
2020.01.21Vol.431 結果は出る
この前の土曜日、3年生の二男が志高塾(豊中校)での授業から帰って来て、「90分間、テストもせずに漢字の勉強を頑張った」と誇らしげに伝えて来たので、「でも駄目だったんでしょ」と返した。先に帰宅していた長男から不合格であったことを聞いていたからだ。その漢字テストとは20問あり、8割の16問以上で合格となる。合格した場合、間違い直しが終わったら終了。不合格であれば、間違い直しの後、少なくとも30分は自習して再テストとなる。後は、その繰り返しである。その前の週に、用事があるから(実際、サッカーの練習があった)、と合格していないにも関わらず勝手に帰って来たので(早く帰りたいのであれば、一発で合格できるように準備をしておけばいいだけの話である)、その日は、合格するまでやってきなさい、と伝えていた。結果、13時から14時半まで授業をし、その後、18時まで居残りとなった。1回で合格していれば15時には教室を出られた。90分間勉強したのは30分では足りなかっただけのことである。私の言葉に「ちがう、頑張った」と反応したので「日頃やってないからそんなことになる。もし、お父さんが頑張ったことを認めたら、漢字テストの勉強を一生懸命しても合格できないバカです、となるけど、それでもいいのか?お父さんなら、絶対に人からそんな風に思われたくない」と返して、用事をするために2階に上がった。30分後ぐらいに1階に戻ると、歯を食いしばって嗚咽をもらしながら何かをしていたので、「そんなに認めて欲しいなら、頑張ったね、って言ってあげようか?」と声を掛けると、「違う。悔しいから泣いてるだけ!」と言い返してきた。結果が出ないときに、その原因を能力にではなく、やり方に求めるというのは非常に大事なことだと私は考えている。このような考え方を誰かに直接的に教わったのではなく、学生時代に結果が出ずに「俺はアホなんだろうか?」となったとき、自分を守るために「いや、やり方が良くないだけや」と思い込むことを繰り返しているうちにできあがっていったものである、おそらく。
中2の女の子が「お母さんが、ブログで(私の)悪口書かれていないか、いつも冷や冷やしながらチェックしている」とよく言っているので、久々に登場させてあげよう。念のために断っておくと、誰かの悪口をここで書いたことはない。その子が昨日「センター試験見たけど、あんなん絶対に無理やわ」と漏らしていた。その言葉に深い意味はないのかもしれないが、そのように位置付けてしまうと、少しうまく行かないことがあると「やっぱりだめだ」となってしまう。「(4年後に)あのレベルまでできるようにならなアカンねんから、もっとちゃんとやらな」と考えるべきである。明日か明後日ぐらいに「先生、ほんまやめてぇ」と文句を言ってくること間違いなしである。
上杉鷹山の有名な言葉がある。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」。意味は「できそうもないどんなことであっても、強い意志を持ってやり通せば必ず実現できる。結果が得られないのは成し遂げようと思って行動しないからだ。」となるのだが、「できそうもないこと」に本気でチャレンジする人は世の中にどれだけ多く見積もっても10%もいないだろうから、裏を返せば90%の人の目標は達成されるはずなのだ。なお、大手塾で長期にわたり下の方のクラスにいるのに、親がトップ校を目指させて、様々な個別などに通わせて勉強漬けにしているのは、当然のことながらその10%には含まれない。
土曜日に二男と上のようなやり取りをした翌日の日曜日、10人弱の中学受験の合格発表があった。最終的な結果が出そろった時点でHP上でお知らせさせていただくが、散々であった。1年以上前から今回の受験生はこれまでで一番大変であることが分かっていたため、結果を出すために募集人数も押さえて準備をしてきた。受験1か月前の時点でC判定が出ていても、過去の経験上、そのような生徒3人中2人は合格していたのだが、日曜日に限って言えばボーダーライン上にいた6人中2人しか合格できなかった。こういうのは割合の問題ではないので、6人中6人でなければ喜べないものである。内部生向けの『志高く』でも書いたので、ここでは詳しく述べないが「受験専門」でないからこそ、受験で結果を残す必要があると考えている。もう少し書き続けようかとも思ったのだが、言い訳をしてしまいそうなのでここで終わりにする。