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2023.05.16Vol.591 少しだけ先に進んだ、まだまだまだ発展途上のある高一の男の子の話

 先週の金曜、西北校を18時に後にするに際して、生徒が例のごとく「えっ、もう帰るんですか?」と聞いて来たので、「さすがにこんな早く帰らんやろ。この後、高槻校で体験授業なんや」と、「ほんと忙しくて大変」ということが伝わることを願いながら、教室にいた人たち全員に聞こえるように大きな声で答えた。「さすがに」と強調したものの、プライベートの用件でさっさと帰ることもある。そういう時は、玄関のドアを閉める音にも気を付けながら静かに去って行く。後ろめたいことがあるときの小さな子や犬と大差は無い。
 その晩、講師から中高一貫校に通う高一の男の子に関することで以下のようなラインが来た。

イギリス留学の奨学生に応募して合格し、夏に行く予定だそうです。
作文と面接のテストがあり、ここでやっていることが初めて役に立った気がした、と嬉しそうでした。
最終的に必要になる力はこういうものなのかな、とも言っていました。
志望も自発的だったようです。
でも、そういう面だけで入試に臨むのはリスキーだから、やっぱりこういう読解問題もちゃんとやらないと、と、こちらが水を差すまでもなく自戒していました。
最後には、いやぁ、初めて喜ばせることができた、と笑みが溢れていました。

ちなみに、その講師が「松蔭さんにも伝えないの?」と尋ねると、「日本語もできてへんのに、とか言われそう!」と返って来たとのこと。「おっ、よく分かってるやん。少しは読解力付いたんかもな」とそこだけは褒めてやりたい。
 その日の高槻校での体験授業でも親御様に「志高塾における『語彙』というのは、『知っている』ではなく『使える』、つまり『書ける、話せる』言葉のことです。知識系の問題に答えられるだけでは意味が無いのです」といつものように説明をしていた。作文と面接では正にその力が試される。その力、というのは単なる語彙の豊かさではなく、いろいろな言葉を使って論理的に自分の意見を組み立てる力である。本質的な語彙の豊かさと柔軟性のある論理的思考というのはある程度比例しているものではあるが。今回、我々がやっていることがどこまで貢献したかは定かではないが、本人が「ここでやっていることが初めて役に立った気がした」と感じられたことに意味がある。彼は、中2の4月に入塾してきた。「Vol.589一層良質な教育を一層多人数の子供達に」で、「開校当初から今に至るまで、ネット上の志高塾に関する口コミはほとんどない。ただ、リアルの口コミはそれなりにしていただけている。多くの方に広めてくれるお母様から、『この人なら志高塾のことを分かってくれるって人に限定してお伝えしてます』というようなことを教えていただくことも少なくない。」と書いたが、彼のお母様は、「本当の力を付けたいなら志高塾に行くべきだ」と勧められて彼を連れて来られた。私の記憶が確かであれば、開校当初からの15年以上の付き合いである元生徒のお母様が初めて紹介した方のはずである。
 彼は、小学生が5分ぐらいで書き上げるものでも、15分、20分と時間を掛けることがあるので、「もうちょっと早くやってくれ」と尻を叩き続けてきた。これまでは作文だけに取り組ませてきたのだが、外部の模試で国語だけとんでもない点数を取ってくることもあり、2, 3か月前から読解問題に移行した。案の定、見当違いの記述をしておきながら「俺はこう思う。何でこれではアカンのか分からへん」ということを言い出したので、「あのな、読解問題というのは、世の中の7,8割の人がそのことを聞かれたときにどのように考えると思いますか、ということを問われてるから、自分がどう思うかは関係ないねん。読解問題を通して培われた力はコミュニケーションを取る時に非常に役に立つから。俺は、相手の話を聞かずに、自分の意見を一方的に押し付けていた。未だにそこはうまくできてへんから、そうならんようにしいや」とお決まりのことを伝えた。
 彼のセリフの中に「でも、そういう面だけで入試に臨むのはリスキーだから、やっぱりこういう読解問題もちゃんとやらないと」とまるで私立文系の推薦入試でも受けるかのようなものがあるが、かなりの確率で国立の理系に進むはずである。彼の通っている学校のレベル、数学の学内順位からすると、2次試験で国語がある東大、京大であっても医学部以外であれば理系科目だけで逃げ切れるはずである。そんなことを目標にすべきではない。今回の一件は、より高みを目指して行く上での初めの一歩になったのではないだろうか。持ち前のキャラクターが大人になってさらなる輝きを放つオモロイ人間になって欲しい。後日、その場にいた社員にもその時の様子を尋ねると、「頑張ってきたかいがあった」というようなことを漏らしていたらしい。「成果も出ていないのに我慢して通わせ続けてくれた親に感謝せな」の間違いである。国語力を磨いて、きちんと現状認識ができる日が来ることを願うのみである。
 来週は、ゴールデンウィークに頑張ったご褒美で、このブログは臨時休業です。再来週、またお目にしていただければ幸いです。

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