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2017.07.24Vol.311  習い事を通じて伝えること

 長男は、小学校に入学後すぐにサッカーを習い始めた。一般的にイメージされるものよりも随分とゆるいチームで、毎週月曜と土、日が月に1回ずつ、月に6, 7回しか練習がない。しかも、仕組みを詳しくは知らないが、何かしらの連盟に所属していないので公式戦にも出られず、試合といえば練習試合が3ヶ月に1回ある程度。まあ、とにかくゆるいのだ。熱心な親はチームを複数かけ持ちさせている。もちろん、外部のチームをメインして、時間があるときに、こちらの練習に参加しているといった感じである。私は、そのような弱小チームでも我が子はよく頑張っているなぁと感じている。体験に行き、入部を決めた時も「おお、そうかそうか。下手なのにやるのかぁ」というのが率直な感想であった。2年間で特段の上達もせずに3年生になった。すると、さらに面白いことが。低学年と高学年に分かれて練習をするのだが、1人、ないし2人ぐらいは高学年の方に入れてもらえる。「3年生の中で、高学年の方に入りたい人?」とコーチに聞かれたら、まったく臆することなく我が子は手を挙げるのだ。3年生は10人以上いるのだが、間違いなく我が子は半分以下である。その様子を見ながら「下手だからって遠慮するな。周りのことなんか気にするな」と育ててきたかいがあった、と私は内心ほくそ笑んでいる。私がサッカーをしていた頃は、とにかく自分が点を取ることしか考えていなかった。ゴール前までみんなでボールを運んできて、おいしいところは俺にくれ、と思いながらプレーしていた。長男には、とにかく人より動いて守備を一生懸命やるように伝えている。チームにそういうメンバーが欠かせない。サッカーに限らず、スポーツに限らず、そのようなポジションは必ずある。そこで自分の立ち位置を確立できれば、経験を積むことができ(スポーツで言えば試合に出ることができ)、成長してもう少し華やかなところに立つこともできるようになるかもしれない。同じ学年の子供と比べても線が細く、身長も低い方なのだが、高学年に混じって体を一生懸命ぶつけながらやっている。長男が時々「僕、じょうず?」と聞いてくるのだが「上手ではない。でも、以前よりは確実にうまくなっているし、自ら手を挙げていることも偉い」と答えている。これは、教室で「意味もなく子供を褒めてはいけない」と講師達に伝えていることと同じだ。褒めることを目的で褒めると必ずほころびが出る。確かに「豚もおだてりゃ木に登る」というのもあるかもしれない。でも、そのような不確実なものにかけてはいけない。仮に、私が長男に「めっちゃ上手や」と評価したのに、友人たちから「おまえ下手やな」と馬鹿にされたとする。そうなると、サッカーに対する意欲は減退し、父の言葉も信用しなくなる。「言葉かけ」ということで言えば、新しく入った講師が授業後に生徒に「お疲れ様」と声を掛けることがあるのだが、志高塾ではそれを禁止している。感覚的に、何か違うよな、というのがあってそのように私が決めたのだが、要はこういうことなんだと思う。子供たちは、いい授業を受けさせてもらったんだから、その言葉は適当ではない。少々変な例えだが、プレゼントをもらった子供に「お疲れ様」というのがそぐわないのと同じである。誤解しないでいただきたいのだが、「いい授業を受けさせてやったんだから感謝しろよ」という傲慢な気持ちの表れではない。作文というものに興味を持てる親御様には、単純に「すごいな」という気持ちがある。もし、自分が教育とまったく関係のない仕事をしていたとしたら、果たして同じような選択をできたかどうか甚だ疑問である。子供に作文をさせようと考え、志高塾を選んでいただいたことに感謝をしている。だから、我々はそのような親御様のお子様に質の高い授業を提供する責務があるのだ。そして、それをきっちりと果たしたとき、「お疲れ様」というのはしっくりくる言葉ではない。これを読んで、多くの方はまったく共感できないかも知れない。でも、こだわりってこういうもの。時々親御様が「あの子変なところにこだわりがあって」というのを口にすることがあるのだが、概して「変なところに」に対してのものだ。傍から見ると「そんなことどうでもいいやん」となるが、当人にとっては何だか知らないけど譲れないのだ。
 この後、私はセミナーでお話をするのだが、プレゼン資料も用意することなく、思いつきで話すのだが大丈夫だろうか。まとまりのないものになる気がするが、そのときは、首相が憲法改正に関する見解を問われ「自民党総裁としての考え方は詳しく読売新聞に書いているので、熟読していただければいい」と答弁したように、私も「志高塾代表としての考え方は詳しくブログ『志高く』に書いているので、熟読していただければいい」とお伝えしようか。でも、あの答弁によって潮目が変わり、今の支持率下落につながったんだよな。いや、待てよ。豊中校は、現時点で低空飛行を続けているわけだから、潮目が変われば注目率上昇ということになるのか。まあ、あほなことを考えずに、貴重な時間を使って話を聞きに来てくださった方たちに、少しでも「出て良かった」と思ってもらえるようにしなければ。

2017.07.18Vol.310 仕事のスタンス

 先に告知から。「お知らせ」のところにも同じ内容を載せているが、ここでも改めて。

来週の火曜日、7月25日にホテル阪急エキスポパークで開かれるシティライフ主催の「キッズ&マムフェスタ」に志高塾として参加しますので、ご興味のある方は是非お越し下さい。
セミナー
http://www2.citylife-new.com/backnumber/2017/07/W/W16.pdf
ブース体験
http://www2.citylife-new.com/backnumber/2017/07/W/W17.pdf

豊中校の生徒があまりに集まらなかったため、少しでも知ってもらいたいという思いで2ヶ月ほど前に参加を決めた。その当時はおそらく5人ぐらいしかいなかったはずだが、ようやく9人に。随分とゆっくりではあるが、着実に問い合わせも増えている。当初の見込みとは大きく乖離しているものの、少しずつ知ってもらえるようになった喜びを感じられているのは確かである。
 1年で2, 3回は志高塾の飲み会を行う。先週の土曜日の授業後にそれを行った。これまでの参加人数は把握していないが、何年も在籍する講師に言わせると今回が11人で過去最高であったらしい。いつも普通に飲み屋に直行なのだが、今回はその前に30分ほどの会議を行った。これまではメールでやり取りをしていた月間報告を含め、情報の共有の仕方を大幅に変更するため、その説明にその多くを費やした。なぜ、そのような流れになったかと言うと、今も平日は企業で働きながら土曜日に副業で入ってくれている講師が“勝手に”提案してくれたから。「もう少しこうしたらスムーズになりますよ」と。ちなみに、上の「ブース体験」で『コボちゃん』を使ったクイズなどを行うのだが、その準備をリーダーとして引っ張ってくれているのも、社会人経験豊富な別の講師である。それに関しては私からその役割をお願いし、教室で打ち合わせをした等に関しては事前に決めた通り給与を発生させているのだが、私の期待ははるかに上回るレベルで“勝手に”かなりのことをやってくれている。指示のメールが他の講師にどんどん飛んで、正直私はついていけていない。
 飲み会の前の会議の場で、私は5分ほど話をしたのだが、そのときにもこの2人について触れた。お願いしていないことまでやってくれているので「しめしめ」では雇用主としてはまずいが、「仕事とは本来そういうものである」ということを伝えた。今回のテーマを決めたとき、久しぶりに妻の仕事について思い出した。2007年4月に志高塾を始めるために東京から大阪に引っ越してきて、2008年8月に長男が生まれるまでの約1年間を妻は大企業で派遣社員として働いていた。引き継ぎをされたのだが、ファイルの大きさがバラバラで、内容もグチャグチャだったので、妻はファイルの大きさをすべて揃え、ラベリングをするなどして整理をした。過去何年にも渡ってそのような状態だったので感謝をされたらしい。何度か週末に、エクセルでデータを整理したいからどのような式を入れればいいのかというのを私に聞くなどしていた。その一連の仕事がどれぐらいのインパクトを与えたのかは分からないが、単純に私はいい取り組み方だと感心していた。
 翻って私はどうか。『Vol.301 意味のあること、ないこと』でも書いたが、公立の小学校のPTAの会長になったことで、自分自身がどのような仕事をするのかを客観的に見られるようになった。志高塾では経営者の立場であり、やった分だけ直接自分に跳ね返ってくるので、「何かをする」としてもそれはすごく当たり前のことで、それに対してあれこれ思うことはない。この時期、夏期講習の時間割を組むのだけは結構大変なので「これは頑張っている」と勝手に自己満足をしてはいるが。PTAは任期が1年なので、1度きりの仕事が少なくない。ある程度前年度の通りにやると、無駄が多いなどのわずらわしさを感じる。「効率的じゃないけど、もう終わったからいいか」で済ませてしまうと、来年度の人がまた同じような思いをすることになる。そうならないように、私は少しでも変えるべきだということを先日の運営委員会でも話してきた。参加していたメンバーが納得していたかどうかはさておき、「PTAの仕事は、Take & Giveの構造になっている」ということを伝えた。前年度の人から仕事を引き継ぎ、つまりTakeをして、今度は次の年度の人たちにGiveしていかなければならないと。別に、そのために手の込んだ資料を作るなどする気はさらさらないのだが、少し変えるだけで手間が大きく減ることもある。会長に特別な権限があるわけでもないので思い通りにはならないことは多々あるが、シンプルに「良くない部分を改善しよう」と自分が“勝手に”考えていることに一種の安心感を覚えた。上で「客観的に」と書いたが、志高塾という組織では個々人がちゃんと責任を持つような仕組みになっているな、形式的なことではなく実質的なことにエネルギーを注げるようになっているな、などということがPTAの活動をすることで感じられるようになった。後、もう1つ。改めて自分には企業勤めは無理だなと。「自分でやっていると(自営業は)大変ですよね」と言われることがあるが、仮に採用がうまく行かなくても、「志高塾が認知されていないからだ」、「仕事の内容をうまく伝えられていないからだ」、「給与が魅力的でないからだ」、とすべて自分の責任だと思えるので納得は行く。これが、精神的には一番楽である。
 ”勝手に”仕事をする人たちをもっと引き寄せられる場にして行きたい。

2017.07.11Vol.309 「何」を「どのように」

 7月2日のヤフーニュースからの引用。

羽生三冠を最も近くで見ている理恵夫人は、6月17日にこうつぶやいている。
≪おはようございます。寒い朝です。毎朝の切り抜き日課、天声人語で幼児教育の大切さが記載≫
 この日の天声人語は学校に入る前の幼児教育の及ぼす影響について書かれている。『幼児教育の経済学』の著者で米シカゴ大学のヘックマン教授は「幼児教育は学力だけでなく、根気強さや注意深さ、意欲などの『非認知能力』を育むのが大切だ」と語る。
≪将棋が注目され天才の育て方について私まで質問されるこの頃。善治先生が小さい頃何をしていたか? それが、藤井聡太先生の親御さんのインタビューと義父母の話が世代違いでも重なる部分も多く興味深い≫
 羽生三冠の母・ハツさんはかつて「楽しそうに将棋をしている姿を見るのが、私はとても好きでしたので、ただただ、子どもを見守っていました」と新聞のインタビューで自身の子育てについて答えた。
 一方、藤井四段も家庭では好きなことを自由に、そして “モンテッソーリ教育”というシステムを取り入れた幼稚園では自主性を育んだ。
 スポーツ紙記者によれば、藤井四段は「3歳のときに買ってもらったキュブロという積み木で何度も繰り返し遊んでいたそうです。それからも、一度夢中になったら気がすむまで集中している」のだという。

 どこから話を進めていこうか。モンテッソーリ教育に関しては、長男の幼稚園選びのときに少し調べ、バス通園できるところがあったので、妻に見学に行ってもらった。「女の子が多かった(確か7割ぐらい)のと、かなり静かだった」という感想を聞いて選択肢から外した。最終的には、園庭が広く、ひらがなやカタカナはもちろんのこと、絵の描き方なども教えないところを選んだ。近所のある幼稚園に通う子供たちはある程度うまく描けるらしいのだが、みんな似通っている、という話を聞いて、そういうところは絶対に嫌だ、となった。
 ヘックマン教授が「幼児教育は学力だけでなく、根気強さや注意深さ、意欲などの『非認知能力』を育むのが大切だ」と語っているが、私の感覚からすると、「非認知能力」を育むことをあきらめるのと引き換えに、子供に「学力」を手に入れさせようとする親が多い。当人たちにはそのことに気づいていないのだが。なぜそのようになるのかと言うと、やらせたことが大したプラスにならないとしても少なくともゼロよりはましだという考えが根底にあるからだ。でも、実際はマイナスに働くことも少なくない。分かりやすく言うと、勉強嫌いになるのだ。私は、勉強好きになって欲しいとは思わないが、考えるのは好きであって欲しい。勉強嫌いでも考えるのは好きな人はいるが、それとセットで考えることまで嫌いになるのは不幸極まりない。また、数値化できない「非認知能力」などそのような親にとっては信用に足らないのだ。
 上で挙げられている「根気強さ」などに加え、我々は「失敗恐れなさ(少々強引な表現だが)」も子供を評価する尺度の1つだ。失敗を嫌がる子供には、まず、それには2種類あることを伝える。チャレンジした結果のものなのか、不注意によるものなのか。思い切って取り組めるようにすることが目的なのだが、そのためにはなぜそのようになっているのかを探る必要がある。早期教育か、家庭での親の声掛けかが原因かなど。先天的な性格というのも無関係ではないが、後天的な要素の方が間違いなく強く影響している。それゆえ、適切な手を打てば改善できるのだ。
 そもそも、この記事を選んだのは「キュブロ(名前を今回初めて知った)」が売れているというのを少し前に聞いて違和感を覚えていたからだ。「何」というのはそこまで重要ではなく、「どのように」こそが肝心なのだ。このおもちゃを買った2, 3歳の子を持つ親が「くもんのプリントが終わったから、次は15分間集中してキュブロをやりなさい。その後はバイオリンの練習をやろうね」などと言っていないことを願うばかりである。
 ちなみに、上の記事は次のように締められている。

 子どもが楽しんでいるものを、ただ見守ってあげるというのは、簡単なようでなかなか難しい。天才を育てる一歩はまずはシンプル・イズ・ベストから?

2017.07.04Vol.308 分岐と合流

 「お兄ちゃんが『なんか気まずいわぁ』って言ってた」
 日頃、その子自身の持っている力が発揮されているか、という観点でしか生徒を評価しないのだが、今回は例外的に比較を。
 開校1年目、約10年前に3年生であったA君とB君。A君はとにかくよくできた。私の「こういう風にしなさい」という指導に対して、それにただ素直に従うというのではなく、なぜ私がそのように言うのか、というのを踏まえて実行に移せる子供であった。私は、黙って従え、と強要するのではなく、折に触れて、なぜそのようにする必要があるのか、ということを説明するのだが、その子は、私がそれをするまでもなく大抵の目的は理解できていた。ちなみに、私が提示する方法論というのは、少なくとも子供たちのものと比べてベターなものでしかない。まずはそれを身に付けて、その後自分なりのベストを見つけることを期待している。「守破離」というと大げさになるが、言葉を当てるとなると最も近いのがこれになる。そのA君、半年も見ないうちに、遅くとも4年生の時点では、お母様に「医学部以外であれば、余裕で京大には行けます」と話していた。中学受験も難なく志望校に合格して、志高塾を卒業。
 それに対してB君。途中でやめてしまったのが、おそらく5年生の頃であった。余談ではあるが、やめる際、お母様から「先生は、始めた頃の情熱を失い、お金儲けに走りました」と滅茶苦茶なことを言われた。この10年で3回ぐらいしか”ブチ切れた”ことはないはずなのだが、そのうちの1回である。そういう経緯であったので、B君の中学受験時は教えていなかった。ランク的にはA君の1つ下のところを目指して、結局そこもダメで、第二志望の学校に進んだ。その後、中2か中3のタイミングで「私が誤解していました」というお母様の謝罪とともに、彼は戻ってきた。しかし、高校に上がるタイミングで東京に引っ越すことになり、再び志高塾から離れた。
 さて、A君。中学、高校と他の同級生と比べて一生懸命勉強することもなく、模試ではA判定を取っていたものの、入試本番でこけた。B君も京大を受けたものの、惜しくも不合格だったとのこと(惜しいというのが、どれぐらいかは分かっていない)。そして二人はともに慶應に進んだ。そこで、偶然A君がB君を見かけての一言が冒頭のそれ。最初は意味が分からず、それを伝えてくれた妹に尋ねたところ、「昔、馬鹿にしていたのに大学で同じところに進んだから」というのが真意らしい。その現実を目の当たりにしたわけでだが、自分の知らないところで逆転現象が起きているというのも往々にしてある。そう言えば、彼らと一緒に授業を受けていたCさん。大学受験1年前には、岡山大学の薬学部を目指していたのだが、蓋を開けてみると滋賀県立医科大学に合格していた。残り1年で目指す学校のレベルをかなり上げ、偏差的には、3人の中で一番高いところに進学したことになる。理Ⅲに行った彼も同級生である。今では、少しは具体的なものを提示できるようになったが、その当時は親御様に「こういう風にしたい」、「こういう人に育てるためにやりたい」と抽象的な話ばかりしていた気がする。それでも、お子様を預けてくださったのだから、意気に感じていたものである。
 さて、冒頭で述べたように、生徒たちを比較することは基本的にない。偏差値で比べるなんてもっての他である。上で偏差値のことに触れたが、だからどうということではない。この文章には都合4人の大学1年生が登場したのだが、1人は高校卒業まで通ってくれ、1人は妹が通ってくれていて、1人は紹介してくれた人が通ってくれていて、1人は小学校卒業時に志高塾はやめていたものの電話で報告してくれて近況を知ることができた。単なる自己満足かもしれないが、いろいろな形でどこかでつながっているという喜びがある。今度は、彼らがどのように社会に出ていくのか、また、そこでどのように活躍していくのか。5年後、10年後が非常に楽しみである。40歳になった私ですら、まだまだこれからと考えているのだから、彼らはまだスタートラインにすら立っていない。
みんな面白い大人になってくれ!

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