
2017.07.04Vol.308 分岐と合流
「お兄ちゃんが『なんか気まずいわぁ』って言ってた」
日頃、その子自身の持っている力が発揮されているか、という観点でしか生徒を評価しないのだが、今回は例外的に比較を。
開校1年目、約10年前に3年生であったA君とB君。A君はとにかくよくできた。私の「こういう風にしなさい」という指導に対して、それにただ素直に従うというのではなく、なぜ私がそのように言うのか、というのを踏まえて実行に移せる子供であった。私は、黙って従え、と強要するのではなく、折に触れて、なぜそのようにする必要があるのか、ということを説明するのだが、その子は、私がそれをするまでもなく大抵の目的は理解できていた。ちなみに、私が提示する方法論というのは、少なくとも子供たちのものと比べてベターなものでしかない。まずはそれを身に付けて、その後自分なりのベストを見つけることを期待している。「守破離」というと大げさになるが、言葉を当てるとなると最も近いのがこれになる。そのA君、半年も見ないうちに、遅くとも4年生の時点では、お母様に「医学部以外であれば、余裕で京大には行けます」と話していた。中学受験も難なく志望校に合格して、志高塾を卒業。
それに対してB君。途中でやめてしまったのが、おそらく5年生の頃であった。余談ではあるが、やめる際、お母様から「先生は、始めた頃の情熱を失い、お金儲けに走りました」と滅茶苦茶なことを言われた。この10年で3回ぐらいしか”ブチ切れた”ことはないはずなのだが、そのうちの1回である。そういう経緯であったので、B君の中学受験時は教えていなかった。ランク的にはA君の1つ下のところを目指して、結局そこもダメで、第二志望の学校に進んだ。その後、中2か中3のタイミングで「私が誤解していました」というお母様の謝罪とともに、彼は戻ってきた。しかし、高校に上がるタイミングで東京に引っ越すことになり、再び志高塾から離れた。
さて、A君。中学、高校と他の同級生と比べて一生懸命勉強することもなく、模試ではA判定を取っていたものの、入試本番でこけた。B君も京大を受けたものの、惜しくも不合格だったとのこと(惜しいというのが、どれぐらいかは分かっていない)。そして二人はともに慶應に進んだ。そこで、偶然A君がB君を見かけての一言が冒頭のそれ。最初は意味が分からず、それを伝えてくれた妹に尋ねたところ、「昔、馬鹿にしていたのに大学で同じところに進んだから」というのが真意らしい。その現実を目の当たりにしたわけでだが、自分の知らないところで逆転現象が起きているというのも往々にしてある。そう言えば、彼らと一緒に授業を受けていたCさん。大学受験1年前には、岡山大学の薬学部を目指していたのだが、蓋を開けてみると滋賀県立医科大学に合格していた。残り1年で目指す学校のレベルをかなり上げ、偏差的には、3人の中で一番高いところに進学したことになる。理Ⅲに行った彼も同級生である。今では、少しは具体的なものを提示できるようになったが、その当時は親御様に「こういう風にしたい」、「こういう人に育てるためにやりたい」と抽象的な話ばかりしていた気がする。それでも、お子様を預けてくださったのだから、意気に感じていたものである。
さて、冒頭で述べたように、生徒たちを比較することは基本的にない。偏差値で比べるなんてもっての他である。上で偏差値のことに触れたが、だからどうということではない。この文章には都合4人の大学1年生が登場したのだが、1人は高校卒業まで通ってくれ、1人は妹が通ってくれていて、1人は紹介してくれた人が通ってくれていて、1人は小学校卒業時に志高塾はやめていたものの電話で報告してくれて近況を知ることができた。単なる自己満足かもしれないが、いろいろな形でどこかでつながっているという喜びがある。今度は、彼らがどのように社会に出ていくのか、また、そこでどのように活躍していくのか。5年後、10年後が非常に楽しみである。40歳になった私ですら、まだまだこれからと考えているのだから、彼らはまだスタートラインにすら立っていない。
みんな面白い大人になってくれ!