
2020.01.14Vol.430 勝負の一年
5年生のお母様から年明けに嬉しいメールをいただいた。その子は4年生の秋から通ってくれている。塾での成績は当時も今も良いのだが、深く考えようとしていなかったため、その力を付けることを我々に求められての入塾であった。そのメールの内容は「(志高塾に)入塾後半年ぐらいで取り組み方に変化は見られましたが、最近さらに良くなりました。志高塾に出会っていなかったら、と思うとゾッとします」というものであった。最大限の賛辞である。合わせて、月間報告のことも評価していただいた。本人もそれに目を通しているとのこと。それに対して「子供は成長するものなので、我々がどれだけ貢献できたかどうかは定かでありませんが、そのように思っていただけていること、また月間報告をそのように活用していただけていることが嬉しいです」というような返信をした。
4月になれば志高塾は14年目を迎える。これまでも勝負でなかった年などない。仮に前年と全く同じ生徒、全く同じ講師陣であったとしても、同じことをすればいいわけではない。子供は成長するものなので。それでもやはり今年は特別である。
来年の6年生は両校ともに15人ずついて、おそらく8割ぐらいが受験をする予定である。正確には、西宮北口校の方は15人を超えている。昨秋、5年生の女の子と2年生の男の子のお母様から体験の問い合わせをいただき、「5年生は受け入れていませんので、下の子だけであれば体験をさせていただきますが、それでもよろしいでしょうか」と伝えたところ、「それでも構いません」ということだったのだが、体験授業の際に「姉の方もどうにかなりませんか?」と改めて面と向かってお願いされ、私は断り切れなかった。顔を見てしまうとどうもいけない。
話を戻す。3年目を迎える豊中校の中学受験生はこれまで同様5名前後なので、今回に関してもある程度西宮北口校の方でまとめて授業を行えている。しかし1年後はそういうわけにはいかない。両校でそれぞれ最後の仕上げをする必要がある。今後は(今の4年生以下は)1学年を12人に絞り、最終的には10人まで持って行きたい。いずれにしても1校当たりの平均の受験生が多いのは、次が最初で最後ということになる。
この時期に毎年のように思うことがある。1つ目は授業料を一律にしていて良かったな、ということ。中学受験のことばかり書いて来たが、高校、大学受験の生徒もいる。そして、何よりもそれ以外の生徒の方が圧倒的に多い。受験生だけ高い料金をいただくと、それは受験生にも特別なことをせず、その他の生徒への授業の質が下がることにつながるだけではないだろうか。「特別料金をいただいていないのだからしょうがないですよね」という言い訳の材料になりかねない。一律でいただいているからには、すべての生徒に等しく質の高い授業を提供しなければならない。
10月末の面談で、ある男の子の受験生のお母様に、志望校一本に絞って欲しい、とお願いした。要は、滑り止めを受けずにだめであれば公立に行く、ということである。その時点で偏差値5以上の開きがあった。その学校は新6年生になった時の本人の志望校であり、やることをやりさえすれば間違いなく合格できるレベルであり、彼に適した学校であった。ちなみに、どれぐらいやらないかと言うと、志高塾が休みの日曜日に1時間も勉強しないのだ。やらなくても行けるところに行ければいいや、というのがありありと見えていた。それでは受験から得られるものがなくなってしまう。その際には、「残り3か月、心を入れ替えてやれば間違いなく合格できます」と伝えた。本心からの言葉である。志望校以外に願書を出したのかどうか私は知らない。私の役割は、どのような受験を経験させてあげることが必要かを私なりに考えて、理解していただけるように伝えることであり、最後は親御様の判断にゆだねるしかない。上のような結論を私が勝手に出しているわけではなく、あくまでも話し合いを進める中で導き出したものである。もう1人、12月の時点で偏差値が10以上の学校に行きたい、と言っている女の子がいた。ちなみに、彼女も日曜日にほとんど勉強しない。行動が伴っていないのだが、それ以上に万が一(お母様には合格率は1%もありません、と伝えた)合格できたしても、入学後、全くついて行けないのは目に見えている。無試験で入学させてあげますよ、と言われても、私は絶対にやめた方が良い、と全力で止める。そう、もう1つが「受験専門ではありません」と謳っていた良かったな、ということである。少しでも偏差値の高い学校に合格させることが、志高塾の目指すことではない。大人になったとき、中学受験の時にあのような選択をしたおかげで今があるな、と思えるようにしてあげることこそが大事なのだ。そのように振り返れる、ということはそれなりに満足の行く道を歩んでいることの証でもある。そのときに、志高塾が忘れ去られていても私は一向に構わない。
約1年後、今年の12月20日前後から中学受験までの1か月間、教室全体として教育の質を落とさないような準備ができていれば、志高塾はその先数年は良い教育を提供し続けられるはずである。もちろん、私自身が調子に乗らなければ、という条件付きであるが。成り行き任せで大抵のことはどうにかなる、という適当な考えの持ち主の私でも、この1年は計画的に手を打って行く。