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2017.06.20Vol.306 “非”て“似”なるもの

 「Vol.303 卒業作文」で取り上げた『人生を”書く”』の中で、彼は次のように述べている。
「僕は中1の初めに、正直周りに流されて大手学習塾の体験授業を受けに行ったのだが、遊ぶだけ遊んで最後の2年ほどで成績を急上昇させるというスタイルが自分に合っていると中学校受験を通して感じていたため、詰め込み型の塾に6年も通ったら自分が潰れてしまうと考え、同級生の大多数とは袂を分かち入塾しなかった。しかし、ただ周りの流れに意地でも抗おうとした訳ではなく、自分のやる気が高まり、その塾の高レベルの環境を最大限活かせると感じ始めた高2の初めになって入塾し、結果的にはその後成績は急上昇した。」
これには若干の補足が必要だ。確か6年生の11月ぐらいまでは、歴史好きだったこともあり司馬遼太郎の本を中心に毎週2冊ぐらいは読んでいた。だから、「遊ぶだけ遊んで最後の2年ほどで成績を急上昇させるというスタイル」について、最後の2年間は勉強だけをしていたと読み解くのは完全な間違いである。ちなみに、当時彼が教室に来て、眠そうにしているのは見たことがなかった。こういう話をすると「~君(ちゃん)はできるから」とか「~君(ちゃん)には余裕があるから」という一言で済まそうとする人がいるのだが、そのようなものには違和感を覚える。小さい頃(低学年かそれより前かは定かではない)、お勉強の塾に通わせた時期があり、テストの結果が良くなかったので、一度横についてさせてことがあった。すると、直後のテストでいい結果を出したのですぱっとやめさせた、というのをお母様から聞いたことがある。少し対策したぐらいで結果が出るのであれば、それに大した価値がないと判断したとのことだった。普通の親はなかなかこのように考えない。「せっかくいい成績を取ったんだから、この調子でその位置を確保して、本人に成功体験を積ませよう。今やらせておくことは中学受験にも役立つはずだから、もっと頑張らせよう」などとなる。もう1つエピソードを。当時、志高塾には灘、甲陽に合格した実績がなかったにも関わらず、6年生になったタイミングで進学塾の国語の授業を削ってでも我々の教室に通うコマを増やして週2回来るようになったのだ。私は進学塾で働いた経験などないので私自身にノウハウがあったわけでもない。志高塾を選んだことそれ自体ではなく、そのような選択ができるところが素晴らしい。彼が中1になるタイミングで同級生の多くが通う大手学習塾を選ばなかったのも、上のようなことを積み上げてきた結果である。通常の親であれば、本人がそのように言いだしたら「周りの子も行くからとりあえず通ってみたら」、「初めでつまずいたら大変だよ」などと翻意させようとするはずである。
 半年に1回の親御様との面談も8割方終えた。そこでは面白い話をたくさん聞けるのだが、ここで1人の元生徒の話を紹介したい。現在は下の子が通ってくれているため、近況を知ることができた。いわゆる最難関校の1つに通う彼も高校生になった。中学入学から現在に至るまで成績は低空飛行しているとのこと。このタイミングで父にピアノ教室と塾に通いたいとお願いしたところ、ピアノは認められ、塾は反対された。ピアノを習ったことがない彼は、ユーチューブを見て、指の動きを真似、少しずつできる範囲を広げていくという方法を取りながら、自分が好きな曲を弾けるようにしていくとのこと。一方で、勉強の方は学校の宿題などもきちんとできていない状態。「ピアノは頑張っているから通わせてやる。でも、勉強は目の前のことすら出来ていないのに、塾になんか通わせない」というのがお父様の考え。これについても、通常であれば、ようやく塾に通おうという気になったか。勉強を頑張れるんだったら、ピアノも行かせてやる、などと考えるはずである。彼が中学受験を10日後ぐらいに控えたとき、進学塾からしきりに受験校を下げるようにと勧められていた。本人の願いは、落ちたら公立でもいいから第一志望を受けたいというものだった。それに対して、お父様は、ここで安易な選択をしたら一生そのようなことをし続ける子になってしまうと彼の背中を強く押した。
 ここで取り上げた2人の生徒の現状はまったく異なる。でも、私の頭の中で、この2人に関する事柄は同じ箱の中に入れられている。

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