
2017.09.05Vol.316 続;計算間違いをしない“唯一”“絶対”の方法
私の子供の頃と今では環境が異なる。でも、戦後すぐの1950年前後に生まれた私の親と私の子供時代の差異の方が明らかに大きい。変化には良い面もあればそうでない面もあるので「昔が良かった」という気はないのだが、振り返ってみると遊びの中で学んだことが非常に多い。たとえば、川でのフナやザリガニ捕りは日常であった。ザリガニは逃げる時に後ろに跳ねる。だから、後ろで網を構えておく。自分でそれに気づいたのか、見よう見まねだったのかは定かではないが、そういうことを実地の中で学んで行った。
3年生の長男はまだ子供たちだけで近くの市民プールなどに行ったことはないが、同じ時期私は夏の間に何度も遊びに行った。長男もそういうところに行きたがり、川もプールも身近にあるのに何が違うのか。子供の数も多く、社宅に住んでいて近所付き合いがより緊密であったというのも関係しているのだろうが、いろいろな学年の子供と遊ぶのが普通であった。逆に、同級生だけで遊ぶことの方が少なかったように思う。夏休み、まず朝のラジオ体操があり、そこで午前中の予定が決まる。朝ごはんを食べたら9時に公園集合、といったように。野球やサッカーをして、昼ご飯になったら一度帰宅。そして、母に「ご飯食べたらプール行こうって話になったけど、いい?」、「誰と行くの?」、「A君たちと」、「じゃあ、いいよ」という流れになる。その場合のA君というのは、自分より2, 3学年上の子供。要は、高学年のお兄ちゃんもいるからいいでしょ?というわけである。A君がダメなら、代わりのB君、C君を自分たちで探した上で、許可を取るのだ。夜に花火をすることもあった。さすがに、1日で朝、昼、夜のフルコースはなかったのだろうが、いつでも遊ぶ準備ができていて、それを妨げるものはそれほど多くはなかった。今では公園で野球をすることも花火もすることも容易ではなくなってしまった。
子供の頃、父に海釣りに連れてって欲しいと何度かお願いしたが、結局実現しなかった。一方、私は既に船釣りを何度も経験させている。当時の父親というものは育児にそれほど深く関わらなかったので、父子の時間が増えたのはひとついい面と言えるかもしれない。ちなみに、私は「家族サービス」という言葉を使わない。ただ自分がしたいことをしているだけだからだ。「お父さん、お父さん」と言ってくれる時期など長くはないのだから、今が貴重で、今のうちに思う存分楽しんでおこうという気持ちが自分の中にある。子供達同士よりも、親の私が関わる方が遠くに行くことも含め、できることは格段に増える。しかし、子供達だけですることの代わりにはならない。何よりも悪さができない。先生や親にばれないように悪いことをするドキドキ感というのがあった。きっと、親からすれば「危ないからやめておきな」ということでも、「俺もやったから大丈夫」となる。上のお兄ちゃんに教えてもらいながらやり、いつか自分が教える側に回る。そういう中で、どこまでは許されるのかというのを学んでいく。以前、川で事故が起きるのは川で泳がなくなったからだ、という主旨の記事を読んだ。日頃から泳いでいれば何か危険か身を持って知ることができる。しかし、現在の風潮は、危ないから川で泳ぐことをやめましょう、というものである。学校を出た時間も、駅の改札に入った時間も、塾についた時間も全部親に知られる。時にGPSでどこにいるかもチェックされる。それによって、親は安心できるから。おかしな話をすると、学校を出た時間が分かっても、誘拐などを未然に防ぐことはできないのだ。ちなみに、長男は3年生になったタイミングでカードを返却したので、いつ学校を出たのかは分からなくなった。
前回の続編としてこれを書いている。二男に習い事などさせずに、もっと遊ぶ時間を増やせばいいという話をしたら、妻から「みんなゲームしてるよ」と返ってきたのがきっかけである。結局、家では自由にさせようということで宿題が必要なものはさせないことにした。たとえば、妻が始めさせた書き方も毎日家で1枚ずつぐらいしないといけないので、同じところでやっている宿題のない書道に変更しようことになった。私自身はやめさせてもいいと考えているのだが。あっ、そう言えば志高塾も宿題がなかった。低学年のお子様にもオススメです。