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2017.09.12Vol.317 そう言えば

 そう言えば、3年生の長男の1学期の通知表には「忘れ物が多い」という項目にチェックが入れられていた。3日に1回ぐらいは、家を出てしばらくして何かを取りに戻ってくる。おそらく、待ち合わせ場所で友達が持って来ているのを見て気づくのだろう。それでも結果的に忘れ物をしているのだから、そのような対処療法的なやり方ではダメなのだ。「2学期は忘れ物をしないようにしよう」と話していたのだが(こんな言葉で行動が変われば苦労しないのだが)、2学期が始まり1日目か2日目かに、2度も家に戻ってきたというのを妻から伝え聞いた。それを受けて、「一度家を出たら戻ってくるのは禁止。夜寝る前に玄関に置いたもの以外は持っていくことは認めない」とルールを決めた。今のところうまく行っているが、それがこの後も続くかどうかは定かではない。私にしたら忘れ物をするのはいいのだが、悲壮感漂った顔で「もう間に合わない」とかブツブツ言いながら取りに帰ってくるのが腹立たしい。朝からそんなことでイライラするのは無駄以外の何ものでもない。
 そう言えば、そんな長男に今夏、カブトムシの飼育を任せた。例年、夏期講習中は出勤前に私がゼリーをあげていた。10匹以上いたにも関わらず、結果的に1週間ぐらいで2, 3匹になり、その生き残りも次の1週間ぐらいで死にアッという間に全滅した。結局、卵も産まずじまいであった。来年、同じことを託しても同じ結果になるかもしれないが、私がやり続けるよりはきっと意味があると信じている。
 そう言えば、Z会の通信添削で8月は理科と社会に加え、国語も90点台に乗った。そして、算数はまたもや50点台。ふむ。
 そう言えば、私の高校時代のクラブの後輩の子供が入塾してくれた。私の地元に近い豊中校を開くときに、そのようなこともあるだろうと予測はしていたものの、実際にそのようになるとドキッとする。その彼とは2学年違いで、私は3年生の5月で卒部になった。まだ1年生は仮入部の時期ということもあり、面識はなかった。卒部をしても時々クラブに顔を出すことはあったので、彼は私のことを知っていたとのこと。何を見られていたのかと考えるとやや心配に。それに加えて、先週の土曜日に中学生時代の同級生の女の子が北口校に子供を連れて体験に来てくれ、入塾の運びとなった。事前の電話の時点では私以外の者が受けたということもあり、その事実を知らされず対面して初めて知った。こちらは心の準備ができていないからウワッとなった。少し知っている程度ではなく、かなりよく話す方の女の子であった。ドキッとしたりウワッとなったりと私の心は中々忙しい。その体験の最中、お子様を送りに来られたお母様とその私の同級生が顔を合わせて、「あら~」となった。ママ友だったのだ。これは、ドキッやウワッで済まないレベルだ。どうしよう。中学生の頃からできた人間であったことをばらされたら。心配で心配で。
 そう言えば、子供たちとの100名城めぐりは、沖縄に3、関東に10の13城を残すのみとなった。来年には制覇できそうである。私が城めぐりのことを話すとどこが楽しいのかと尋ねられることがある。いくつかあるが、それのおかげで日本全国津々浦々に行けるのもその1つである。もし、それをしていなければ、北海道の根室や青森の八戸、長崎の島原などを訪れることはなかったであろう。城がなければ行かないようなところなので、それ以外に特別な何かがあるわけではない。八戸の根城では、1時間ぐらいかけてボランティアガイドの人が様々なことを説明してくれた。人がたくさん来ないとその分懇切丁寧に教えてくれる。たとえば、弘前(旧弘前藩)と八戸(旧南部藩)では今も対立が続いていて、県庁などでも派閥(藩閥)があるとのこと。そのような状況だったので、弘前藩主は参勤交代の際に、あえて遠回りをして久保田藩(後の秋田藩)を通っていたらしい。ちなみに、甚大な豪雨災害にあったにも関わらず、県外でゴルフをしていたために対策会議を欠席し、問題になった現在の秋田県知事は久保田藩主の末裔であるということを、また龍角散は元々久保田藩主の喘息の治療のために開発されたこともあり、県知事がテレビCMに出ていたもののその一件で中止になったことなどの説明を久保田城のボランティアガイドの方から受けた。誰から聞いたのかは忘れてしまったが、小学生の頃に「南部鉄器」というのを社会で覚えたが、実は南部鉄より島根の出雲鉄の方が質は良かったとのこと。パズルのピースがつながったときのように、自分の中の断片的な知識がつながった喜び、新たな断片を手に入れた喜びがある。
 そう言えば、ジャニーズ事務所を退所した草薙剛が「新しい気持ちで頑張る」というようなコメントをしていた。今年40歳になり、新たな10年の門出を迎えた私も何だかそんな気分である。

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