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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.10.17Vol.73 横に広がる世界(三浦)

 関西万博が終幕となった。パビリオン自体も興味があったし、各国の風土が反映された食事にも興味があった。しかし、行こうかな、どうしようかな、でもめっちゃ暑いしな、駆け込みの時に行く勇気もないしな、行ったとしても何を見ようかな、とぐるぐる優柔不断を繰り返し続けた結果、終ぞ足を踏み入れることなく終わってしまった。勿体のないことをした。
足を運んだ生徒からの話や写真、インターネットで見かける話題でかなり「行ったつもり」にはなったが、それは「実際に見る」ことと大きく離れていることは確かである。またの機会があればと思うが、きっとそんな機会はない。せめて大阪市立美術館の天空のアトラスを見に行こうかと考えているが、それも優柔不断の末、どうなることやら。
 そんな折、関西万博には行かなかった一方で、太陽の塔を擁する万博記念公園の方に足を向けた。関西圏、というと少し主語が大きくなってしまうかもしれないが、大抵の大阪府民は一度ならず二度は行ったことがあるのではなかろうか。私もこれまでの学校行事で二、三度は少なくとも足を運び、もちろんそれ以外に個人でも何度か訪れている。小学生の時分から大人になった今まで通えば、あれだけ大きい太陽の塔も随分と見慣れたものになった。それでも未だに圧倒されるのはすごい。
 さて、それでもここ何年かは、これまでと比べてかなり短いスパンで訪れている気がする。その大きな要因は、万博記念公園内に国立民族学博物館、通称みんぱくだ。要因、というよりも、最近はほとんど博物館だけ見て帰るような形になっている。じっくり見るとかなり頭を使うのか、結構な疲労感があるからだろう。ちょうど、vol.71で触れていた博物館への感覚がわかる気がする。私はどちらかといえば、膨大な展示と情報にぐるぐるに囚われて海に投げ出されてしまうような感じかもしれない。
 初めて訪れたのは小学生の頃、学校行事の一環だったような覚えがある。あまりに膨大な展示にほとんど記憶はなかったが、ただぼんやりと、ずらりと並ぶ仮面や、日本の祭りで使う道具などがうっすらと印象に残っており、併せてなんとなく「恐ろしい」というイメージがまとわりついていた。それから自ら好んで行くことはなかったのだが、何かのきっかけで数年前に知人と連れ立って向かうことになり、そこで「人と意見交換をしながら展示を見る」という経験をした。ちょうどその人は世界史に相当詳しいこともあり、展示だけではなかなか呑み込めない歴史的背景の補足をしてくれ、それがとても楽しかった。特にキリスト教が各国の文化とどのように融合していったのかなど、キリストをモチーフにした展示を眺めながら、考察をやり取りするのは面白い経験だった。
 そんな様々な展示の中で、特に「めっちゃ面白いやん!」となったのは、ラテンアメリカの民衆芸術の特別展示だった。本当に色鮮やかで緻密で、それでいて大きな工芸品。今になって調べてみたところ、メキシコの「生命の樹」という粘土工芸品の一種だそうだ。植民地時代初期に聖書の教えを原住民に伝えるために造られたのが始まりと言われているらしい(Wikipediaいわく)が、今ではそういったモチーフだけでなく、「生命や死」、あるいは日常に身近な祭りといったものを取り上げていることも少なくない。以下はその特別展に関する一文である。
「特別展では、なぜラテンアメリカの民衆芸術はこれほど多様なのかという問いを掘り下げます。先コロンブス時代以来の文化混淆の歴史、芸術として洗練されていった過程、そして現代の制作者の批判精神の3点に焦点をあて、その答えを探します。」
 今の特別展示は、「舟と人類―アジア・オセアニアの海の暮らし」だ。はるか遠い過去、人類はどのようにして海に漕ぎ出していったのか。そういった過去という縦軸だけでなく、現在、海に暮らす人々はどのように生活しているのか、そんな横軸でも味わうことができた。船を家として暮らす人々の映像を見て、しみじみそう思った。(フィリピン、スールー諸島の船がインターネットでヒットしたが、これだっただろうか。正確に記憶していないのが悔やまれる。)
 そう、この博物館で肝心なのは、縦軸だけではなく、きっと横軸だ。様々な国に様々な歴史がある、当然だ。そしてその上で、様々な国が、様々な様式で今この時も生活をしている。そこには、普通に暮らしていれば想像も及ばない生活もあるだろう。消えていった生活もあるだろう。日常では知らない、そんな日々に思いを馳せるきっかけになる。
 関西万博でも同じような気持ちになれたのだろうか。やはり今更ながら、行っておきたかったかもしれない。

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