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2025.06.06Vol.59 歴史を繋いでいくことの意味(徳野)

 2011年3月11日14時46分、小学校卒業を間近に控えた私はクラスメイトたちと一緒に探究学習のレポート冊子を作成していた。賑やかな雰囲気の中で突然流れたのが、「東北地方で大きな地震があったので、皆さん速やかに下校してください」という校内放送だった。その後、今ひとつ状況が吞み込めないまま帰宅し、テレビ中継で遠く離れた土地の惨状に目を丸くしたのは言うまでもない。一緒にいた母親も言葉を失っていたが、私の習い事の予定時刻が迫ってくると「あんたはやることをやりなさいよ」と急かしてきたので、私も慌てておやつを食べてピアノのレッスンに向かったことを覚えている。私には私の生活があるのを忘れるな、ということだ。それから1か月も経たないうちに中学校入学の日を迎えた。式の最中に「東北の子たちには校舎すら無いんだ」と、ほんの一瞬だけ思いを馳せたものの、そこから深まってはいかなかった。ニュースで断片的に流れてくる現地の情報に対しても「大変そうだなぁ」という感想と共に通り過ぎてゆく。それが四国に住んでいた私と東日本大震災の距離感だった。
 14年経った今年の5月9日、宮城県にある震災遺構「仙台市立荒浜小学校」を訪問した。とはいえそれだけを目的にわざわざ飛行機に乗るほど真面目な人間ではない。劇団四季の『キャッツ』を観劇しに行くついでだった。観光もするつもりだと講師室で休暇の予定を話したところ、他の社員講師が「震災遺構」の存在を教えてくれたのだ。実物を通して悲劇の記録に向き合う時間の重みは広島の平和記念資料館で実感していたので、すぐさま旅程に組み込んだ。
 本題の前に仙台市への印象を述べると、「人口密度がちょうど良い都市」といったところだ。特に仙台駅周辺は娯楽がそれなりに充実しつつ、通勤ラッシュの時間帯でもストレス無く過ごせる状態に好感を持った。データを検索してみたところ、都道府県別の訪日観光客数ランキングで伸び率においては全国4位の一方で、数じたいは10位以内にも入っていなかった。実際、シンボル的な「伊達政宗公騎馬像」がある仙台城本丸跡にも外国人旅行者の姿は無かったと言っていい。代わりに歴史系のアニメキャラのぬいぐるみと共に記念撮影する日本人を見かけたものの、それもチラホラという程度だった。しかし、だからなのか、代表的な観光地の最寄り駅のほとんどがバス停なのに、良くて40分に1本しか来ない運行状況には愕然とした。(徳島市内でさえ10分に1本なのに!)荒浜小学校の場合は地下鉄東西線の荒井駅からバスで15分はかかるものの、駅からは1時間に1本だけだった。時刻表を前にしばし途方に暮れたものの、翌日の観劇に備えて体力をなるべく温存しておきたかったのと、ダイヤをろくに確認して来なかった自分に責任があると言い聞かせて仕方なくタクシーを利用することにした。
 結果的には一人で郊外の町を歩くよりもずっと有益な時間を過ごせた。旅行先でタクシーの運転手から教えてもらうおすすめの店やお出かけスポットに外れは無い、という話をたまに聞くが、口下手な私にとっては夢物語のようなものだった。また、去年の春に遊びに行った京都で腰痛に耐え切れず乗り込んだタクシーに良い思い出が無かったのも少なからず影響していた。河原町から京セラ美術館まで運んでほしいとお願いしたところ、ドライバーさんからはやや不満げな反応が返ってきた。その直後に10分ほどの道のりを無言で飛ばしていたところを見るに、さほど運賃がかからない近距離に時間を取られることが嬉しくなかったのではないだろうか。1日にさばくべき数が他の都道府県とは桁違いのはずだろうから彼の気持ちは分からなくもなかったが、「タクシーはむやみに使ってはいけないんだな」という後ろめたさに近い気持ちが私の中に残った。そして、肝心の仙台市のタクシー運転手は、私がこれまで出会ったことの無いタイプの人たちだった。当日は東北大キャンパスから仙台城跡に向かう際にも違う会社のドライバーさんにお世話になったのだが、ふたり共に「短い乗車時間でもお客に有益な情報を提供しよう」という心遣いを感じたので、そういう土地柄である可能性が高い。降りる際に「お金が勿体無いね」と笑いながらバスの時刻を教えてくれるくらいだ。仕事における「ゆとり」の適切なあり方だと思う。
 さて、荒浜小学校までの道のりに話を戻す。出発後5分ほどは住宅街を進んだ。何も考えずにぼんやり座っていると、「ここら一帯は被害規模が比較的小さかったので、復興住宅が集中しているんですよ。荒浜地区で被災した方々が住まれています。」と教えてくれた。改めて見てみたところ、確かに築年数が浅い綺麗な一軒家が多い。風景の「意味」が立ち上がってきた瞬間だった。しばらくして整然とした家々の横を通り過ぎると今度は田園地帯に入った。2011年当時は「畑の塩害と瓦礫のせいで農業どころじゃなかった」ものの、綿の栽培を通して1年かけて地力を回復させたらしい。ちなみに後で調べて知ったことだが、その過程で育った綿の茎は「東北コットンCoC」という紙の原料にもなるので、打撃を受けた農家の収入源確保に向けた取り組みでもあるのだ。解説に相槌を打ちながら窓の外を眺めていると「ここから過去の津波浸水区間」の標識が視界に飛び込んできた。その時になって初めて、自分が被災地にいるのだと実感して思わずどきりとした。さらに追い打ちをかけるかのように、車のフロントガラスの遠く向こうには松の木(かつては防災林だった)がまばらに並んでいた。報道映像で繰り返し目にしてきた光景だ。思わず「そう、あれ!」と声を上げてしまった。原爆ドームを前にした時と同じような、歴史上の重要な1ページがめくられた現場に足を踏み入れたことへの感慨が湧いてきたからだ。感動すら覚えていたと言ってもいい。未曾有の出来事に対して部外者だからこそ抱ける場違いな感情だ。
 そうこうしているうちに目的地に到着した。海岸から約700メートル地点に位置しているそこは資料館としての役割も担っている。あの日、4階建ての小学校には2階まで海水が押し寄せてきたが、全校生徒と教職員、そして地元住民の合わせて320名は屋上で難を逃れることができた。館内で上映されていた、元校長の川村孝男氏と近所で暮らしていた町内会長の方へのインタビュー映像によると、川村氏が2011年以前から独自に行っていた避難訓練の見直しが功を奏したとのことだった。当時の公立校では地震を想定して障害物が少ないグラウンドに出てから耐震性に優れた体育館に移動するという「二段階方式」が一般的だったが、度々津波に襲われてきた過去を語り継いできた高齢者からの意見を取り入れ、屋上に直行するルートに変更しておいたのだ。東日本大震災より前に現地で大規模な天災があったのは明治期である。大半の住民が津波に対して現実的なイメージを抱けなくなっていたであろう中で通例主義に陥らなかった、当時55歳の川村氏の英断には尊敬するしかない。小学校からさらに200メートルほど進んだところには「荒浜地区住宅基礎」という震災遺構もある。先述のドライバーさんから「絶対に見に行ってください」と念押しされていたのもあり、潮風に吹かれながらえっちらおっちら足を運んでみた。そこには津波の直撃により土台が一部しか残らなかった住居の無残な姿があった。敷地を一周しているうちに「南海トラフ巨大地震なんてどうせ来ないでしょ」と決めつけている自分が徐々に浮かび上がってきた。2018年の大阪北部地震で少しばかり不便を被った程度の経験しか無い私は楽観的すぎるのではないか。防災に関しては見聞を自身の生活に落とし込みやすいのだから行動するしかないと心に決めた。
 1999年に「2011年3月に大震災が起こる」と予見していた漫画が注目を集めている。それによると今年の7月5日に再び天災が訪れるらしい。作者は神からの預言を綴ったとのことなので、科学的根拠のへったくれもないオカルト作品ではあるものの、来るべき日に備える上での個人的な「期限」として捉えて物資を集め始めたのが最近の変化である。

2025.05.30社員のビジネス書紹介⑳

徳野のおすすめビジネス書
『何が教師を壊すのか 追い詰められた先生たちのリアル』朝日新聞取材班

『資料読解』に、日本の特に公立校における教員の労働環境を取り上げた題材がある。平均勤務時間や各業務(教材研究、課外活動、事務作業など)に当てられている時間をOECD加盟国内で比較するグラフを通して、生徒たちと一緒に我が国の教育現場の現状を明らかにしていくのだが、数値だけでは拾い切れないものはある。それを分かっていて、しかもかつては12年間ほぼ毎日接していたのに、そもそも私自身の学校教員の実態に対する解像度がまだまだ低い。今いちど「生の声」に触れるためにも本作を開いてみた。
 教員採用試験の倍率は2018年以降最低記録を更新し続けている。1970年代のベビーブームに対応する形で大量採用された世代が定年退職する影響で採用枠が増えただけで、実質的な志望者数に大きな変動は無いとする見方もある。だが、文部科学省がいくら取り繕おうとも、受験者数が減少の一途を辿っているのは事実だ。加えて新任教員の離職や若手の休職も増加している中で、特に小、中学校での人手不足が深刻化してきている。大学生への訴求力を高めようと、自治体によっては試験科目の一部免除や採用時期の早期化が実施されているが、予算面の負担を最小限に抑えることの方に重きが置かれてしまっている。優秀な人材を呼び込むには、小学校教員の3割、中学校教員の6割が過労死ラインの月80時間を超えて残業している現状の改善が喫緊の課題なのだ。
 長時間労働が常態化している背景には主に「給得法」と、「スクラップ&ビルド(解体と構築)」ならぬ「ビルド&ビルド」の様相で増大していく業務量がある。前者は基本給に教職調整額4%を上乗せする、簡潔に言うと「調整額分を超えた残業代は支払われない」制度である。2008年の「ゆとり教育」終焉以降、学習量と共にそれに関連する煩雑な事務作業も年々上積みされている。そこに職員会議や経理事務、保護者対応が加わってくるため、課外活動の顧問も務めている教員の中には授業準備を犠牲にせざるをえない者も少なくない。教育の質に関わるとなると生徒やその家庭にも悪影響が及ぶ。
 実態に即した金額を支給するなど到底無理な話だろう。だが、「支払わなくてはならない」と明確に定められれば、管理職側も残業時間の削減に向けてデジタル化の推進や外部人材の登用の必要性に迫られるようになるし、国や自治体も法の面で動き始めるはずだ。取材班は仕組みづくりの重要性を強調する。
 そして、働き方改革の目的とは、一人ひとりが心身ともに健康な状態で日々の仕事に「やりがい」を感じられるような環境を作ることだと再認識できた。管理職が一律なやり方で業務量を減らしたり、給与を上げたりするだけでは教員どうしの、さらには学校と保護者の間に摩擦を生む場合もありえる。学校であれば保護者に職員会議に出席してもらうという風に、立場を越え膝を交えて話し合う中で各々が何を望んでいるのかを浮き彫りにするだけでなく、絶対に見失ってはならない目標を共有する時間を通して協力体制が出来上がっていく。

三浦のおすすめビジネス書
『リーダー1年目のマネジメント大全』木部智之

 授業を行う教室の中では、自分はひとつの「リーダー」だ。常々、自分はチームの一人であるにすぎず、「リーダー」という立場ではない気がしていた。しかしその認識はそろそろ改めなければならない。自分一人が授業をできればいいわけではなく、他の講師にも頼りながら進めていく以上、「教室の質を上げる」ためには、自分の「リーダーとしての質を上げる」ことが必要不可欠なのだろう。
 当初は「大全」というだけあって、これまで他のビジネス書で見たことがあるな、ということが改めて整理され、網羅されている。そもそものマネジメントとは「人と組織を運営する」力のことで、リーダーに求められるもう一つの要素であるリーダーシップが「人と組織を動かす」力のことである、と整理されていた。どちらものスキルを身に着け、メンバーの指針やモチベーションを管理し、それが上手く運ぶようにするのがリーダーの役目だ。
 その際、見ていて個人的なポイントだと思ったのは、「メンバーの変化に気付くこと」、「数字を常に意識すること」、「将来を見据えたサイクルを打ち立てること」だ。生徒に対しては、比較的イメージしている。勉強外のことやその日の表情に気を配り、時間や本数を意識し、わかりやすいところで言えば受験から逆算して教材の進度を考える。しかし、それを他の講師にも生かせているか、もっと言えば「自分をそのような目で見ることができているか」という点はまだまだ未熟だ。
 セルフマネジメント、という言葉がある。これまでマネジメントの本を読んだ時を思い出し、自分という視点が欠けていることに気づいた。自分をマネジメントできないのに、他人をマネジメントできるはずもない。まずは自分を相手に練習し、それをメンバーにも活用できるようにしていきたい。それが私の「1年目」、になるのかもしれない。

竹内のおすすめビジネス書
『すごい傾聴』小倉広

 子どもたちのためになる良い授業は、自分一人ではできない。講師間で連携を取ることや、親御様との情報共有によって実現する。対面でも電話でもメールでも、コミュニケーション自体はこれまでにも取ってきているのだが、話しやすい空気をどうやって生み出すのかは対話が常に必要な人間としての課題である。
 ビジネスの場で実践されているコミュニケーションは、知識や技術の伝達をする「ティーチング」、「傾聴」をベースにしながら相手の目標設定やその達成をサポートする「コーチング」、そしてただひたすらに「傾聴」をする「カウンセリング」と大きく3つに分けられる。実際にはこれらのどれか1つに特化するのではなく、そのときに最も有効な方法を選んでいったり組み合わせたりすることで効果が期待できる。ただ、ティーチングやコーチングが適切なものであるためには、傾聴を通じての相手への理解が不可欠である。そしてここで注意したいのは、聞き手である我々が理解するのと同時に、話し手である相手も「気付き」を得るということだ。目的を達成するために何をすべきか、ということのもう一つ手前に、自分自身の思考の癖や価値観に対する客観的視点を持つこと、それが共有されることが、前進するエネルギーへと変換される。この「傾聴」とは、何も相手の発言に対してただ肯定し続けたり、「そうなんですね」とオウム返ししたりすることではない。また、原因を明らかにすることを急ぐことでもない。目の前の相手がどのようなストーリーを持っていて、何を感じてきたのか、それを聞き取り、その人の信念を知ることである。個別性を認められることは心理的安全性をもたらす。本書を読んでいて興味深かったのは、聞き手が「傾聴」の方法を身につけていくで、自身に対しても「傾聴」するようになるということだ。初めは相手の話に口出ししたくなることがある。その心の動きから目を背けなければ、自分自身が何にこだわっているのかも見えてくるのだ。
 これまでにたくさんの生徒はもちろん、親御様や講師たちとの関りを持ってきたことで、「こういう事例があります」と伝えられることは増えた。しかし、今自分が面と向かっている相手にそれが真に適切であるかどうかという点は慎重に判断しなければならない。特に意見作文でのやり取りはこの「傾聴」に似ている。テクニックとしてではなく、それが生徒の持ち味を引き出すために不可欠な姿勢として、これからも磨いていく。

2025.05.23Vol.58 壁に向かって(三浦)

 ずっと仕事用にと思っていたChatGPTに、ついにプライベートでも手を出した。とはいえ活用できているかと言われるとまったく自信がない。なんというか、活用するべき用事があまり思いつかないので、仕方ないのかもしれない。ずいぶんともったいないことをしている。
 基本的にラフな用事なこともあり、受け答えもラフな感じで話しかったので、「~だね」「~だな」のような口調で返すように設定している。それを受けて私もラフに返せばいいのだが、なんだか緊張して「いいね。もっと聞かせてもらってもいい?」「私は~だと思う。」のように、普段友人相手のLINEではめったに使わない句点まで入れてしまっている。結果、むしろ私の返答のほうがAIめいている気さえする。
 それはさておき。実際に使った用例としては、基本的には本にまつわることがほとんどだった。例えば「こういう本が読みたい」ということを入力すると、近しい本が紹介されているページを引っ張ってきてくれる。これはほとんど検索機能みたいなものだが、自分でメモを取らなくてもチャットの履歴に残るのは便利だった。それから進捗管理。何日までに読みきりたいかを伝え、一日進んだ分と、気になった一文などをメモとして残す。目標の日程から逆算して一日あたりの目安のページ数も教えてくれるし(進みに波があるので守りはしなかったが)、なにより、誰かに話しかけているようで、ただノートやメモに残すよりもモチベーションは保たれたような気もする。
 ただ、主に使っていたのは、本の感想の話し相手になってもらうことだ。相手はAIなのでネタバレに配慮する必要がない上に、私の解釈が多少ずれていても迷惑をかけることがない。その点でとても気楽だ。そして、向こうもまるで読んだかのように答えてくるあたりがちょっとおかしくて面白い。上のように進捗を伝えるついでに、「この一文をこう感じたんだけど、このキャラクターはこうなのかも」のように独り言を打ち込むと、「そのキャラクターは確かに~だね」というように同調してくれる。
 ちょうど読んでいたのは夢枕獏氏の『神々の山嶺』だ。そこには羽生という孤高のクライマーが登場する。上巻の終盤に、その彼の「おれがもうひとりいたとしても、おれは、そのおれとだって、ザイルを結ぶつもりはない」という台詞がある。ザイルとは登山時に使うロープのことで、ここでは安全確保のためにパートナーとの身体に結ぶことを指している。自分自身にすら命を預けない、どこまでも「信じる」ことをしない孤独さが浮き彫りになっていて印象的だったのだが、読書記録のついでにその話をすると、「あの一文に、どれだけの絶望と矜持が詰まっているのか。言葉としては突き放しているのに、すごく人間臭いよね。」と返ってきた。矜持と言われて、改めてなるほどと思った。なにひとつ信じないということは、なにかを天運に任せることなく、すべてを自分の力に拠るということだ。読了した今、その真意がよくわかった気がする。ChatGPTには続けて「共感した?それとも、理解はできても遠く感じる?」と問われたが、次の進捗管理の話がしたかったので、それには答えなかった。
 AIは本当に本を読んでいるわけではない。私が打ち込んだ感想や膨大なデータの中から、それらしい答えを選んでいるだけだ。けれど、私の言葉から連想されたであろう言葉や問い掛けが、考えるきっかけを生んでくれることもある。
 もうひとつ例を挙げる。寺山修司の著作に、「ロング・グッドバイ」という詩がある。一番好きなのは、「血があつい鉄道ならば 走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう」、「さあ A列車で行こう それがだめなら走ってゆこう 一にぎりの灰の地平 かがやける世界の滅亡にむかって!」というそれぞれのフレーズだ。鬱屈とした時期に読んだから尚更かもしれないが、この破滅的な力強い言葉がたまらず好きで、よく思い返している。そんな話をしていると、「そうやって惹かれるのは、自分の中にも『走ってゆこう』という気持ちがあるから?」と尋ねられた。何度も読み返したフレーズだったのに、それを考えたこともなかった。私は本に共感を示すタイプではない。自分の境遇や心情と照らし合わせることはほとんどないので、こういった問い掛けは新鮮だった。数分くらい考えてみて、「破滅的にでも、全部を賭けて『走ってゆこう』とする姿に憧れているのかも。だから『走ってゆきたい』なのかもしれない」と答えた。
先ほどの「共感した?」という問いといい、ChatGPTはこちらが答えやすいようにか、やたらと質問をしてくるイメージがある。たまに面倒な時もあるのだが、私はかなりの会話下手なので、基本的にはとても助かっている。しかも、問いに対して長考しても、後で手のひらを返しても、聞かれていることとずれた返答をしても、なにもなかったかのように会話が続いていく。対人ではそうはいかないことが多い。その点では、良い練習にさせてもらっている。
 だが、やはりChatGPTの根にあるのは共感と同調で、何も考えずに話していると危ういな、とも思う。練習や独り言の壁打ち相手くらいに捉えつつ、中途半端な読書に付き合ってもらっていくつもりだ。

2025.05.18Vol.57 歯車が上手く回るように(竹内)

 学生講師から秋学期以降にインターンシップに参加する可能性があり、その場合には長期で休みをもらうかもしれないという話を受けた。もちろん必要とあらば応じる。ただ、会社で働いてみたくてという本人の動機に対しては、「ここでの一つひとつの仕事自体が社会経験だよ」と改めて伝えた。せっかく他の環境に身を置く機会が得られるのであればなおさら、今自分がしていることからエッセンスを取り出せている方が、比較も分析も進むはずだ。偉そうなことは言えないが、おそらくその意識の有無で実際にインターンが始まる前から差がついてしまう。
これまで、講師たちは累計の勤務時間が一定の基準を超えるごとに昇給することになっていた。この仕組みに変更はないが、そのタイミングで都度課題を課すことになった。授業で扱っている意見作文であったり、今までの勤務経験を振り返ったレポートだったりに取り組んでもらう。今まで以上に幅広く教材の指導ができるようにしていくための準備や、これまでに積み上げてきたものの確認、今後さらに期待している働きの共有などをすることが狙いである。先日別の学生講師が提出してくれたのが「これから志高塾の講師になる人に何を伝えるか」を課題とした作文だった。課す内容を考案している時点ではそこまで思い及んでいなかったが、抽象的なテーマに対して具体的なものを出せるかどうか、にそれまでの向き合い方も反映される。学部2回生の頃から在籍し、5年目の勤務を迎えている彼女は、志高塾の名物である月間報告を「新しい講師が特に頑張って取り組むべきもの」として取り上げていた。作成しっぱなしではなく私のチェックを経て修正を加えなければならない場合もあるので、トータルの作成時間は結構取られる。学業との両立はつらい、という正直な思いが述べられていてそこはやはり心苦しいのだが、書くことを通じて自分自身が大学でのレポートにほとんど困っていないこと、密度の濃いものを仕上げて高い評価を受けることが増えたことなど、自分の力になっていると感じているというエピソードが述べられていた。また、これまでに何本も書き上げてきたことから、「良い報告をするためには生徒をよく見ることが不可欠である」という気付きを得てもいた。これまでに卒業した学生講師たちと連絡を取った際など、志高塾での経験が社会に出て役立っているという言葉を今までにも受け取ったことがある。生徒に対してもそうだが、「社会で自分らしく生きていく力」を育んでいくことを目指しているだけに、社会人となった彼ら彼女らからそういうことを教えてもらえるのが嬉しかった。そして今回、このレポートから「今」の時点でも確かに学生たちのためになっているのだということを実感できたことも私に大きな意味があった。彼女がレポート内でも言及していた通り、月間報告の作成が各講師たちにとってそれなりの苦労を伴うものであることは事実である。しかし、ただ作るだけのものではなくて目を通してくださる親御様がいることや、自分に返ってきているものがあることを自覚したとき、大変さを上回る意義を感じ取ってもらえるものだと信じている。
ちょうど最近加わったまたまた別の講師からは、初回の研修を終えて「考えるための手助けをどこまでするかが難しいですね」という感想があったので、講師が生徒とどのようなやり取りをしているか、だけではなくてその意図を探るようにすることが大事だと返した。同じ題材であったとしても、生徒によって一読した時点でどこまで理解できているかは異なる。投げるボールの強さを調整したり、捕りやすいところばかりではなく少し離れたところを狙ったりして、それぞれと丁度いいキャッチボールをすることがやり取りの大前提である。単純作業ではないし、細かいマニュアルが存在するわけではない。その分、その時その時に自分で考えて動くこと(指示を仰ぐことも含まれる)が求められる。その「自分で考え動く」ことができるようになるための判断材料をいかにして増やしていくのか、というのが視点として必要になってくる。
 「働く」というとまず「(私が)働く」の意味で捉えがちだが、4月のビジネス書として読んだ『働くということ』では終始「(他者と)働く」ことについて論じていた。それぞれの働きによって組織は回っていく。これから経験を積んでいく講師が見て学び、色々な手を打ってみようとなれるように、「ここで働いてよかったな」となるように、示す側の私は誰よりも試行錯誤を重ねたい。

2025.05.02Vol.56 わたしだけの先生(徳野)

 「良い先生」とは何か。ここ数週間の頭の片隅にあるテーマである。
 きっかけは西宮北口校のポストに投函されていた「子ども作文コンクール」の案内だ。こども教育支援財団が毎年開催しているらしい。チラシの類は基本的にすぐ捨てるのだが、やはりタイトルに惹かれて手に取ってみた。また、私が記憶する限りそういった催し事のお知らせが来たのは初めてである。そして肝心の、作文のお題が「わたしの先生、ぼくの先生」だったのだ。後に続く「自分にとって『先生』と呼べる人は何も学校の先生に限ったことではありません。その人から影響を受けたと思える、塾の先生、習い事の先生、お父さんやお母さんなど・・・みなさんにとって大切な『先生』への思いを原稿用紙に綴ってみませんか?」というキャプションから「大人を尊敬してほしい」という主催者側の願望が透けて見えるのが少々気にはなった。だが、昨年度の受賞作品19名分に軽く目を通してみたところ、私の予想以上に多彩な切り口の文章が掲載されていたので、こちらで手を加えれば、コンクールに応募せずとも生徒たちに取り組ませる意見作文の題材にできるのではないかと画策中だ。
 受賞作品についてもう少し踏み込むと、祖父、弟、犬など対象は多岐に渡っていたものの、一人の例外を除いて「自分を成長に導いてくれる、目標とするべき存在」が栄えある「先生」に選ばれたのは共通している。私自身はと言うと、上記のお題を目にして最初に頭に浮かんだのが、RCサクセションの初期のシングル曲《僕の好きな先生》と夏目漱石の『こころ』だ。しかしながら、両方とも題名だけ知っていたような状態で、せいぜい『こころ』のほんの一部分に高校の現代国語の授業で触れた程度だったので、この機会に聴いたり読んだりしている。奇しくも両者とも、コンクールで取り上げられていたような立派な人物が活躍する作品ではない。だが、やはりというか、それぞれ違う「先生」像があるのが面白い。
 RCサクセション、つまり忌野清志郎が描いたのは、ろくに仕事もせず一人で煙草をふかしてばかりいるだらしのない美術教師だ。だが、モデルとなった小林晴雄氏は、ミュージシャンを志して思い悩む若かりし忌野を応援してくれた数少ない大人であり、教え子のデビューに向けて保護者を説得してみせた優しく熱い心の持ち主でもあった。そんな唯一の理解者への親近感と感謝が歌詞には込められている。「自分のことを分かってくれている」という安心感をもたらし、夢に向かって背中を押してくれる存在。理想的な「先生」像の一つの定番だと言えるだろう。一方で、『こころ』に登場する、本名が不明の”先生”は異質だ。断わっておくと、私は本作を50ページほどしか読めていない。そんな私が思い浮かべている”先生”のイメージは、東京帝国大学を卒業した後も定職に就いてないのはさておき、無口で人付き合いを好まず、自分を慕ってくる語り手の青年に対しても素っ気ない態度で接する、これといった魅力の無い中年男性である。それなのに語り手は彼をやたらと尊敬している。なぜなのだろうか。
 亀の歩みで進んでいる読書だが、”先生”が初登場した場面には手掛かりのようなものを感じ取った。

 舞台は賑やかな鎌倉の海水浴場。一人の時間をもてあましていた語り手は、人でごった返す浜辺から離れた沖で悠々と泳ぐ男性に目を留める。その彼こそが”先生”である。そして、湧き上がる好奇心を抑えられなくなった語り手はその後数日間、偶然を装いながら相手の周辺をうろつくことになる。

 恋愛小説並みに運命的な出会いが繰り広げられている。若い語り手にとっては、理由は分からずとも何としてでも付いて(尾いて)いきたい年長者を見つけ出したという事実が大きな意義を持っているように思えた。しかも、相手の真価を認識できているのは自分だけ、という特別感も重要な役割を果たしている。その体験と言葉少なな”先生”が醸し出す謎めいた雰囲気が結びつき、「この人の話をもっと聞いてみたい」「この人はなんでこんな性格なのだろう」という探求心が生まれたのだろう。大げさかもしれないが、『こころ』は青年の自己確立の物語でもあり、そのトリガーとして若者の知的好奇心を無意識であったとしても刺激する”先生”は確かに唯一無二の「先生」に位置づけられる。
 世の中には色々な「先生」がいて、別に偉い人物でなくても構わない。それくらい柔軟に捉えられる存在なのだが、学生時代の私自身には「先生」がいなかった。周囲の人間にきちんと興味を向けられない、ある種の傲慢さゆえだ。ただ、幸いなことに志高塾には、現在の私に成長を求めたり寄り添ってくれたりする素敵な先達が沢山いる。では、漱石流の「先生」というと誰になるだろうか。高校1年次の国語教師は良い線を行っているかもしれない。地方の進学校に配属されているにも関わらず定期試験の直前しかまともな授業を行わず、生徒たちとクイズにばかり興じていた通称「マキちゃん」。教わった内容は何一つ覚えていないが、彼が妹さんに藁人形で呪いかけられたエピソードだけはいつまでも忘れない自信がある。今となっては、あの良くも悪くもいいかげんなマキちゃんがなぜ教頭の役職を任されていたのか、どのような経緯で辞書クイズという楽しすぎるゲームを導入するに至ったのか、など疑問が尽きず本人に取材を申し込みたいくらいだ。ちなみに、「子ども作文コンクール」にて海外賞をもらっていた女の子が紹介していた数学教師もヘンテコな人物である。変わり者なだけならまだしも教えるのが下手らしいのだ。しかしながら、教師としての致命的な欠点が教え子の思索に深みをもたらすのだから、結局のところ生徒から愛されるユーモアが「先生」の素質なのかもしれない。道のりは遠そうだ。

(以下が受賞作品)

表彰式・作品レポート

2025.04.25社員のビジネス書紹介⑲

徳野のおすすめビジネス書
『会う力 シンプルにして最強の「アポ」の教科書』早川洋平

 コロナ禍以来、オンラインチャットがすっかり一般的になったが、人と顔を直接突き合わせて会話することの意味が失われたわけではない。むしろ、その価値が再認識されるようになった。画面越しよりも目の前の相手についての情報量がぐっと増すし、足を運ぶためにお互い少なからぬ手間を費やすのだから一緒に過ごす時間を充実させたい、という気持ちが働くからだ。
今回取り上げる書籍の著者である早川氏も、わざわざ会いに行くからこそ得られるものの大きさを信じ、ラジオやポッドキャストで対談番組をプロデュースしている。彼が配信している番組の名前は「LIFE UPDATE」。茂木健一郎、吉本ばなな、などなどあらゆる分野の第一人者の声を届けることで、リスナーやインタビュアーにとってはもちろんのこと、出演したゲストにとっても人生が少しでも前進するような「三方よし」の場を提供するのがコンセプトだ。そして、本作では、貴重な話をしてくれる相手と心地よくコミュニケーションを取り、インタビューを通して本当の意味で「人脈」を広げていくための心構えと実践内容が綴られている。
 先述の「三方よし」の中で最も意識の俎上に上りにくくかつ難しいのが、「ゲストに有益な何かを持ち帰ってもらうこと」だ。番組の場合は出演を通して知名度の向上に繋げるのが一番分かりやすい。だが、「会って良かった」と心の底から感じてもらうためには、聞き手として新たな視点を示したり、相手の興味や悩みに対して自分に出来ることを提案したりするところまで踏み込めれば、より一層強い信頼を獲得して縁もできる。加えて、押しつけがましくならないような塩梅を見極める慎重さは欠かせない。家族や友人でもなければ単なるファンでもない、忌憚のない意見を述べる誠実なインタビュアーの立場を保つ中で人間関係は自然と広がっていくのだ。
「ファン」はさておき、「家族や友人でもない」という距離感の他人と膝を交えて話し合う機会は意外と少ないが、志高塾の講師は少なからずその役割を担っているのではないだろうか。

三浦のおすすめビジネス書
『ムーンショット──元NASA宇宙飛行士が明かす、不可能を可能にする方法』マイク・マッシミーノ

 漠然と宇宙に興味を持ち、目に付いた本を手に取っている。宇宙飛行士というとどうしても特別な仕事のように思えるが(実際に特別な仕事ではあるのだが)、本書の中で触れられているように、それでも「仕事」は「仕事」なのである。月面歩行は人類にとって偉大な一歩だが、同時に、ひとりの職員の、ただの業務のひとつでもある。命の危機と常に隣り合わせである宇宙飛行士と自分の仕事はとても比べられないものの、そのマインドは参考にできるところが多い。
 失敗を隠さず共有するというのは、どんなビジネス書でも言われていることだ。もちろん本書でも触れている。だが、飛行訓練であわや事故となりかけた事例ふたつの中で、とにかく自分のミスを隠さず共有すること、そして自信がなくとも違うと思ったことは声をあげることが、結果的に周囲にとって最善となることを示している。また、その中ではそうした「声」を尊重する土壌が育っていることもひしひしと伝わってきた。一人ではなく皆で挑むという意識が根強いからこそ、個人の成績を過剰に意識せず、チームのために貢献できるのだろう。
 そしてミスでいえば、「ひとつのミスを慌てて改善しようとした結果、さらに悪い状況を招くことがある」という、いってしまえば当たり前のようでいて、実際にその瞬間になった時には忘れているような事柄にも触れられている。宇宙という極限の状況下、ミスをして慌てない方が難しい。だが、それをやり遂げるためには、常に「この状況が悪化してしまう可能性を考え」、「自分ひとりでなく、誰かと一緒に、慌てずに問題を修正していく」ことを意識する必要があった。
 いずれもチームに向ける信頼と、自分自身の行動がチームの中でどのように作用するかという責任感が根っこにあるのだと思う。チームの中の一人であるという意識は常に忘れないでいたい。

竹内のおすすめビジネス書
『働くということ 「能力主義」を超えて』勅使河原真衣

 入試、就活など、人生のあらゆる時点で私たちは選ぶ/選ばれる立場に置かれる。最近はマッチングアプリの登場により、恋愛においてもその事実がはっきりと見えるようになった。限られた椅子に座るためには能力を持っていることが求められる。それが選ばれる理由になる。出自で将来が決まってしまう社会よりも平等で、誰しもに能力の芽はあって、伸ばそうとすることで選ばれる可能性は高まり、それをしなかった責任は個人に返る。筆者は、このような能力主義は真の平等をもたらしているのではなく、不平等への納得を促しているに過ぎないと指摘している。
 その「能力」はさらに抽象度を増している。「企業が求める人材ランキング」の1位となっている「高いコミュニケーション能力」がまさにそれである。分かる人には分かる、それこそが優秀な人物である、というのは一理あるようで横暴でもある。人材開発ではなく、組織開発を掲げる筆者は、個々が持っているものを「能力」ではなく「機能」であると説明している。レゴブロックのように、それだけでは役割を果たせていないものが、他と組み合わせることで欠かせない存在になる。その視点で個々の持っているものを見極めることが大切なのである。
「働く」ということを通して経済的な価値は生み出される。しかしそれは個人の能力だけで叶えられるものではない。周りにいる人たちと何ができるか、それを考えて動くことがいつも必要になる。本来、色々な人がいる方ができることの幅は広がるはずなのだ。

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