既に免許を取得している学生講師も多い中、30も超えてやっとの挑戦である。周囲には運転できる人が多いのと、電車があればどこにでも行けるというマインドであったため、長らく自分の生活には車が必須ではなかった。しかし姉二人は結婚して家を離れ、弟も仕事で静岡に転勤したことで関西に残っているのが自分だけとなると、少し話は変わってくる。実家で何かがあった時に動かなければならないのは私だ(こんなふうに書いておきながら、両親ともに元気に暮らしている)。先の友人にそのような心境変化を伝えて「えらすぎ」と褒められたのが合宿5日目で、その後の教習への励みになったのは言うまでもない。無論、スタートが遅すぎるだけなのだが。
 上記のような理由でゆくゆくは免許を取ろうという考え自体はあったものの、なかなか踏ん切りがつかなかったところ、今年のGWは例年よりも長く2週間教室が休みになることとなった。免許合宿は最短で2週間なので、今がその時だと受け取って車校探しを始めた。せっかくだし行ったことがない土地にしたいのと、時期的に閑散期ではあったので受け入れをしているところというので長野か香川か、というところまで絞り込まれて、仕事の休みのスケジュールとしっかり重なっているというのが決め手で香川県観音寺市に向かうことになった。実のところ長野の方に気持ちは傾いていたのだが、そこはこれから、自分の運転で訪れることにする。
 車にはとても死角が多い。ルームミラーやサイドミラーだけでは見落としがあるかもしれないので、最後には目視確認が不可欠である。常に前に横に、後ろに注意を払っていなければいけない。既に免許を持っている人からすればそんなことは至極当たり前のことであろうが、特に修了検定を終えて路上教習に移行してからは毎日気疲れがものすごかった。田舎の道でこれだったのだから、先が思いやられる。周囲への目配りがどれだけできているかが優良ドライバーになれるかの分かれ目なのだろう。まだ運転をし始めたばかりの頃はとにかく手元ばかりに目線を落としてしまっていて、それによって走行も不安定だった。もっと先を見た方が視界に入る情報自体が増えるし、どこをどのように通るべきかも判断することができるようになる。何だか自動車だけの話ではなくて、日常生活全般に当てはまることである。また、自分自身が合格しなければならない場面(しかも、終了・卒業検定ともに不合格であれば延泊が決まってしまい、仕事にも支障が出る)からは長らく離れていたため、緊張感を味わえたのも大きな経験になった。不安を払拭するには毎日のイメトレが欠かせなかった。指摘されたことを紙に書き出してみたり、ハンドルの操作を図式化してみたり、実際に頭の中に浮かべることや手を動かすことは物事の習得においてやはり大いに効果のある方法であることを身をもって感じることができた。
 田舎で免許を取ると自分の街に戻った時に怖くて運転できないとよく言われるが、田舎町の風景はやっぱり魅力的だ。自動車学校が提携していた温泉施設は有明浜という海辺に面しており、波の音や沈みゆく夕日の赤を毎日感じることができた。数種類のサウナを設けているのが売りで、特に連休中は観光客の利用もよく見られた。免許合宿の実施で若者を中心に呼び込むことも、町に賑わいをもたらすことに一役買っている。決してキャパシティが大きいわけではないのだが、それが丁度良かった。人が多すぎないことで、その町が持っているそのままの時間が流れていく。
 少し話が逸れてしまったのでまとめに。私と同年代で2週間の休みをとれる人はなかなかいないだろうと踏んでいたので、ひっそりと過ごすつもりだった。予想の通り同じ入校日の面々は年下ばかりだったのだが、近畿圏から来ている人が多かったのと、教習時間がよく被っていたので、指導員や地元のお店の人だけでなく、色々な人と話して楽しい時間になったのは良かった。メインの目的がそれであったわけではないものの、やはり「旅」は新しい何かと自分を繋げてくれる。今更ながらに、これから自由に色々なところに行ってたくさんの人やモノと出会えるのだと思うと、わくわくする。「いくつになっても合格は嬉しい」という思いを噛みしめながら、無事に延泊なしで卒業に漕ぎ着けたのだった。

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