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2026.05.22Vol.94 流れゆく潮風(三浦)

 海というものに漠然とした憧れがある。憧れがある割に、海を渡ることは滅多にない。
 生まれも育ちも大阪。最寄り駅までは徒歩十分から十五分、阪急沿線なので梅田へも手軽に一本で出ることができる。高校までは公立だったので、小学校・中学校は徒歩通学だったし、高校はバスで一本だった。大学になり多少行動範囲は広がったものの、それでもずっと、生活は阪急沿線止まりだった。
 何がいいたいかというと、私の中での交通手段とは、基本的に「電車」である、ということだ。大抵のことはそれで済んでしまうので、(そして運転への多大な苦手意識があるので、)車の免許は持っていない。自転車は近所の狭い道を走るには不安で、昨今の交通法の変化もあり、家に一輪置きっぱなしになっているだけだ。
 前置きはここまでにして、時は四月の頭に遡る。前回書いたように、私はその時、家島を訪れていた。姫路港から船で三十分ほどの小さな島だ。姫路港では、小豆島に向かうフェリーの窓口を横目に自動発券機で券を購入した。実は昨年にも家島を訪ね、そこでの穏やかな時間の流れに感動して再訪することにしたのだが、一年の間に色々と事情が変わっていた。
 まず、家島に向かうためのフェリーは二社が運航していたのだが、合併なのか新設なのか、一社のみの運行になっていた。そのため「去年と同じでいいだろう」と呑気に港に向かったところ、朝夕の混雑時以外はほぼ半分になっていた本数の影響で、三十分ほど待つことになった。そして到着後も、昨年にお世話になったカフェは閉店しておりショックを受けることになる。たった一年ではあるが、されど一年。三年前の時点でおよそ2,300人という人口は、やはり減少していくものなのだろう。それに伴って多くのものが縮小していくのは仕方のないことだ。仕方のないことではあるが、やはり、寂しい。
 姫路から家島まで、当然のことながら、交通手段は上記の「船」一択である。あまり遠出をしない身なので、船には乗ったとしても観光遊覧船がほとんどだ。交通手段ではない。手段としての「船」というものを、私は今年、ようやく実感した。宿で美味しい食事をいただいた(島には漁師の方が多く、魚が絶品である)後、宿のお母さんが「明日の午後は船が出ないから、朝のうちに姫路に行かないとね」と、運行会社からのLINEを見せながら話してくれた。確かに予報では雨だったが、まさかそれほどとは到底思っていなかった。同行者と顔を見合わせてから、「なるべく早い方が安心ですよね」「中型船しか動かないから本数は少ないね」と話し合い、結局翌朝、もとの予定よりも数時間早く、姫路へ向かうことになってしまった。そして姫路に用があるらしいそのお母さんは、当日中は戻れないかもしれないからと、宿泊用の荷物を持って船に乗り込んでいた。
 もう少し観光したい気持ちはあれど、自然のことなら仕方がない。そう、「自然だから仕方がない」という感覚を、私は滅多に味わったことがなかった。電車は多少の雨風であれば、仮に台風であっても問題なく動く。駅まで無事に着けさえすれば後は目的地まで、(人為的な問題が無ければ)間違いなく辿り着く。バスは渋滞が問題になることがほとんどで、それが自然由来なことは、そもそも少ない体験上でもめったにない。交通手段として浮かぶのは、ほかには飛行機だろうか。飛行機も自然に左右されるものだが、こちらも船のように十数年に一度乗るか乗らないかの非日常であること、そしていずれのフライトも問題なかったことから、やはり、実感は薄かった。ふと、釣りなどによく出ていれば、船の出る出ないは日常茶飯事なのだろう、とも思った。自然というものとほど遠い自分の生活を少し振り返るきっかけのひとつだ。
 さて、行きの時間と帰りの時間、いずれもずれてしまったことにより、島の土産品である海苔と塩を買いそびれたまま姫路港に戻った。去年は姫路港の売店で追加のお土産を買ったのだが、なんと、その売店も去年のうちに閉店していたことをその時に知った。またほんの少しショックを受けつつ、港に併設されている「姫路みなとミュージアム」ではしゃぎつつ、雨でも定刻通りにやってきたバスに乗り込み、姫路駅へと戻ることにした。その後は、予定より早く向かったために、姫路城周辺を比較的スムーズに観光し、雨の降りしきる姫路市立動物園で眠たげにしているライオンを眺めることになる。
 家島での観光客の移動手段は、主に自転車だった。宿にご厚意で貸してもらった自転車を乗り回しては海沿いを走り抜け、坂の下に停め、ほぼ山道のような坂を歩いて上っていく。頂上と思しき場所には桜が咲き誇る公園があり、眼前に広がる菜の花があり、見下ろせば海と合わさって美しい。道行く人は通りざまに声をかけてくれる。古き良き路地裏を行けば、それぞれの家の玄関に餌皿が置かれており、そこかしこで野良猫が自由に生活している。島内には学校がひとつあるばかりで少子化も進んでいるようだが、休みなことも相まって、子どもが外で家族と遊んでいる姿も見かけた。宿のお母さんも、近所の夫婦が働きに出ているときは、その子供をよく預かっているらしい。思い返せば昨年、チェックアウトの直前に、幼い子供が人見知りをしながら居間から顔を覗かせていた。
 穏やかで、優しくて、良い場所だと思う。その印象は昨年から変わらない。
 去年、宿のお母さんに「数万円で家を借りれるよ」と囁かれたことを思い出す。あの時から相場は変わっているのだろうか。夢の離島生活。いつの日か、と思って、はや一年。のんびりとした時間の中で、何かが確かに変わっていっている。悠長にしている暇はないのかもしれない。それは自然の流れ、なのだろうか。

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