
2017.06.27Vol.307 幅
昨日、面談したお母様とは、せっかく大学進学を目指すのであれば”それなり”のところに行く必要がある、ということを話していた。お子様は元々大学に行く気がなかったのだが、この春、高2になるタイミングで本人の意思で進路を変えた。就職に有利に働くからというのが大きな理由なのだが、大学全入時代と言われている現在、どこの大学でも行けばいいわけではない。“それなり”というのは、一人一人によって異なる。中位の大学に、トップ校から進んだのと、大学進学が非常に少ない学校から行ったのとでは、就職の際の評価が違う。後者は、周りの環境に流されずに、自分なりの目標を持ってそれに向かって進んで行ける人だ、と見られる。もちろん、様々な要素が加味されるので、経歴だけを比べた場合の話である。これは、初等部から大学にエスカレータで上がったのか、大学入試を受けて外部から入ったのかが違うのと同様である。ちなみに、彼が第一志望にしている学校は私から見て“それなり”をクリアしている。私がお母様にお伝えしたのは、そこがダメだったらランクを下げるというのは良くないということ。そのご家庭は子供も多く、経済的に余裕があるわけではないので、それであれば地方に移住させて仕事をさせた方がいいという提案をした。都市部で明日がどうなるか分からない日雇い派遣のような仕事をする、もしくは生活のために面白くもない仕事に不満を持ち続けながらやるよりかは、田舎に行ってやりがいのある仕事をした方がいい。若者を必要としているところは少なくないのだ。このような提案をしたからには、もし受験がうまく行かなかった場合、そのような仕事を一緒に探す責任が私にはある。
前々回、「このブログにも1, 2回登場した高3の女の子。すんなりと東大の理Ⅰに合格すると信じているのだが、その子がこの夏、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が主催する高校生対象の夏休みのプログラム(3泊4日)に応募することになった。」と書いた。無事にパスした。参加後、その話を聞くのが楽しみである。なお、そのときに提出した志望動機(400字)に関しては、8月度の内部向けの『志高く』で全文紹介する。
東大は、女子に限定した住まい支援(家賃補助)制度を設けることで、どうにかして女子を増やそうとしている。2017年度は、1ポイント上がって約20%になったとのこと。男女比のバランスを改善することで、世界大学ランキングを上げようとしているのだと思っていたのだが、男女比はその指標になっていないことが判明。ちなみに、ハーバードは女子が50%、つまり男女の人数が均衡していて、アメリカの一流大学はそれとほぼ似たような状況である。一方で、日本の一流大学は軒並み東大と似たような感じなので、かなりアンバランスである。
彼女がJAXAに応募したことがきっかけで久しぶりに東大の秋入学について思い出した。おそらく2, 3年ぶりである。こちらは、世界大学ランキングに直結する施策である。留学生の人数を増やすことでそれは上がる。欧米の大学と入学のタイミングを合わせることでそのようにしたかったのだ。そうなると、日本人の生徒には、受験後の約半年、空白の期間ができる。そこで留学するなど、それまで受験勉強に追われてできなかったことをして欲しい、ということを学長が確か述べていた。それに対して、その目論見は間違いなく外れるというのが私の見解であり、そのことについて当時文章としてまとめた。なぜうまく行かないのか。その期間を有効に使える生徒は、受験勉強をしているときから少なからずそのようなことをしているからだ。受験勉強とその他が10対0ではなく、9対1、8対2などになっているのだ。今回、彼女がJAXAに応募したのも、そのようなことの現れである。「こういうのに興味を持つところが面白い」と伝えたら、シンガポール在住の同級生の刺激を受けたから、と返ってきた。その友人は高校の途中まで同じ学校に通い、今はシンガポールにいる。確か、アメリカのトップ校への進学を目指しているはずである。その子が、最貧国の1つにボランティアで行ったという話を聞いたことがきっかけであったらしい。
冒頭の内容を今回の文章に入れる予定はなかったのだが、最近は東大関連の話が多いので付け足した。会話の中で、そのお母様が「いろんな生徒がいるんですね」と話されていたが、正にその通りであり、それは我々の強みだ。偏った生徒しかいなければ、教えている我々の側の思考も硬直化してしまう。また、我々は生徒によって、基本的に講師を分けていない。それは、志高塾が誇る特長の1つだ。
「幅」というタイトルにいくつかの意味を込めてみた。
2017.06.20Vol.306 “非”て“似”なるもの
「Vol.303 卒業作文」で取り上げた『人生を”書く”』の中で、彼は次のように述べている。
「僕は中1の初めに、正直周りに流されて大手学習塾の体験授業を受けに行ったのだが、遊ぶだけ遊んで最後の2年ほどで成績を急上昇させるというスタイルが自分に合っていると中学校受験を通して感じていたため、詰め込み型の塾に6年も通ったら自分が潰れてしまうと考え、同級生の大多数とは袂を分かち入塾しなかった。しかし、ただ周りの流れに意地でも抗おうとした訳ではなく、自分のやる気が高まり、その塾の高レベルの環境を最大限活かせると感じ始めた高2の初めになって入塾し、結果的にはその後成績は急上昇した。」
これには若干の補足が必要だ。確か6年生の11月ぐらいまでは、歴史好きだったこともあり司馬遼太郎の本を中心に毎週2冊ぐらいは読んでいた。だから、「遊ぶだけ遊んで最後の2年ほどで成績を急上昇させるというスタイル」について、最後の2年間は勉強だけをしていたと読み解くのは完全な間違いである。ちなみに、当時彼が教室に来て、眠そうにしているのは見たことがなかった。こういう話をすると「~君(ちゃん)はできるから」とか「~君(ちゃん)には余裕があるから」という一言で済まそうとする人がいるのだが、そのようなものには違和感を覚える。小さい頃(低学年かそれより前かは定かではない)、お勉強の塾に通わせた時期があり、テストの結果が良くなかったので、一度横についてさせてことがあった。すると、直後のテストでいい結果を出したのですぱっとやめさせた、というのをお母様から聞いたことがある。少し対策したぐらいで結果が出るのであれば、それに大した価値がないと判断したとのことだった。普通の親はなかなかこのように考えない。「せっかくいい成績を取ったんだから、この調子でその位置を確保して、本人に成功体験を積ませよう。今やらせておくことは中学受験にも役立つはずだから、もっと頑張らせよう」などとなる。もう1つエピソードを。当時、志高塾には灘、甲陽に合格した実績がなかったにも関わらず、6年生になったタイミングで進学塾の国語の授業を削ってでも我々の教室に通うコマを増やして週2回来るようになったのだ。私は進学塾で働いた経験などないので私自身にノウハウがあったわけでもない。志高塾を選んだことそれ自体ではなく、そのような選択ができるところが素晴らしい。彼が中1になるタイミングで同級生の多くが通う大手学習塾を選ばなかったのも、上のようなことを積み上げてきた結果である。通常の親であれば、本人がそのように言いだしたら「周りの子も行くからとりあえず通ってみたら」、「初めでつまずいたら大変だよ」などと翻意させようとするはずである。
半年に1回の親御様との面談も8割方終えた。そこでは面白い話をたくさん聞けるのだが、ここで1人の元生徒の話を紹介したい。現在は下の子が通ってくれているため、近況を知ることができた。いわゆる最難関校の1つに通う彼も高校生になった。中学入学から現在に至るまで成績は低空飛行しているとのこと。このタイミングで父にピアノ教室と塾に通いたいとお願いしたところ、ピアノは認められ、塾は反対された。ピアノを習ったことがない彼は、ユーチューブを見て、指の動きを真似、少しずつできる範囲を広げていくという方法を取りながら、自分が好きな曲を弾けるようにしていくとのこと。一方で、勉強の方は学校の宿題などもきちんとできていない状態。「ピアノは頑張っているから通わせてやる。でも、勉強は目の前のことすら出来ていないのに、塾になんか通わせない」というのがお父様の考え。これについても、通常であれば、ようやく塾に通おうという気になったか。勉強を頑張れるんだったら、ピアノも行かせてやる、などと考えるはずである。彼が中学受験を10日後ぐらいに控えたとき、進学塾からしきりに受験校を下げるようにと勧められていた。本人の願いは、落ちたら公立でもいいから第一志望を受けたいというものだった。それに対して、お父様は、ここで安易な選択をしたら一生そのようなことをし続ける子になってしまうと彼の背中を強く押した。
ここで取り上げた2人の生徒の現状はまったく異なる。でも、私の頭の中で、この2人に関する事柄は同じ箱の中に入れられている。
2017.06.13Vol.305 うまくいかないこと、うれしいこと
The opposite of love is not hate, it’s indifference.
愛の反対は憎しみではなく、無関心である。
マザー・テレサの言葉だと記憶していたのだが、ノーベル平和賞を受賞したあるユダヤ人作家のものだと今知った。
“うまくいかないこと”の反対は“うまくいくこと”ではなく、“うれしいこと”である。
真似ようとしたものの、この言葉自体が”うまくいかないこと”の1つか、なんて思われてしまいそうなできである。
親御様は、様々な思いを持って志高塾にお子様を預けてくださる。ただ、その思いは国語の点数とそれなりに強い結びつきを持っている。それはしかと受け止めた上で、その要求にはしっかりと応えようとした上で、私は、大きな人間に育てたいという一種野望のようなものを強く胸に抱いて子供たちに接している。何も、子供たちに「大きな人間とはな」と講釈を垂れるわけではない。塾での成績は良いが、正解のない作文を楽しんで考えようという姿勢が見られなければ「頭がいいんやったらこういうところでこそ違いを見せな」ということや、分からないところで止まっていて、どうにかしようという姿勢が見られなければ「うまくいかん時に諦めてたら、何やってもできへんで」ということを伝えながら、少しずつでも染み込んでいってくれることを願っている。そんな言葉1つで変わるわけではない。人間の根っこの部分に関わることなので、思い通りになんか行かない。でも、そういうことを繰り返すことで、少しずつ視野が広がっていくことを期待している。
このブログにも1, 2回登場した高3の女の子。すんなりと東大の理Ⅰに合格すると信じているのだが、その子がこの夏、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が主催する高校生対象の夏休みのプログラム(3泊4日)に応募することになった。400字以内で志望理由を書くことが求められたので、3回の授業を使ってそれに取り組んだ。こういうときに重要なことはいくつかある。1つ目は、他の人がどのようなことを書くかを踏まえた上でそれと重ならないようにすることである。「宇宙関連のことに興味があるので、このプログラムに参加することでより深く知りたい。」と言われても、JAXAの側からすると知らんがな、という話である。これは「私はあなたのことが好きなので、あなたと付き合ってあなたのことをより深く知りたい」と興味のない人から告白されるのと同じである。そんなことは誰でも言いそうなので、違いを出す必要がある。ではどうするか?「興味がある」という言葉を使わずにそれを感じてもらうのだ。私がそれを城バージョンで行うと次のようになる。
私は、この3年間で80以上の城に行った。印象に残っているところはいくつもあるのだが、ここで2つ取り上げたい。1つ目は、去年のGWに訪れた松本城。雪を冠したアルプスに映える天守閣の姿には何とも言えない美しさがあり、また400年前もきっと同じ景色だったのだろうと当時が偲ばれた。高層ビルが立ち並ぶ大阪城や名古屋城ではそうはいかない。2つ目は、佐賀県にある名護屋城。こちらは城跡なのだが、敷地内にある高台には、どこにどの武将の陣があったかを説明するプレートがあり、そこから「徳川家康陣跡」、「伊達政宗陣跡」などを見渡しながら、そうそうたる顔ぶれがそろっていたことに一種の感慨を覚えた。ただ、このような辺境の地に彼らを一同に集めるというのは、晩年の秀吉の判断のまずさを如実に物語っているような気もした。
ちなみに、私が最初に頭に思い浮かべたのは松本城と高遠城。選択の基準は、有名なものとそうでないものとの組み合わせにすること。また、住んでいる大阪から遠いところを挙げることで、わざわざ趣いているというのを暗に伝えたかった。結果的に高遠城を外したのは、いずれも長野県の城であることに気づいたから。そして、結果的に、まったく別の地方にあるものとして、名護屋城を選んだ。
また、今回のJAXAのプログラムのようにグループワークを行うものの場合、そのチームに加えたいと思ってもらうことが必要である。「船頭多くして船山に登る」と言われるように、リーダータイプばかりでもいけない。そう考えると、本当はそのような役割もこなせるが、自己主張する人が多く応募してくると考えられる場合は、別の強みを訴えたほうがいい。「私は、それぞれの意見を踏まえた上で、そこに何かしらの要素を付け足して、アイデアを形作ることに長けている」など。もちろん、そこには具体例が必要なので、「たとえば、これまでに・・・ということがありました」などと説明することは不可欠である。
彼女自身が、私とやり取りしている最中に「自分ではいろいろとやってきたつもりだけど、意外とアピールすることがなくて困る」と漏らしていた。それに対して、「現時点でそういうことに気づいていることがすごいんや。俺は、大学卒業して、社会に出るときに初めてそれがわかったんやから」ということを伝えた。そういうことに気づけると大学生活が充実するはずなのだ。
結果的にメンバーに選ばれるかは分からない。でも、そういうことに興味を持っていることがうれしい。そういうことを繰り返していれば、自ずとうまくいくことは増えるはずなのだ。
2017.06.06Vol.304 編集後記
彼の文章を受けて、今回はそれに関する感想を。先に謝らなければいけない。『人生を”書く”』と素晴らしいタイトルをつけてくれていたにも関わらず、それを入れ忘れてしまっていたのだ。アップした翌日ぐらいに気づいて修正したため、今はちゃんと見てもらえるようになっている。前回述べたように、本当は最初に提出されたものをそのまま載せたかったのだが、一度やり取りをして修正をしてもらった。不思議なことに、完成版を受け取り、日に日に喜びが私の中で増してきた。
新しくお子様を入塾させていただいた親御様より「帰ってから清書させた方がいいですか」と尋ねられることがある。削ったり挿入したりした結果、時に原稿用紙がぐちゃぐちゃで、どことどこがつながっているかが分からないことなどがあるからだ。また、そのような部分について、子供に何と書いているのか、と質問しても答えられないが、それで大丈夫なのか、と聞かれることもある。一方、新しく入った講師には、1本の作文に時間を掛けすぎてはいけないと伝えるようにしている。時間を要する理由は主に2つ。1つ目は、単純に慣れていないから。ものは考えようで、新人の講師が簡単にできるようなことであれば、そもそも志高塾で行っていることにさしたる価値はないのだ。生徒と講師の成長をバランスよく促していくことが私の果たすべき役割の1つである。2つ目は、その作文を完成させようという心が働きすぎるから。仮に10個指摘する箇所があるとする。それに対して、全部同じように扱ってはならない。少なくとも、3箇所ぐらいをじっくりと考えさせ、4箇所はさらっと修正、場合によっては後の3箇所はあえてそのままにしておく。これはあくまでも例え話である。大事なのは、1回の授業で子供たちがより多くのものを得られるように導いてあげることなのだ。そのようなことを積み重ねていけば、3ヶ月もすれば間違いなく生活のどこかで成長が目に見えるような形で現れてくる。逆に、何も身につけさせてあげられず、親御様から「一向に変化が見られないのですが」と伝えられ、毎回ばっちり添削した作文を並べて見せながら「授業では、あれもこれも、そしてこんなことまでやっているのにおかしいですね」といったような答え方をしているようでは無責任極まりない。
少々脱線はしたが、話はつながっている。彼とは作文を通して、それに付随することも含め実に様々な話をしてきた。ただ、先にも書いた通り、目の前のものを完成させることを目的に授業を行ってきたわけではないので、清書された作文を初めて目にしたような錯覚を覚えた。きっとそんなことはないのだろうが。自分自身の喜びは何に起因しているのだろうか、としばし考えた。作文そのものに対して、というのもあるのだろが、それよりも、たくさん指摘をして、大きく書き換えたにも関わらず、それがすごくまとまったものになって返ってきた、ということに対してなのだろう。いかにも後から増築しました、という感じではなく、一部分は壊し、後から付け加えた部分も含めてまるでそれが元々1つの家であったような感じを与える。たった、一度のやり取りでこんなにも変わるのかと。この一事がこれまでこの教室で積み重ねた時間の価値を証明してくれているような気がした。
本当は、全然違う内容になるはずだったのだが、気づいたら当初の行き先と違うところにたどり着いた。よって、次回もこれについて書くかもしれない。