
2026.04.10Vol.90 青よりも蒼い森(竹内)
浮遊感。そしてもう後戻りはできないという緊張感。もしこれがジェットコースターならば悲鳴を上げることで恐怖を軽減できるのかもしれない。そう言っておきながら、私はバーから決して手を離さず口を固く結び、さらに目を瞑り、1周するのを耐え忍ぶタイプの人間なのだが。見回せば私なんかよりよほど乗り慣れている様子の子どもの姿。楽しそうに家族とお菓子を食べている。そんな中ではなおさら怖がっているわけにはいかない。飛行機に乗る時はいつも平静を装いつつ、心の中は大騒ぎしている。
そんな気持ちになるのになぜ乗ったのかというと、この春休みに青森に行ってきたからである。1人ならどれだけ時間がかかろうとも新幹線で向かっていたのだろうが、今回は友人との2人旅行になり、往復の便の時間も彼女が調べてくれたので委ねることにした。そんな気持ちにいつか打ち勝つためにも、少しずつ経験を積んでおかねばならないのだ。休講期間に入る前の授業で生徒に旅のことを話すと「青森行きならたぶんプロペラ機やで」と教えられ、不安いっぱいでその日を迎えたのだが、搭乗橋もなく地上から階段を上がって乗り込むというさらに予想外のイベントに「ファーストレディみたいやん」と反対に余裕が生まれ始めた。離陸して飛行機が安定すると共に安心し、しばらくうとうとした後で窓の外に目をやると、冠雪した山が広がっていた。その場では分からず北アルプス辺りかと思っていたのだが、私の座席位置からだと見えないようで、機内から撮った写真をGeminiに見せたら石川県の白山だと解答してくれた。標高2702メートル。私にとって馴染み深い地元西宮の甲山は309メートル。六甲山ならまだしも、ひらがなで「やま」と表すのがふさわしいようなものが身近な存在だったので、これぞ「山」というものを見せてもらった。険しい山肌、雪に覆われた山頂を目の当たりにして、この先に待っているのは自分が日頃過ごしている場所とは全然違うのだということが感じられた。3月末の青森の日中は10℃くらいでそこまで寒くはなかったが、歩いていると道路脇に固められて全然溶けていない雪の大きな塊がたくさん残っていた。
森見登美彦の連作怪談小説『夜行』の中に、青森、そして五所川原市が舞台となった「津軽」という話がある。五所川原駅を起点にして走っている津軽鉄道のストーブ列車が登場するのだが、その名の通り列車の中にストーブが設置されており、それで暖がとれるのはもちろんのこと、販売されているスルメを載せてあぶってカップ酒とともに頂けるという雪深い町に相応しい観光列車である。途中停車する金木駅には、あの太宰治の生家もあり、記念館として運営されている。好んでスルメを食べるわけでもお酒に強いわけでもないのになぜかその描写に強く惹かれてしまい、いつか行けたら良いなとずっと思っていたのだが、そのいつかが今回だったというわけだ。
11時ごろに空港に着いてからはまず青森市内に向かった。ここからじわじわと旅程が崩れていくことになる。その原因は海鮮のっけ丼を食べた後に立ち寄った「ねぶたの家ワ・ラッセ」である。正直なところ、せっかく青森まで来たんだから見ておいた方が良いよな、駅からも近いし、という程度の意欲だった。券売機でチケットを買ったら、プリントされていたのは1957年のねぶた祭りを描いた棟方志功の絵で、すぐ近くに実物も展示されていた。サイズこそ大きくないが、迫力はある。期待が高まる。知らないことだらけで何もかも新鮮だったが、歴史のある祭りであるのに神仏の信仰に由来していないということが意外だった。起源が諸説あり、その成立背景がはっきりしていないのである。当初は竹で骨組みを作り、和紙を貼って絵を付け、中を蠟燭で灯していたのが、戦後には針金や電球を使うようになったことで、芸術性はより高まっている。広々としたスペースに近年のねぶた祭りでの受賞作が展示されており、かなりじっくり見ることができる。接触可能なものもあって、それを触っているとスタッフのおじいさんが色塗りされている部分とされていない白い箇所の違いを解説してくれた。白い部分には蠟が塗られており、色自体はつけていないのだ。ここで白を塗ってしまうと、全体が暗くなってしまうらしい。比較対象はなかったものの、例えば白目の部分は内側から照らす照明の明るさがダイレクトに伝わって、力強さがみなぎっていた。ねぶた名人は7人いるのだが、後身育成にも力を入れながら脈々と伝統が受け継がれている。2時間弱施設を回って、丁度いい時間のバスに乗り遅れ、17時閉館の三内丸山遺跡には16時前に入った。教科書で名前を見てからついぞ忘れていた場所である。現代人目線だと、縄文時代の人々の生活は単調で大した悩みも無いような気がしてならない。しかし実際にはそういったものを克服して文明が築かれてきたはずだ。土器の文様の変容や赤色の漆器の存在などは縄文人が変化を求めた証ともいえる。
ホテルを取っている弘前には夕方ぐらいに到着して、城を見てから気になっていた喫茶店を訪ねてあとは夕飯を楽しみ、1日目を終えるはずだった。しかし、閉館まで遺跡で過ごしたこともあり、結局チェックインした頃には19時を回っていた。改めて時間を調べてみると、翌朝に弘前での予定をこなしてから五所川原に向かうと空港まで戻れるのはもう飛行機が発ってしまっている頃。そんなわけで、一番の目的だったストーブ列車はお預けになってしまったのだ。ただ、昨年12月から運行を開始していたものの年末に車両連結部分に不具合が生じ、運行そのものは停止して列車の展示のみが行われていたようである。諦めがついて弘前をゆっくり回ることにし、弘前城とは反対方向にあるれんが倉庫美術館にも行けたことで、1日目に県立美術館に入る時間がなかった無念を晴らすことができた。桜にはまだまだ早かったが、結果オーライ。とはいえ、これから先、あと3回はまた行くことになるのだろう。
1泊2日で満足する旅行をするのは難しいほどに青森は広く、そしてすごく静かだった。日々暮らす池田の町も人がそこまで多くないのは同じなのだが、「しんとした」という表現がぴったりだという印象を青森には抱いた。まだ雪が残り、生き物たちが動き始めていないという感じだろうか。ここでの生活はどのようなものなのだろう。旅をすると、その場所に思いを馳せる。自分のそれとは異なる日常がそこには確かにあって、自分とは交わることのない大勢の人がいる、いや、大勢の人が自分とは交わることなく過ぎ去っていくのだ。通勤電車で乗り合わせる人たちだって同じはずなのにあまり意識しないから不思議だ。本当は関われる人が限られているからこそ、目の前の人と丁寧に向き合うことが大事なのだろう。そういうことを考えながら帰路につく。「家に帰るまでが遠足です」と小学生の頃よく言われていたけれど、その時間が余韻を生み出すのかもしれない。








