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2017.09.26Vol.319 それはいいですね

 あれは志高塾を開校して2, 3年後のことだったであろうか。ふと、自分が接している親御様に「教育熱心」という言葉は当てはまらないな、となった。その言葉に対する私なりのイメージは、少しでも偏差値の高い学校に子供を入れることが唯一絶対の目的であり、そのために無駄と思われることをとことん排除するというものであった。そして、思いついたのが「子育て熱心」というもの。これはぴったりだ、と自画自賛したことに加え、それを文章にした後に「先生、『子育て熱心』っていい言葉ですね」と褒められたことがきっかけで、いろいろなことをすぐに忘れる私でもしっかりと頭のど真ん中に残っている。「子育て熱心」の親御様は、受験にももちろん関心があるものの(そもそも、志高塾にお子様を通わせてくださっている)、あくまでも子育て中の1つとして捉えている。受験がすべてではないということだ。
 開校当初、私にはまだ子供がいなかった。「子育て熱心」な親御様の話をうかがって感心しながらも、「子供ができたら、まさか自分が『教育熱心』な親になるなんてことはないよな?」という疑問が自分の中にあった。「子育て熱心」な親になる自信が100%ではなかったのだ。長男が3年生になるまで育ててみたが、どうだったか。「子育て熱心」かどうかはさておき、少なくとも「教育熱心」でないのは確実だ。ここでも何度か述べたが長男は計算が得意ではない。早くなればいいと思って、夏休み前にくもんか学研が出版している計算ドリルを2冊買ってきて、「自分のペースでやりなさい。これに関してはお父さんが丸付けをするから」と伝えた上で手渡した。子供が「やったよ」と持ってきたものの、丸つけがそれに追いつかず、未だに解いたままの問題がそれなりに残っている。おそらく、彼が生まれてからこれまで合計30分も横について、何かを教えたことはない。
 話を元に戻す。私は「子育て熱心」な親御様からいくつもの興味深い話を教えていただいた。たとえば「作る」ということ。NHKの『ピタゴラスイッチ』という番組に触発されて自ら工作をしてみたり、好きなアニメの編集作業に没頭していたり。「作る」とは別の話になるが、飽きもせずにメダカを眺めているというのも面白かった。そして、私はそういう話を聞くたびに、心から「それはいいですね」と返していた。以前、難関校に通う生徒から次のようなことを教えてもらった。それは、勉強も大してしないのに成績がいいクラスメイトがいて、その子が時計を分解しているというのを聞いた「教育熱心」な親が、自分の子供にもさせた、というものであった。冗談みたいな話である。そういうことに興味を持てる子だから成績がいいのであって、分解させたら興味が湧くわけではない。時計の仕掛けを知りたいと思う子供の成績が仮に悪くても、周りの大人がちゃんと導いてあげれば、将来輝ける場所は必ずある。
 私が聞いて面白いと思ったことを子供に無理やりさせても意味はないので、できることと言えば好奇心を育むことぐらいである。すると、長男は何がきっかけかは分からないのだが、急に歌に目覚め始めた。妻も私も音楽をそんなに聞く方ではない。家で歌の練習をしている長男に妻が「歌も習えるんだよ」と教えたら、「行きたい」となったので、先日私が体験授業に連れて行った。授業後、「3年生なのに大きな声が出せていいですね」と評価していただいが、「そうだよな。誉めるならそこだよな」となった。歌がうまいわけではないからだ。親の私としては歌のうまいへたはどうでもいい。先日も「「20分休憩、一人で運動場で歌ってた」というから「おもろいやん」と感想を述べた。常日頃から、人の目を気にせずに、自分のやりたいことをしないと話している。一昨日の日曜日は、隣の部屋で大きな声で歌を歌っていた。いつも同じところで音を外しているのだが、私が指摘すると「へたくそ」とか言ってしまいそうなので、タブレットの録画機能を使って、自分の歌を聞いてみたら、と提案した。その後、何分かおきに「ここだ!」、「ここだ!」という声が漏れてくるので、「『ここだ!』って何?」と聞いたら、「音がはずれてる場所」と返ってきた。もし、この話を親御様から聞いたら、間違いなく「それはいいですね」となるだろうな、とひとり秋の訪れとほのかな幸せを感じていた。

2017.09.19Vol.318 視線の先にある棚の上をちらちらと見ながら

 稲田朋美は防衛大臣を辞任し、山尾志桜里は民進党を離党した。後者に関して、不倫(あくまで疑惑らしいが)をしても、政治家としての仕事をしていればそれでいいではないかという意見があった。最もだと思う。「何をしたか」ではなく「何をしなかった」で評価されるのは確かにおかしい。清廉潔白で人当たりはいいものの国を変えることに何ら尽力しない国会議員よりも、プライベートは褒められたものではないが勉強熱心で、官僚任せではなく自らが中心になって法案を提出しようとする議員の方が国民にとってはありがたい。ただ、上の2人がどのような経緯で注目をされるようになったかと言えば、他の政治家の揚げ足を取って、攻撃的な批判を展開したからである。それぞれ弁護士、検察官出身なので、法曹界出身の人は違うな、論理的だな、となるが、責められることには滅法弱いのだ。スキャンダルで辞任にしたわけではないが、民進党元代表の蓮舫にも共通点がある。党首になった際、これからは批判型ではなく提案型にしていく、というような主旨のことを述べていた。任期中に一体どのような価値ある提案をしたのだろうか。未だにテレビなどで流れるのは、「2位じゃダメなんですか?」のあれである。舛添元東京都知事も評論家時代、政治家のお金の問題に関してはうるさかった。立場が逆転したときみんな歯切れが悪くなる。どうせなら、最後まで思い切り開き直ればいいのに。石原元都知事はそのようなタイプであったような気がする。
 彼らは自分のことを棚の上に上げすぎるのだ。それが守りの弱さにつながっている。親や私のような先生の立場の者が、子供を叱るとき「自分もできなかったら、あなたもしょうがない」となるのは子供のために良くない。上に立つ者には、自分よりも立派な人間を育てる責務がある。だから、自分のことは括弧の中に入れて「(私はできなかったけど)こうしなさい」というのが子供に接する大人の役割である。ただ、自分ができていなかったことを完全に忘れ去ってはいけない。棚には上げる。でも、子供にメッセージを発する際、子供の向こう側にある、視界に入ったその棚の上の方をちらちらと見ながら心を込めて言葉を伝える。棚に上げたまま見向きもせずに伝達した時よりも、心がこもった、内容を伝えられるのだ。言葉にすると少々わざとらしいものになってしまうが、実際、私はこのようなことを心がけながら、生徒達、我が子達に接している。
 長男とは年長のときに行ったが、二男は一年生になったこのタイミングで昨日、今日父子二人旅を楽しんできた。いつもはせかせかと動き回る旅行をするのだが、昨日は鳥羽水族館だけを楽しんだ。そして、今朝は5時前に起きて、5時半から船釣り。12時に港に上がり、3時間ぐらい運転して帰宅した。こんなときに文章はうまくまとまらない。生徒が「運動会の練習がしんどくて眠たい」などと言おうものなら、そのような時に頑張ってこそ価値があるんや、と叱り飛ばしてやる。何と立派な先生なのだろうか。

2017.09.12Vol.317 そう言えば

 そう言えば、3年生の長男の1学期の通知表には「忘れ物が多い」という項目にチェックが入れられていた。3日に1回ぐらいは、家を出てしばらくして何かを取りに戻ってくる。おそらく、待ち合わせ場所で友達が持って来ているのを見て気づくのだろう。それでも結果的に忘れ物をしているのだから、そのような対処療法的なやり方ではダメなのだ。「2学期は忘れ物をしないようにしよう」と話していたのだが(こんな言葉で行動が変われば苦労しないのだが)、2学期が始まり1日目か2日目かに、2度も家に戻ってきたというのを妻から伝え聞いた。それを受けて、「一度家を出たら戻ってくるのは禁止。夜寝る前に玄関に置いたもの以外は持っていくことは認めない」とルールを決めた。今のところうまく行っているが、それがこの後も続くかどうかは定かではない。私にしたら忘れ物をするのはいいのだが、悲壮感漂った顔で「もう間に合わない」とかブツブツ言いながら取りに帰ってくるのが腹立たしい。朝からそんなことでイライラするのは無駄以外の何ものでもない。
 そう言えば、そんな長男に今夏、カブトムシの飼育を任せた。例年、夏期講習中は出勤前に私がゼリーをあげていた。10匹以上いたにも関わらず、結果的に1週間ぐらいで2, 3匹になり、その生き残りも次の1週間ぐらいで死にアッという間に全滅した。結局、卵も産まずじまいであった。来年、同じことを託しても同じ結果になるかもしれないが、私がやり続けるよりはきっと意味があると信じている。
 そう言えば、Z会の通信添削で8月は理科と社会に加え、国語も90点台に乗った。そして、算数はまたもや50点台。ふむ。
 そう言えば、私の高校時代のクラブの後輩の子供が入塾してくれた。私の地元に近い豊中校を開くときに、そのようなこともあるだろうと予測はしていたものの、実際にそのようになるとドキッとする。その彼とは2学年違いで、私は3年生の5月で卒部になった。まだ1年生は仮入部の時期ということもあり、面識はなかった。卒部をしても時々クラブに顔を出すことはあったので、彼は私のことを知っていたとのこと。何を見られていたのかと考えるとやや心配に。それに加えて、先週の土曜日に中学生時代の同級生の女の子が北口校に子供を連れて体験に来てくれ、入塾の運びとなった。事前の電話の時点では私以外の者が受けたということもあり、その事実を知らされず対面して初めて知った。こちらは心の準備ができていないからウワッとなった。少し知っている程度ではなく、かなりよく話す方の女の子であった。ドキッとしたりウワッとなったりと私の心は中々忙しい。その体験の最中、お子様を送りに来られたお母様とその私の同級生が顔を合わせて、「あら~」となった。ママ友だったのだ。これは、ドキッやウワッで済まないレベルだ。どうしよう。中学生の頃からできた人間であったことをばらされたら。心配で心配で。
 そう言えば、子供たちとの100名城めぐりは、沖縄に3、関東に10の13城を残すのみとなった。来年には制覇できそうである。私が城めぐりのことを話すとどこが楽しいのかと尋ねられることがある。いくつかあるが、それのおかげで日本全国津々浦々に行けるのもその1つである。もし、それをしていなければ、北海道の根室や青森の八戸、長崎の島原などを訪れることはなかったであろう。城がなければ行かないようなところなので、それ以外に特別な何かがあるわけではない。八戸の根城では、1時間ぐらいかけてボランティアガイドの人が様々なことを説明してくれた。人がたくさん来ないとその分懇切丁寧に教えてくれる。たとえば、弘前(旧弘前藩)と八戸(旧南部藩)では今も対立が続いていて、県庁などでも派閥(藩閥)があるとのこと。そのような状況だったので、弘前藩主は参勤交代の際に、あえて遠回りをして久保田藩(後の秋田藩)を通っていたらしい。ちなみに、甚大な豪雨災害にあったにも関わらず、県外でゴルフをしていたために対策会議を欠席し、問題になった現在の秋田県知事は久保田藩主の末裔であるということを、また龍角散は元々久保田藩主の喘息の治療のために開発されたこともあり、県知事がテレビCMに出ていたもののその一件で中止になったことなどの説明を久保田城のボランティアガイドの方から受けた。誰から聞いたのかは忘れてしまったが、小学生の頃に「南部鉄器」というのを社会で覚えたが、実は南部鉄より島根の出雲鉄の方が質は良かったとのこと。パズルのピースがつながったときのように、自分の中の断片的な知識がつながった喜び、新たな断片を手に入れた喜びがある。
 そう言えば、ジャニーズ事務所を退所した草薙剛が「新しい気持ちで頑張る」というようなコメントをしていた。今年40歳になり、新たな10年の門出を迎えた私も何だかそんな気分である。

2017.09.05Vol.316 続;計算間違いをしない“唯一”“絶対”の方法

 私の子供の頃と今では環境が異なる。でも、戦後すぐの1950年前後に生まれた私の親と私の子供時代の差異の方が明らかに大きい。変化には良い面もあればそうでない面もあるので「昔が良かった」という気はないのだが、振り返ってみると遊びの中で学んだことが非常に多い。たとえば、川でのフナやザリガニ捕りは日常であった。ザリガニは逃げる時に後ろに跳ねる。だから、後ろで網を構えておく。自分でそれに気づいたのか、見よう見まねだったのかは定かではないが、そういうことを実地の中で学んで行った。
 3年生の長男はまだ子供たちだけで近くの市民プールなどに行ったことはないが、同じ時期私は夏の間に何度も遊びに行った。長男もそういうところに行きたがり、川もプールも身近にあるのに何が違うのか。子供の数も多く、社宅に住んでいて近所付き合いがより緊密であったというのも関係しているのだろうが、いろいろな学年の子供と遊ぶのが普通であった。逆に、同級生だけで遊ぶことの方が少なかったように思う。夏休み、まず朝のラジオ体操があり、そこで午前中の予定が決まる。朝ごはんを食べたら9時に公園集合、といったように。野球やサッカーをして、昼ご飯になったら一度帰宅。そして、母に「ご飯食べたらプール行こうって話になったけど、いい?」、「誰と行くの?」、「A君たちと」、「じゃあ、いいよ」という流れになる。その場合のA君というのは、自分より2, 3学年上の子供。要は、高学年のお兄ちゃんもいるからいいでしょ?というわけである。A君がダメなら、代わりのB君、C君を自分たちで探した上で、許可を取るのだ。夜に花火をすることもあった。さすがに、1日で朝、昼、夜のフルコースはなかったのだろうが、いつでも遊ぶ準備ができていて、それを妨げるものはそれほど多くはなかった。今では公園で野球をすることも花火もすることも容易ではなくなってしまった。
 子供の頃、父に海釣りに連れてって欲しいと何度かお願いしたが、結局実現しなかった。一方、私は既に船釣りを何度も経験させている。当時の父親というものは育児にそれほど深く関わらなかったので、父子の時間が増えたのはひとついい面と言えるかもしれない。ちなみに、私は「家族サービス」という言葉を使わない。ただ自分がしたいことをしているだけだからだ。「お父さん、お父さん」と言ってくれる時期など長くはないのだから、今が貴重で、今のうちに思う存分楽しんでおこうという気持ちが自分の中にある。子供達同士よりも、親の私が関わる方が遠くに行くことも含め、できることは格段に増える。しかし、子供達だけですることの代わりにはならない。何よりも悪さができない。先生や親にばれないように悪いことをするドキドキ感というのがあった。きっと、親からすれば「危ないからやめておきな」ということでも、「俺もやったから大丈夫」となる。上のお兄ちゃんに教えてもらいながらやり、いつか自分が教える側に回る。そういう中で、どこまでは許されるのかというのを学んでいく。以前、川で事故が起きるのは川で泳がなくなったからだ、という主旨の記事を読んだ。日頃から泳いでいれば何か危険か身を持って知ることができる。しかし、現在の風潮は、危ないから川で泳ぐことをやめましょう、というものである。学校を出た時間も、駅の改札に入った時間も、塾についた時間も全部親に知られる。時にGPSでどこにいるかもチェックされる。それによって、親は安心できるから。おかしな話をすると、学校を出た時間が分かっても、誘拐などを未然に防ぐことはできないのだ。ちなみに、長男は3年生になったタイミングでカードを返却したので、いつ学校を出たのかは分からなくなった。
 前回の続編としてこれを書いている。二男に習い事などさせずに、もっと遊ぶ時間を増やせばいいという話をしたら、妻から「みんなゲームしてるよ」と返ってきたのがきっかけである。結局、家では自由にさせようということで宿題が必要なものはさせないことにした。たとえば、妻が始めさせた書き方も毎日家で1枚ずつぐらいしないといけないので、同じところでやっている宿題のない書道に変更しようことになった。私自身はやめさせてもいいと考えているのだが。あっ、そう言えば志高塾も宿題がなかった。低学年のお子様にもオススメです。

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